第二章 戦奴の城邑①

 ──大地がうなるような、それでいて母の胎内を思わせる遠いざわめきが、絶えず寄せては返す。広すぎる場所が怖くて眠れずに泣き出すと、丸くひんやりとしたふたつの玉を両の手に持たされ、女の優しい声が子守うたを唄ってくれた。

 阿古の里ではないその場所の夢を父に話すと『それはおまえのご先祖さまが海に生きていたときの記憶だよ。何代も前のことを思い出せるのは、おまえにはのちからがあるんだろうなぁ。だけどひとには言うんじゃないぞ。神子なんぞに選ばれたらきん師になれないからな』と笑顔で教えてくれた。

 そして、その大地の唸るような音は『しおさい』というものだとも付け加えた。

 その潮騒と女、あおみどりのふたつの玉が、自分の記憶ではなく先祖のものだという説明が真実ではないことを直感しつつも、隼人は父の言葉を信じることにした。

 隼人は、大好きな父や兄と同じ、冶金師になると心に決めていたのだから──


 異郷のむらで目を覚ました隼人は、両手で顔を覆った。まぶたの下にまっていた涙をこすりとり、見慣れないすすけた天井を見上げる。

 夜半の訪問者と明け方の夢は、封印された過去と、身元の知れない自分を引き取り、兄妹と分け隔てなく育ててくれた父母への思慕を掘り起こす。しかし、感傷に浸る間もなく、伏屋の扉が開かれ、戦奴の怒鳴り声が捕虜のこどもたちをたたき起こした。

 隼人たちは少人数ごとに分けられ、邑の仕事を割り当てられた。年下のこどもたちと水運びを命じられた隼人は、邑の谷側に引かれた用水路へみずがめを背負って行った。

 広場へさしかかると、突然、土煙と怒号とともに人間が隼人たちのほうへ飛ばされてきた。勢いが止まり、抱えこんでいた剣を右手に立ち上がったのは、昨日の少年剣奴、鷹士だ。驚いて立ちすくむ隼人たちに注意を払うこともせず、ふたたび広場に駆け戻り、先ほどかれをり飛ばしたらしい相手に向かっていった。

 銅剣を手にから胴巻き、すねあてなど完全装備で鍛錬をしているのは、十人の男たち。剣のやいばには革を巻いてあるが、まともに当たれば無事ではいられないことくらい、隼人にもわかる。

 打ち込まれる剣をかわしたり、受け流したりするときにできる、わずかな隙を狙って繰り出される蹴りや突きを、腕の防具で受け止めるたびに、体重の軽い鷹士は簡単にはじき飛ばされてしまう。

 昨日の賊の襲撃が、こどものつたないけんに思えてくるほどの厳しい訓練だった。

 立ち止まって剣奴たちの訓練を見物していると、隼人たちに仕事を割り当てたむさ苦しいひげの戦奴が追いついてきて怒鳴りつけた。

 隼人は水瓶の重さにゆっくりと足を運びながら、ひげづらの戦奴にかれらも剣奴かとたずねる。戦奴は馬鹿げた質問だというように、鼻を鳴らしてそうだと答えた。

「剣奴と戦奴ってどう違うんだ」

「戦奴でもうんと強いやつが剣奴に選ばれるのさ。年にいちど、腕に覚えのある戦奴が津櫛のるのくら様の前で戦う。それで最後まで勝ち残ったら剣奴になれるんだ」

「あの、鷹士ってやつも最後まで勝ち残ったのか?」

 隼人は驚いてき返した。あんなにポンポン投げ飛ばされているのに、何人の剣奴候補を負かしたというのだろう。

「鷹士は特別だ。あいつは生まれ落ちたときから剣奴だよ。母親が剣奴だったからな。歩き始めたときには、もう剣を握っていたって話だ」

「女の剣奴?」

 隼人は思わず驚きの声を上げた。

「海の向こうの、カラって国から来た戦族の女だって話だ。実際、鷹士があんな小さい体でもおとなと互角に戦えるのは、母親から剣技や体技を習ったかららしい」

 隼人は噂好きらしい戦奴の赤い鼻を見上げた。白い筋が交じる、ぼさぼさの髪は何年もくしを通したようすはなく、近づくとしらみをうつされそうで隼人は少し離れて歩いた。

「ここは津櫛邦なんだろ」

「ああ、その東の端っこの戦奴邑だ」

 ひげづらの戦奴は音を立ててはなをかみ、手についた鼻水を手近の木の幹にこすりつけて、そう答えた。そして、炊き場の八つのおおがめが全部いっぱいになるまで水を運び続けるようにと、念を押して走り去った。

