第14話 朝っぱらから最悪の気分だぜ

 優花と直接話してから二日。優花とはメッセージのやり取りをするようになったが未だ有栖からの連絡はない。別に寂しいとか思ってはいない。期待もしていない。ただ以前よりスマホのバイブレーションに敏感になってしまうだけ。それ以外はいつも通りだ。


 まだ薄暗い寒空の下、スマホをポケットにしまった。パステルカラーの運動着を着た杏子は髪をヘアゴムで一つにまとめると軽くストレッチして息を整えると走り出した。朝のランニングは最近の日課だった。


 より長く戦うためには体力が必要だ。十二歳に近いほど力を発揮するマギカの性質上、杏子は優花たち小学生魔法少女より実力で劣っている。故に少しでも追いつくためにはこうしてトレーニングしなければならなかった。残念だがいくら魔法少女でも放置ゲームのように何もせず勝手に強くなることはない。


 体力も魔法もトレーニングの繰り返しだ。魔法少女なのに地道なものだろう?


 だがそれが現実なのだ。だから杏子は自分にできることをやっている。それにランニングは街の見回りの役目も兼ねている。トレーニングができて街を見て回ることも出来る。一石二鳥だ。


 地面を蹴るリズムは普通のランニングより早い。元から体力がある分、ゆっくり走っていてはトレーニングにならないためペースは早めだった。だがそこそこの距離を走っても杏子の息はまだまだ乱れていない。むしろもっと走りたいくらいだ。


 街の景色も杏子と同じようにランニングしている人もあっという間に後ろに流れていく。それでもまだまだ息は乱れない。不良になっていなければ、きっと素晴らしいアスリートになっていただろう。


 順調に走り続ける杏子だったが交差点に差し掛かった時、帽子を被った女性のランナーを見つけた。杏子と同じように髪を束ねた黒髪の女性ランナーは信号が青に変わると走り出す。


 その速度は非常に速く、杏子にも引けを取らなかった。杏子は前方を走る帽子のランナーに感心しつつ同時に自分と同程度のパフォーマンスを持つ彼女に対抗心を燃やした。


 少しだけ速度ペースを上げて彼女を追い越す。何の意味があるわけでもない杏子が一人でした勝手な勝負だ。勝利した杏子は走っているとは思えないくらい満足げにニコニコしている。


 しかしそれで終わりかと思いきや今度は黒髪のランナーが杏子を追い越そうとペースを上げる。なんと向こうも対抗心に火がついたらしい。そうはさせるか、と杏子もまた歩を速める。そうして互いに白熱していくうちに気がつけばランニングがガチの陸上競技みたいになっていた。


 ガチで走っているため当然互いに息も乱れる。杏子はちらりと横目で帽子のランナーを見る。特に胸元。そこそこ自信のある自分のものと比べても明らかに大きなそれを。


(おいおい、なんでそんなクソデケェものぶら下げておいてアタシと同じ速度なんだよ!体幹どうなってんだよ!!)


 走り続けた彼女たちはやがて失速し膝に手を付き荒く呼吸する。本当に肺に空気が入っているのか疑いたくなるほど苦しさの中、破裂しそうなくらい心臓が強く脈打っている。これほど全力疾走したのはいつぶりだろうか。


 杏子は目の前の体力バカの面を拝んでやろうと顔を上げる。相手も同じことを考えていたようで二人は同時に顔を上げて目が合った。その人物は意外にも杏子の知った顔だった。


 杏子のクラスの学級委員長にして風紀委員。杏子とはいつもバチバチの片山咲良だ。


「・・・どうりで乳がデケェはずだ」


「どこで判断してるのよ!?」


 まさか咲良がここまで走れるとは。体育の授業で運動神経が良いのは一応知っていたが彼女の持久走の結果はそこまで高いものではなかったと記憶していた。ここまで速いうえにスタミナもあるなんて知らなかった。


 勉強も出来て、クラスメイト達にも慕われて、運動も出来て非の打ち所がない彼女の才能の一端を見せつけられてしまったらしい。自分に持っていないものをたくさん持っている彼女を見て何だか居心地が悪くなってきた。杏子はまだ少し呼吸が整わないうちにまた走り出す。


