第一章 ①


 この世界には、目に見えない要素……【りょく】というものがただよっている。

 魔力を集めてあやつることを【ほう】と呼び、魔法を使える者は【魔導師】と呼ばれる。

 魔導師の才能を持つ者はとても少ないため、魔導師をどれだけ集められるかは、国家や教会にとってとても大事なことだ。

 ちなみに、神に仕える者たちは、人々を助ける魔法しか使わないので、魔力のことを神聖力、魔法のことを神聖魔法と呼び、区別していた。

 聖女ジュリエッタは、もちろん神聖魔法の使い手である。ただし、せきと呼べるような大きな力は持っていない。

(私にもっと力があったら、なにかが変わっていたのかな……)

 ジュリエッタは今、かばん一つだけを持ってイゼルタ皇国へ向かう馬車の中にいる。

 この馬車には風の魔法がかかっていて、通常の五倍ほどの速さで移動でき、しんどうもほとんどない。

 馬車の中にはジュリエッタとルキノ、そして馬車の外にはぎょしゃをしてくれると馬に乗った護衛の騎士が一人いるだけだった。

 聖女が皇国へ輿こしれするというのに、フィオレせい都市は見送りの衛兵を用意しなかったし、皇国側のむかえもあまりにも質素である。


「すごいね、この魔法がかかった馬車は。あっという間に皇国に着きそう。でも、もしかしたらもう皇国がなくなっていたりして」

「…………」


 その未来もあり得なくはない。ルキノの今の発言は笑えないじょうだんだ。ジュリエッタはどう反応していいのかわからなくて、固まってしまった。


「ジュリエッタちゃんは真面目だねぇ。あはは~って笑っていいよ」

「ええっと……」


 ルキノは笑っているけれど、本心から笑っているのかはよくわからない。

 なぞめいた人だな、とジュリエッタはその表情をじっと見つめた。


「あの……、私は聖女として役に立たないと思います。の魔法は使えますが、期待されるほどのはんも効果もなくて……すみません」


 ルキノは知識の聖女の頭脳の他に、皇都が焼け落ちたときの備えとして、奇跡を起こせる力もほしいのだろう。ジュリエッタはルキノを期待させたくなかったので、先に謝っておく。


「それに、私にできるのは書類の整理ぐらいです。前例があればその通りに処理することもできると思いますが……」

「そう、それ。俺が求めているのはやしの力じゃなくて、そっち」


 ルキノは指をパチンと鳴らす。


「知識の聖女のジュリエッタちゃんには、皇国の敗戦処理のお手伝いをしてほしくってさ。聖女さまが後ろについていると、色々なこうしょうで得するらしいし?」


 ルキノは聖女を通してフィオレ聖都市の力を借りたいようだ。

 しかし、知識の聖女ジュリエッタは、フィオレ聖都市からやっかいばらいされた身である。ジュリエッタがフィオレ聖都市になにかをたのんでも、フィオレ聖都市はその通りに動いてくれないだろう。


「敗戦時にしなければならない交渉は色々ありますよ。土地の権利についての交渉、たみの暮らしの保証についての交渉、皇族の今後についての交渉……私に任せたいのはどれでしょうか?」