 工房で使う鋳型用の石や砂を運ぶ仕事を手伝っていた隼人でさえ、水の入った水瓶の重さと、肩に食い込む縄の痛みは耐えがたい。年下のこどもたちはいちどに運べる水の量が少なく、炊き場の大甕をすべて満たすのに正午までかかった。

 午後は腕が上がらなくなるまでわらを叩かされ、手の皮がむけるまで縄をう仕事をやらされた。それは隼人のいた里では、農奴の仕事だった。

 夜になって、こどもたちはそれぞれ集めてきた情報を交換しあった。

「ここは、戦奴のむらだそうだ」

 最年長のサザキが口を切る。

「じゃ、おれたちは戦奴にされちまうのか」

 暗がりから問い返す声がする。

「いや、やつらはおれらをぞうと呼んでた」

「ひえ、農奴よりも下じゃねぇか」

 年長のひとりが吐き捨てた。農奴はまだ自分たちの家や道具を持てるが、雑奴はなに一つ所有することはない。ただその日に口に入れる食べ物をうために、農奴ですら避ける仕事を黙々とこなすのだ。

 さらに、邑の北に内さくで囲まれた、奥のくるわ近くの仕事を割り当てられたこどもたちが、昨夜のくすがここのむらおびとの娘で、津櫛では名の知れた医薬の師であることも話した。

 身分の高い女性であるが、自ら病人のもとへ足を運び、重傷の戦奴の傷にも触れて治療をするというので、邑びとや近隣の里びとたちからもあつく敬われているという。

 史人はひどく疲れたようすで、こどもたちの情報交換に興味を示すことなく、早々に横になる。

 隼人は史人の枕元によって、声をかけた。

「戦奴に殴られたって、聞いたけど。痛むのか」

 史人は首を弱く横にふって、背中を丸めてひざを抱えるようにして眼を閉じた。

 同じ土砂運びの仕事を割り当てられた仲間の言うことには、なかなか新しい仕事がみ込めないのが殴られた理由だという。

 史人は動きが遅く手先が不器用で、体を使う仕事は苦手なのだ。しかも、ひとの多い場所が嫌いで、げきの見習いなのにひとびとの群れ騒ぐ祭りが嫌いだった。教えられたことを記憶することしか能のない子と、里のおとなたちに噂されていた史人に、荒くれ男たちがつねに争い騒いでいるこの邑で、つらい力仕事が続けられるとは思えない。

 このままでは史人はいびり殺されかねないと、隼人は心配になる。せめて、影すだまのようにあざをでるだけで、史人の痛みを吸い取れたらいいのにと思う。

「隼人、寝かしてやれよ」

 やるせなく史人のそばから離れずにいる隼人の肩を、サザキがポンと叩いた。

「おれらだって、史人がやられるのを黙って見ていたわけじゃない。余裕のあるやつが史人を手伝ったり、史人に目をつけてる戦奴が来たら、見つからないようにみんなで囲んだりはしているんだ。うまくいかないときの方が、多かったけどさ」

 サザキも、頰やももに青あざを作っている。理由を訊いても教えてはくれなかったが、史人をかばって打たれたのだろうか。

「おれ、何の役にも立てなくて」

 隼人は高ぶる感情を押さえつけるのに精いっぱいで、それ以上言葉が出てこない。

「あいつらの方がおとなで強い。おれたちはなんの力もないガキなんだから、仕方がない。しかも隼人はすぐムキになるから、おれたちといたところで騒ぎを大きくするばかりだ。もっと背が伸びてあいつらに対抗できるようになるまでは、我慢しろ」

 こどもたちは、それまでしゃべっていた誰かが口を閉ざしたとたん、つぎつぎと深い眠りに落ちてゆく。

 水みの仕事に慣れると、空いた時間にまきを運んでおくという仕事が増やされた。日中のうちに休むことができるのは、食事のかゆをのどに流し込むときだけだ。藁や麻、穀類を叩く仕事は座れるが、こどもには重すぎるきねつちを使い続けたために、てのひら肉刺まめができてはつぶれ、肩はれて夜には腕を上げることもできなくなる。

 午後の広場では、戦奴たちがそうじゆつや弓の練習をしている。十四歳以上の少年たち──阿古だけでなく、近隣から連れてこられたこどもたちもいた──はこの時間に集められ、武器の手入れや基本的な構え、型などを習い始めている。さらわれてきて無理やり戦奴にされるというのに、夕食後に棒切れをやりや剣に見立てて鍛錬を始めるものもいた。十五までに戦奴に選ばれなければ、一生を雑奴のままで終わるか、農奴にされて他の邑や里へ送られてしまうからだ。

 サザキや他の年長のこどもたちはともかく、そもそも争いごとの嫌いな史人は訓練についていけず、気の荒い戦奴につらく当たられ、日に日に青アザを増やし、ますます口数が減ってゆく。

