第32話

 食堂に着くとチカが待ち構えていたかのように出迎えてくれた。


「お、おい……」


 何か気に障ったことでもしたのだろうか?やけにチカの顔が赤いように見える。


「誰だ、その女」


「え、この御方は観音様だよ? 嫌だなあチカ、君もよく知っている仏様だろう?」


 だが、僕の言うことを聞き入る耳はチカは全く持っていない様子だった。


「な、何言ってやがる。ミ、ミロク? お前だけはこんなことをしない男だと思っていたのに……見損なったぞ!」


「あら……」


 すると、観音様の化身?なのかと思われる女性がそれらしい仕草を取って話し始めた。


「私はミロク様の愛人です。あなたはミロク様のお嫁様ですか? まあ、随分と可愛らしいのですね」


「何だって! おい、ミロク。こんな女とどこで知り合ったんだ。俺というものがありながら……このすっとこどっこい! このスケベ! 恥しらず!」


「お願いだから、今すぐ別れろよぉ!」


 いきなりチカが号泣しだした。その涙がボロボロと床に落ちていく。


「チ、チカ。何言っているんだ? この御方は観世音菩薩様だぞ。よく、知っているだろ。ちょ、ちょっと落ち着けよ!」


「アーン、ミロクの女たらしぃぃぃ」


 だ、だめだこれは、どういうことだ?チカがこんなに僕のことを好きでいてくれたなんて……え?ひょっとして僕のことを異性として見てくれていた?ちょっと待ってくれ。そんな訳ない……僕と彼女はただの幼馴染で。……考えが追いつかない、ストップ、ブレーキ、チカ!


「アーン!!!」


 分かった、分かったから。


 僕はチカを満足させようと観音様を軽く蹴ってみるアクションを見せた。


「ほ、ほらどうだ? チカ? この女性はただのストーカーでさっきから付き纏われて困っていただけなんだ。いいかよく考えろ? 愛人だなんて嘘に決まっている。僕が好きなのはチカ一人だけなんだ! そうだ、結婚しよう、チカ! あ、大人になったらだけどな……」


「うん……」


 泣き止んでくれた……僕はほっとして彼女の背中を叩く。


「……はあ」


 観音様が横で呆れていた。合わす顔がない。


 僕は顔を横に背けてチカをただひたすら慰めていた。


 ……。


「すると謙信だったと思っていた人が実は観音様の化身で、そしてこの女性が観音様だったっていうことなんだな? ミロク?」


「ああ、そうだよ……やっと分かってくれたか。この御方は観世音菩薩。悲母観音と呼ばれている仏様だ、チカもよく挨拶しとくんだぞ」


 ……どうしてこうなった。


「えへへ、ミロク。俺というものがありながら浮気なんかはしないって信じてたぞ、さすが俺の男だな!」


 ……僕には他に付き合いたい女性が……。


「なあ、チカ……さっきの約束だけど……」


 誤解は解けたんだしさっきのは嘘……なんてことは言えない雰囲気になってしまっていた。


「ミロク! さすが俺の見込んだ男だな! 観音様とも知り合いだったなんて。俺も知り合いが増えて嬉しいぞ、えへへ」


 ……。


「こんな可愛らしい彼女が居るんだから浮気なんてしてはいけませんよ? ミロク?」


 観音様まで……ああ、もう好きにしてくれ……。何か大切なものを失った僕は意気消沈しながら、三人で仲良く食事を取るのであった。

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