第9話 幻の悪鬼
佐野駅のロータリーは、陽の高い時間から賑わっている。
待ち合わせをする人やバスを待つ人、早歩きでどこかに向かう人。
ロータリーの中心にあるのは見事な噴水で、イタリア、ローマのトレヴィの泉の様であった。周囲には学生から主婦、サラリーマンまでが巡るように行き交っている。
その中にひと際目立つ集団がいた。
白の下地に金の刺繍の特攻服を着るのは、
その、幻という暴走族の中で、最も危険視されている男が、噴水の前でニヤリと笑んだ。
アイロンパーマに深い剃り込みは、まるで角の様。眉毛を全部そり落とした、その顔面を凝視できる者は数少ない。
「ほら、脱げよ」
男が言うと、カップルの彼氏の方が学生服の上着のボタンを外した。
「
幻メンバーの
「うぐっ」
春日の鼻から血が滴り、白の特攻服の一部を赤く染めた。
「春日、お前、後でカバディな」
飯塚は言うと正面に向き直り、カップルの彼氏の股間を蹴り上げた。
「早く脱げって言ってんだろ!ダボ野郎が!」
痛みにうずくまった彼氏は、額に冷や汗を滲ませてシャツのボタンに手をかける。
「やめてください!お願いします!」
彼女の方は彼氏の肩に手を添えながら頭を下げる。
「お前も脱げよ」
飯塚の冷酷な眼線が彼女の胸元に移る。
それを察知した彼氏は、片手で彼女を制止し、自らの背後に引き寄せた。
その後で、スッと立ち上がると、制服の全てを脱いで下着姿になった。
「それも脱げ」
彼氏は俯き、一呼吸をおいて下着を脱ぎ、股間を両手で隠した。
「よし、じゃあ、プールの時間だ」
飯塚は彼氏の頬を殴り付け、よろめいた隙に身体を蹴って噴水に突き落とした。
「ああー!誰か!たすけて!」
彼女は叫び、その声はロータリーに響き渡る。
周囲には既に沢山の人がいると言うのに、誰一人助けに入る者は現れなかった。
噴水から上半身をあげた彼氏は、鋭い視線を飯塚に向けた。
「おい、お前、気に食わねえ目をしてやがる。女がどうなっても良いみたいだな」
飯塚は、彼女の髪を鷲掴みにして引き、抱き寄せると胸を揉みしだいた。
「やめろ!外道が!」
彼氏は裸体を周囲に晒し、しかし、彼女を助けようと飯塚に向かって殴りかかった。
飯塚は彼氏の拳を躱す。それと同時に肚に膝蹴りを食いこませた。
「あがっ」
彼氏は跪いて嘔気を堪えきれずに吐瀉した。
「きったね」
飯塚は言い、軽く助走をつけてから彼氏の後頭部を蹴り抜いた。
彼氏はうつ伏せに倒れた。
「おいしょっと」
飯塚は彼氏の背中にどかっと座ると、ポケットから緑と黄色のチューブを取り出し、キャップを取る。
「プールの後は、しっかり目薬を差さねえとな」
彼氏の髪を後ろから引き、カラシとワサビを練りだした指を彼氏の両目に塗りたくった。
「ぎゃあああ!」
彼氏の悲鳴が轟くと、やっと一人のサラリーマンが歩みを止めた。
すぐ後ろから聞こえてくる彼女の嗚咽が、飯塚には耳障りだった。
飯塚は立ち上がると、彼氏の腹部と陰部をしこたま蹴り上げて、彼氏は気絶してしまった。
歩みを止めて状況を見ていたサラリーマンは、飯塚に睨まれると唾を飲み込んだ後で俯いた。
「おい、女連れて行くぞ」
鼻血を拭いながら状況を見ていた春日と他のメンバーは、飯塚と彼氏から視線を外し、彼女を見て喉を鳴らした。
気絶している彼氏の傍に駆け寄った彼女は、涙を叫びに変える事が出来なかった。
喉の奥で何かが詰まったように、助けを求めようとすると声が震えてしまい出なかったのだ。それは、この場から早く逃げなければ自分が危険な目に遭うという事が、リアルに想像できたからであった。
飯塚の視線は彼女の足先から頭の先を舐めまわしている。
