<7・なつく。>

 リーアが眠ったのを見計らって、ジムは階下へ降りた。するといつの間にか起きていたらしいチェルクが、ピョコピョコと駆けてきてジムの胸に飛び込んでくる。


「きゅ!きゅきゅきゅきゅきゅ!」

「うわわっ!?」

「少し前に、チェルクは起きた」


 皿をしまっていたゴラルが、渋い顔をしてこちらに近づいてくる。


「ジムがそばに居なくて不安だった模様。優しくしてやるべきとゴラルは思う」

「そ、そうか。ごめんなチェルク。ゴラルもありがとうな」

「ゴラルは何もしていない。チェルクと少し遊んでいただけ」


 そうは言うが、少しだけ彼は疲れた顔をしている。多分、鳴いているチェルクを宥めるのに苦労したのだろう。彼はあまり人と話すのが得意ではないし、想像以上に大変だったに違いない。加えて。


「すぐ戻ってくると考えていたのに」


 ややジト目になるゴラル。


「このビルの壁は厚くない。ああいうことをするのなら、声を抑えることをリーアに言うべき。ジムも煩い時があるから気をつけるべき」

「……全力ですまなかった」

「忘れているかもしれないが、ゴラルもまだ十九歳。聞いているのは耳に毒」

「……マジでごめん」


 そういえばそうでした、とジムは平謝りするしかない。不安にかられるとリーアが抱かれたがるのは珍しいことではないが、それでももう少し配慮はするべきだっただろう。もう少し壁を厚くできるように改装工事した方がいいだろうか、なんてことをやや真剣に考える。――喘ぎ声が煩いリーアを黙らせるより、よほど現実的であるはずだ。

 ちなみにリーアは二十歳になっているので、一応犯罪ではないはずである。この国では、二十歳になれば結婚できることになっている。まあ、リーアたちはモンスターなのでそんな人間の理屈が通るかどうかは微妙なところだが。


「うきゅ」


 青い肌に黒い目の少年は、うるうるとした目でジムを見上げてくる。どうやら甘えたいらしい。

 不思議だった。何故チェルクは、こんなにも自分に懐くのだろう。段ボールを開けて最初に見た人間がジムだったから、という刷り込みだけが理由なのだろうか?


「チェルクは多分、眠い」


 ゴラルが補足してくる。


「ジムが寝かしつけるべき。ゴラルには難しい」

「……そっか、そうだよな。風呂もう入ってるし、いいか。チェルク、おじさんと一緒に寝るか?」

「うきゅきゅ!」

「ジム、その言い方はなんだか卑猥に聞こえる。この状況だとより誤解を招く」

「……いやほんと、すみませんでしたって」


 よほど、リーアといちゃいちゃして戻ってくるのが遅れたことを根に持っているらしい。ムスッとした様子のゴラルに平謝りしつつ、ジムはチェルクの手を引いて二階の階段を上がったのだった。

 チェルクの手はスライムらしく、ひんやりとしていてとても気持ちが良かった。




 ***




 部屋に行ってまずしたことは、三階の倉庫に寄ってスケッチブックと色鉛筆を持ってくることだった。チェルクと意思の疎通を図ろうと言うのである。


「チェルク。絵を描いたり、文字を書いたりは好きか?」

「きゅう!」

「お、そうかそうか。じゃあ、寝る前におじさんと少し話でもするか。文字が書けるならそれでお話ができるよな?」

「きゅー!」


 チェルクは嬉しそうにスケッチブックと色鉛筆を受け取った。ベッドに腰掛けて暫く跳ねたところで、にこにこしながら文字を書いてくる。


『ベッド、ふかふか。ここでねていいの?』


 ふかふかって、とジムは少しばかり驚いた。自慢じゃないが、寝具には金をかけていない。どれもこれも、人間たちが捨てたゴミをちょっとばかり直したものばかりだ。スプリングはぎしぎしと軋むし、マットレスは痩せていて硬い。上にかかっている毛布は毛羽立ってごわごわしている。もう少しお金を儲けたらちゃんとしたものを買おうか、と思って早八年は過ぎた。結局、男の三人暮らしだし、後でいいかー、となってそれっきりである。

 お世辞にも寝心地がいいとは言えない。自分たちは慣れてしまったが、とても客を寝かせられるようなベッドではないはずなのだが。


「お前、ベッドで寝たことないのか?その、野生のスライムならともかく……人に捨てられたってことは、人に飼われてたんだろう?」


 ジムの問いに、チェルクはこくりと頷いて文字を書いた。子供っぽい、お世辞にも上手とは言えない文字。それでも読むには充分だ。


『にんげん、ふたりといっしょにいた。おとこのひとと、おんなのひと。かわれてた。おりのなかにずっといた』

「……あんまり飼育環境良くなさそうだな。高価なスライムのわりに」

『ぼくは、できそこないだから。へんしんできるもの、ちょっとしかない。しかも、みんなあおくなっちゃう』

「あー……」


 それは、ジムも気付いていたことだった。チェルクは今人間の六歳か七歳くらいの男の子に変身しているが、髪の毛も肌の色も真っ青なままだ。しかも、ぷるぷるとしたゼリーのような質感で、人間らしさはまったく再現できていない。

