第5話 シャボン玉の少女

 おとなしめぐるは怒り狂うテンシから逃げていた。


 ひとまず路地に入って今はなんとか身を隠せてはいるが、いつ見つかったとしてもおかしくない。テンシは微かに地面が揺れる程の叫び声を上げ、旋に対して明確な殺意を抱きながら彼を探している。


 ――どうして、こんなことになったんだっけ……。


 息を整えながら旋はここまでの経緯を思い返す。


 リツとが無事、ライブハウスへ戻ってきた後。彼女らが助けた転入生の男女と共に、鍵が置いてある職員室へと向かった。そこで二人が向かうべき建物と魔王城は反対方向にあると、奈ノ禍の情報によって判明した。


 奈ノ禍の話を聞いた旋は、このまま全員で行動していては間に合わないと考え、二手に分かれようと提案する。


「二手にって言われても……あーしはリッツーから離れられないよ?」

「まさか旋にぃ……『ジブンは一人で魔王城に向かう』なんて言わないっすよね?」

 の考えてる事が即座に分かったリツは、少し怒り気味に問いかける。


 リツの険しい表情から、肯定すれば絶対に反対されると思った旋は無言で走り出す。当然、リツはのその勝手な行動を許すはずもなく……地面を蹴って、旋の背中に飛びついた。


「一人で行動することがどんなに危険か分かってないんすか!?」

「分かってるけど! 全員で行動してたら間に合わないかもだし!」

「ちょ……二人共、喧嘩してる場合じゃないっしょ!」

 こんな感じで一悶着ありつつも、最終的には意思を曲げなかった旋が単独行動を取る事となった。


「第一ゲームを仕切ってる『恐怖のテンシ』は、自分より弱い相手の事を完全に舐めてる。それからヒトが恐怖する顔を見るのが大好きで、十分に怖がらせてから捕えるなんて悪趣味なコトもする。だからちょこっと怖がるフリをして路地に逃げ込めば、撒くコトだって可能だよ。ただし! かなりプライドが高いテンシだから、絶対に挑発だけはしないコト! ガチギレして追いかけてくるからね!」


 ムスッとしているリツの頭を撫でながら、奈ノ禍はテンシの性格や遭遇した際の対処法を教えてくれた。そのおかげで旋はテンシに見つかっても、なんとか逃げ切れていた、のだが……。


 テンシに襲われている転入生の男の子を偶然、目撃した旋は迷わずその子を助ける選択をした。旋は近くに落ちていた石を勢いよく投げた後、変顔をしてテンシを挑発する。


「おい! テンシ野郎! 勝負しろ! まさか逃げる気じゃないだろうな? この腰抜けテンシ!」

 誰かを挑発した覚えなどない旋は精一杯、ひねり出した言葉でテンシを煽る。


 果たしてこんな見え見えの挑発に乗ってくるのだろうか……。そう不安になったのも束の間、テンシはあっさりと標的を旋へと変更した。


 テンシは棘を地面に刺しながら移動し、確実に旋との距離を詰めていく。

 やばいと思った旋は入り組んだ路地へ逃げ込み、ひたすら走り続け……今に至る。


 ――どうして……うん、全部、ジブンのせいだな……。


 回想を終えた旋は目を閉じ、自分自身の行動に思わず苦笑いを浮かべる。とは言え、どの行動に関しても後悔はないため、気持ちを切り替えて慎重に魔王城を目指す。


 あともう少し。いつの間にか、テンシの声も聞こえなくなった。きっと近くにテンシはもういない。この路地を抜ければ、魔王城の前まで辿り着く。そう思い、路地を出た旋と魔王城の間に、先程のテンシが上空から音もなく降り立った。


 複数の棘と二つのハサミが、旋に向かって伸びてくる。開いたテンシの体から覗く鳥のような顔は……ニタニタと笑っていた。


 全てがスローモーションに見える。正面からだけでなく、横や後ろにも棘が回り込み、旋に逃げ場はない。両親と友人達、出会ったばかりの奈ノ禍や転入生達、最後に笑顔のリツが頭に浮かび、旋は乾いた笑みをこぼす。


「ごめん、リツ……」

 旋がそう呟いた瞬間、複数のカラフルなシャボン玉がテンシ目掛けて飛んできて爆発する。その直前に、旋は地面から出現した巨大な白いシャボン玉に包み込まれ、爆発に巻き込まれずに済んだ。


 棘やハサミを失ったテンシは焦げた体を微かに震わせ、残り少ない羽を消費して回復を試みる。そこに追い打ちをかけるように、飛んできた巨大な黒いシャボン玉がテンシを閉じ込めた。


「ばーん」

 可愛らしい声を合図に、テンシの体は圧力をかけられたようにベコべコにへこみ、最終的にはバラバラになった。それと同時に、黒いシャボン玉が割れ、テンシの残骸が地面に転がる。


 旋が声のした方を見れば、ダークブラウンの髪を菜の花色のリボンでツインテールにした、小柄な少女が立っていた。非常に幼い顔立ちだが、ジャンパースカートタイプの制服を着用している事から、彼女は高校生らしい。


 少女はテンシの残骸から種を拾い上げると、ポケットに仕舞いながら旋の方を見た。そして少女がポンと手を叩くと、旋を包み込んでいた巨大な白いシャボン玉が割れた。


「助けてくれて、ありがとう」

 旋は少女と向かい合うと、お礼を言いながら頭を下げる。すると、少女はなぜか背伸びをして、旋の頭をポンポンと撫でた。


「えっと……」

「あのね、あなたに聞きたいことがあるの。いい?」

「へ……? うん、いいよ」

 旋は戸惑いつつも、中腰になって少女と目線を合わせ、質問を受ける姿勢を見せる。


「わたしね、偶然、見てたの。あなたが男の子を助けるために、テンシをからかっているところ。どうして、お友達でもない子を助けたの?」

「う~ん……正直、見て見ぬふりは出来なかったとしか言えないかな……」

 予想外の少女の質問に、旋は思わず戸惑い、少し考えを巡らせた。しかし、はっきりとした答えが出せず、思わず苦笑いを浮かべる。


「ふ~ん……じゃあもし、さっきの子とあなたの、どちらかしか助けられない時はどうするの?」

 その質問内容に旋は最初、少し驚いて目を見開いた。けれども、少女があまりにも真剣な瞳で問いかけてくるものだから、旋はしっかりと考えた後に答えを口にする。揺るぎない瞳で、少女を見つめ返して。


「あの子には悪いけど妹を助ける。ジブンはヒーローじゃないから、大切な人を優先する。ところで、どうして妹がいるって知って――」

「やっぱり大切な人を助けるよね。答えてくれてありがと。わたしはあくつおと。高校一年生。はいい人そうだからお名前、教えておくね?」

 乙和と名乗った少女に話を遮られ、旋は目をパチクリさせながらも「ありがとう」とお礼を言った後に、『ん……?』と首傾げる。


「妹のことだけじゃなくて、どうしてジブンの名前まで知ってるの?」

の身内だからだよ?」

「へ……それってどういう……」

「あ、そろそろ行かなきゃ。バイバイ、旋くん。また会お?」

「う、うん……またね」


 乙和は不意に何か思い出したように、ぴょこぴょこ飛び跳ねながらその場から離れていく。彼女のあまりのマイペースさに旋は少しばかり困惑しつつも手を振り、小さな背中を見送った。

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