「え? 敗戦処理ってそんなに色々あるの? ごめん。俺はその辺りのことをよくわかっていないから、皇城にいる書記官に聞いて」


 皇王の仕事は、国の方針を定めることだ。細かい部分を臣下に任せてしまうのは正しいけれど、なんだか不安になってくる。


「……あの、敗戦処理を任せたいということは、こうふくするつもりなんですか?」

「フィオレ聖都市の聖女だったら、くわしいことも知ってるでしょ。皇国がここから勝てるなんて、俺も思っていないよ」


 返事をしにくい話題だ。

 ジュリエッタが困っていることに気づいたのか、ルキノがとんでもないことを明るく言い出す。


「ちなみに、君が敗戦処理に失敗したら俺は死ぬ。聖女さまならもうわかってるよね?」


 ジュリエッタは息をむ。

 ―― ルキノは非常事態の皇王。そして、敗戦前提で動いている。

 ジュリエッタも〝皇王のしょけい〞という可能性に気づいていたけれど、こうやって本人からきつけられるとどうようするしかなかった。


「えっ、あっ……そんな大事なこと、私に任せていいんですか…… !?   私は前例通りに処理することしかできませんよ……!?」

「敗戦処理の前例なんて、歴史上数えきれないほどあるって。だいじょう、大丈夫。元カレのお願いだよ。頼む……って、あ、もう今カレになったのかな? どうか俺にけんじゃと呼ばれているその頭脳を貸してね、知識の聖女ジュリエッタちゃん。その代わり、きちんと大事にするから」

「初対面なのに、元カレ感も今カレ感も出さないでください……! あと、たしかに敗戦処理の参考例は戦争の数だけありますけれど……!」


 ジュリエッタは、他にもっと言うべきことがあったはずだ。けれども、今はこれだけしか出てこなかった。

 責任の重さを感じながら色々なことを考えていると、ルキノが外を見て「あ」と小さな声を上げる。


「そろそろどこかの村でまりかな。ベッドぐらいはあると思うけれど、ベッドしかないかも。聖女なのにごめんね~」


 もう日がかたむき始めている。ジュリエッタは大丈夫ですよと答えた。


「私は神と力なき者に仕える聖女です。誰かを救うためならば、地面でても構いません」


 そもそもジュリエッタは、かつては児童養護施設で暮らしていただ。わらに布をいたものの上で寝ていたので、ベッドでなければ寝られないということはない。

 しかし、なぜかルキノは口笛をく。


「ジュリエッタちゃんは、真面目でいい子なんだねぇ」


 感心したようにルキノが言うので、ジュリエッタは首をかしげた。ジュリエッタにとっては、真面目でもいい子でもない、ごく当たり前の感覚だ。


「馬車が止まったよ。この村に泊まるみたいだ。降りよう」


 ジュリエッタは、ルキノの手を借りて馬車を降りる。

 この村は戦争に巻き込まれたようだ。ほのおおそわれたこんせきがあちこちに残っていた。


「これは……」

げてきた兵士をかばったのかもしれないね」


 戦争といっても、戦う相手は軍人だけだと決まっている。しかし、逃げた軍人を庇えば、その人も軍人だと見なされてしまう。

 ―― かいどうを外れた小さな村でさえもこのさんじょうだ。

 ジュリエッタの胸がつきんと痛む。


(皇国は戦争をしている……)


 そのことはもちろん知っていた。聖女として、早く戦争が終わるようにいのっていた。

 けれども、ずかしいことに、やはりひとごとでしかなかったのだろう。


(私はいつも自分のことばかりを考えていた気がする。聖女として、もっとできることがあったはずなのに……!)


 祈るだけではなく、救いを。

 ジュリエッタは鞄を持つ手にぎゅっと力をこめた。


「皇王へい、村長の家に泊まることができそうです。我々は居間のソファを貸してもらいます」

「おっ、助かる~。できる限りのお礼はしてあげて」


 ジュリエッタはルキノと護衛騎士と共に、村長の家に向かう。

 四人も泊まることになって申し訳ないと思っていたら、村長のむすふうはすでに他の国へなんしていて、それで部屋が空いているという話をされた。


「ここには、身動きが取れない老人や行く当てのない者ばかりが残っていまして……」

「まぁ、そうなるよね」


 村長の言葉に、ルキノはうんうんとうなずいている。

 皇国の敗戦はもう目の前だ。負けたらどうなるのかわからない。

 へいごうか、属国か……下手をしたら皇国の民はすべてれいにされるかもしれない。


(敗戦処理に失敗したら、この村の方々は……)


