第二章 四


 

「火をつけますのでお待ちください」

 母家をぐるりと周り、父の執務室のある西側の建物へ渡った。気づかれないようこっそりと奥の部屋へ進み、士優は事前に持ってきた焚き火の小さな炎を使って、紙燭に火を灯した。

 ゆらりと頼りない光が、僅かに視界を明るくする。

 足元が覚束無い中、ゆっくりと中へ入る。物の位置は士優が把握していたため、迷いなく奥へと歩いていった。

 棚には本が箱にしまわれた状態で並べられており、一段ずつ見比べ、士優は中でも一番古いであろう箱をを選び、床へ降ろした。

 紙燭を渡された阿嵐は、開けられた箱の中身を覗いてみる。質の悪い紙を使っているのか、どれもだいぶ色あせていて文字も読みにくかった。士優は数冊取り出し底にある本を開いていく。

 目当てのものは見つからない。

「町から仕入れた本ばかりだ……、記録書は別の箱かもしれません」

 元の位置に戻し、今度は隣の箱を降ろす。

「おっと、火が」

 箱を開けた僅かな風に火が揺れる。阿嵐が手をかざし、火が消えてしまうのを防ぐ。

「すみません」

 その時である。軽い足音がこちらへ近づいて来るのを阿嵐は察知した。

 襖の方へ顔を向け、呟く。

「来るな」

「え」

 何が、と問う暇もなく、静かに襖が動き、士優はどきりとした。

 その奥で、一際明るい火が影と一緒に驚いたように揺れた。

「……白露?」

 弱々しい声が返る。

「……士優兄さまですか?……若君さままで」

 近寄って手燭を掲げた白露は、床に座り込んだ二人の姿に目を見開いた。士優も彼女と同じ気持ちで見上げる。何故ここにきたのかと尋ねると、白露は存外困った様子で、

「いえ……少々気になることがありまして、それを調べようと。兄さまと若君さまの方は」

「滝之雪の記録書を探しているんだ。特に巫について書かれているものが欲しくて」

 それでしたら、と白露は手燭を右に向けた。

「こちらの棚にあると思います」

 二つ隣の棚に移動すると、壁際の床に他より頑丈そうな黒い箱が置かれていた。

「どうしてわかるんだ?」

「兄さまの教本をよく持ち出していましたから。ある程度どの棚に何があるかは覚えています。父上はこの箱は大切なものだから、触れてはならないと言っていたので、貴重なものが入っていることは確かです」

「助かるよ、白露」

 炎と闇の合間で、彼女は小さく微笑んだように見えた。

 重い蓋を慎重に動かし、一冊ずつ内容を見ていく。三人がかりで床に本を積み上げ、目当てのものがないかどうか、底が見えるまで漁った。

 書きかけの随筆や趣味程度の和歌など、役に立たないものも紛れていたが、町との取引の記録や行事の手引きなど、それらしきものも多くしまわれていた。

 阿嵐はとある一冊を読み始めていた。無題だったがどうやら中身は日記らしく、字体からして女性であることもわかった。

「士優、これは儀式についても書かれてある。巫の日記かもしれない」

 阿嵐から日記を受け取り、士優は示された箇所を読む。古びた紙は文字が滲み、掠れて読みづらいところはあったが、大まかに内容を読み取る分には支障はなかった。しばらく読み進める。

 その間に別の書物を阿嵐は確認していった。次に見つけたのは、端に寄せられた艶のある箱に入っていた巻物だった。広げるとそこには、あらゆる印がつけられた家系図が描かれている。

 士優の言っていた通り、巫はいとこかはとこの婿が迎えられ婚姻している。とはいえ、大抵の場合はいとこが選ばれ、産んだ子どもが娘一人の時に限りはとこが宛てがわれているようだ。

 そこで阿嵐は気づいた。巫が一代一人なのは知っていたが、それでも女は一代に一人しか生まれていない。まるで娘が生まれるのを目処に終わっているかのようだ。

 男は何人か生まれることはあっても、その逆はない。ついでに、当主となった者は揃って若くして亡くなっている。全体を見ると、この家系図は奇妙な点がいくつもあった。

 女系でありながら当主は巫の夫が務め、巫の兄弟には特に役職は与えられていない。それどころか夫は側室を持ち子を増やしている例もある。実質、家は分家が引き継ぎ、女は本家の血筋と巫を産むために据えられているということだ。

 なんと面妖な。このような相続でよくも何代も続いたものだ。徹底して余計な血を混ぜず、繁栄より巫を優先して受け継がれるように構成されている。非常に閉鎖的で信仰めいた一家だ。

