第16話 令嬢、兄を紹介する1
「初めましてミハイル様。ようこそ我がマイヨール家へいらっしゃいました。お会いできて光栄です。」
メイフィール公爵家でのお茶会から七日後、今度はマイヨール侯爵家がミハイルを出迎えていた。
本日の主催として出迎えたのはマイヨール侯爵家の嫡男であるアルバートで、アイリーシャはその後ろに静かに控えている。
満面の笑みを浮かべてミハイルを出迎えるアルバートの姿は、金髪碧眼で端正な顔立ちであるため、御令嬢達が見たら卒倒するような天使の微笑みだが、長年この家に仕えてこの主人の内面を嫌と言うほど見てきたエレノアにとっては何かを企てている悪魔のような笑顔にしか見えず、このお茶会が何事もなく平穏に終わる事をただ祈った。
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。マイヨール侯爵家のアルバート様のご高名は社交界でも有名ですから、お話しする機会が出来て光栄です。」
ミハイルは礼節を持って招待へのお礼を述べ、アルバートもそれに応える。
「私の評判など、王太子殿下の一番の側近で、知恵者と名高いミハイル様の足元にも及びませんよ。」
お互いがお互いを褒め合う社交辞令を交わした後、こちらへどうぞと庭のテラスへ案内した。
アルバートが先導してミハイルがそれに倣い後に続く。そしてアイリーシャは、さらに半歩遅れてついて行った。
到着したテラスは、メイフィール公爵家の薔薇園よりかは見劣りするものの、丹精に手入れをされたマイヨール家自慢の庭を一望できる特等席であった。
そこには既にお茶の準備が整っており、3人は用意されていた席に着席をしたのだった。
「さて。改めましてミハイル様には我が家からもお礼を申し上げます。先日は、我が妹を助けていただき、誠にありがとうございました。」
各々のティーカップに紅茶を給仕してもらっている中で、まずアルバートがマイヨール家としての謝辞をミハイルに伝えた。
「どうかお気になさらずに。アイリーシャ様からも十分な謝辞とお礼の品を頂いているのですから、もうその件での謝辞は大丈夫ですよ。」
真摯に謝意を表明するアルバートに対して、ミハイルはこれ以上の謝辞は不要であると取り成したので、それならばと、アルバートは別の話題に切り替えた。
「ミハイル様は、10年前から王太子殿下の側近をされていますよね。我が国の王太子殿下は傑出した人物と評判ですが、単に貴方達優秀な側近の功績も大きいのではないかと思っています。」
「買い被りすぎです。王太子殿下はとても優秀な方ですよ。」
お互いまだ上辺だけで喋っている。
このような社交辞令を言うだけの為に兄がミハイルを呼ぶはずがないと分かっていたので、このような二人のやり取りをアイリーシャは不思議そうに眺めていた。
すると、アルバートは仕掛けた。
「最近では、王太子殿下主体となってジオール公国との国交を結ぶために尽力していらっしゃるとか。」
ごく当たり前のように、世間話の流れでアルバートの口から重大な機密事項が出たので、ミハイルは思わず飲んでいた紅茶をむせてしまった。
「どこでそれを?!この事はまだ公になってない筈だが?!」
ミハイルは思わず険しい表情になり、アルバートを問いただす。
「御令嬢の観察眼と茶会と称した交流の場での情報交換能力は、恐ろしいものなのですよ。」
対照的にアルバートは、涼しい顔をして飄々とお茶を飲んでいる。
「御自覚無いかもしれませんがミハイル様は御令嬢達にとても人気がおありなので、貴方に心酔している御令嬢達が、貴方を観察してはミハイル様が読んでた本は何であったかとか、最近珍しい食べ物をお召し上がりになるようになったとか、お召し物になっているタイはどこで仕立てたかとか、そう言った事が茶会の場では他愛もない話として広がっているんですよ。」
「待ってくれ、読んだ本とか仕立てたタイはまだ分かるが、食事は家でしか取らないぞ?!何故外に漏れるんだ?!」
「それは、使用人に金を渡せば簡単に教えてしまうのでは?それに献立なんて、メイフィール家の重要機密でも無いでしょう?それくらいならば金銭享受がなくても、ただの使用人同志の世間話としても外に漏れてもおかしくないと思いますよ。」
ミハイルは、アルバートの発言を俄には信じられない、と頭を振った。
そのような様子を見て、アルバートは続ける。
「ある御令嬢は言いました。
“ミハイル様は最近ジオール公国の公用語の本を集めてらっしゃるの。遠い異国の言葉を学ぶなんて、なんて勤勉な方なんでしょう。”