幻のメンバーの一人が、彼女の背中を蹴り、そしてもう一人が髪を掴み、引きずるようにして歩き出した。
彼女は彼氏に振り返ることも出来ず、ただ抜けた腰を引いて、しかし足は前に出る一方で、何の抵抗にもならなかった。
彼女は、
学習机の上に置いてあった遺書には、彼氏への謝罪が綴られていた。
***
神岡家に居候している
朝の5時に起床し、水田に水を張る所から一日が始まる。
稲の先に穂が育ち始め、ここからが正念場だと幸雄は猛に話した。
人間の目が多いほど病気などの異常に気付きやすくなるため、猛はそのような異常を見逃さぬよう、念入りに水田の稲の状態を確認して回った。
空を見上げると雲の一つもない青空で、猛は平穏を噛みしめていた。
様々な人との出会いや出来事があり、身を隠すことになった。
しかし、先日の出来事など、まだまだ序章に過ぎないのだった。
猛は、自身の知らない所で蠢く悪を、この時はまだ知らずにいた。
そして先に待ち受ける出来事を、想像すら出来ていなかった。
幸雄の声がして振り返り、農道の先を見やると、幸雄が手を振っていた。
「猛くーん、ご飯だから、そろそろおいでー」
「はーい」
猛はポンプ小屋の鍵を閉めて、神岡の家へ帰った。
庭に入るとすでに焼き魚の匂いが漂ってきていた。
猛は縁側に腰掛けて、幸雄に借りている靴を脱ぎ、居間に入った。
「お疲れさま」
食器を並べながらよっちが言い、「ああ」と空返事する。
猛は、よっちの姿を見てドキッとした。
そして既に食卓に着いていた、みことすずにもドキッとした。
三人が学校の制服を着ていたからだ。
「何ぼーっとしてんの、早く座りなよ」
みこが言い、猛は頷いて席に着いた。
「いただきます」と、すずが言い、食事が始まる。
朝食の卓に着いているのは、子供達だけだった。
幸雄は農機具小屋で何かをしてるし、奥さんは既に会社に出たらしかった。
祖父母は既に食べ終え、隣の座敷でお茶を啜ってテレビを観ている。
カチャカチャと食器の音だけが鳴って、よっちが納豆を混ぜて猛の前に置いた。
「どうしたの?」
よっちは不思議そうに猛を見て言う。
「ああ、ごめん。皆、学校に行くんだなと思って。いただきます」
猛は湯気の立つ味噌汁を口元に近づけて一吸いした。
「今日はね。行かなきゃならない日なんだよ」
みこが言いながら、箸を指揮者の様に振る。
「今日行かないと、退学になっちゃうかもしれないから。あんたは中学だから大丈夫だろうけど」
みこは言うと、漬物を口に含む。
「てかさ、すず。お前、高校生だったの?」
猛は、みことよっちと同じ制服を着ているすずに一番驚いていた。
「お前って言うの、やめてくれない? すごく嫌なんだけど」
すずは上目遣いでちらりと猛を見た後、白米を口にかき込んだ。
「ごめん。え、てことは、みーちゃんさんとよっちは? 2つ歳上って事?」
「そうなんじゃない?」
よっちが言い、猛のご飯の上に漬物を置いてくれる。
「そりゃね、どう見たって私らの方があんたより歳上でしょ」
みこの言葉にすずが頷く。
「マジか」
「そんな事より、私達すぐに出るからね、食器洗っといてね」
みこは言うと口の中の物を味噌汁で流し込むように食べ、「ご馳走様」と言い、箸を置いた。
「ああ、うん。それは、うん。やっておくよ」
そして女子の各々が食べ終えると同時に立ち上がり、いそいそと玄関に向かって行った。
「猛!」
呼ばれて廊下に顔を出し、玄関の方を見ると、すずが何かを投げて寄こした。
キャッチしたそれは、バイクのキーだった。
「わたしのバイク使って良いから、ビデオ返しておいて。部屋にあるから」
すずは言うと、小走りで玄関を出て行った。
