第11話 悪鬼狩り

猛が中学三年の頃、佐野市には主だった暴走族が五つ存在していた。

その五つは、夜魔レイス紫天狗してんぐまぼろし黒龍こくりゅう魔利亜マリアだった。

しかし、魔利亜が解散。夜魔も総長の北沢が降りた事で紫天狗に吸収され、事実上の解散となり、佐野市の暴走族勢力の均衡は崩れようとしていた。


紫天狗の総長、鎌田かまたは、夜魔のメンバーを迎える準備で忙しくしていた。紫天狗のメンバーの中には、夜魔の吸収を反対している者が多く存在していた。「近頃の鎌田の言動は理解できない」と、紫天狗と敵対している黒龍や幻に移籍する者まで現れ始めていた。

鎌田が威厳を損なった一つの要因として、上葉の存在があった。

新参者の上葉を買いかぶりすぎている。と、いわば嫉妬心からの問題であったが、事実、鎌田は上葉を買っていた。

猛や上葉の二歳年上である鎌田は、北沢やアキと同年であり、また、宅間、飯塚も同年であった。

そのため鎌田らの世代の者達は、次の年、十八歳になる年を最後に暴走族を引退する事になっていた。当然ながら紫天狗や夜魔には、更に多くの同年メンバーがおり、そのモブ(この物語では)メンバーの多くが期限付きの暴走族という青春を悔いなく謳歌し、先輩たちのように晴れ晴れしく引退パレードをしてOBになりたいと考えていたのだ。

しかし、モブメンバー達の見聞き知らぬところで、夜魔の総長北沢が発砲事件を起こし、更に同じ夜魔の宅間が北沢を刺し、警察に赴いて罪を自白し逮捕されるなど、洒落にならない事態になっていた。

そして何故か、魔利亜が突然の解散。

夜魔が紫天狗に吸収されるとの話も急であった。

モブメンバー達は、「こんなはずじゃなかった」と思ったに違いなかった。

鎌田はこれらの事件に直接関わっていたわけではなかったが、その事がかえって鎌田の威厳を損なわせた。

鎌田は何をしていたんだ。俺たちの知らない所で色々と変化しているのに、うちの総長ときたら何にも絡んでなかったのか。上葉にご執心だからな。

モブメンバー達はそうして鎌田の陰口を様々な場所で、様々な人々に話し、笑いものにしていた。

その様子を傍から見ていた幻や黒龍のメンバー達は、夜魔も紫天狗も地に落ちた。と、ほくそ笑んでいたのだった。


上葉の剛腕が風切り音をあげて猛の目の前を瞬時に通過する。

ぐしゃっ。っと、嫌な音がした後、幻のメンバー春日かすがの身体が三メートル後方に吹き飛んだ。

「えっぐ」

山岸が猛の横で呟く。

ゲームセンターACEの裏に位置する駐車場の片隅で、上葉のが始まった。

ふわふわなパーマ頭を整髪料で長細いリーゼントにまとめ上げた春日の髪は、その形状を維持できずに先端からポキっと折れたようにしおれてしまった。


ゲームセンターACEは佐野市の北に位置し、北中出身のメンバーが多い幻のたまり場だった。

猛は上葉と山岸と集合すると、山岸と上葉をそれぞれに紹介した。

山岸は初めて会った上葉に驚きを隠せない様子で、しかし、上葉に自分から握手を求めた。そして上葉も邪険にする事なく、年上の山岸に「よろしくお願いします」と、敬語を使った。


