第5話

 そんな経緯で恋人同士になって、だ。


 俺は少々不満がある。


「養護教諭の門別先生は、生徒をとっかえひっかえ食っているらしい」

「儚げな美少年タイプより、自分よりも身体の大きいガチムチ系が好みらしい」

「◯組の○○が女にされて帰って来た」


 何だこの噂は!


 食ってない! あいつはそんなことしてない!

 ガチムチ系が好みって何だ! 俺のことか?! 俺のことか……?

 ◯組の○○って誰だ! 女にされたってどういうことだ! あいつはネコだぞ!


 と、脳内でシャウトしたってどうにもならない。

 出来ることなら、こんなふざけた噂を流している生徒を特定してギッチギチに指導してやりたいところではあるが、はっきりいって、それは不可能だ。既に卒業したやつらが流したものもあるし、比較的新しいものにしても、こういうものは誰か一人の仕業ではなく、不特定多数が一気に広めるため、責任の所在があやふやなのである。


「ほっときゃ良いじゃないですか。事実無根なんですし」

「って言ってもなぁ」

「一応、校長と教頭には話してありますし。私だって一応自衛はしてますしね?」


 そう言って、白衣の胸ポケットからレコーダーを取り出す。念のため、怪しい生徒が入室した際には録音しているらしい。さすがは大祐さん、抜かりない。


 かといって、じゃあ安心だな、と思えるほど、俺は楽観的でもない。というか、純粋に嫌だろ。てめえの恋人がとんでもない淫乱教師のレッテルを貼られてるんだぞ?


「私は別に気にしませんけどね。それに、ほとんどの生徒は所詮は噂だって気付いてますよ」

「そうかぁ?」

「下心込みで来る生徒もいますけど、話せばちゃーんとわかってくれますし?」


 と、にこやかに話すが、目の奥が笑ってない。ああ、これはアレだ。『北海第一の門別』だ。こっわ。


「でも、俺は心配なんだよ。ウチの学校は男子校だし、ガタイだけなら大祐さんよりデカいのなんてゴロゴロいるし、そいつに襲われでもしたら」


 これくらいの心配は、恋人なら当然だろう。それが例え竹刀を持たせたら向かうところ敵なしの鬼神であっても。


 すると大祐さんはにんまりと口の端を緩めて、頬杖をついた。


「心配してくれるんですね、太一君」

「そりゃ、そうだろ」


 その返事に、にまー、と笑い、満足気に目を細める。その顔が小憎たらしい。こっちの気持ちも知らないで。


「だっ、第一な、大祐さんは首回りが緩すぎるんだよ! 襟付きのやつ着ろよ!」

「嫌ですよ。私、首回りがキュってなってる服、苦手なんです」

「何でだよ、剣道の道着なんてキュってなってんだろ」

「その反動ですかねぇ。仕事でまであんなの着たくないです。襟付きとか、ネクタイとか、嫌なんですよね。ここは白衣さえ羽織ってりゃなんでも良いって言ってもらえたので、助かってます」


 あっはっは、と笑って、首筋を擦る。今日の服は比較的首回りがあいていないやつである。なぜって、俺が鎖骨に思いっきり痕をつけたからだ。ぐぎぎ、とそこを睨みつけていると、その視線に気付いたのか、服の上から鎖骨をなぞり始めた。


「だから、ちゃんと見えないようなやつを選んで着てるじゃないですか。怒らないでくださいよ」

「別に、怒ってるわけじゃ」


 ほら、そろそろ部活の時間じゃないですか? なんて言いながら、俺のポロシャツの胸ポケットに飴をねじ込む。


「カルシウムが足りないと怒りっぽくなるんですよ。それ食べて頑張ってくださいね」


 なんて言葉と共に送り出される。ポケットに手を突っ込んで取り出せば、カルシウム入りと書かれたミルクキャンディだ。畜生、子ども扱いしやがって。一個しか違わねぇっての。


 こうなったら、いっそ首にもがっつりキスマークつけてやろうか、とまで考えたが、さすがにそれは仕事に支障が出るかもしれない。俺達は社会人だ。そんなつまらないことで周囲に敵を作るのは得策ではない。


 ならば。


 部活が終わった後で向かったのは、デパートの服飾売り場だ。こんなところ、はっきり言って俺には無縁だ。紫外線対策のストール売り場なんて。


 あれで案外俺のことが大好きな大祐さんだ。俺からのプレゼントと思えば絶対に使ってくれるだろう。


 完璧な作戦に、つい悪い笑みがこぼれる。

 それに元々あの人は紫外線にめっぽう弱いのだ。

 嘘か本当か、剣道を選んだのだって室内競技だったからとか、ふざけたこと言ってたからな。そんな理由でもあのレベルに到達したのだから才能はあったんだろうけど。


 しかし、種類がありすぎて一体どれを選んだら良いんだ。こういうものの選ぶポイントって何なんだ。色? デザイン? 機能性?!