間もなくガチャンと、自転車のスタンドを上げる音がした。
「使い走り……かよ」
しかし、猛は嬉しかった。
14時に仕事を終えた猛は、シャワーを浴びてから外出の準備をした。
幸雄に外に出てくる旨を伝えようとしたが、幸雄は風呂に入っていた。
猛は固定電話の横に置いてあるメモ用紙を一枚ちぎって、書置きした。
すずのスクーターは、白のZXだった。
装飾がギャル仕様なので、猛が乗るには少し気恥ずかしかった。
返却するビデオは、すずの部屋の前の廊下に置いてあった。
入る気になれば入れたが、今、すずの部屋は女子が3人で使っているので、さすがに気後れした。
通りに出てハンドルを回すと、爆音が鳴った。
あ、やっぱり族車だ。と思った。
上葉の祖母のバイクは、裏の竹林に隠してあるので使えなくもないが、ガソリンが切れているので動かない状態だった。
上葉がぶった切ったタクトのマフラーでは、こんな音はしなかったな。と、猛は初めて乗るZXに感激した。
神岡家は、猛の地元である佐野市の隣町だった。スクーターを少し走らせれば、猛の良く知る道に出て、行先のレンタルビデオショップへの道順も問題なかった。
ピンク色の半ヘルメットを被って、ZXを走らせた。
レンタルビデオショップの正面に乗りつけて、返却ボックスにビデオを入れる。
すると、駐輪場にバイクが3台停まっているのが見えた。
バイクに跨った男が2人、その足元に座っている男が1人。
猛を見てニヤニヤと笑っている。
バイクの状態を見ると、車種は良く分からなかったが、装飾からどこかの暴走族に所属している奴らだろうと言う予想は立った。
「おい!そこのガキ!」
座っている男が声をあげたが、猛は無視をして駐車場を出た。
この頃、猛の世代では、警察よりも暴走族の方が交通規則の取り締まりがきついと、良く学生の間で話題になっていた。
例えば、暴走族に属していない中学生や高校生がバイクに乗って交通規則を違反したとする。すると、どこから聞きつけるのか分からないが、○○中(高)の○○がノーヘルで走っていた。とか、信号無視したとか、スラロームしていたとか。そんなどうでもいい話が、事実であれ、たとえ事実でなかろうと、同じ学校の暴走族メンバーに呼び出されてリンチを受ける。このような事がたびたびあり、真面目な学生でさえ頭の片隅で暴走族の取り締まりを意識してバイクに乗っているのだった。
しかし、猛はこの時、暴走族の交通規則取り締まり云々を知らずに、無視して駐車場を出て行ってしまった。
猛は、駐輪場にいた3人を舐めていた。
笠原に上葉、トオルに北沢、鎌田など、県南で名の通る人物に出会った事で、その他の不良など何も怖くない存在になっていた。
上葉とのタイマンをGFのノブやその仲間達に賞賛された事も、猛に間違った自信を与えてしまっていた。
猛は、神岡家に帰る道中で、先程の3人の顔を思い浮かべていた。
どこかで会っていないか反芻していたのだ。
佐野市には、中学校が東西南北に4つある。
猛と龍樹は南中で、上葉は西中だ。もし、南の奴らなら会った事があるかもしれないと、思ったからだった。
レンタルビデオショップは、ちょうど地元の膝元であり、猛の実家も近いのだった。
1つ上の学年に似たような奴がいたような気がする。
気がするってだけで、何も確証はなかった。
神岡家に着いてZXを車庫に入れる。縁側から居間を覗くと、幸雄がビールを飲んでいる。
「帰りました」と言うと。幸雄はちらっと猛を見てから軽く手を挙げた。
猛は階段を上がってみこの部屋に入り、ベッドへ横になった。
仕事の疲れもあって寝入ってしまった。
部屋の戸が引かれ、夕方に目が覚める。
「猛、起きて」
