夕日の中で
『まもなくゴンドラが最上付近に達します――』
ビル群の上に燃える夕日を並んで眺める僕と彼女の耳に、そんなアナウンスの丁寧でいてどこか空々しい声が聞こえてきた。
夕日の色に染まったゴンドラの中。
赤くつぶれる太陽の今日の最後の輝きが、ゴンドラ内に浸透していた冬の夜の冷たい空気をやわらげていく。
僕と彼女。
眺める。
夕日。
そこで赤く焼けた彼女の頭が、不意に僕の肩に触れた。
「手」
寄り添う彼女の手が、僕の手に近づく。
「握っていい?」
訊ねる彼女の顔は見えず、僕は答えるかわりに彼女の手を握った。
「ありがと」
握り返される手の圧力。
熱が生まれる。
熱。
彼女が言う。
「あったかいね」
「うん」
彼女が言う。
「あったかい」
「うん」
「あったかい――」
繰り返される同じ言葉に、僕も繰り返しうなずく。
手を握る。
あたたかい。
熱。
「だから」
彼女が言う。
「ちょっと痛い――」
握る手が熱を持てば持つほど、その優しいぬくもりが痛みとなって僕たちの胸を刺す。
「そうだね――」
気が付けば僕は泣いていた。
彼女も同じく泣いていた。
頬を伝う一筋が、化粧を崩して流れていく。
「痛い」
ぬくもりが欲しかった。
性愛はこりごりだ。
愛だけが欲しかった。
金にならないこんな時間に、性愛もなく手を握るぬくもり。
失ったものが戻ったような錯覚に、きっと僕も彼女も泣いている。
こんな人生を買うことができなかった自分たちの悲しみに、きっと僕も彼女も泣いている。
幸せは金で買えるわけじゃないのに、金がなくて失う幸せは人生にあまりにも多かった。
こんなものは傷の舐め合いだ。ただの慰め合いの時間に過ぎない。
知っているから、
知っているからこそ、
この握り合う手の熱が、
ただ痛い――。
観覧車が夕日の沈むように降りていく。
「沈んじゃう――」
ビル群の稜線を赤く燃やしていた夕日はその陰に徐々に隠れ、やがて紫色の空の下に消えていった。
空に黒が広がっていく。
ゴンドラに冷たく浸透する空気。
僕と彼女は手を離す。
夜が来る。
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