 もっと言うと人間の眼には黒目と白目があるが、チェルクの目は黒一色だった。スライムの時の、そのままの姿である。


『へんしんを、たくさんおそわったけど、ぜんぜんできるようにならなくて、いつもたたかれてた。ぼくはだめなやつだから、こうかなスライムなんかじゃない』


 チェルクは寂しそうに俯いた。


『ぼくはなにもできないだめなやつ。なのにどうして、ジムたちは、やさしくしてくれるの?』


 そう言われると返答に困ってしまう。そもそも、捨てられた動物や道具を拾ってくるのがジムの仕事に含まれているのは事実。拾うところまでは、単なる業務的行動だ。それから、チェルクを引き取ったのも長老にそうするように言われたからなわけで、ジムの意思だけではない。


「難しいな。俺は命令された仕事をしてるだけだしなぁ」


 それでも、あえて何かを言うとしたら。


「まあでも、確かに。仕事じゃなくても、ほっとけなかったかもな。段ボールに生き物閉じ込めてるだけでも許せねーし」

『でも、ぼくはそのとき、ジムとはしりあいじゃないでしょ?』

「そうだな。でも関係ねえんだよ。……このインサイドの街にいる奴らはみんな……人間やモンスターの仲間に捨てられた奴らか、その子供だからな。つまり、同じように捨てられていた奴のことはほっとけねぇんだ。そいつを見捨てたら、自分を捨てた奴等と同じになっちまうだろ?」

『ジムもすてられたの?』

「ああ」


 目をまんまるにするチェルクに、ジムは頷く。


「お前は自分を出来損ないみたいに言うが、それなら俺だって同じだ。赤ん坊の時にこの森に捨てられた。魔法使いの一族だったのに、魔力が感知できなかったって理由でな。……成長したら、あるいは訓練したら、魔力が増える可能性もあったはずだってのによ」


 添えられていた手紙によると、この国でも随一の――というか、王様に仕えるレベルの魔法使いの一族であったらしいということまではわかっている。ストライク家は貴族としても、侯爵階級を与えられた一流の家柄だったそうだ。

 だからこそ。待望の男子が魔法使いとして出来損ないであると知り、計り知れないショックを受けたという。だから、捨てる――というより、最初からいなかったものとして存在を抹消することにしたのだそうだ。

 彼らにとっては仮に訓練して平凡程度の魔法使いに育っても、それでは何の意味もなかったということなのだろう。一流の家には、生まれついて一流の魔力を持つ天才以外は必要なかったというわけだ。

 まったく呆れた話である。こんな無茶苦茶で倫理観の狂った話を、よくもまあ堂々と手紙に書けたものだ。実はジム本人ははっきりとその手紙を読んではいない。あまりにも自分達を正当化しすぎて気分が悪いから読まなくていい、と育ての親に言われたからだ。

 実際はもう少しマシなことが書いてあった可能性もあるが、手紙は未だに箪笥に仕舞われたままになっている。ジム自身、今更読む気にもならないというのが本音だった。


「出来損ないってのは、誰が決めるんだろうなっていつも思うよ。本来誰だって、出来る事と出来ない事があるのは当たり前じゃねえか。俺が当たり前に出来ることはリーアには当たり前に出来ないことかもしれねえ。リーアに当たり前に出来ることがゴラルには出来ないかもしれねえ。そしてゴラルに当たり前に出来ることが、俺には一生かかっても出来ないことかもしれねえ。それが普通ってなんもんなのに……人はなんでも、自分の物差しでばっかりモノを判断してばっかりだ。自分が簡単に出来ることが出来ないヤツを、“出来損ない”だと馬鹿にしたり、“やる気がない”って決めつけて蔑んだりするんだ」


 そういうヤツほど、自分にも出来ないことがあるという事実を棚上げするのだ。

 単に想像力が欠如しているというだけではない。誰もが、自分にとって都合の良い真実しか拾わないがゆえに。


「だから俺はな。そういう奴等と同じにだけはならねえって決めてんだ。この森に来て、カズマの大樹に認められた奴はみんな俺らの仲間だ。同志だ。そいつらが俺等とどんなに姿が違っても、俺と出来ること出来ないことが違っていても関係ねえ。ただ、俺に出来ないことが出来る奴らを尊敬して、大事にしようって決めたんだ」


 悪くねぇんだぜ、とジムは笑う。


「そうやって誰かを尊重し続けたら、必ず誰かはそんな自分を見てくれる。愛した分は、必ず報われる。俺はそう信じて生きてきて、それが間違ってると思った瞬間は一度もねえ」

『……だから、ぼくにもなまえをつけてくれたの?なにもできないかもしれないのに?』

「何言ってやがる。お前はもう、俺らにステキなものをくれてるんだぜ」


 目を見開くチェルク。その頭を撫でながらジムは言った。


「お前が来てから、今日はマジで一日楽しくてしょーがなかった!あとお前はめちゃくちゃ可愛い!めっちゃ男三人は癒やされまくりのテンション上がりまくりだぜ!」

『それだけでいいの?』

「おう、それだけでも充分だ。まあ、お前が納得できないなら、これからお前に出来ることを探していけばいいんじゃねぇのか?時間はたっぷりあるんだ、ゆっくり考えて、見つけていけばいいって」

「……きゅう」


 ジムの言葉に、スライムの少年は俯いて小さく鳴いた。ひょっとしたら、何か言葉を発したかったのかもしれない。

 やがて、スケッチブックにするすると文字を書いてきて、恥ずかしそうに見せてくる。


『ありがとう。ぼく、ジムがだいすき』


 嬉しいことを言ってくれるものだ。ジムは笑って返してのだった。


「おう。俺もお前が大好きだぜ、チェルク」


 出会った初日とは思えない、あまりにも濃厚な一日だった。

 二人のささやかな会話は、結局夜の遅い時間まで続いたのである。

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