 ルキノに敗戦処理を頼むと言われたときは、それだけの話だと思っていた。

 しかし、今ここで生きている人たちを見てしまうと、敗戦処理というものがどれだけ大事なことなのかを実感できる。

 ルキノは彼らの未来を保障したいのだ。そのためにフィオレ聖都市までやってきた。

 ジュリエッタは、フィオレ聖都市で知識の聖女と言われていたのに、せいやくしょへサインをするときも自分のことばかりを考えていた。そのことがとても恥ずかしい。


(この方は本当に皇王なんだわ。名ばかりの聖女である私とはちがう)


 ルキノは、民のためにできることをせいいっぱいしようとしている。

 ジュリエッタは、誓約書へのサインを仕方なくではなく、聖女として精一杯のことをしようと思いながらすべきだった。

 ―― せめて、聖女である間だけでも……!

 いまさらだ。もうおそい。けれども、できることが少しでもあるのならすべきだ。


「村長さん、にんがいるのではありませんか? 怪我を完治させることはできませんが、のうしづらくしたり痛みをおさえたりすることなら私にもできます」


 ルキノのように、やれることをやろう。

 ジュリエッタは気持ちをえ、救いを求めている人に癒やしの魔法をかけたいとお願いする。


「本当ですか!? ありがとうございます……! 森が焼けたときに、火傷やけどを負った者がいまして……」


 やはり戦争に巻き込まれた人たちがいた。ジュリエッタは、動ける人たちを広場に集めてほしいと頼む。


「あと、なにか棒をお借りできたら……」


 ジュリエッタは、両手で棒を持つような仕草をしてみせた。

 となりにいるルキノが「棒?」と首を傾げてくる。


「私は癒やしの奇跡を起こすとき、手に力をめ、そこに神聖力を集中させているんです。ブラシでもホウキでもなんでもいいので……」

「あれ? そういえば、ジュリエッタちゃんが持っていたあのつえはどうしたの?」

「賢者の杖は聖都市に置いてきました」


 知識の聖女のあかしである賢者の杖。

 本来は聖女のしょうごうを返上するときにへんきゃくすべきものだけれど、すうきょうから出発前に返却を求められてしまったのだ。


「ブラシならありますが……これで本当によろしいのでしょうか……?」


 村長は家に置いてあったブラシをあわてて持ってきてくれる。

 ジュリエッタはそのブラシをていちょうに受け取った。


「ね、ジュリエッタちゃん。森に入って枝を拾って、ナイフでけずって、せめてそれっぽいものを作ろうよ」


 ルキノがそれはさすがに……としょうしつつ、森を親指で指す。

 ジュリエッタはほほえ笑みながら首を横にった。


「見た目はどうでもいいんです」

「いやぁ、ブラシを持つ聖女ってありなのかなって。流石さすがにゆる~い俺でもさ……って」


 そのとき、ルキノは息を吞んだ。森を見てきょろきょろし……、急にこわい顔をする。


「村長さん、村人を一度家の中に入れた方がいい」

「はい? どうかしましたか?」

「真新しいハイウルフのつめあとがある。…… しゅうげきされる」


 ルキノの警告の直後、森の奥でなにかが光った気がした。

 ジュリエッタは借りたブラシをにぎりしめながら、ぞくりとからだ体をふるわせる。

 ハイウルフはおそろしい生き物モンスターだ。群れ単位で行動し、りを得意とし、―― ……そして、とてもかしこい。

 気づかれたということに、きちんと気づける。


「逃げろ!!」


 ルキノがさけんでくれたのに、ジュリエッタはとっさに動けなかった。

 ジュリエッタがおどろいている間にも、護衛騎士はけんいてルキノとジュリエッタを守ろうとし、ルキノは身をかがめて石を拾い、森の奥から飛び出してきたハイウルフに投げつける。

 ルキノはうま手くハイウルフのはなつらに石を当てたのだろう。「ギャワン!」という悲鳴が聞こえてきた。


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