第77話 冬の章(5)

 花壇は、しっとりと濡れていた。昨日雨が降ったからかもしれない。この分なら、水遣りは必要ないだろう。私は、手にしたままだったジョウロを花壇の脇に置くと、さらにじっくりと土の様子を見る。


 まだ新芽などは出ていない。土が剥き出しのままだ。いつもなら、この土を掘り返し空気を含むふっくら柔らかな土に仕上げるのだが、前情報によると、どうやらこの花壇は何もしなくても花が咲くようだ。


 私はこの花壇に咲くと言われている花についての知識がまだない。正直、いつ頃が開花時期なのかすら知らない。だが、一年近く校内の花壇の整備をしてきて、まだこの花壇に花が咲いているところを見たことがない。女の子は花が咲くのを待っているようなので、そろそろ芽吹きの時期なのかもしれない。


 そうなると、既に土の中で芽吹きの準備が進んでいることだろう。無闇に掘り返してしまっては、芽を痛めかねない。


 土の様子を観察し終えた私は、考えた末、花壇に肥料を撒くことにした。


「もしかしたらもう土の中で芽が出ているかもしれないから、土は掘り起こさずに肥料を撒くね」


 私の言葉に女の子は破顔し大きく頷いた。これまでに無い反応だった。もしかしたら、私が花壇を傷付けないと安堵してくれたのかもしれない。


「肥料取ってくるね」


 女の子を残し、用具庫へ向かう。スターチスについてもう少し勉強しなくてはと思いながら、用具庫の重い扉を押し開けて、しっとりとした空気が満ちる薄暗い庫内へと足を踏み入れた。


 重たい肥料袋の1つに手を掛けて、持ち上げようと体全体に力を入れる。


「……っと」


 思わず小さく声を漏らし、肥料袋を抱えた瞬間、背後から声がした。


「随分と重そうだね。アーラ」


 聞き覚えのある声に勢いよく振り返れば、ここ数ヶ月姿を見せなかったフリューゲルが、ごく自然にそこにいた。


「ふ、フリューゲル!」


 あまりの不意打ちに全身の力が抜け、抱えていた肥料袋がドサリと音を立てて床に落ちる。


「あ〜あ。落ちちゃったよ? いいの?」


 目の前のフリューゲルは、随分とのんびりとした声を出す。しかし、私はそんな声に応えることも出来ず、ただ口をパクパクとするだけだった。


 そんな私をフリューゲルは可笑そうに見ている。


 あの時突然私の前から姿を消したフリューゲル。どんなに呼んでも私のそばに来てくれなかったのに、今、目の前にしれっと立っている。


 その姿が以前と全く変わらないような気がして、だんだんと腹が立ってきた。

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