 阿嵐はそっと唾を飲んで巻物をしまった。

 人間は、一度道を踏み外してしまうと、戻り方も忘れどこまでも堕ちていく。この図はそれを如実に表していた。

 一方、士優はようやく日記の中から決定的な一文を見つけ出した。

「『消えた我が母を哀れに思う』……なぜこうなるのかはわかりませんでしたが、確証は得られました」

「それだけでも十分だ。次は当主が書いたものを探して……」

 二人がひそひそと話している横で、白露は別の日記を一冊取り出し、頁を捲っていた。

「……白露?何を読んでるんだ」

 調べものをしたいと言っていた彼女は、具体的に何を知りたくて来たのかは教えてくれていなかった。

 しかし、白露が手にしているのは黒い箱の中にあったものだ。士優はそれに気づいて、顔色をなくした。

 本をひっ掴み表紙の文字を見る。題名はなく、端に初代の名が刻まれているだけのもの。

 これも日記なのだろうか。

「何が書いてあった?」

 不安は消えなかった。白露が何も答えてくれないからだ。

「……呪いが……」

 呪い?

「誰かいらっしゃいますか?」

 はっとして三人は一斉に同じ方向を向いた。白露はすかさず阿嵐が持っていた紙燭を吹き消すと、床に置いていた手燭を持ち上げ、襖の側まで寄った。

「どうかしたの」

 顔が見える程度に襖を開けた白露は、途端に胸を撫で下ろした。書庫に来ていたのは、侍女のこずえである。士優はともかく、阿嵐がここにいることが発覚すれば騒ぎになってしまう。重要な文献が保存されている場所に外部の人間が立ち入ることなど、本来はあってはならないのだ。

「夕餉の運びに来たのですが、いらっしゃらなかったので探しに参りました。やはりこちらだったのですね」

「ああ、ごめんなさい。すぐに行くから、先に戻っていてくれる?」

「承知しました。では」

「……あ、そういえば、父上は執務室にいるの?」

「いいえ?明かりが消えていたので、戻られたのかと」

 ありがとう、と言って侍女と別れ、白露はすり足で彼らの傍に近寄った。

「私たちももう戻りましょう。必要な本は持ち出して構いません。後ほど私がこっそり返しておきます。それ以外の本は早くしまってしまいましょう」

 白露は手にしていた本を袖に入れ、床に積まれた本を丁寧に箱へ戻していった。

 それをしきりに気にしながらも、士優は二冊ほど抜き取ってから中身を元通りにした。底が見えていた分、全てを綺麗に片付けるのに手間取ったが、何とか蓋を閉めて三人は書庫を出た。

「私は先に帰らせていただきます」

 紙燭に火を分けると、白露は恭しく頭を下げ、裾を引きずりながら去って行った。

「……気づいたと思いますか」

「さあ。あれに何が書かれていたのか知らないのでな」

 巫についての手記があれば真実に辿り着いてもおかしくない。だが白露が見ていたのは初代当主の日記らしきものだった。

「なぜ俺たちと似たものを探して……」

「思うところがあったのだろう。当事者なのだから根源を探りたくなるのは当然だ」

「でもそんなことをされたら気づいてしまうかもしれない……」

 阿嵐はぺたりぺたりと歩き出す。

「俺が全てを祓う頃にはわかることだ。気づいたらその時と思え」

 それとも、と阿嵐は振り返る。

「妹を支える覚悟がないのか?」

 あまりにも彼の言葉は正鵠を得ていて、士優は何も返せなかった。肝心なところでいつも気が弱くなってしまうのが士優の大きな欠点だった。口ではいくらでも兄らしいことは言えても、繊細な場面になると極端に敏感になり、触れるのを恐れてしまう。これまでも士優は、そういったことを無意識に避け、今のように踏みとどまることが何度かあった。

「そんな……」

 人の心が壊れるところを、もう見たくはなかった。

 誰かが悲しむ姿も、傷つく姿も、見なくて済むのなら、自分がいくら苦労しても構わなかった。

 それが自分の心を守るためでもあるのだから。

「お前も同じように辛い思いをしてきたのだ。それ以上に白露の君が悲しむことになったとしても、互いを慰め、分かち合えばいい。悲しみを知らなければいいのではない。荒んでしまった心の波をどうやって沈め、どうやって受け入れていくかを何度も考えて行き、そうやって人は心を癒していくのだ」

 士優にはそれが必要だった。

「幸い、お前には二人も弟妹がいる。支え合うには十分だろう」

 阿嵐は背中を軽く叩いた。

 賢優と白露の顔を思い浮かべる。

 唇が僅かに震え、奥歯を噛み締める。士優は黙って、頷いた。

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