「オラァ! てめえ春日ってんだよなあ! 早く吐かねえと死んじまうぞ!」

上葉の詰め方は、単なる暴力だった。

二十九センチの足が、側臥位に倒れた春日の腹にめり込んだ。

「ぐぼぁ」

春日の口から聞き慣れない嗚咽と共に、白ぽい吐瀉物が噴き出た。

「飯塚はどこにいんだよ! ヤサ教えろや! ヤサ!」

上葉の恫喝の隅で、いくつかの呻き声が猛の耳に入る。

上葉は、春日の前にすでに二人の幻メンバーを一撃で気絶させていた。

その伸びている二人の呻き声だった。

猛は、その二人のうちの一人が既に気がついて起きているのに、薄目で春日の様子を見ているのが可笑しくて、「ははっ」と笑った。

「助けにも行けないのか。……上葉相手じゃ無理もないか。圭太は、上葉とタイマン張れる?」

猛が聞くと、「無理に決まってんだろ。飛んでたぞ、今」と、山岸は顔を引きつらせて言った。

「もう一発!」

上葉の足が、今度は春日の顔面を捉え、頭がコンクリートの地面に叩きつけられた。

「上葉、死んでない? 殺しちゃダメだよ」

猛は幻の三人に聞こえるように、しかし、落ち着いた口調で言った。

遠目から、春日の顔がぶっくりと腫れてきているのがわかった。

「こんな雑魚殺しても仕方ねえだろ」

上葉は言って春日の顔に唾を吐いた。そして足を振り上げる。

「……わかっ、た。わかったから、……やめ、てくれ」

春日は口から血を滴らせながら、息をあげ、のろのろとした動きで土下座の格好になった。

「……すみません、でした。止めて……ください」

猛は見逃さなかった。

春日の眼が、まだ折れていなかったのだ。

「上葉、あと一発だ」

「おい!」

山岸が咄嗟に言うが、上葉は猛の言葉に呼応するように、春日の腹部を蹴り上げた。

春日は二回転半転がり、うつ伏せに肚を押さえている。

「圭太、あいつも芦尾の事をったんじゃねえの? だって飯塚の側近だぞ。噴水の時、あいついなかったのか?」

猛が言うと、山岸はじっと春日を見、徐々に顔つきが曇り始めた。

そして目の潤んだ山岸は、春日の方へと歩いていった。

入れ替わりで上葉が猛の元へ戻ってくる。

「死ね! てめえ、死んで償え! 下衆野郎!」

山岸の怒声が響いた。

額の汗を拭いながら戻ってくる上葉は、わずかに笑んでいる。

「クッソ弱ええな。何だこいつら。本当に高校生なのか?」

上葉は言いながらポケットに手を突っ込み、タバコを出して吸い始めた。

「お前ほんと普通じゃないな。年齢偽ってないよね?」

「年齢なんてどうでもいいだろ。そもそも偽る理由がねえよ」

「まあ、そうなんだけど」

山岸が春日に馬乗りになって、一発一発力を込めて顔面を殴っている。

引き抜かれた春日の頭髪が周囲に散乱している。

猛からも春日の頭に禿げが出来ているのが見えた。

「チンコぶった切ってやる」

山岸は息を切らせながら立ち上がると、春日の股間を強かに蹴った。

その一撃で、春日は白目を剥いて気絶した。

山岸は気絶した春日の特攻服を剥ぎ取り、全裸にすると陰毛を鷲掴みにしてぶちぶちと抜いた。

陰毛まで禿げた春日の一物が露になる。

「切ったら出血性ショックで死ぬかもよ」

猛が山岸に向けて言う。

「じゃあ救急車呼んでおけ」

山岸の眼は本気だった。

「あっそ、じゃあやれば」

山岸は猛の言葉に一瞬のためらいを見せたが、意を決して春日の一物を握った。

その時、春日の意識が戻った。

「う!っうわ!」

春日は飛び退いたが、山岸はしっかりと一物を握り込んでいた。

猛からは、春日の一物に山岸の握力がどのように加わったのか良く分からなかったが、春日は飛び退いた瞬間ビクッとした後、腰を浮かせて山岸の方へ戻した。

「やめろ! 何かおかしい! やめてくれ!」

春日はブリッジの形で、一物が山岸の手から離れないように、手足を交互に動かして移動している。

その姿を見て、猛と上葉は爆笑した。

「今、ブチっていった」

山岸が笑いながら言った。

「え、ちぎれたん? ウオッヘ!」

上葉が笑いに腹を抱え、タバコの煙にむせ込みながら聞く。

山岸が春日の一物から手を離すと、春日の腰は地面に落ちた。

春日はすぐに自分の一物を両手で包み込んで、胎児の様に丸くなり一物の状態を確認し始めた。

「おい、ケツの穴が丸見えだ!」

上葉が言うと、山岸が一緒になって笑い転げている。

「はっ、はっ」と、過呼吸のような音が聞こえた。

「おい! 俺のチンコ! 何も感じない!」

春日は叫び、それからは涙を流し、股間を抱え込んでうずくまった。

「当然の報いだ、ばーーーっか!」

山岸は、助走をつけてから春日の顔面を蹴った。

猛は山岸の行動を見送った後、気絶したフリをしているメンバーの元へ近づいた。

すると、そのメンバーはサッと起き上がり、土下座して額を地面にこすりつけた。

「ごめんなさい! やめて下さい! 飯塚さんの場所言います! ですからやめて下さい!」

「早く言えよボケ」

猛は額をこすりつけるメンバーの前に蹲踞し、後頭部を引っ叩いた。

「お前、名前は?」

「すみません、勘弁してください!」

「すみません、勘弁してくださいって名前なの? めずらっし。親御さんどんな人?」

「いえ、そうじゃなくて!」

「わかってるわ馬鹿。早く言え」

「は、はい! 飯塚さんは」

「まずはお前の名前だよ!」

「え! いえ、それは」

「お前が嘘ついたらどうすんだよ。いつでも詰められるように、住所も教えてもらうからな」

「そんな、それはあまりにも酷いんじゃないですか?」

「見た目だけ暴走族の成しやがって。なんだこの頭」

土下座しているメンバーの金髪リーゼントを鷲掴みにして引っ張る。

「ごめんなさい、痛いです。やめて下さい」

猛は思わず噴き出した。

「はははっ! マジでだっさ! お前、暴走族やめろよ! 坊主にしてさ!」

猛は、自分が自分じゃないような気がした。

恨みなどない相手に対して、自分がこんなにも残酷になれる事を、初めて自覚した。

まるで別人格の自分の言動の裏には、芦尾美那の影がちらついていた。

そして、乱暴され自死にまで追い込まれた芦尾美那の影を、魔利亜のメンバーに重ねていたのだった。

もし、よっちや神岡の姉妹がこいつに犯され、自死にまで至ったら、自分はこいつを明確な殺意を持って躊躇わずに殺すだろうと思った。

だから、山岸があのような表情を浮かべるのも理解出来た。

「辞めます! これ、脱げばいいですか!? 飯塚さんの場所も言います、家に帰してください! お願いします!」

猛はこの幻メンバーの言葉にイラっとして、鷲掴みにした髪を思いっきり引っ張った。数か所の禿げた部分から血が滲み出て来た。

手のひらを開くと、指間に纏まった毛髪が頭皮の一部と共にあった。

「うぅ……」

土下座の形を崩さない幻メンバーは、痛みの訴えも押し殺して、涙を流し額を地面に擦り続けた。

「中途半端な覚悟で族やってんじゃねえよ。さっさと脱げ、ゴミカス野郎が」

「……ヒッ、ク」

涙をぼろぼろと零しながら、幻メンバーは特攻服を脱いだ。

そしてまた土下座した。

「……飯塚さんは、木島組の奥田おくださんという人の家にいます。……奥田さんは、トオルさんの兄貴分の人です。そこで、暮らしています……」

「具体的に何してんだ」

「えっと、お茶くみとか……じゃないですかね」

「本当に?」

「す、すみません! 知らないんです。本当に、知らないんです」

「あっそ。で、その家は?」

「佐野駅前の道をずっと西に向かって、足利に入る手前の交差点を北にずっと行くと仁王像の建っている石材店があって、そこの近くです。デカい家なんで、すぐに分かると思います。レンガっぽい赤い壁の家です」