寝ぼけ眼で見上げると、よっちが立っている。
「おかえり」
「笠原の事が分かったよ」
「えっ」
猛は跳び起きたが、よっちは咄嗟に顔を背け、「ちょっと! それ何とかして」と言った。
寝起きの猛は、勃起していたのだった。
「あ、ごめん!」
トイレに行ってから、すずの部屋に入る。
女子の3人は制服姿のままで、それぞれにくつろいでいる。
猛が入ってきたのと同時に、みこが「病院にいるみたい」と話し出した。
「それも、アキちゃんと同じ病院」
「えと、アキちゃんていうのは、
「うん」
よっちが頷く。
クッションを抱えたすずが、「猛、あんた、一度アキちゃんに会って来たら?」と言った。
猛には、すずの意図が分からなかった。
「え、なんで?」
「あれ、どうするの?」すずは竹林の方を指さす。
あれ。とはMDMAのことだろう。
「アキちゃんなら、何をどうすれば良いか分かると思うんだよね」
猛にはまだ分からない事が色々とあった。
襲撃された笠原。トオルの兵隊がやったのは、ほぼ確実。
アパートで北沢を襲ったのは誰か。よっちとみこが出て行った後にも、誰かが押し入っている。
笠原と北沢の関係。それに、北沢と上葉の関係も。
何をどうすれば良いか……。
猛は一度、アキに会ってみようと決めた。
「そうだな。一度会ってみても良いかもしれない。それと、皆に聞きたいことがあるんだけど」
猛が言うと、みこが頷く。
「笠原と北沢さんは、どういう関係なの? だって、笠原のアパートに来たんでしょ?」
「まあ、子分? 的な」
言い淀みながら、みこが言った。
「そう……だね。子分かな」
今度は、よっちが言った。
「いいように使われてるって事。ジュン君は、笠原に強く出れないから。昔、色々と助けてもらっててね。笠原に。だから、子分ていうより、奴隷に近いかも」
すずは、はっきりと言った。
「すず、それは言いすぎだって、義理があるから、恩を返す意味でもあるのかもしれないし」
みこは言いながら、苦しい笑いをした。
「でも、完全に悪事をやらされてる。警察に捕まるのはジュン君だよ。薬を売るのも、裏ビデオを作るのも、お金を巻き上げるのもジュン君がほとんどをやってるじゃん」
すずはそこまで言うと、どうしてか、猛に冷たい視線を送った。
「まあ、笠原は、店の方に居ることが多いから……ね?」
みこは言って頭を抱えた。
「ここまで聞いて、猛はどうするつもりなの?」
よっちの目は、どことなく悲しみを帯びている。
「皆は、魔利亜を解散させたいんだろ? 笠原をどうにかすればいいんだろ? まだわからない事も多いけど、とにかくまずは、アキって人に会ってくる」
猛が立ちあがると、よっちがズボンを引っ張った。
「逃げるなら今だよ。これ以上、関わるならどうなってもおかしくないからね。あんたは馬鹿じゃないから、そんな事くらいわかってるよね?」
猛は、よっちの手を解いて、「わかってるよ。待ってて」と言い、神岡家を後にした。
*
中央病院のエントランスで弟に扮してアキの病室を聞くと、受付はすんなりと通してくれた。
病室は4人部屋で、アキは右奥のベッドにいた。
「すみません。俺、牧野って言います。アキさんですよね。魔利亜の」
左腕を三角布で吊ったアキは、想像していたよりも小柄な体格をしていた。
猛は、ボウリング場で目が合った時の事を思い出した。
窓から差し込む陽が金髪の一部を白く染めている。
「会った事あるね。お前がタケル? 宅間の後ろに乗っていたっていう?」
「そうです」
「何しに来たの」
「何か、聞いていませんか」
「聞いてるよ、色々とね。だけど、私がお前に出来る事なんか何もない。助けてほしくて来たならね」
