第26話 幼馴染

 俺は改めて自分の出した答えを告げるために浦野を探していた。

 部屋を訪ねても留守で、ショッピングモールなどにもいなかった。

 友達になったつもりでいたが、俺は浦野が普段から何をしているか聞いたことがなかった。


 思えば、俺は浦野のことを何も知ろうとしていなかった。

 席が近いから話しかけ、会話が弾むから勝手に仲良くなったと思い込んでいた。

 それなのに、俺はあいつを全面的に信頼して自分で考えることを放棄した。

 その結果が飯盛達との一件に繋がった。

 乾は俺のために怒ってくれたんじゃない。

 俺の運動神経なら飯盛に勝てると踏んだ上で、俺を勝負の場に引っ張り出して飯盛を負けさせたのだ。

 ……俺のために行動してくれたと思ったときは嬉しかったんだけどな。


「あれは……風鈴と乾?」


 浦野のことだから人気のないところにいるのだろうと思い、普段は立ち入りが禁止されている校舎の屋上に来てみたら風鈴と乾がいた。

 屋上の扉にかかっている南京錠は古びており、多少強引に引っ張れば外れるようになっていた。あちこちが最新鋭の設備で固められている智位業学園らしくない不手際だ。

 もしかしたら立ち入り禁止である屋上にこっそり入れるようにしているのも、学園側が青春イベントを作るために用意したものかもしれない。

 そんなことを考えながら俺は屋上の扉を少しだけ開けて二人の様子を窺った。覗き見はよくないのだが、二人の間に流れる空気がいつも以上に険悪だったから入っていけなかったのだ。