「ふうん。で、お前の名前は?」

「……本当に、勘弁してください」

「でもさ、お前の事なんてすぐに分かると思うよ。この後、あの春日ってやつの携帯から手当たりしだいに幻の奴ら潰していくから。春日の事も同じように知ったんだからさ。名前、俺達に言っておいた方が後々を考えたら良い事しかないと思うよ。言ってる意味わかる?」

「俺がゲロった事を、言わないでくれるって事ですか? 他の奴らに」

「なかなか冴えてるじゃん。春日とお前、あと、あっちで伸びてる奴はゲロって無いという事にしてやるよ」

「さ、佐藤です」

「下の名前は? 佐藤なんていっぱいいる。てか、免許証は」

猛は特攻服のポケットを確認し、財布を取り出し開いた。

免許証の写真と目の前の顔を比較する。

「佐藤一? 斎藤一じゃなくて残念だ。俺、新選組好きなんだよ」

猛が言うと、佐藤は「ははっ」と苦笑いした。

「何笑ってんだよ」

猛は言って、佐藤の頬を張った。

立ち上がり、タバコをふかしている上葉に振り返る。

「行くべ。財布もらった」

上葉が煙を吐き出して、タバコをコンクリートに押し付けてから立ち上がった。

山岸の方を見ると、泣いてうずくまっている春日の頭に残った髪の毛を、何かに憑りつかれたように一本一本摘まんで抜いていた。

「おい、圭太。気は済んだか。そいつの携帯持ってきて。行こう」

山岸が猛に振り向く。

山岸はぼうっとした表情で頷くと、春日の特攻服を手にして持ってきた。

猛は、「あ、そうか」と呟いて、佐藤の特攻服を拾った。

「んじゃ、次行くか」

上葉が言い、力の抜けた山岸が頷いた。その眼に輝きは見られなかった。

春日達の単車が駐車場に停まっていたが、猛達三人はその単車の前で一瞬立ち止まっただけで、取ろうとは思わなかった。


情報を纏めるために歩いてファミレスに向かう事になったが、その道中、猛と山岸は喋らなかった。上葉がただ一人、嬉々として喋っていた。


「今日中に飯塚に会えるかなあ」

上葉が呑気にそんな事を言ったので、「会うんだよ」と山岸が強い口調で言った。

山岸が「しょんべん」と言ってトイレに向かった。

昼のファミレスにはほとんど客がいなかった。

猛はドリンクの氷を噛み砕きながら、木島組の事を考えていた。

奥田という名前を、どこかで聞いたことがあったのだ。

「上葉は、木島組のやつとは面識ないの?」

「え、無いよ。トオルさんくらい?」

「そうなんだ。じゃあ、笠原に一度聞いた方が良いかな?」

「何を?」

「奥田ってやつの事。なんか、俺、前に聞いたことあんだよね。名前。どこで聞いたのか忘れたんだけど」

「トオルさんの兄貴分なんだろ? それなら魔利亜の連中も、北沢さんや鎌田さんも知ってんじゃねえか?」

「うーん。……それなら上葉、鎌田さんに電話してみてよ」

「……まあ、良いけど。そう言えば、俺、鎌田さんに紫天狗辞めるの言ってねえわ」

「え、マジで?」

「うん。どうすっかな。やべえかな? てか、鎌田さん今結構、立場が危ういみたいなんだよね。もしかしたら総長から降ろされるかもしれない」

「えー、そんな事があるんだ」

「可哀相な話だよ。あの人、喧嘩強ええのに勿体ねえよ」

「強いんだ?」

「まあ、他のやつらよりは圧倒的に強ええよ。俺よりは弱いけどなー」

上葉は言うと、携帯電話をポケットから取り出して、鎌田にコールした。

呼び出し音が漏れて聞こえてきたが、鎌田は電話に出られない状態らしかった。

「出ないわ、どしたんだろ」

上葉は携帯電話を仕舞って、代わりにタバコを取りだして火を点けた。

「そうだなー、とりあえず奥田って人の家は分かったから、近くまで行ってみる?」

猛が言うと同時に、山岸が帰って来る。

「んで、どうすんだこれから」山岸は席に座る。

「奥田って人の家の前まで行ってみるかなって」

「まじか。でも、足利の方とか言ってなかった? 遠くね?」

「でも、行かないと。飯塚が本当にその家にいるのかだけでも知っておかないと、次の手が打てない」

「んじゃさっさと行こうぜ。日が暮れちまうわ」

山岸が言うと、上葉がタバコを消して立ち上がった。

「二人に言っておきたいことがある」

上葉の言葉に、猛は見上げて次の言葉を待った。

「なに?」

「拳、痛めたかも。ちょっと今日は喧嘩を避けたい」

上葉は言って、猛と山岸に手の甲を見せる。

拳を形創る関節が赤く腫れ、所々に裂傷が見られた。

「素手で何人も殴ったから、拳が耐えきれなかったわ」

「お前から暴力を取ったら何が残るんだ」

山岸が辛辣に言い、その言葉に上葉は「すまねえ」と、気持ち悪いくらい素直に謝罪した。

「いや、上葉が居たからここまで来られたんだろ。俺と圭太だけじゃ、最初の二人にでさえ勝てなかったかもしれない」

「まあ、そうだけども」山岸は猛の言葉に、頷いた。

「上葉、次からは拳を守るグローブとか付けた方が良いかもしれないな。ほら、K-1選手とかが付けてる――」

「オープンフィンガーグローブ?」

「そう、それ」

「考えとくわ」

「ま、上葉が今日はこれ以上喧嘩できないなら、まずは偵察して、もし飯塚がいて行けそうなら圭太と俺で何とかしよう。相手が一人なら何とかなるだろ」

「そうだな」

山岸が立ち上がり、その後ろに猛が続き、三人はファミレスを出た。


炎天下の街中を並んで歩いていると、どうにも気恥ずかしい気分になる。

猛は、基本的に一人で行動することが多く、同年代の男達と肩を並べて歩くのは小学生のころ以来だった。

これまで猛は友人と呼べる関係を築けなかった。

その原因を、猛は両親のせいにしていた。

幼い頃、猛にはもう一人の家族がいた。兄のわたるは、五歳年上であったが、猛が四歳の頃に交通事故で亡くなっていた。その事がいつまでも両親の心の中で消化されずに、期待も不安も無念も、すべて猛が背負う事になった。

事あるごとに両親の、特に父親の感情をぶつけられ、それは様々な形であったが、ほとんどは暴力であった。

母親も、猛に様々な感情をぶつけた。母の場合、年中鬱気味であって、猛自身どう接すれば正解なのかが分からず、ただ励ます事しか出来なかった。

母親は猛の励ましに涙を零したかと思うと、いきなり物を投げつけてきたりした。

猛は家庭内で心休まる時間を感じたことが無かった。

猛の孤独は、家の近所や学校を問わず周囲から好奇の目を向けられた。

学校の教師達も、猛の家庭環境や学校内での存在に手を焼き、次第に関わるのを辞めたのだった。

そして猛は、唯一、心休まる場所を見つけた。それが図書室だった。

本は好きだった。自分とは別の人生を垣間見ることが出来、一時でも現実を忘れさせてくれるからだ。

自分の理想とする場所。猛はこの思春期の全てを賭けて、ただ安心して過ごせる場所を欲していたのだった。


佐藤が吐いた情報の通り、仁王像のある石材店は道路に面してあった。そのすぐ横の道に入ると住宅が何軒かあり、三十メートルほど奥に進むと、赤いレンガ調の壁の家が見えてきた。

