第22話 それは強者の言葉だ
翌日、俺は授業を受けながらもどこか気まずさを覚えていた。
風鈴はいつも通りだ。いつも通りじゃないのは俺だけだ。
少しずつでも変われていると思っていた。
でも、俺はいつまで経っても過去をうじうじと引きずったまま何も変われていなかったのだ。
「なあ、友田。
「ああ、知ってる、知って、る……はっ!?」
考え事をしていたせいで適当に答えていたが、聞き覚えのある名前に一気に意識が覚醒する。
「あー、やっぱ知ってる奴はこのくらい驚くのか」
「いや、友田は驚きすぎだと思うけど……」
蒲生に対してペアである大阿久は呆れたようにツッコミを入れていた。一時は険悪な仲になっていたというのに、随分と打ち解けたものである。
しかし、俺はそれどころではなかった。
「熱愛発覚って、えっ、誰と!?」
「何だっけか……最近人気の女優だよ」
「
「そうそう、それそれ!」
「あんたって、本当に流行りに疎いわよね」
ああ、どうして嫌なことばかりが続くのだろうか。
実家を離れれば聞かなくて済むと思っていた名前が俺の胸を締め付けてくる。
「てか、王子雅也ってそんなにすごい人なのか?」
「そりゃすごいでしょ。スノボ男子ハーフパイプの金メダリストよ。テレビでも話題になってたじゃない。ほら、人類で初めて成功した技で金メダル取った人よ」
「テレビは見ないからなぁ」
「オリンピックくらい見なさいよ……」
スポーツに疎い蒲生に大阿久はため息をつきながら説明する。
「通称スノボ王子。イケメンだし、優しそうだし、金メダリスト。まさに完璧超人よねー」
「天はこいつに何物も与えすぎだろ。俺にも分けて欲しいわ」
「分けてもらったところでねぇ」
俺は茫然と蒲生と大阿久の仲睦まじいやり取りを聞いていた。
内容はもはや頭に入ってこなかった。
「あれ、友田。そんなにショックだったのか?」
「いや、何でもないんだ」
「何でもないって顔してないけど。顔真っ青だよ」
先ほどから黙っている俺を蒲生と大阿久が心配してくれる。
どう誤魔化したものかと、思案していると急に腕を誰かに引っ張られた。
「主税、昨日勉強しすぎて寝不足だから体調悪いみたい」
「風鈴……」
「だから言ったじゃん。勉強はほどほどにって」
風鈴は俺にだけわかるようにウィンクをする。
「あたし、主税を保健室まで連れて行くから。先生に伝言よろー」
風鈴は大阿久にそれだけ伝えると、そのまま俺を引っ張って教室を出た。
保健室に向かうまでの間、風鈴は何も言わなかった。
いつもは弾む会話が今日はない。それでも、今はそれが心地良かった。
「大丈夫?」
「ああ、気を遣わせて悪いな……」
「主税って謝ってばっか。そこはありがとうでしょ?」
風鈴は頬を膨らませて詰め寄ってくる。
至近距離から甘い香りが漂い、俺は咄嗟に顔を背けながら礼を述べた。
「あ、ありがとう……」
「よくできました」
風鈴は満足げに頷くと、珍しく神妙な面持ちで告げる。
「ねえ、主税。中間試験の恋愛実習は暗記で行けるんだよね?」
「ああ、アンケートの回答はお互い交換しただろ」
中間試験の恋愛実習の試験内容は相互理解だ。
ペアが答えたアンケートの内容さえ把握できれば、それはそのまま相手の趣味嗜好を完璧に理解できたと言えるだろう。
「あたし思うんだ。相互理解ってそういうことじゃないって」
しかし、風鈴はそのやり方に異を唱えた。
「試験をクリアできれば誰も退学にならずに済むんだ。仮に点数で差を付けて落とすとしても全員が満点なら誰も退学にならないだろ」
「あたしが言いたいのはそういうことじゃないよ」
風鈴は苦笑すると、どこか寂しそうに告げた。
「仮に今回突破できても、みんな何も考えずに試験を突破できちゃうんだよ。それで次も浦野君が考えた作戦で裏技みたいに突破していくんでしょ」
「そうなるな」
「それって何の成長にもならないじゃん」
何の成長にもならない。風鈴の言葉が俺の胸に突き刺さる。
人は壁を超えることで成長する。俺はみんなからその機会を奪っていると言われた気がしたのだ。
「退学になったら成長もクソもないだろ」
それでも退学になるよりはマシだ。俺は心からそう思っている。
まるで自分のやり方を否定されたようで、苛立ちが募り語気が荒くなる。
「俺だって浦野の作戦には思うとこはあったさ。でも、もう嫌なんだよ。誰かが消えていって、それが当たり前だって空気の中で過ごして行きたくはねぇ!」
俺みたいな奴にも優しくしてくれる良い奴だと思っていた上辺は、醜態を晒して退学になった。
藁にも縋る思いで俺に相談を持ち掛けてきた風見は課題の本質に気づけていたのに、最後の最後で他人に判断を委ねて退学になった。
あの二人が退学にならずに教室で一緒に過ごせていたなら、いろんなことが違っていたのではないだろうか。
上辺は本心を暴露せずにクラスを引っ張っていく存在になれたかもしれない。
風見は自分の意見をしっかり持てるような人間に成長できたかもしれない。
たった一度、たった一度だ。
一度転んだだけで、もう二度とチャンスは与えられなくなってしまう。
そんなのはあんまりじゃないか。
「成長が何だってんだ。成長なんて学園生活の中でいくらでもできんだろ。でも、退学処分になったら終わりだろうが」
「確かに退学は怖いよ。それでも恋愛実習で得られるものが無意味だとは思わない。あたしは課題にも試験にも真剣に取り組むべきだと思う」
風鈴は堂々と真剣に恋愛実習に取り組むべきだという。
しかし、そんな言葉は退学のリスクが限りなくゼロに近いから言えるのだ。
「はっ……強者の言葉だな」
「え?」
「風鈴、お前自分が恋愛実習で退学になるところ想像したことあるか」
自分が被害を被らない可能性が高いのならば、リスクは背負ってもモチベーションの低下には繋がらない。むしろ、モチベーションは上がるだろう。
ペアの俺も含めて成長してみせる。そんな底知れぬ自信が風鈴からは感じられるのだ。
「持ってる奴には持ってない奴の気持ちなんてわからないだろ。弱肉強食を受け入れられるのは強者だからだよ」
「あたしはそんなつもりじゃ……」
「俺達はいいさ。成長もできて将来すら約束される」
智位業学園を無事に卒業できれば、約束された将来が待っている。その間に人間として成長できていればどこでだってやっていけるかもしれない。
だが、その間に切り捨てられる人間は大勢いる。
「そうじゃない奴らはどうすればいい? ただの踏み台になるしかないってのか」
「それは……」
風鈴は言葉を詰まらせる。
この学園に入学してからたくさんの友達ができた。その誰かを切り捨てなきゃいけないなんて俺は御免だ。
「俺は誰も退学になんてさせたくないんだよ。そのために動いているんだ」
「全員がちゃんと成長できれば大丈夫なんじゃない?」
「この学園がそんなに甘くないことなんて、風鈴だってわかってるだろ!」
俺は苛立ち紛れに乱暴に立ち上がると保健室を飛び出した。
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