「あんた達、何を企んでるの?」

「企んでるって人聞きが悪いなぁ。私達はただこの学園でみんなで生き残るために策を弄しているんだよ」


 風鈴は眉間にしわを寄せて乾を睨んでいるのに対し、乾は笑顔を浮かべたままだった。


「みんなって誰。あんた達にとって都合の良い生徒達のこと?」

「多々納さんって結構思い込み激しいタイプなんだね」


 風鈴の追及を乾は涼しい顔で躱す。風鈴はそんな乾の態度に顔を顰めながら風見の話を始めた。


「風見さんは友達だったんじゃないの?」

「うん、友達だったよ。退学処分になっちゃって残念だよ」

「全然残念そうじゃないけど」

「私、ポーカーフェイスは得意だから」


 そう言って乾は口角に指を当てて笑顔を作った。

 そのあざとい仕草を見て、風鈴はますます表情を強張らせた。


「……浦野君がくるみんを利用しているだけと思ってたけど、その様子じゃ違うみたいね」


 風鈴は拳を握りしめると、真っ直ぐに乾を睨みつける。


「くるみん。あんた風見のことも、飯盛君達のことも自分の意思で退学に追いやろうとしてるでしょ」

「うん、だって邪魔だからね」


 全く悪びれることなく発した乾の言葉に息を呑む。

 改めて考えてみればおかしなことばかりだ。

 上辺と風見が退学処分になったとき、乾はまるで責任なんて感じていないように過ごしていた。

 最終的に選択したのは風見とはいえ、意志の弱い彼女を誘導したのは乾だ。

 そして、俺達に協力を持ち掛けたとき、浦野は〝学園側は上辺達を退学にするつもりで入学させた〟と推測を述べた。


 そして、冠城先生は〝もし上辺達が課題をクリアできていたのならば退学にはならなかった〟と言った。

 つまり、他の生徒が成長するための捨て石ではあったが、基準をクリアできれば退学にはしないつもりだったのだ。

 事実、風見はあと一歩のところで課題の本質に気づきかけていた。


「浦野君は上辺君を騒ぐだけのバカって言ってた。でも、彼は飯盛君とは違って、見下している相手にも手を差し伸べられる人だった」


 内心でどう思っていようと、相手のためになる行動をしているのならば話は別だ。

 上辺には確かなコミュニケーション能力があった。そのまま欠点を克服して成長すれば、いずれはクラスを引っ張っていく存在になっただろう。

 どんな思惑があろうと人に手を差し伸べられる人間はそれだけですごいのだ。


「上辺君と違って、周りに影響されやすい主税はさぞ手綱が握りやすいでしょうねぇ……そういうことなんでしょ!」

「ああ、ごめん。自分が魔改造中のペアに手出しされるのが気に食わなかった感じ?」


 内心、どこかで違っていればいいと目を背けていた。

 しかし、現実は違った

 俺は浦野と乾のペアに利用されていたのだ。

 風鈴という女子で一番影響力のある人間のペアである。

 アドバイスは考える前に聞いた通りに実行する。

 こんなに都合の良い人間もいないだろう。


 浦野達の目的、それは俺を自分の言うことを聞く傀儡にしてクラスのトップに据え置くことだ。

 そうすれば、クラスを裏から意のままに操ることもできる。それこそ、誰かが必ず退学しなければいけないような場面でもだ。

 そのために邪魔な上辺を退学にして、今度は飯盛達も退学にさせようとしている。

 仮に飯盛達が退学になれば、俺の言うことを聞かなかったから退学になったと周りは思うだろう。そうなれば、浦野の思う壺だ。

 声を荒げる風鈴に対して、乾は呆れたように肩を竦める。


「多々納さんも人のこと言えないでしょ。だって自分の言うことを聞く都合の良い男作ろうとしてるんだもん」

「違う! あたしは主税が変わるきっかけになればと思って……」

「変わらなくていいんだよ、彼は」


 初めて乾がにこやかな表情を崩した。


「何でみんな変わろうとさせるかな……」


 ぞっとするほど冷たい声音。無表情で淡々と言葉を紡ぐことでその冷淡さが際立つ。


「この学園もあんたも、恋愛すれば人は変われるみたいな感じでさ。本っ当に大嫌い」


 それは紛れもない乾の本音だった。

 乾は変化をとにかく嫌う。風鈴を嫌っていたのは、彼女にとって最も忌み嫌う変化の象徴のような存在だったからなのだろう。


「ねえ、多々納さん。どうして友田君がチー牛化したか知ってる?」

「幼馴染が従兄を好きになって失恋したから、って聞いてるけど」


 雰囲気が変わって圧を放っている乾に怯むことなく、風鈴は毅然とした態度で返す。

 その姿を鼻で笑うと、乾は口角を上げる。


「はっ、私はもっと知ってるよ。幼馴染が好きになった従兄は自分が勝てる要素が一個もない。そうやって諦めた。でも、未練がましく片想いを続けた。恋を捨てなかったからそうなったんだよ」


 ま、捨てたとしても自信を失ったらどの道チー牛になってただろうけど、と乾は吐き捨てるように呟くと続ける。


「無駄にプライドが高いから、拗らせまくったんだろうね。充実していた生活を失った反動は大きかったってことだよ」

「だから今、主税は反省して変わろうとしてる」

「反省してるから何? 過去は消えないでしょ。壊れたものは戻ってこない」


 壊れたものは戻ってこない。

 その言葉が胸に突き刺さる。


「人を好きになるのがそんなにいけないことなの? ずっと一人の人を想えるなんて素敵なことじゃん!」

「笑わせないでよ。人を好きになることが素敵なこと? そんなのは好きになった側の一方的な言い分よ」


 風鈴と乾の意見は交わることがない平行線だ。

 風鈴は人を好きになることを肯定し、乾は否定し続ける。


「友達だと思ってた人が異性として好意を向けてくるなんてさ……大切にしてたぬいぐるみからイチモツが生えてきたようなもんよ。気持ち悪いったらありゃしない!」


 心底嫌悪した表情で吐き捨てる乾の言葉に、風鈴ははっとした表情を浮かべた。


「くるみん、あんたまさか……」


 気づいたのだろう。俺の片想いの相手である幼馴染が胡桃だということに。


「ボクはチー君のことを友達として大好きだったんだよ!」


 胡桃の瞳から涙が零れ落ちる。

 ついに仮面は完全に剥がれ落ち、胡桃は素の口調で本音を吐露する。


「引っ込み思案だったボクを友達の輪の中に連れ出してくれた。一緒に泥まみれになって遊んだ。スノボだって教えてくれた。そうやって一緒に過ごす毎日がボクの宝物だったんだ。なのに、なのに……!」


 唇を噛み、胡桃は俯く。

 拳からは血が滲み、肩が小刻みに震える。


「みんなバカばっか! すぐに惚れた腫れたで大騒ぎして、恋人だの夫婦だの冷やかしてきて、チー君だってその気になってどんどん気持ち悪くなるし、もううんざりだった!」


 俺は何で胡桃がこんなに苦しんでいるのに気づいてあげられなかったのだろうか。

 幼馴染というだけで彼氏面をして、周りから揶揄われても内心喜んでいた。

 それが胡桃にとってどれだけ苦痛だったかも知らないで、本当に俺はバカだ。


「何で変わっちゃうんだよ。何で変わろうとするんだよ。何で変えようとするんだよ……チー君はそのままでいて欲しかったのに!」


 胡桃の時間はきっとあの輝かしい思い出の日々のまま止まってしまっているのだろう。

 彼女の宝物を壊したのは他ならぬ俺だった。


「返してよ……カッコ良くて、真っ直ぐで優しいチー君を返してよ!」


 壊れたものは戻ってこない。そう言った彼女自身が最も求めていたのは、昔の恋に溺れる前の俺だった。

 胡桃の本音を黙って聞いていた風鈴は静かに口を開く。


「主税は変わってないよ」

「嘘だ! 昔の主税は女の子に気を遣ったりしなかった!」

「確かに前より気遣いはできるようになったと思う。でも、主税は優しいんでしょ? 本質は変わってないじゃん」


 胡桃に同情することなく、強い意志を持って風鈴は告げる。


「バランススクーターから落ちそうになったあたしを助けたとき、めっちゃカッコよかった。あたしのために怒って本気を出して飯盛君達をやっつけたときだってカッコよかった。それでもって、いつだって主税は真っ直ぐだった――ねえ、主税のどこが変わったの?」

「だ、だって、昔ならやらない行動ばっかり……」

「本質は変わってないじゃん」

「……あんたなんかに主税の何がわかるんだ」


 胡桃は血の滴る拳を強く握り締め、風鈴を睨みつけて叫ぶ。


「出会って一ヶ月も経ってないあんたに何がわかるんだよ!」

「むしろ、何年も一緒にいた癖にあんたは主税の何を見てたの?」

「うるさい!」


 泣くじゃくる胡桃は癇癪を起した子供のようだった。そんな風にさせてしまったのはきっと俺のせいだ。

 これ以上は俺が聞くべきではない。

 俺は立ち上がると、静かに屋上を後にする。


「主税は最高のペアだよ。だから、あたしは彼の力になる。真っ直ぐな人は好きだからね」


 最後に聞こえた風鈴の言葉が俺に力をくれた。

 もう立ち止まるつもりは毛頭なかった。

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