「あの家じゃねえか?」

上葉が言い、猛は目を細めた。

三階建てのその家は、『ヤクザの家』と、近隣住民にそのままの伝わり方をしていた。家の周りに空き地がいくつかあって、開けている。

その空き地の一つには、黒塗りの高級車が三台停まっていた。

、ヤクザの家だな」山岸が言い笑う。

「とりあえず、どうする?」

猛が言って、その場に座り込む。

「あっつう。早くしないと暑さにやられちまうぜ」

上葉は手で顔を仰ぎながら、時々、痛てっと言って手の甲を撫でた。

「待つしかねえだろ。飯塚のカスが出てくるのを」

山岸は手で額に陰を作りながら言う。

「圭太、春日の携帯で電話してみろよ」

「お、そうだった」

山岸が携帯電話を出して、猛も画面を覗き込みながら飯塚の名前を探した。

登録人数が約三百人あり、飯塚を検索にかける。

「これかな? 飯塚って、下の名前なんだっけ」

山岸が言いながら、飯塚の苗字の五人の名前を読み上げる。

「知らねえなあ。聞いとけばよかった。五人なら全員にかけてみろ」

上葉が気だるそうに言い、とうとう座り込んだ。

「いや、これだろ。こいつだけ敬称ついてるぞ」

「ほんとだ、飯塚紀明さん? ノリアキで良いのか?」

通話ボタンを押した山岸は、額から鼻筋に流れ落ちる汗を拭うことなく集中している。呼び出し音がしばらく続いたあと、低い声がした。

「てめえ、しつけえよ何の用だ。忙しいんだよハゲ」

飯塚の声を聞いて、山岸は通話を切った。

「は? 出たのに切ってどうすんだよ!」

猛が言うと、山岸はすぐに掛けなおす。

「猛、ちょっと黙っててくれ、あいつを家から出すんだろ」

再度、呼び出し音が続いて聞こえる。

「おい、お前ふざけんな。何も用がねえなら掛けてくるな。ボケが」

「飯塚、お前、幻の飯塚か?」

「あ? だれだてめえ、春日じゃねえな」

「誰でもいい。ちょっと外に出て来いよ。面白いもの見せてやるからよ」

山岸はそう言ってにやけ顔で通話を切った。

「おい、猛、奴らの特攻服貸してくれ」

「はいよ」

山岸は幻メンバーの特攻服を四着手にすると走っていき、ヤクザの家の空き地に無造作に投げ捨て戻ってきた。

「何やってんのお前」

「あいつ、すぐには出てこれねえよ。んでさ、上のやつらに許可取って出て来るだろ? 目立つところに特攻服が落ちてたら拾いに来るだろ」

「警戒して来ねえかもよ。あいつ、笠原を襲撃してんだぞ?」

「げっ、そうか」

「特攻服なんて、あいつからしたらどうでもいいんじゃねえの?」

空き地に投げ捨てられた特攻服は潰れた蛙のようになり、時間の経過とともに夏日の重い湿気を吸って地面に張りついていた。


陽が傾き始めた頃、ヤクザの家を注視していた猛は自身の腕を掻くと、日焼け特有のぼやけた痛みに顔の表情をしかめた。

空き地に面した住宅の、陽の直射をわずかに避けられる陰に、三人は身を寄せるようにして座り込んでいた。

「はあ、死ぬ。もうだめだ。自販機行ってくる」

上葉は言うと立ち上がって、石材店の脇に設置された自販機に向かって歩いて行った。

「全く動きが無いな。本当にあの家には人がいるんだろうか」

もう、かれこれ二時間はじっとしているため、脱水により唇はかさつき、汗が枯れてきていた。

「姿だけでも確認できなきゃ、ここを離れる訳にはいかない」

山岸は言ってから生唾を飲み込んだ。

「ていうかさ、人も車も通らないのはなぜ? この家の人もいないんじゃねえの?」

周りに住宅はいくつもあるのに、なぜか人の気配が無かった。

そしてふと、どうしてか猛はこのタイミングで奥田の事を思い出した。


それは猛が小学校六年の頃、毎日のように自宅に来ていた男の事だった。

その男は父の知り合いで、名を奥田庄吉おくだしょうきちといった。

奥田は、父よりもずっと年上で、父に貸した金を返してもらいに来たと言いながら、居間で酒を飲んでいた。

父は一升瓶を手に酌をして、また父も奥田からの酌を受けていた。

父を心配そうに見つめる母を横に、「がははっ」と笑いながら酒を飲み続けていた。

