第27話 適応
目の前にいた
何の前兆もなく拳を振り抜いた。
空気が潰れる。
衝撃波が遅れて視界を歪ませ、
次の瞬間、世界が裏返る。
理解よりも先に『衝撃』が来た。
骨が砕けた錯覚。
内臓が裏返り、
神経が引き千切られるような圧力。
身体という『形』そのものが否定され、
一瞬、
自分が分解されたと錯覚するほどの衝突だった。
意識が、途切れる。
ほんの刹那。
だがこの戦場では、
その一瞬が『死』と等価だ。
殴り抜かれた反動で、
視界に空。
次に、歪んだ地平。
その間に、影が重なる。
背中から『メキメキ』と音を立てて、
骨と肉を無理やり引き裂くように翼を生やした
別の
落下点を正確に読んでいた。
翼は左右非対称。
羽毛ではなく、
骨膜に近い薄膜が風を掴み、
歪な飛翔を成立させている。
その個体が、
空中で姿勢を変え、
踵を叩きつけるように振り下ろす。
逃げ場はない。
叩き落とされる。
重力に、
暴力が上乗せされ、
世界が再び加速する。
地面が迫る。
次の瞬間、
衝撃。
地表がクレーター状に陥没し、
粉塵と破砕音が爆発的に広がった。
「ぐはっ!」
喉から漏れた声は、
悲鳴ですらない。
肺の中の空気が強制的に吐き出され、
内側から身体を殴られたような感覚が遅れて襲う。
視界の端で、
複数の
獣脚で地を踏み砕くもの。
多腕を引き絞るもの。
甲殻を鳴らし、距離を詰めるもの。
――包囲。
意識が完全に覚醒する前に、
敵は『次』の手を用意していた。
この存在は、
待たない。
躊躇しない。
慈悲を理解しない。
五十六の魂が削り落としたのは、
まさにこの『無駄』だった。
地に伏せた
殺意が、
重力のように降り積もっていく。
――これ程とは、想定していなかった。
単純な『出力』。
純粋な『物理干渉力』。
そして反応速度と連動した『連携精度』。
そのすべてが、
同一の尺度で測ること自体が誤りだと告げていた。
拳一つで空間を歪ませ、
着地一つで地形を再構成する。
個としての力ではなく、
集団としての完成度が異常な域に達している。
五十六。
魂の数ではない。
五十六通りの『戦闘経験』、
五十六種の『反射思考』、
五十六系統の『最適化された殺意』。
それらが同時に流れ込み、
一体一体が独立した思考を持ちながら、
全体としては単一の『意思』に従って動いている。
――力の差は、明確だった。
だが。
『絶望』という選択肢は浮かばない。
それは傲慢ではない。
慢心でもない。
事実として、
この世界は『固定された盤面』ではないからだ。
力が劣る。
速度が遅い。
耐久が足りない。
そんなものは、
『勝敗』を決める要素の一部に過ぎない。
盤上には、
位置がある。
時間がある。
因果がある。
そして何より、
『裏返す』余地が存在する。
空間を折り、
時間を歪め、
因果の順序を組み替える。
それが許される世界である限り、
数値の大小は絶対ではない。
その重心移動。
関節角度。
筋肉の収縮順。
すべてが『読める』。
遅れて痛覚が戻る。
骨の粉砕。
内臓の破裂。
神経の過負荷。
だがそれすらも、
情報として処理されていく。
痛みは、
『失敗の記録』に過ぎない。
視界が定まり、
千里眼が再構築される。
五十六の軌道。
五十六の殺線。
五十六の次動作。
それらが重なり、
一枚の巨大な『戦闘図』として
脳内に展開される。
理解した瞬間、
口元がわずかに歪んだ。
勝てるかどうかではない。
――どう壊すか。
まず、選択すべきは『修復』ではない。
『再配置』だ。
時間を治すのではなく、
時間そのものを巻き取り、
傷という事象が発生する直前の座標へと
存在を差し戻す。
「――廻刻」
発動と同時に、
世界が一瞬だけ軋む。
肉体に刻まれていた破壊の履歴が、
因果の糸ごと引き抜かれていく。
砕けた骨は砕ける前へ。
潰れた内臓は圧を受ける前へ。
断裂した神経は、
まだ信号を通していた状態へ。
痛覚だけが、
置き去りにされる。
それは副作用だ。
時間操作は『結果』を否定するが、
『認識』までは完全に消し去れない。
だから脳は覚えている。
致命的な衝撃を。
死に近い圧力を。
だがそれも一瞬。
次の刹那、
身体は完全な状態で再構築される。
呼吸は整い、
心拍は安定し、
筋繊維は一切の損耗を残していない。
魔力消費は大きい。
だが許容範囲。
問題はそこではない。
この『廻刻』を見ていた。
時間が逆流した事実を、
五十六の魂因子が同時に観測し、
理解し、
対策案を生成し始めている。
つまり次は、
同じ失敗は通用しない。
だがそれでいい。
夜羅は、
静かに立ち上がる。
負傷が消えた身体を確認しながら、
意識をさらに一段階沈めていく。
これは回復ではない。
『初期化』だ。
盤面は、
再び最初に戻った。
「まずはお前から」
声は低く、淡々としていた。