「教えて欲しいんですよ。俺に何か出来る事はないですか」
猛が言うと、アキは笑い出した。
「……そう、出来る事ね」
アキは何かを考えるように、天井を見た。
「ちょっとこっちへ来な」
アキは言うと、ベッドの端に座るようにと撫でた。
猛が座ってアキの目を見ると、アキはゆっくりと猛の耳元に口を寄せた。
「クスリを笠原に渡して、それと引き換えに私達をあいつから解放してくれ」
猛は、なんだ、そんな事か。と思った。
「わかりました。それで魔利亜は解散出来るんですね」
猛が言うと、アキは「それはお前の言い方次第だ。でも、やってくれるよな」
「はい、必ず」
アキは猛の言葉を聞いて、また笑った。
「笠原は、5階の9号室にいる。私がここに居ることは言うな」
「はい」
猛は考えるのはよそうと思った。今はアキの言葉に従って、そして魔利亜を解散させる。それが第一の使命だと思ったからだった。
自分の事など、どうでも良かった。
神岡の姉妹が、よっちが、真由美が、解放されるのであれば、この機会を逃す事は出来ない。そう思ったのだ。
5階9号室の前に来て、猛の手はわずかに震えた。
血だまりに伏せる北沢の映像が、頭を過ったからだ。
北沢の顔が、次第に猛に変わっていく。その姿は文字通りの虫の息だった。
コンビニで見た、蝉の死骸を思い出した。
扉に手をかけてスライドさせると、笠原の部屋も4人部屋だった。
しかし、3つのベッドは空いていて、笠原は1人、本を読んでいた。
猛が病室に入ると、頭に包帯を巻いた笠原は、落ち窪んだ眼窩を猛に向けた。
「お前か、お前なら殺されずに済みそうだ」
笠原は本に眼を戻した。
「あの……」
猛が話出そうとすると、笠原が「ただ殺されるのを待っている様に見えるか? 見ろよ、これ」と言った。
笠原は入院服を引き上げ、腹部を晒した。
包帯が一面に巻かれている。そして引き上げた手の小指と薬指が無かった。
「義指までなくしちまってよ、まあ、どう見てもやばそうだろうな。でもな、元気なんだよこれが。日に2回、包帯を取り換えに若い担当看護師が来てくれるんだよ。それ以外にも寝起きにバイタルを測りに来る。それが楽しみでよ。一日中、好きな本読んで、携帯も没収されてっから使えねえ。いつ以来だろう。こんなに平穏なのは」
笠原はそこまで話すと、床頭台から煙草を出して火を点けた。
「で、何しに来たんだ。……あ! そいえばお前! 宅間を連れてくるって約束してたよな! どうしたんだよ! バックれたんかてめえ!」
口から煙を漏らしながら、唾を吐きつける勢いで、笠原は猛に詰め寄った。
「いや、ちょっと待てよ。あんたばかり喋ってんなよ」
猛が言うと、笠原は煙草の煙を勢いよく吸い込んだ。
「どこまで知ってるんだ? あんたはさ」
「なんの事だ」
笠原は天井に煙を吐き出す。
「よっちとみーちゃんさんがどうなったとか、北沢さんの事とか……」
猛が言うと、笠原の持つ煙草の先から灰がこぼれ落ちた。
「おい! よっちとみーちゃんに何かあったんか! てめえ! 殺すぞ!」
「興奮すんなよ! 2人は無事だから!」
「んだよ! クソ野郎が! 回りくどいんだよ!」
笠原は言うと火の付いたままの煙草を猛に投げつけた。
煙草は猛の腹部に当たって、床に落ちた。
それを猛は虫を殺すように踏みつぶした。
「詳しく全てを話していたら、日が暮れちまう。だから、用件だけ話す。いいか、笠原、お前に選ぶ権利はない」
「おい。てめえ、誰に物言ってんのか分かってるよな。言葉は慎重に選べよ。俺は、確実に殺すぞ」
猛は笠原の言葉を無視して話を続けた。
「俺の手の中に、MDMAがある。それと引き換えに魔利亜を解散させろ」
それを聞いた笠原は、猛から視線を外して窓の外を見た。