そしてある夜、奥田はいつものように家に入ってくると、いきなり父を蹴り飛ばしたのだ。

父はその夜に家から連れ出され、五日間帰ってこなかった。

父が帰って来るまでの間、母は警察に届け出ようか、しかし、それは父にとって良い事なのか。と散々悩んだ挙句、息子である猛にその責を投げつけた。

父は帰ってくると、何事もなかったように居間に座り、酒を飲み始めた。一言も話さずに、テレビを点け、酒を飲み続ける。

母は何から話しかけたら良いのかをまた悩み、猛はその脇で立ち竦んでいた。

コップを握る父の手が、震えていた。

父は酒を浴びるように飲んだ後、居間の床でいびきをかいて寝始め、次の日の朝早くから庭に穴を掘っていた。

何のための穴なのか、全く分からなかった。

しかし父は、朝から昼、夕にかけて、ずっと穴を掘り続けた。

見かねた母が、何の穴なのかと聞くと、父は「落ち着かないんだ」とだけぼそっと言い、それから三日間、穴を掘っていた。

父は毎日、泥だらけの身体のまま風呂場に行って何時間も風呂に入っていた。居間で飯を口に入れたかと思うと、ぼうっと宙を見つめ、タバコを吸っている時などは、タバコの灰が落ちても気にしなくなった。

父が元の父に戻るのに、二か月ほどかかった。

その間に父は仕事を辞めたようだった。

奥田はその頃から家に来なくなった。


あの時期に来ていた奥田庄吉が、目の前の家の家主であるかどうかは分からない。だが猛は、奥田庄吉がまともな人間でない事は分かっていた。だからもしかして、という考えが拭えなかった。


陽が落ちて辺りが暗くなり始めた頃、一台の車が石材店の横道を入ってくるのが見えた。その黒塗りの車は猛達三人の横を通り過ぎて、空き地に入っていった。

陰に身を潜めた三人は、身を乗り出して、しかしばれないように車から出てくる人物を注視した。

車は山岸がぶちまけた特攻服に気を止めることなく踏みつけ、三台並んだ車の横に停車した。

運転席から黒服の男が出てくると、車の後方に歩いていき、特攻服を覗き見た。そのあとで後部座席のドアが開き、二人の男が出てくる。

一人は運転席の男と同じく黒服で、もう一人は白のジャージを着ていた。

その時、山岸が猛の肩を引いた。

「おい、飯塚だ」

距離が遠いのと、陽が落ちてきていたせいで、猛は人物の顔が判別できていなかった。

「ほんとかよ。ここから顔見えないだろ」

猛が言う。

「いや、あれは飯塚だ。間違いない。歩き方がそうだ」

ジャージの男は、運転席から出て来た男に近づいていき、頭を下げている。

「たしかに、あの三人の様子からすると一番下っ端ぽい感じだな」

上葉が言って、目を細めた。

「家には居なかったか。まあ、あいつ帰るかもしれないし、一応、夜中まで張ってみるか?」

猛が言うと、山岸が「頼む」と真剣な表情で言った。

「圭太、マナーモードにしとけ。電話かかって来るかもしれない」

「あ、そうか」

黒服の男二人は、地面に張りついた特攻服を拾う飯塚に何かを言って、(多分、片づけておけよだと思われる)家屋に向けて歩いていく。

「一人になるぞ、どうする?」

「まて、まだ待っとけ」

山岸が早まらないよう、猛と上葉は制止する。

飯塚は特攻服を拾い終えると、尻に手をやって携帯電話を取り出した。

「来るぞ」猛が言う。

マナーモードにした携帯電話のバイブレーションが鳴る。

山岸が頷き、通話が開始される。

「てめえ誰だよ。恥かかせやがって。春日はどうした」

飯塚はどっしりとした低い声で言う。

「春日は死んだ。次はお前の番だ」

「……嘘だな。一誠いっせいさんの舎弟だろ?」

「笠原一誠は知っているが、無関係だ」

「そんなはずはない、トオルさんが言ってた。あいつはすぐに追手を出すから気を付けろってよ」

「幻の事だけどな、お前以外は潰したも同然だ。幻がたった一人に潰され、それは飯塚紀明がヘマしたからで、さらにクソ雑魚だったと、顔写真付きのチラシを街中に貼ってやるよ。それが嫌なら二十二時にACEの裏に来い。一人でな」