感情は削ぎ落とされ、判断だけが残る。
視界に映るのは、
先ほど拳を叩き込んできた
五十六の魂因子のうち、
打撃に特化した構成比を持つ存在。
筋繊維は魔素で編まれ、
骨格は複数種の獣骨が重ね焼きされたように歪んでいる。
――危険度が高い。
夜羅の思考は既に結論へ到達していた。
次の瞬間、
『思考加速』が限界近くまで引き上げられる。
世界が粘土のように鈍化する。
音は引き伸ばされ、
動きは分解され、
時間は層として視認できる。
夜羅は一歩も動かない。
ただ、
空間座標を一点に定め、
その内部に存在する『上半身』という概念だけを指定する。
行ったのは破壊ではない。
『削除』だ。
空間そのものを、
指定範囲ごと否定する。
次の刹那。
爆音はない。
衝撃波もない。
ただ、
存在していた事実だけが、
綺麗に消え失せた。
胸部から上が、
蒸発したわけでも、
砕け散ったわけでもない。
最初から
「無かった」
かのように。
残された下半身が、
一拍遅れて崩れ落ちる。
断面は歪み、
肉も骨も血も、
正常な切断面を持たない。
魂因子が処理落ちを起こし、
全体のネットワークに
強烈なノイズが走る。
周囲の
一斉に動きを止めた。
理解したのだ。
目の前の存在は、
『殴れば死ぬ相手』ではない。
夜羅は、
視線をゆっくりと巡らせる。
「核が本体だろ? それさえ残っていれば再生する」
夜羅の視線は、もはや個体そのものを見ていない。
見ているのは構造だ。
五十六の魂因子を束ねた異常存在。
だが、どれほど異形であろうと、
どれほど肉体を分割しようと、
完全な無秩序では成り立たない。
必ず『核』がある。
夜羅は既に把握していた。
個体ごとに位置は微妙に異なるが、
必ず『心臓付近』にそれは存在する。
拍動する魔力の塊。
魂因子を束ね、
再生を命令し、
破壊された肉体情報を再構築する中枢。
言い換えれば、
肉体は端末、
核こそが本体だ。
上半身が吹き飛ぼうと、
四肢が失われようと、
頭部が粉砕されようと、
『核』が無傷である限り再生は止まらない。
だから――
夜羅の思考がさらに鋭くなる。
千里眼と空間認識、
魔力感知と魂反応、
それらを重ね合わせ、
個体ごとに異なる『核の座標』を即座に抽出する。
世界がまた一段階、遅くなる。
次の瞬間。
次々と
だが、それは偶然でも、
無差別でもない。
消えているのは常に、
『核を含む範囲』のみ。
胸郭が丸ごと抉り取られ、
脊椎ごと存在を否定され、
魂因子の結束点が断ち切られる。
再生は――起こらない。
肉体が残っても、
四肢が動いても、
それはただの残骸だ。
魂因子は統率を失い、
命令系統を失い、
魔力は拡散し、
魔素へと還っていく。
崩れ落ちる個体。
痙攣する残骸。
再生しようとして失敗し続ける肉。
周囲の
明確に動揺を見せ始めた。
感情は薄いはずの存在。
だが、『核を破壊される』という事象は、
彼らの《目的》そのものを否定する。
夜羅は淡々と続ける。
個体を数える必要はない。
数は意味を持たない。
見るべきはただ一つ。
『核があるか、否か』。
それだけだ。
次の瞬間、
また一体、
また一体と、
これは戦闘ではない。
解体だ。
構造を理解した者による、
必然の処理だった。
だが――
それでも、限界は存在した。
『核』を見抜き、
座標を確定し、
空間を抉り取る。
その一連の処理に、
どうしてもコンマ数秒が必要になる。
刹那。
人間にとっては無視できる時間。
だが、この戦場では致命的だった。
そのわずかな間に、
一体、二体。
多くても数体しか処理できない。
対して敵は――
一秒ごとに百体。
数の差は、もはや計算の段階を超えている。
指数関数的に増殖する敵意。
空間そのものが、
異形の密度で歪み始めていた。
さらに厄介なのは、
最初は無秩序だった攻撃が、
次第に統一されていく。
核の位置が微妙にずれ、
魔力反応が偽装され、
魂因子の結束点が分散される。
破壊された個体の情報が、
他の個体へと即座に共有されている。
五十六の魂因子。
それは単なる材料ではない。
彼らは集合知だ。
死を学習し、
破壊を記憶し、
次に生かす。
夜羅の攻撃精度が高いほど、
敵の進化速度も上がっていく。
これは消耗戦ではない。
時間との競争でもない。
構造的に、
処理速度には限界がある。
認識にも、思考にも、出力にも。
一方、敵は増え続ける。
休まない。
恐れない。
止まらない。
盤面は静かに傾いていく。
どれほど盤上を裏返す力を持っていようと、
駒が無限に補充されるなら、
やがて押し潰される。
それは必然だった。
このままでは、
『勝てない』のではない。
――『間に合わない』。
その事実を、
夜羅自身が最も正確に理解していた。
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