第35話

 結婚して、シッダールタ王子の妻のヤショーダラは、第一子ラーフラを出産し、シッダルータ王子のその後の三年間は、お城の中で夢の様な、最も人生で幸せとも言える月日を過ごされ、ほとんど何も考えない時期ができたのです。


 王子が十九歳になった時にとある事件が起きました。


 庭園を散歩していた王子は、ある日城の外へ出てみようと思い立ちます。


 ここでは十九歳でこの事件が起きていますが、一説には二十九歳で起きた事件だったとも言われています。


 この物語では十九歳の説を取ってみようかと思います。


 このことは四門出遊と呼ばれています。


「この三年で息子が生まれて、何も考えない時間ができたが城の外というのは果たして今、どうなっているのか。少し外に出てみるとしよう……」


 ある日のこと、王子は、お供をつれて東の門から出られました。途中でシワだらけの老人に出会いましたが、その姿を見て、老いることの現実に驚かれました。


 この男は、王子が出家生活に入って修行を始めるのを待ちわびている神々が作り出した老人の姿であった。


「あの腰の曲がった見るからに衰えた男は誰か?」


「あれは老人です」


「誰でもあのようになるのか?」


「はい、人としてこの世に生を受けた者は、年が経つにつれて必ずあのように老いるのです。長寿をまっとうされるあなた様でも、時が経てば必ず年を取って、あの様に容色が衰え弱ります」


 その言葉を聞いた王子は、自分も老いるのだと考えて心が震えた。


「誰でもこのように老いて容色が醜くなり、気力も衰えて弱るのだ。ところが人は、目の前の老人に対して嫌悪感を抱くだけで、自分もやがては老いてこの様になると言うことに少しも気づかない。自分も老いると言う不安があるのに、どうしてこの様に安閑としていられようか。馬を戻してくれ。王宮に戻る」


 次に神々は、病いに侵された男を王子に見せる様に仕向けた。


 その男は腹が膨れて息も苦しげで青白く、痩せ衰えた体では一人で立っていることもできず、母親らしい人に寄りかかっていた。


 王子は御者に尋ねた。


「あの男はどうしたのか」


「昔は元気で丈夫だったのですが、今は体が不自由になり、病気にかかっているのです」

 

 王子は重ねて尋ねた。


「あの男だけが病気になったのか。それとも誰でもが病気にかかることがあるのか」


「誰でも病気にかかるのです。それがわかっていても、苦痛が少しでも和らぐと快楽を求めてしまうのです」


 この言葉を聞くと、王子はすっかり沈んでしまった。苦しんでいる男を哀れに思ってじっと見つめながら言った。


「病気に苦しむ者を眼前に見ていても、人々は平気でいる。自分もまた病む者であると知れば、どうして心楽しんでいられようか。さあ、宮廷に引きかえそう」


 宮廷に戻った王子はすっかり塞ぎ込んで、ただ一人自室で物思いに沈んでしまった。


 その様子を見た父王は、あれこれと話しかけて王子の気分を変えようと試みたが、無駄であった。そこで父王は、再び王子を外出させる様にした。


 しかし神々は、新たに一人の死者を幻出した。王子は、死んだばかりの男の葬列に出くわしたのである。


「御者よ、一体あれは何か。四人の人に担がれ、付き添う人々は誰も非常に悲しそうな顔をしている。あの行列は何なのか」


「王子様、あれは死んだ人の行列です。いま葬儀を終えて、別れの場所に向かって行列しているのです」


「この男だけに死があるのか。それとも全ての生き物に終わりがあるのか」


「これは全ての生き物の最後の有様です。どんなものでもこの世の中では全てのものが消滅するのです」


 この言葉を聞いて、王子の心は愕然とした。自分も死ぬのだと考えると王子は震えながら言った。


「死ぬということが生きている者全ての行き着く先なのに、人々は平気な顔で生きている。何事も起こらない様な顔で、みんなのんびりと生活しているのはなぜだろう。自分が死ぬということを知った以上、どうして遊んでなどいられようか。場所を戻せ。宮廷に帰ろう」


 それからというもの王子は何を見ても心が満たされず、安らぐことのない日々を送っていたが、やがて心を鎮めるために森を見ようと思い立ち、森の中に入って行くと、木の根元に一人の修行僧が座って瞑想に入っていくのを見た。王子はその修行僧に尋ねた。


「あなたはどなたですか」


 修行僧は答えた。


「私は、生死の問題を解決しようと思い、解脱を求めて出家した修行者です。木の根元、山、森に住んで、心の安らぎと不滅の境地を求め、解脱を望んで修行しているのです」


 王子は、修行者の言葉を聞いて喜びに震え、自らも出家しようという思いが湧き上がった。


「このままでは私は駄目になってしまう……。あの修行僧の様になってこの身を落とし、身分を捨てて出家をしよう」


 そして王子は出家を決意されるのでした……。

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