「あ!? てめえ! ふざけた事抜かすな。殺すぞ」

山岸は通話を切った。

「子供みてえ」猛がぼそっと言う。

「良いんだよこれで。やつは無視できないはずだ」

山岸は春日の携帯電話を半分に割ってから地面に叩きつけて何度も踏みつけた。

ぼろぼろになった携帯電話を見て、猛は上手くいくか不安になった。

「ま、来るだろうな。来なかったらガチのヘタレだ」

上葉は言ってペットボトルに残ったスポーツドリンクの残りを飲み干した。

「メンツが大事ってやつ?」

猛は欠伸あくびをしながら言った。

陽が落ちて辺りがわずかに涼しくなり、眠気が襲ってきた。

「腹減ったな、何か食ってから行こうぜ」

山岸が言い、猛と上葉も賛同した。


ACEの店内、裏の駐車場に春日と佐藤の姿は無かった。だが、昼間に毟った二人の髪の毛が、コンクリートの地面の上に残っているのが闇夜の中でも確認できた。

「なんか、こうしてみると生き物みたいで気持ち悪いな」

山岸が言いながら靴底で髪の毛の塊を踏んでいる。

「おい、遊んでんじゃねえ。隠れてろよ」

猛が言うと、山岸はかすかに笑いながら歩いてくる。

山岸は自分が空き地に投げ捨てた特攻服が良いように役割を果たしたのを、ずっと自分の手柄だったと語っていた。挙句、何て単純な奴らなんだ、余裕だ。などと抜かしていた。猛は山岸のこういった性格が気に食わなかった。しかし、その気質はとても得難い、龍樹と同じ色の根の明るさを感じさせるものだった。ゆえにそれは猛には無い、山岸の長所でもあるのだった。

「何をカリカリしてるんだ?」

「お前はもう少し緊張感を持てよ。上葉は殴れないんだからな」

「大丈夫だろ、こっちは二人だぞ」

山岸は不服そうに言うと、「なっ」と上葉の肩を叩いた。

「俺は飯塚がどの程度喧嘩に慣れてるか知らないんでわからないっすよ。山岸さん、今回だけは猛の言う事を聞いた方が良いですよ」

「お前までそんな風に言うの?」

「もし相手が格闘経験者だったら、二人でも間違いなく負けます。山岸さんは陸上以外に何か格闘技はやってました?」

「……やってないけどさ」

「圭太、ここまで来られたのは上葉がいたからだって言っただろ。お前がそんな調子で一発で伸びたとしたら、今日一日が全部水の泡になってしまうかもしれないんだぞ。本当に頼むからな。マジで」

「わかったって。悪かったよ!」

山岸は言って頭を掻きむしり、ため息をついた。

「ぶっ殺してやろうぜ、圭太」

「……ああ。わかってる、その想いだけはお前らより俺の方が強いからな」


二十二時が近づき、猛はACEの裏口の付近に乱雑に放置されているゴミをかき分けていた。ゴミの中にはゲーム筐体のポップや割れたメダル入れの破片など、様々なものがあった。底の方に棒状のものがいくつかあり、途中で切られた鉄の配管を手に取ると手の収まりが良かった。それを引き抜くと長さが四十センチくらいの鉄パイプだった。片手で大きく振ると、風を切る音がした。