 ぐわぁぁ、わからん! こんなの彼女にだって贈ったことねぇし!


 頭を抱えて悶絶していると、ちら、と視界に飛び込んできたのは、『花言葉に思いを添えて』と書かれたポップである。バラだの、チューリップだのの刺しゅう入りのストールが並べられ、色別にそれぞれの花言葉が添えられている。


 そういや、母ちゃんも昔ハマってたっけな。でも、父ちゃんがそういうの全然気にしねぇもんだから、それで喧嘩になったりして。うん、父ちゃんはそういうタイプじゃねぇもんな。


 ……大祐さんなら?

 

 あの人何か無駄に美意識高いし、多少はそういうのわかったり、するんじゃね?


 そう思ったら、もうこれしかない。

 色もまぁ、似合うだろ。あの人色白だしな。UVカットって書いてるし、うん。



 で、それを早速郵送して、だ。


「――もしもし、太一君。ポストにプレゼントが送りつけられていたのですが、私の誕生日は今日ではありませんよ」


 ちょっと、いや、かなり驚いた様子の恋人からの着信で、俺はサプライズ成功、と密かにガッツポーズを決めた。首回りをそれで隠してほしいこと、夏の紫外線対策にも使える旨を伝えると、それにも少々驚いたようである。ちゃんと考えてくれたんですね、なんて意外そうな声をあげて。考えてるわ! 畜生! 俺一応あんたの恋人だからな!?


 そんじゃまた明日学校で、と通話を終えようとすると、明日は土曜日だと告げられた。しまった、休みじゃん。うーわ、もう会える気満々だったわ。


 落胆がそのまま声に出ると、俺を甘やかすことにかけては他の追随を許さないことに定評のある出来た恋人は、早速部活後の映画デートを提案してくれた。やることがいちいちスマートすぎて、嬉しいけどたまにむかつく。


 どうしたって埋まらない年の差のせいか、いつまでも大祐さんの手のひらの上で転がされている感じが癪に障る。畜生、お前もちょっとは照れろ!


 そんな気持ちが湧き上がったからか、電話の切り際、「ストールの刺繍」とついぽろりと出てしまう。


 けれど、口に出して即座に後悔した。

 

 いや、これ、照れるの俺の方だわ! 失敗した!


「あ、明日の映画楽しみにしてる!」


 やっとの思いでそれだけ言って、向こうの返事も聞かずに通話を終了した。


 刺繍、という単語だけで即『ヒヤシンス』と花の名前まで当てて来た大祐さんは、その意味を知っているだろうか。ヒヤシンスそのものの花言葉は、『スポーツ』、『ゲーム』、『遊び』、それから『悲しみを超えた愛』なんてものもあるらしい。けれど、色によってもまた、別の意味がある。


 黄色いヒヤシンスの花言葉は、『勝負』と、それから――、


「『あなたとなら幸せ』か」


 その言葉を思い出し、恐らくは、夕日よりも赤くなっているだろう頬を強くぶっ叩いた。


 やっぱり恥ずかしい思いをするのは俺だけじゃねぇか。そんなことを思って迎えた翌日の映画デートで、早速ストールを巻いてきてくれた大祐さんは、陶器のような白肌を赤く染め、悔しそうに下唇を噛んでいた。あれ? 何その顔!? もしかして照れてる!?


「太一君の気持ち、しかと受け取りましたから」


 シートに並んで座り、つい、と袖を引かれて密やかに告げられた言葉に、どきりとする。


「私も、同じ気持ちですよ」

「……あっそ。なら良いけど」

「今日、泊まっていってくださいね」

「おう」


 正直言って、映画の内容はほとんど入って来なかった。けど、それほどまでに気持ちが高揚する相手がいるというのもまた、幸せの形なんじゃなかろうか。そんなことをぼんやり考えていると、何やら難しい顔をした大祐さんが小さくため息をついた。


「DVDがレンタルされたらもう一回見ましょうか。ちょっともう途中から何が何やらで」

「珍しいな、大祐さんが」

「私だって他のことに気を取られることもあります」

「他のこと?」

「太一君との、今夜のこととか」


 そんなことを言って、にや、と笑い、手を絡ませてくる。


「あんた、そんなこと考えてたのかよ」


 まぁ、俺もなんだけど。


 太陽を目指したイカロスの翼は溶けたが、門別大祐完璧な芸術作品に手を伸ばした俺は、多少腑抜けになった自覚はあるが、とりあえずは無事なようだ。


 今夜はもうお望み通り、ぐずぐずに甘やかしてやろう。

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すったもんだで!②~お互いに『初めまして』はないでしょう!~ 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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