第10話 体力測定
今日は入学してから初めての体育の授業がある。初回の授業のため、内容は体力測定だ。
「浦野って何かスポーツやってたのか?」
「特にはやってないよ」
男子更衣室で着替える際、浦野が思ったよりも筋肉質な体をしていたことが気になった。
服の上からはわかりづらいが、浦野は格闘技でもやっていたのではないかと思うほど鍛えられた体をしていたのだ。
「じゃあ、筋トレとか趣味だったりするのか?」
「まあね。ハマると楽しいもんだよ」
「何か意外だな。浦野って本ばっかり読んでるイメージだったからさ」
「それは否定しないけど、読書だけじゃなくて筋トレも趣味ってだけだよ」
冷静に考えれば、読書だけでなく筋トレも趣味だったところで何もおかしいことはない。
ダメだな。ついイメージで相手のことを決めつけてしまうのは俺の悪い癖だ。
俺は周囲を見渡して見る。
大抵の男子は太っているわけでもなく、鍛えているわけでもないやや痩せ気味の体型をしている。
一応運動部出身の者もいるようだが、パッと見て鍛えられている印象を受ける者はいない。
「今日の体力測定は上辺君一強って感じになりそうだね」
「元野球部には敵わないだろうな」
上辺は長髪をヘアゴムでまとめてやる気満々だ。
元野球部ということもあって、彼がどれだけの好記録を出せるのか気になるところである。
着替え終わると、俺達は体育館に向かう。
そこにはジャージに着替えた女子も集合していた。
「それじゃ、授業始めるぞ」
体育の担当の先生が声をかけると、自然と私語が止まる。
ここ数日でわかったが、俺のクラスには何だかんだで真面目な生徒が多い。
こういうときに私語をやめなそうな印象のある風鈴のグループですら、私語を止めるのだから意外である。
「今日は体力測定をやっていくぞ。さすがに体力測定自体初めての奴はいないと思うが、一応説明させてもらう」
体育の先生は念のため体力測定の簡単な説明をすると指示を出した。
「それじゃ、シャトルラン意外の項目は自分達でやってもらうから、空いているところから順に回ってやってくれ。わからないところがあったら適宜教えるぞ」
思ったよりも体育の先生は放任主義のようだ。まあ、自由度高めの方がやりやすいのでありがたくはあるが。
「主税、握力のとこいこ!」
俺の元へジャージ姿の風鈴がやってくる。
風鈴が着ると、学校指定のジャージもお洒落に見えてくるので不思議だ。
「男女一緒で体育って珍しいよな」
「ねー、何か新鮮だよね」
普通、体育の授業は男女別に行われることが多い。こうして男女一緒に授業を行うのは珍しい方だろう。
智位業学園では案の定、体力測定のペアも恋愛実習のペアと同じで行われる。
俺は記録用紙を風鈴に渡すと、握力計を力一杯握る。
「右も左もピッタリ三十五、か。結構握力あるんだね」
「全国平均よりは下だけどな」
周りを見てみると、平均値に達している人間の方が珍しいようで、ほとんどの男子が二十前後だった。それを見て少しだけ安心感が沸いた。
「ろ、六十!?」
安堵のため息をついた瞬間、横から驚いたような声が聞こえてくる。
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには唖然とした様子で記録用紙を握っている乾がいた。
乾が記録用紙を持っているということは、今の記録はペアの男子のものということになる。つまり、怪力の持ち主は浦野だ。
「そんなに驚くことでもないと思うけど」
「いやいや、浦野君どんな握力してるの。普通にこの記録はすごいからね!」
浦野は好記録を出したというのに涼しい顔をしていた。
先程まで感じていた安心感がどこかへ吹き飛ぶ音がした気がした。
「四十二メートル!」
今度は別の方から歓声が上がる。
そちらに視線を向ければ、上辺がハンドボール投げで好記録を出していたところだった。
「マジか、マジか……」
別に競い合っているわけではないのに、肩身が狭くなるのを感じる。
「主税、次あたしの記録お願いしていい?」
「あ、ああ……」
ショックを受けたまま風鈴の記録用紙を受け取る。
今は目の前のことに集中しよう。
「ふんっ!」
風鈴は歯を食いしばって握力計を握る。
渡された握力計に表示されていたのは浦野とは別の意味で驚くべき記録だった。
「きゅ、九か」
「……何?」
風鈴は拗ねたように頬を膨らませていた。いつも自信に溢れた笑顔を浮かべている風鈴にしては珍しい表情だ。
「別に何でもないぞ」
「嘘だ。絶対、弱すぎって思ったでしょ!」
「そんなことないって、女子の記録だしおかしくはないだろ」
平均より大幅に下だとしても、風鈴の場合は弱々しくて可愛いという見られ方をする分、ダメージは少ないだろう。
「そ、そうだよね! 普通だよね!」
「両方三十超えって、乾さんも大概じゃないか」
「まあね」
そう思って励ましの言葉をかけた途端、またしても隣から好記録が飛び出てくる。
浦野と乾のペアはどうしてこうも握力が強いのだろうか。そしてタイミングも悪い。
「長座体前屈行くか……」
「そだね……」
気まずい空気のまま、俺達は長座体前屈を記録している場所へと向かった。
長座体前屈といえば体の柔らかさを計るものだが、体が柔らかかったところで握力やハンドボール投げのように歓声があがることはない。
「えぇぇぇ!? 主税、体柔らかすぎでしょ!」
「そうか?」
「普通、顔や胸は足にくっつかないって! マジですごいじゃん!」
興奮したように記録用紙を眺める風鈴を見ていると、体が柔らかくて良かったと思える。
昔は体が柔らかすぎて気持ち悪いと言われたことがあるだけに、どこか救われた気分になった。
それから俺と風鈴はスムーズに記録を終わらせていく。
風鈴の記録を見る限り、彼女は運動が得意ではないようだ。
「上体起こしって、男女ペアでやらせていいのかよ」
「結構密着するもんね。あたしは気にしないからいいけど」
上体起こしの場所へやってきた俺は気まずさを感じていた。
他のペアもどこかぎこちないのも、気のせいではないだろう。
上体起こしは足をしっかり押さえるためにかなり密着しなければいけない。
風鈴は特にスタイルがいいから目の毒である。
「それじゃいくよー」
俺の内心など露知らず、風鈴は上体起こしを始める。
「ふっ……! んっ……! んんっ……!」
「七、八、九」
上体を起こす度に漏れる吐息を気にしないように、俺はひたすら数字を数えることに集中する。
顔が近づく度に、心臓の鼓動が加速する。改めて思うが、どうしてこんなに可愛い子が俺のペアになったのだろうか。
運動神経も人より良いだけで、成績も特出していいわけではない。容姿も最近やっと清潔感がある程度に改善されただけ。
こんな長所のない人間が、こんな魅力的な女の子と恋愛実習などやっていけるのだろうか。
そんなことを考えている内に、風鈴の上体起こしが終わる。
それから俺は特に目覚ましい活躍をするでもなく、体力測定を終えるのであった。
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