「圭太、お前も何か持て」

「は? 卑怯くせえから俺は嫌だよ」

猛は視線を下に戻すと、足元に転がっていた椅子の残骸を蹴り、脚の一本をもぎ取って山岸に投げた。

「あっぶね」

山岸は器用にキャッチする。

「負けるわけにはいかねえんだ。手段なんか選ぶな」

その時、どこからか人の話し声が聞こえた。

それは「春日」と言ったようであった。

猛は瞬時に身構え、ACEの壁に身を寄せた。上葉と山岸も同じようにした。

足音が近づいてくる。

会話をしているので、一人ではない事がすでにわかっている。

話し声が徐々に近づいてくる。足音は二人分だった。

ぼそぼそとした声が明瞭になり、壁の切れ目を曲がれば、すぐそこに二人がいる。

「引き付けろ」

上葉が小さな声で言う。

前を歩く男の手が見えた。

目の前を通り過ぎる瞬間、猛は鉄パイプを男の肩に振り下ろした。

男の身体にめり込んだ鉄パイプは、すぐに硬い物に触れ、バキッと音が鳴った。

「うがああ!」

男の断末魔が響いた。態勢を崩した男は横に倒れ、猛は跳ぶようにして男に一歩で近づいた。

さっと視線を流して右を見ると、目を見開いた飯塚の指からタバコが落ちる所だった。

「死ね!」

猛は踏み込んで鉄パイプを飯塚に向けて振り降ろした。

飯塚は右腕で鉄パイプを受け止める構えを取ったが、猛は構わずに飯塚の前腕に当てた。

「飯塚あああ!」

山岸が猛の左側から回り込むように飛び込んできて、飯塚の額に椅子の脚を振り下ろした。

「うっ」

飯塚は声にならない呻きを上げ、尻もちを着いた。

額を押さえ、飯塚は片目で猛を睨み、その後で山岸の姿を追った。

しかし山岸は既に飯塚の後ろにいて、飯塚の後頭部を見下ろしていた。

猛はもう一度鉄パイプを振りかぶった。

その姿を飯塚が注目し、猛に飛びかかろうと上体を前にし、尻を上げた。

その瞬間、ゴンッ!と、重い音がした。

山岸が飯塚の頭部を椅子の脚で振り抜いたのだ。

飯塚はうつ伏せに倒れ、動かなくなった。

「誰だ! お前ら!」

切れ切れの呼吸をしながら、最初に倒れた男が叫んだ。

飯塚が動かない事を確認した猛は、叫んだ男の元に近づいて無造作に身体を引っ叩いた。

カコンッと軽い音がしたが、男は苦悶の表情をし、右腕で頭部を覆っている。

「うがあああ! くそおおお!」

両足をじたばたと動かして、猛を蹴ろうとする。

「しゃべるな」

猛は言うと、男の膝を叩いた。

「殺す! てめえら! ぜってえ殺してやるからな!」

「しゃべるなって言ってんだろ、うるせんだよ」

「ノリ! おい!」

男はなおも大きな声を出して、飯塚を呼んだ。

その声に応ずるように、飯塚の身体が動いた。

「うおああああ」

飯塚の低い怒号に、一瞬、猛の身はすくみ足が動かず、ただ飯塚を注視した。

それは山岸も同様だった。

飯塚は自らの膝を身体の中心に引き寄せ、肘を張り、四つ這いの状態まで一気に起き上がった。

慌てた山岸が、ゴルフのスイングをするように飯塚の脇腹を叩いた。

しかし、飯塚はそれに耐えた。

そして膝を立てると一気に立ち上がり、ACEの壁に向かって手を伸ばした。

壁にもたれ立ち上がった飯塚は、息を切らせながら山岸と猛を見やった。

「てめえら、……ぶち殺してやる。クソガキどもが」

そう言った飯塚の顔の横に、巨大な手が伸びていた。

飯塚の頭部がヒュンッと、横に流れた。

その頭部に引っ張られるように、身体の全体が宙に浮いた。

「うおら!」

上葉が両手で飯塚の髪を鷲掴みにして、頭部をコンクリートの地面に抑え込んだ。

そして首の後ろに膝を落とし、飯塚の右腕を後ろに回すと、そのまま締め上げた。

警察官の補導術の様に、暴れようとする飯塚の身体を自らの体重で抑え込んでいるのだった。

「てめえええ! クソ野郎がぁ!」

飯塚は動かせる左腕と両足で何とか抵抗を試みているが、のしかかった上葉を振り解くのは難しい様であった。

上葉には余裕が伺えた。笑みを浮かべていたのだ。

「山岸さん、こいつ、どうする」

上葉に聞かれた山岸は、「え、えっと」と、すぐに答えが出なかった。

「お前ら、俺達に手を出してただで済むと思うなよ、本当に殺すからな」

飯塚は憎しみの籠った声で言う。

「俺たちの事は心配するな。お前、自分の心配した方が良いぞ。多分死ぬからな」

上葉が言うのと同時に、猛は倒れている男の股間を蹴り上げた。

「あっ、……がっ。……おえっ」

男は吐瀉した。

「上葉、そのまま抑えててくれ」山岸がやっと話した。

「いいよ」

「とりあえず、キンタマ潰しておくわ」

山岸は溜息に似た息を一つ吐いた。

「やっとここまで来た。お前を殺したいが、俺の人生を台無しにするほどの価値が、飯塚、お前には無い。お前には生きる価値もない。生きていて良いはずがない。どうしてか、なんて決まっている。お前は人間ではないからだ。俺はお前に裸で佐野駅の噴水に蹴り落とされ生き恥を晒された。恋人を守れずに死なせてしまった。全て。全てお前のせいだ。お前の事は何度殺しても殺したりない。でも、俺は人間だから、お前達のやった事より生易しい事しか出来ない。お前のようなゴミクズに自由なんか与えない。これ以上、彼女と同じ犠牲者は出させない。今からお前のキンタマを潰す。痛いだろう。ショックで死ぬかもしれない。でも、俺はこんな易しい罰しか与えられない。人殺し。死んでくれよ。お願いだから」

山岸はぶつぶつと言うと、椅子の脚を振りかぶって飯塚の股間を打ち抜いた。

飯塚は腰をわずかに引き上げた状態で震えていた。口角から泡が漏れ出た。

「ノリ!」

猛の足元で吐瀉した男は、飯塚に名前を呼び続けている。

「お前も、キンタマ潰しておくか?」

猛が言うと、男は憎悪に満ちた目を向け、「死ね」と一言いった。

「お前が誰だか知らないけど、運が悪かったな。全部飯塚の責任だから、恨むなら飯塚を恨めよ」

猛は言った後、男の首を絞めて気絶させた。

「よし。圭太、笠原に電話しろ」

言ってから山岸の方を見ると、山岸はぼろぼろと涙を零し泣いていた。


猛は、ACEの店員に結束バンドがあるかを尋ね、半ば脅す形でポップを固定する結束バンドを手に入れた。

山岸は壁にもたれ座り、全裸にした飯塚をじっと見ていた。

名前も分からぬもう一人の男も全裸にし、猛と上葉で結束バンドを使って動けないように拘束した。

仰向けに手足を拘束された飯塚は、まだ意識が戻っていない。呼吸音だけが、生存を確認できる唯一の信号だった。飯塚の額は腫れ、陰嚢は倍以上に膨れ上がっている。山岸が結束バンドで飯塚の一物を縛ったため、飯塚の一物はうっ血して紫色になり、だらりと大腿の間に垂れている。こうしておけば、一物は腐ってそのうち使い物にならなくなるらしい。