 阿古の里にいたころは、周囲と毛色の異なる隼人を気にかけ、親切にしてくれていた史人が、神子の異能のかされないこの邑では、役立たずとののしられている。隼人はどうすることもできない自分が腹立たしかった。


 やがて、梅雨に入った。早朝の肌寒さと、昼の蒸し暑さに体調を崩すこどもたちも多く、そのしわ寄せは丈夫な年長の少年たちにくる。

 ある日の夕食どきのこと。湯気の立つ大炊き甕がいくつも並ぶ炊き場で、わんを持ったこどもたちの行列に、六人の若い戦奴が割り込んだ。

 戦奴は雑奴より先に食事をとるのが普通なのだが、邑外での仕事が長引いて、帰りが遅くなったものらしい。割り込まなくても、気の利いた年長の雑奴が声をかけて戦奴に場所を譲ればすむことだ。しかし、雑奴たちが場所を空ける前に、戦奴のひとりが史人を指さして叫んだ。

「おい、だんまりの役立たずがいるぜ」

「仕事もろくに覚えないくせに、飯は一人前に食うのか」

 あざけりながら近づいてきて、史人が手に持っていた椀を取り上げ放り投げる。

 自分たちよりも立場の弱い者をいたぶるのは、下っ端の戦奴にとっては娯楽であった。上位の戦奴からも見放されている史人をなぶったところで、気にかける者はいない。

 史人は頭を抱えて下を向き、小突き回されてもまったく反応しない。列のうしろに並んでいた隼人は、憤慨して飛び出したが、その腕をサザキがとらえて引き戻した。

「だめだ。やつらに逆らうと、もっとひどいことになる」

「だからって、ほっとけないだろっ」

 とがめるような隼人のひとみから眼をらし、サザキは口ごもりながら言い訳した。

「おまえは初めて見るから、わからないんだろうけど、下手にかばうと、あとでもっとひどい目に遭うのは史人なんだ。このごろじゃ、他の邑や里からきたやつらまで史人に嫌がらせをしてる。とにかく、問題を大きくしないほうがいい」

 戦奴のひとりが史人を突き飛ばして転ばせ、その頭を蹴ろうとした。隼人はサザキの手をふり払って飛び出し、体を投げ出して史人をかばった。戦奴の足が隼人の顔や背中を蹴り、慌てたサザキがその戦奴の背中にとびついてうしろに引きずりたおした。

 最年長のサザキが動いたことで、阿古から連れてこられたこどもたちも加わって、史人に乱暴を働こうとした戦奴たちに群がる。

 炊き場は騒然となった。いつの間にか、阿古出身でないこどもたちも、つらい仕事で溜まったうつくつや理不尽な八つ当たりに対するうらみを晴らそうと、戦奴たちに椀を投げつけたり怒鳴ったりし、年かさのものは乱闘に加わり、騒ぎは大きくなっていった。

 この隙に戦奴たちから逃れようと、史人を抱えるようにして炊き場から抜け出した隼人とサザキの前に人影が立ちはだかった。

「なんの騒ぎだ」

 サザキも史人も、じぶんたちと同じ年頃とは思えない威圧的な鷹士の声に、うなだれるばかりだ。業を煮やした隼人が口を開いた。

「戦奴たちが史人を理由もなく殴ったんだ」

「いつものことだろう。あいつらは自分より弱いやつらにしか威張れない」

 にべもなく言ってのけると、鷹士は一歩踏み出した。手近にあった瓶を持ち上げ、乱闘中の戦奴や雑奴にいきなり水を浴びせかける。

 文字通り水をさされた炊き場の騒乱は治まった。入り口に立てかけてあった槍をつかみ、ぼうぜんとする集団の中に飛び込んだ鷹士は、槍の柄を回転させて乱闘に加わっていた者たちを叩きのめした。調理台の上に飛びのり、刺すように鋭い眼であたりを見回す。

「誰が始めた」

 それほど大きくも野太くもない鷹士の声だが、物騒な響きのこもったその問いに、炊き場はしんと静まり返った。槍の柄で鷹士に顔を殴られた戦奴のひとりが、鼻血をおさえつつあたりを見回し、隼人たちを指さして「あいつらだ!」と叫んだ。

 鷹士は隼人たちをいちべつすると、史人をなぶっていた戦奴たちに視線を戻した。

「お前らも、おれについて来い」

 有無を言わせない圧力がこもっていた。

 鷹士がいまだ髪を結わない未成年者であろうと、剣奴である以上、戦奴が逆らうことはできない。六人の戦奴たちは、槍の柄で殴られた顔や肩をさすりながら、しぶしぶと鷹士のあとに従った。

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