と、それを受けて他の御令嬢も続けます。
“そういえば最近お仕立てになったタイも、ジオール公国産の染糸でお作りになったらしいですわ。私も同じ染糸でリボンを拵えたかったのですがジオール公国とは国交がない為、染糸を入手出来なくて難儀してますの。”
“あら、私も聞きました。最近夕食でジオール公国産のワインを好んで飲んでいらっしゃるとか。私も飲んでみたいのですが取り寄せが出来ないのですよね。”
と、まぁ、ここまで話が出そろえば、ミハイル様が今ジオール公国にご執心なのは簡単に推測出来ますし、他の側近のお二人にも同様の噂が上がれば、王太子殿下の命で事前準備に動いているのだなぁと、簡単に推察できますよ。」
アルバートの説明には矛盾なく、実際今話した事は全て事実であった為、ミハイルは閉口した。
「しかし、貴方はどこでその噂話を……?」
紅茶を一口飲み、幾分か心を落ち着かせてから、ミハイルはアルバートが何故そのような御令嬢達の噂話を知っていたのか尋ねた。
「簡単な事ですよ。ミハイル様程では無いですが、私も御令嬢からは人気がある方なので、お茶会の類にはよく呼ばれるんです。女性ばかりの集まりに顔を出すのを苦手とする男性は多いですが、情報収集の場としては、侮れないのですよ。」
そう言ってアルバートはニッコリと笑ってみせた。
どこの世界でも女性の噂話というのは最強のネットワークなのだ。
「けれどミハイル様はそういった場にはお出にならないようですよね。そう言った話を聞いた事がない。」
「えぇ。立場上交流を持つ人選は慎重にならざるを得ないですし、何より私自身がそういった華やかな場が苦手でしてね。しかし貴重な話を有難うございます。成程、そういった方面での情報収集もあるのですね。」
一連の二人のやり取りを、アイリーシャはハラハラしながら見守っていたが、穏やかに収束しそうな雰囲気になってきたのでホッとした。
しかしそれも束の間。すぐさま兄は次の爆弾を放り込んだのだ。
「それで、我が家はどうですか?交流を持つに値すると判断されますか?」
アルバートは柔かに問いかけてはいるが、お茶会の場に一瞬緊張が走ったのはアイリーシャでも感じ取れた。
そして、一呼吸置いてミハイルは答える。
「そうですね。少し話しただけですがアルバート様が大変優れた策士だとわかりましたし、アイリーシャ様も大変お美しく心優しいお方ですので、是非とも仲良くしていきたいですね。」
彼はアイリーシャの事をチラリと見ると、アルバートに向かって、真剣な目でそう言ったのだった。
これはきっと、彼の本心だろう。
ミハイルの口から自分達兄妹に対しての好意的な言葉を聞けて、この二人を引き合わせたアイリーシャは、やっと心の底から安堵して紅茶を飲めそうだった。
そう思った矢先、アルバートの従者がやって来て、何やら彼に耳打ちをしたのだ。
「失礼、少し席を外します。ミハイル様にお越しいただいてるのに中座となって申し訳ありません。暫くの間、妹と二人で歓談していてください。それからエレノア、君も少しついて来てくれるかな。」
従者からの知らせを受けるとアルバートは立ち上がり、ミハイルに断りを入れてからエレノアを連れて屋敷の方へ戻っていった。
目上の立場である客人を残してまで中座して、更に自分をも連れて行くなんて、一体どんな火急の用事なのかと連れて行かれたエレノアも緊張した。
屋敷の中に入り、庭のテラス席からこちらの様子が見えない位置に来ると、アルバートは歩を止めてエレノアと向き合い、それから彼女に手鏡を渡したのだった。
「十分……いや、十五分位で戻ろうと思うけど、二人の話が盛り上がってる様ならば水を差したくない。この上のサロンで庭を見てるから僕が戻るのに丁度良い頃合いになったらこの手鏡で合図してくれるかな?」
一瞬、何を言われているのか分からずに、エレノアは呆気に取られた。
「アルバート様のご用事というのは……」
「うん?コレが僕の用事だよ。」
悪びれる様子もなく彼は平然と言ってのける。
要は、アルバートはありもしない用事を作ってわざとアイリーシャとミハイルの二人で話す時間を作ったのだ。
目を閉じ色んな言葉と感情を飲み込んで、エレノアはアルバートの命令に従った。立場上断る事は出来ないから。
エレノアは巻き込まれる形でアイリーシャを騙す様な片棒を強制的に担がされたのだった。
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