 しかし。


「何で付いてくんだよ」


「コースが同じだけよ。それより走ってる理由を聞いてもいい?」


 どう答えようか迷った末に杏子はぶっきらぼうに「体力が必要になったからだ」とだけ答えた。


「また喧嘩でもする気? もう少しまともなことに才能を使ったら?」


 無神経な奴。杏子は言葉には出さず、わずかに眉をひそめるだけにとどまった。世界を救うというこれ以上ないほどまともなことのためにやっているわけだが説明したって意味はない。言い争うだけ無駄だ。


「お前は何で走ってる?」


「趣味よ。あなたと違って不純な動機じゃないの」


 はぁーぶん殴りてぇなぁ。しかし杏子は偉い子なのでそんな気持ちも飲み込む。言い回しがいちいち癪に障る。これがクラスの人気者の咲良じゃなかったら我慢なんかせずにとっくの昔に殴っているところだ。


「そういえば知ってる?」


 どれだけ一方的に話すつもりだこの女。杏子と咲良は別に友だちというわけではない。むしろ不良と風紀委員は切っても切れない対比の関係のはずだ。真面目な風紀委員が学校最大の問題児と仲良くランニングしながらお喋りしているこの状況を誰かに見られたらとか、面子を気にしないのだろうか。


(てか、ついさっきまで疲れてたくせに走りながらしゃべるなよ・・・)


 呆れを通り越して杏子は内心若干引く。しかし咲良はそんなことなど露知らず、話し続ける。


「最近この街で変なことが起きてるのよ」


 それを聞いて杏子は身を固くした。身に覚えのありまくる話題だった。


「地面が穴だらけになってたり、人がいなくなったり」


「そ、そんなニュースやってたっけか?」


「ニュースにはなってないみたいだけど世間ではちょっとした騒ぎになってるのよ」


 魔法少女と言えど出来ることには限界がある。へこんだ地面を直すくらいは出来ても消えた人を呼び戻すとかは無理だ。それに杏子たちの知らないところでネフィリムがしたことに関しても対処できない。そのため多少の痕跡は残る。


「あなたがどこで誰と喧嘩しようが知ったことじゃないけど、危ないことには巻き込まれないでよ」


「へえ、アタシのこと心配してくれんのか?」


「迷惑かけるなって言ってるの。学校とか、それと雁霧かりぎりさんにもね」


 棘だらけの言い方がやっぱり癪に障る。杏子はお礼の意味も込めて言い返す。


「ご心配どうも。風紀委員様も持ち前の出しゃばった正義感で変な奴に突っかからないようにお気を付けやがりませ!」


「私はあなたと違って優秀なのでご心配なく!」


 バチバチに火花を散らしながら走っていた二人だったが差し掛かった曲がり角がランニングルートの分岐点だったようで杏子と咲良はいがみ合ったまま別れる。これでやっと憎たらしいお真面目ちゃんとお別れできた。


(まったく!朝っぱらから最悪な気分だぜ!)


 ぷんすか怒りながら赤信号を待っている間に杏子は靴紐を結び直す。その時視界の端に地面に開いた小さな穴が映った。何気ない穴。アスファルトの地面ならば削れた部分の一つや二つあっても不思議ではないだろう。しかし杏子の心臓はランニングでのの動悸など忘れて一瞬だけ強く引き締まる。


 恐る恐るその穴に指先で触れる。指先に伝わるそれは杏子の知っているアスファルトの粗さではない。溶けている。杏子は知っている。ちょうどこんなことができる敵とつい数日前に戦ったばかり。だがソイツは杏子が倒したはずだ。


 少し顔を上げると同じような穴がポツポツと不規則に間隔を開けて続いている。それを辿って杏子の視線が辿り着いたのはビルとビルの隙間にあるマンホール。杏子は思わず駆け寄る。不審なところはないように見えるが僅かに魔力を感じる。つまり最近ここを出入りした奴がいる。


 溶解液が出せて、魔力を持っているソイツが下水道局員でないことは間違いない。


「ったく本当によぉ」


 先ほどのイラつきにまた別のイラつきが積み重なる。大きくため息をつく。


「朝っぱらから最悪な気分だ」

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