「あいつ、やられちまったのか。……着拒なんかしてっからだ。馬鹿が」
笠原は呟くように言う。
そして振り返り再度、猛の方を向いた。
笠原は涙を流していた。
「わかった。アキに伝えておく。アキは知ってるか?」
「知らない。俺は、よっちとみーちゃんさん、それにすずと真由美さんしか知らない」
「そうか。だが、解散の宣言は必要だ。だから、総長のアキに宣言させなきゃならねえ。それはいずれ伝えよう。……俺は魔利亜を束縛していた。しかし、守ってもいたんだ。その俺の行いが、あいつらにとって邪魔になるのなら、俺は引いても良い」
「気持ち悪いくらいに素直だな。そんなに大事な物なのか、あのクスリは」
猛が言うと、笠原は
「奴に負けるわけにはいかねえんだ。絶対殺してやる。ゼッコロだよゼッコロ」
「誰の事を言ってるんだ」
「トオルに決まってんだろ! おい、猛とか言ったよなお前。俺の頼みを聞き入れろ。魔利亜の解散は、俺の頼みを聞いてからだ」
笠原の眼が座ってきていた。
「どんな頼みだ」
「飯塚ってガキを探せ、お前を俺のアパートに運んできたやつだ。前に幻って族にいた奴だ。すぐに見つかるだろ。そいつを殺さない程度にボコって俺の前に引きずってこい」
飯塚の名前を聞き、猛はデニーズでトオルの隣に座っていた男の顔を思い出そうとしていた。だが、顔が思い出せなかった。印象に残らない、その辺に居そうなただの不良だと思ったからだ。
上葉がプッシャーだと話していた。あの飯塚が、そんなに重要な人物だとは思わなかった。
「あんな小物、すぐに連れてこられる。だが、笠原、あんたに選択権はないと言ったはずだ。魔利亜は解散だ」
「あんな小物だと? 猛、お前はあのガキの事を知らねえからそんな事が言える。いいか、人は見た目じゃねえ。やつはわざと目立たねえようにしてんだよ。んで、トオルを崇拝していやがる。クスリを持ってるお前なんざ寝首掻かれても不思議じゃねえ。なにせ俺を蓮東で襲ったのも奴だからな」
「そうなのか。じゃあ、俺が出て行った後で、あんたをつけていって襲ったのか」
「そうだ、ビデオ全部取られちまってよ、しかも、俺の店に兵隊送って内装を破壊しやがった。いくら損してると思ってんだ」
「結局、金かよ」
「違う! 店など何とでもなる。ビデオもまた撮ればいい。面子に関わるんだよ。俺の面子に。襲われて黙っていられるか。なあ、猛。そう思わねえか」
「たしかに、面子は大事だな。特にあんたのようなチンピラは、面子で食ってるようなもんだ」
「ゼッコロだよォ……猛ぅ。お前らの代に平穏が訪れるように、お前も協力しろよ」
「俺に何のメリットがあるんだ」
「わからねえ、でも、仲間は増えるだろう。俺のツテはそこら中にいる。お前には仲間がいるのか?」
「仲間……。まだ俺は族にも入っていない。でも、友達らしいのは出来たように思う」
「じゃあ、お前が信用できる仲間を集めてみろ。そして、飯塚を連れてくるんだ。そうしたら、俺がお前らのケツモチになってやるよ」
一瞬の沈黙の後、病室の扉が引かれた。
「うわ! 笠原クン! またタバコ吸ったでしょ! あり得ないんだけど!」
看護師が駆けてきて窓を開けた。
「さくらちゃんごめんよォ」
笠原は甘ったるい声で言い、深々と頭を下げた。
猛は虫唾の走る笠原の横顔から視線を外し、病室を出た。
廊下まで聞こえてくる看護師の説教の前で、笠原は胸中でほくそ笑んでいるに違いなかった。
病院から出ると、陽が落ちかけていた。
神岡家の夕食を想像して、腹が鳴った。
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