第28話捜査

「んんん…エンヤさん、その足を僕の顔からどけてくれ…息ができねえ……」

「だったらキミの手を離しなさいよ!」

 北辰がエンヤの足に靴下を履かせようとした瞬間、相手の激しい抵抗に遭った。これほど取り乱したエンヤを見るのは初めてだった。

 物心ついて以来、足はエンヤにとって絶対的な秘所だった。

 今この時まで、病で亡くなった母以外、誰にも触れさせたことがない。

「離した!」

 エンヤの足蹴りで目が回りそうになりながら、北辰は慌てて白旗を掲げた。もう少し遅ければ、赤ん坊のような眠りに就かされていただろう。

 ようやく静止したエンヤの顔は赤く染まり、汗で光っていた。自分でも予想しなかった反射的な反応に、少女の羞恥心と子供じみた後悔が絡み合う。複雑な感情を抱えたエンヤは静かに布団で下半身を覆った。

「どスケベ…」

「悪い、異性との接触をそこまで気にするとは思わなくて」

「そういう理由じゃない…君との接触は嫌いじゃない。ただ……」

「ただ?」

 ドンドンドン――

 荒々しい扉の叩き音が二人の曖昧な時間を切り裂いた。同時に威圧的な声が響く。

「城防軍所属の血殺師だ!刺客の潜伏調査をしている。応答ない場合は強制突破する!」

「これからどうする?ロゼッタ兄様にここでの関係を知られたら…」

 エンヤは北辰の腕を軽く揺すった。明らかにエンツェルに二人の関係を察知されることを恐れている。

「待て、慌てるな。方法を考える」

 エンヤの動揺とは対照的に、北辰は冷静だった。すぐに対策を思いつくが、病弱な彼女の身体に負担をかけることになる。

 扉が開かないのを見た血殺師は、学園から借りた特殊令牌をドアノブに押し当て、強制的に部屋へ侵入した。

「おい、何してやがる?」

「見りゃ分かるだろ。入浴中だ」

「すぐ戻れ!」

「はい……」

 北辰は股間をタオル一枚で隠したまま、浴槽から出ようとした左足を引っ込め、再び湯に浸かった。

「上の通達で学園内に血族の刺客が潜伏している。それで我々が来た」

「そうですか、午後からずっと湯船に浸かってましたが…」

「ふん、妙な趣味の小僧だ」

 血殺師二人はベッドに投げ出された身分証の巻物を確認し、室内をざっと見回すと退出した。北辰が急いでドアを閉めた瞬間、青い影が湯の表面から飛び出した。

 真っ赤になったエンヤは淑女の矜持など忘れ、激しく息を吸い込んだ。長く潜水していたためか、それとも別の理由か――本人にしかわからない複雑な事情だ。

「エンヤさんの忍耐力のお陰だ。潜水の才能があるなんて意外だった」

 北辰が着替えながら褒め言葉を述べると、全身ずぶ濡れのエンヤは無表情で彼を見つめ、不意に口を開いた。

「珍しいわね。他人の前であんな姿を見せるなんて」

「今回は緊急事態だ。非常時には非常の手段を」

「はあ……私もびしょ濡れだわ」

「だったら本気で入浴すれば?」

 北辰は新しいバスタオルをエンヤの濡れた頭に投げた。

「まさか北辰さん、この部屋で私を浴槽に誘ってるの?」

「安心しろ。しばらく外出する。君が湯から上がるまで帰らないさ」

「どこへ?」

 どこへでも。

 北辰は独りになりたかった。エンヤとの関係が実を結ばないことを悟っていたからだ。

 王冠の欠片――フレムニアに散らばった欠片を手に入れれば、彼は再びこの地から消える。時御との契約も、この国を離れても履行する方法を見つけるつもりだった。

 部屋を出る北辰の背中に、エンヤは表情を曇らせた。怒りか悲しみか――判別不能な陰りが顔を覆っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る