もう一人の男も同じように仰向けにして手足を固定した。脱がせてみてわかったが、この男の胸から背中の全体にかけて刺青が彫られていた。暗闇で、何の柄なのかは分からなかったが、額入りの和彫りだった。

「結構立派なモンモンだなこれ。こいつ、ヤクザかもしんねえな」

上葉がタバコの煙を吐きながら言う。

「ま、笠原の所に連れて行けば分かるだろ」

猛は言いながらアップルジュースのプルタブを引いた。

「しかし、笠原の舎弟は、いつになったら来るんだ? 人通りが無いとはいえ、通報でもされたら面倒な事になるぞ」

「圭太が連絡したんだ、間もなく来るだろ。笠原もこいつには恨みがあるんだから」

「猛、財布の中身、確認してみろ」

山岸が言い、二人分の財布を手元に並べて中身を広げると、現金とカード、刺青の男の方からは名刺が出て来た。

「ああ、やっぱり。こいつ木島組のやつだ」

猛は数枚の名刺をポケットにしまって、他の物は山岸に渡した。

山岸はやつれた顔で二つの財布を手に立ち上がった。

「疲れたな」

闇夜の駐車場裏には、大通りを行き交う車の音だけが響いている。

車のヘッドライトが駐車場に面した道路から差し込んでくる。

黒のハイエースが猛達の前に停まり、三人の男が降りてくる。見た目からして、三人の年齢はバラバラで、その中の初老の男が口を開いた。

「この二人がそう? じゃあ、連れてっちゃうね」

「あ、はい」

代表して猛が返事をすると、東南アジア系の顔つきをした若い男が、飯塚の身に着けている装飾品を一つずつ取り、ポケットに納めていった。四つ耳に付いていた金のピアスは、力任せにブチっと引きちぎられたので、首の方まで血が滴っていた。

「山岸って君?」

初老の男に聞かれ、「俺です」と山岸が返事した。

「君は、一緒に乗って行ってくれる? 一誠の所に送るから」

初老の男はそう言うと、飯塚の身柄を若い男と一緒に車の中に運び始めた。

「こっちのモンモンのやつは、誰なんです?」

もう一人のキャップを被った人物は、声からして女性だった。しゃがんで男の胸の刺青を眺めながら言った。

「名刺があったので、いりますか?」

猛が言うと、キャップの女性が頷いたので名刺を渡した。

「ありがとう。そしたら、こいつも連れて行きますね」

「あの、俺と上葉は、どうしたら……」

女性は名刺をポケットにしまうと、「とりあえず帰っても大丈夫かと」と言い、小さく笑った。

「わかり、ました」

猛は言い、山岸の方を見た。

運び込まれる飯塚を眺めながら、そのあとで車に乗り込んでいた。

「圭太!」

猛が呼ぶと、山岸は車から顔を出した。

「またな」

「おう」

山岸に手を振ると、上葉は猛の隣で深くお辞儀をしていた。

刺青の男も車に運び込まれた。

ハイエースの扉が閉められると、ゆっくりと動き出した。

猛と上葉は見えなくなるまでハイエースの後ろ姿を見つめた。

猛はACEの店内に入り、さきほど脅した店員の元に向かった。

飯塚と刺青の男の財布から抜き取った現金、五万円をその店員に渡して、店を出た。

店員は最初は驚いた表情をしたが、「すみません」と言って現金を受け取った。

「一つ、終わったな」

「ああ、まあ、良かったんじゃねえか」

猛と上葉は、行先も決めずに佐野市内に向けて歩いた。

上葉の携帯電話が鳴った。

「鎌田さん、お疲れ様です。……はい。……ええ。そうです。すみません」

鎌田は、紫天狗のバックに付いている木島組の連中に呼び出された事を話した。そして、トオルの舎弟に付くことになった。

「じゃあ、これからは敵って事ですか。……はい。残念です。鎌田さん、あんま無茶しないでください。紫天狗は、一枚岩じゃなくなったから。俺らが潰します。もしよかったら、俺らの所に来てください。待ってますから」

上葉は鎌田との通話を終え、猛に振り返った。

「鎌田さん、トオルさんの舎弟になったみたいだ。だから、敵になった。気を付けろよ、黒龍もおそらくトオルさんが手を着けてる」

「敵だらけだな」

「笠原だからな。俺らのバックは。敵だらけだ」

上葉は言って笑った。

「族の名前、何にすっか。なあ、猛」

「それも大事だけど、人を集めないと」

「そう言えば、龍樹、何してっかな」

「声、掛けてみるか」

「おう、そうしよう」


猛が十九歳になる頃、風の噂で飯塚の話を聞いた。

栃木にいられなくなった飯塚は、群馬に移り、伊勢崎市郊外の自動車整備工場で働いていた。

整備中、車の下に潜っていたが、上から降ってきた工具が目に突き刺さり失明した。

その後、精神を病んで入退院を繰り返しているとの事だった。

「因果応報だな、これで芦尾美那も報われる」

「なんて?」隣で女が言う。

「何でもない。昔の話だよ」

猛は呟き、タバコの火を消した。

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