勝負 パート2


「なんで今、勝負なんて……」


「話し合いだけじゃ平行線な気がしたから。香織も俺も、簡単には譲らないでしょ?」


「……うん。だから勝負なの?」


「そう。まあ、結局するのは話し合いみたいなものだけど……俺は香織と喧嘩したいわけじゃないんだよ。相手を照れさせるって目的がある勝負なら、お互いもっと穏やかに話せるかなって」


 考えていたことをそのまま話す。

 そうすれば……


「それは……うん。私も斗真と喧嘩なんてしたくない」


 香織は必ずのってくれる。

 だってもともと、俺と香織は考えることが似通っている。幼稚園の頃から一緒にいる幼馴染なのだから、当然といえば当然のことだけど。


 今回はたまたま、意見の食い違いがひどかっただけ。


「俺も絶対に嫌だ。だから、ターン制ってルールがあれば話す方と聞く方がはっきりするし、思ってることも言いやすくて口喧嘩みたくなりづらいだろ?」


「確かにそうだけど…………私、絶対勝つよ?」


「俺も負ける気がしない」


 というか、負けない。


「自己申告なんだよ?」


 それはつまり、多少の照れならいくらでも誤魔化せるということだから。


「それにこれ、3回目の勝負だけど」


「でも俺、今のところ全勝だぞ」


 前に香織とやった時、最後は香織が逃げ出した。次は絶対負けないって言って。


「勝ったら……なんでも言うこと聞いてくれるんだよね?」


「俺に勝てたらな。逆もまた然りだから」


「なら、私が勝ったら、引っ越してもいいとか言わないで、ずっとこの家で暮らしてくれる? ……私の、そばにいてくれる?」


「もちろん」


「……そっか」


 たくさんの質問に答えた後で、さらに少し悩んだ様子で香織は下を向き、そして、ゆっくりと顔を上げた。


「…………わかった。やろう、その勝負」





 それからすぐに勝負は始まろうとしていた。

 何せ必要なのは、心の準備くらいなのだから。


「順番は?」


「いいよ、香織が先行で」


「……いいの?」


「ああ」


「……じゃあ、先行もらうね」


 普段の香織なら遠慮しそうな話だが、それをするには勝負の賭け金が高すぎると判断したのだろう。素直に先行を受け取った香織は、今日初めての深呼吸。肩を小さく上下させて集中し、本気で勝ちに来るみたいだった。


「行くよ」


 途端、香織の雰囲気がガラリと変わる。

 さっきまでの弱々しい幼馴染の姿が鳴りを潜め、刹那に現れたのは、儚い笑みを携えた世界一の美少女。


「斗真の彼女でいられた数日間、私は本当に幸せだった。朝も昼も夜もずーっとドキドキしっぱなしで、一日中斗真のことを考えていられる時間は最高に幸せで、楽しかったよ……。ありがとう」


「……っ」


 昔を懐かしむように目を細めた香織がはにかむ姿はやっぱり最高に綺麗で可愛くて、こんな状況でなければ余裕で頬が緩みまくっていたけれど、その笑顔は見方を少し変えるだけで、泣き出す寸前のようにも見えてしまう。


「でも、お願い、斗真。ずっと私と一緒にいてよ。斗真の大切な思い出がたくさん詰まったこの家で、いつまでも私の幼馴染でいてよ……斗真」


 かなり覚悟はしていたが、それでも香織の言葉は俺に突き刺さった。


 結局、俺は香織のことをちゃんと見てあげれていなかった。

 俺が香織を幸せにすると覚悟を決めたあの日……いや、あるいはもっとずっと前から香織の方も俺を支える覚悟を決めてくれていたのに、俺はその強さを見誤っていた。


 初めて公園の隅で香織を見つけたあの日以来、俺は香織が泣いているところを見たことがない。


 特に中学に上がってからの香織は俺の前で泣かないどころか、勉強や運動以外にも料理とかの家事スキルを飛躍的に成長させていった。あの祖母の教育だけでも相当辛かっただろうに、俺の前ではいっつも笑顔でいてくれた。

 例え俺といる時間が幸せだったとしても、それで他の不幸が消えるわけじゃないのに。


「……ごめんな」


「……斗真?」


 香織の番が終わり、次は俺が動く番。

 何をするよりも先に漏れた謝罪と共に、俺は香織の頭に手を乗せていた。


 香織が望むのは、恋人になる前の日常になっていた日々。俺がこの家で暮らし、香織がその隣で生活し、定期的に一緒の部屋で夜を過ごす毎日。

 それは本当に魅力的で、不満なんて少しもないくらい俺は香織との時間が大好きだ。料理は最高だし、可愛いし、何より一緒に過ごせる安心感は凄まじい。


 しかし、俺の気持ちはもう、あの日々だけじゃ満足できない。


「もし香織が聞き飽きたとしても俺は言い続けるけど、俺は本当に、世界で一番香織のことが好きなんだ。その気持ちは今でも全然変わらない。誰がなんと言おうと、香織は世界で一番可愛くて優しい俺の幼馴染だ。俺が香織に本気だって事を、もう一度ちゃんと理解してほしい」


