第1話 焔の呪い
K県の一角に、まるで隠れる様にひっそりと位置する小さな街、そして、其の街の中の小さな古本屋に一人の男が毎日の様に訪れるのです。
彼は作家と云う職を生業としており、実に
一人の少年が居るのです。名は忘れて了いましたが、少年は其の古本屋の一人息子でありまして、作家の彼を勝手に「先生」と呼び、毎度々々飽きることなく安物の画用紙帳に、己が頭で考え、己が手で書き
「先生、いらっしゃっていたのですね!何卒、自分の書き上げた小説を是非、是非一度、お読みになって下さい!」
其れが少年の決まり文句でありました。後光の様に輝かしい瞳で此方を見つめ、飼い犬の様に人懐っこい少年は作家の彼へと毎度の様に小説の書かれた画用紙帳を手渡し、彼は其れを手渡される度に受け取るのでありました。併し、彼は未だに少年の小説を読んだことが一度としてありません。何故かと申しますと、小説には、作者が今までに生きてきた中で知り、失敗してきた経験や、実に生き辛く理不尽極まりない社会との接触がどうしても必要となります。故に、まだ若い上、厳しい社会を未だ一切知らない少年に読めた小説を書けるとはどうしても思えなかったのです。そして、更に悩ましいことに、彼は少年へと以上に述べた考えを正直に、面を合わせて告げることがどうしてもできないのです。
話を戻しまして、今日もまた、作家の彼は古本屋へふらりと訪れました。ガラガラガラ…と入り口の戸を開け、中へと足を踏み入れた彼は周囲を見渡しました。すると、どうしたことでしょう、少年が来ないのです。いつもでしたら、「いらっしゃいませっ!」と店主の父よりも二つ上大きく、元気に溢れた声で出迎えるのがお決まりでありましたが、今日は其れがないのです。店内には彼以外に客がおらず、さながら秩序の徹底して守られた国立図書館の館内の様にシン…と静まり返っておりました。自分の呼吸の音がいつもより繊細に、はっきりと聞き取れました。
店内に規則正しくズラリと並び、限界まで縦横に押し込まれた本棚を作家の彼は己が息を殺し、食い入る様に眺めました。田山 花袋の「布団」、江戸川 乱歩の「赤い部屋」、太宰 治の「斜陽」等々…名作の数々が陽の光によって薄茶色く変色し、がさつに破れた状態で、何事もなかったかの様に棚に並んでいるのを見つける度に、彼は「誰が此の様な所業を犯したのだ」と
いつもの様に小説を見定め、幾冊か選定し、満を持した作家の彼は店内の隅に置かれた木製の小さな机の上へと其れらを積み上げてゆきました。同じく、机の付近に置かれた小さな木製の椅子へと腰かけ、小説を手に取った彼は赤子の手を弄ぶ様に優しく、丁寧に、慎重に本の
読み始めてから六時間程の時が経った頃。
店内にゴウンゴウン…と
挟まれていた原稿用紙を手に取り、試しに其れを開いてみました。すると、そこには思わずゾッとして了う程におどろおどろしい文体で、何か得体の知れない呪いが込められているかの様な力強い文字で、次の様な題のない小説がバラバラバラッ…と書き綴られているのでありました。
此れより、読者の皆様にお読み頂く物語は、実際に吾が此の現し世に起こして見せた焔の事件に就いての所謂、伝記であります。
ただ、伝記と申しましても「何故、見ず知らずの、記憶の片鱗も無い者の伝記を読まされなくてはならないのだ」と一言目に、申されることでありましょう。そこで、此れより吾と云う者の人生の一端を書き綴る事といたします。
吾はと或る街の、と或る小さな一軒家に這い生まれました。
生まれた当時、私は「おぎゃあ」とまるで断末魔の様に泣き叫んだことでありましょう。併し、其れを確かめる術を吾は持ち合わせておりませんでした。何故かと申しますと、吾の両親は、吾が三才程の時に火事の業火に抱かれ、此の世ならざる場所へと逝って了ったのです。其れ故に、涙溢れる感動ドラマや悲しみは一切合切持ち合わせておりません。
其の代わりと云ってはなんでございましょうが、煮え
そう、吾は…焔の美しさを知って了ったのです。
全てを失っていながらも、禁じられた焔の美しさを知り、まるで乙女の様に其れへと恋い焦がれて了った吾は其れ以来、一時たりとも火事の際の記憶を忘れ去ることができませんでした。明くる日も明くる日も、吾は試行錯誤を繰り返し、どうにかしてもう一度、あの美しい焔を拝めないものかと苦悩の闇に沈みました。そして、と或る日の事であります。とうとう吾はとても素晴らしい妙案を思いついたのです。其れは、他人の者共に云わせてみれば実に馬鹿馬鹿しく、「不治な程に精神を病んでしまっている」、「悪魔に呪われている」等の辛辣な
「そうだ、そうじゃないか…!何故、今まで此れに気がつかなかったのか不思議で々々々々仕方がない。もう一度、拝みたければ…己が手で…火事を起こせば良いではないか……っ!」
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