 長い黒髪をなぞるようにして手を下ろす。


 この勝負が少なからず長期戦になることは確定しているようなもの。

 香織は俺に絶対勝つと言い放ち、俺も香織に負けるつもりは一切ない。そんな状態で勝敗を自己申告に委ねているのだから、それくらい簡単に予想できる。

 となると……相手に負けを認めさせる核心的な一言は終盤まで取っておくべきだ。序盤はとにかく基礎を固め、終盤に向けて準備する。

 一枚ずつ、香織の鎧を剥いでいこう。


「…………」


「どうした……?」


「……髪型がズルい」


「っ、先見の明ってやつだな」


「……頭撫でるのも」


「それは、ルールに則ってる」


 ……とはいえ、俺も余裕たっぷりってわけじゃない。

 そもそも香織のことが大好きな上に久しぶりの会話というこの状況、そして何より不意に視線を逸らされては、香織を守ると誓った心がひどく刺激される。


 ……ほんとに、可愛すぎる。


 ただの話し合いから勝負に変わったとはいえ、相手を納得させる言葉を紡がない限り勝ちはない。それを恐らく香織も理解しているからこそ可愛いに極振りはしてこないのだが、されてたら普通にヤバかった。

 自己申告だから多少の照れは誤魔化せるが、さすがにニヤニヤしながらも負けを認めないのはルール違反だろう。


 改めて唇をキツく結ぶ。


「私だって……こんなこと言える立場じゃないかもだけど、斗真のこと、本当に大好きだよ。本当に本気で、斗真に振り向いてもらおうとして頑張ったんだよ。誰よりも大切な人だから、生涯一緒にいたいと思って頑張ったんだよ。恋人になれたらそれが叶うかもって思って……頑張ったの」


 今度は俺の右手が、香織の両手に力強く包まれる。


「斗真が私の告白を拒んだ時、私に言ってくれたよね」


 それはつまり、先週の土曜日のことだ。


「『俺といない方が幸せになれるって思った時、香織には躊躇わずに俺を捨ててほしい』って」


「……ああ、言った」


「私も同じだよ。斗真が言ってたのとは意味は違うかもしれないけど、本質は同じなんだよ」


「……」


「斗真は、恋人を守るべきじゃない。それよりも、もっとずっと大切なものがあるでしょう?」


 懇願するような目で俺に訴えてくる。


「恋人じゃなくても斗真が望んでくれるなら…………ううん、例え斗真が望まなくても、私は斗真のそばにいるよ? 離れたりなんかしない。離れたくない。だから斗真は、恋人じゃなくて、家族との思い出を大切にするべきなんだよ……っ」


「香織……」


「私にとって、斗真は本当に家族みたいな幼馴染。……それでいて、異性としても心から愛してる男の人。大切な人だからこそ、私は斗真から大切な場所を奪いたくない。本気で大切だと思ってるからこそ、私は斗真のそばに居続けたい。」


 きっとこれが、香織にとって本当に重要なポイントで、彼女を縛り付けてる要素たちだ。祖母に散々行動を制限されてきた香織が、下手したらそれよりも気にして苦しんでいるトラウマたちなのだ。


 香織の気持ちは俺だって理解してる。

 少なくとも理解してるつもりではある。


 香織が俺と居たいと言うように、俺も香織とはずっと一緒に居たいと思ってる。実際そのために香織の祖母への対応は考えているし、勉強だって頑張ってる最中だ。


 香織は俺と一緒に居たい。

 そしてそのために恋人という関係を捨てて、幼馴染として同じ学校に通い続けられるような選択をした。

 それだけだったらもしかしたら……俺の気持ちが香織と同じ方向に揺らぐこともあったかもしれない。


 だが、それが本当の意味で香織の本心だとは、俺にはどうしても思えなかった。


「香織は、引っ越すのが俺じゃなくて自分だったら、俺と恋人であり続けてくれたのか?」


「……………………え?」


「今回のこと、お婆さんの矛先が俺に向きさえしなければ、香織はもっと本気で反抗できたんじゃないのか?」


「っ、そんなこと……」


 言葉を詰まらせる香織を見て、少し……いや、かなり早い気もするが、これ以上は俺が我慢できそうになくなってきた。


 いや、本当は心のどこかで俺が嫌がっていたのかもしれない。

 だって今日俺が香織に一番伝えたかったことは、きっと香織が最も嫌がることだから。伝えたら香織がどうなるかなんて、伝える前から分かりきってることだから。

 でも……


「香織」


「……なに?」


「泣かせたらごめん」


「……ッ」


 ……伝えなければ、橙子さんに時間稼ぎをしてもらってまで今日香織を呼び出した意味がない。


 ここからが今日の主題。


 ここからが本当の勝負。

 

 お互いが逃げ出せないように、香織の両手をしっかりと握る。



「今までずっと香織に支えられてきて、何度も助けられてきた俺が言うには最低すぎることだけどさ。今回のことがあって俺、ようやく香織の優しさが嫌いになれた。……過剰だよ。香織は俺に優しすぎる」

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