第二章 戦奴の城邑①
──大地が
阿古の里ではないその場所の夢を父に話すと『それはおまえのご先祖さまが海に生きていたときの記憶だよ。何代も前のことを思い出せるのは、おまえには
そして、その大地の唸るような音は『
その潮騒と女、
隼人は、大好きな父や兄と同じ、冶金師になると心に決めていたのだから──
異郷の
夜半の訪問者と明け方の夢は、封印された過去と、身元の知れない自分を引き取り、兄妹と分け隔てなく育ててくれた父母への思慕を掘り起こす。しかし、感傷に浸る間もなく、伏屋の扉が開かれ、戦奴の怒鳴り声が捕虜のこどもたちを
隼人たちは少人数ごとに分けられ、邑の仕事を割り当てられた。年下のこどもたちと水運びを命じられた隼人は、邑の谷側に引かれた用水路へ
広場へさしかかると、突然、土煙と怒号とともに人間が隼人たちのほうへ飛ばされてきた。勢いが止まり、抱えこんでいた剣を右手に立ち上がったのは、昨日の少年剣奴、鷹士だ。驚いて立ちすくむ隼人たちに注意を払うこともせず、ふたたび広場に駆け戻り、先ほどかれを
銅剣を手に
打ち込まれる剣をかわしたり、受け流したりするときにできる、わずかな隙を狙って繰り出される蹴りや突きを、腕の防具で受け止めるたびに、体重の軽い鷹士は簡単に
昨日の賊の襲撃が、こどものつたない
立ち止まって剣奴たちの訓練を見物していると、隼人たちに仕事を割り当てたむさ苦しいひげの戦奴が追いついてきて怒鳴りつけた。
隼人は水瓶の重さにゆっくりと足を運びながら、ひげづらの戦奴にかれらも剣奴かと
「剣奴と戦奴ってどう違うんだ」
「戦奴でもうんと強いやつが剣奴に選ばれるのさ。年にいちど、腕に覚えのある戦奴が津櫛の
「あの、鷹士ってやつも最後まで勝ち残ったのか?」
隼人は驚いて
「鷹士は特別だ。あいつは生まれ落ちたときから剣奴だよ。母親が剣奴だったからな。歩き始めたときには、もう剣を握っていたって話だ」
「女の剣奴?」
隼人は思わず驚きの声を上げた。
「海の向こうの、カラって国から来た戦族の女だって話だ。実際、鷹士があんな小さい体でもおとなと互角に戦えるのは、母親から剣技や体技を習ったかららしい」
隼人は噂好きらしい戦奴の赤い鼻を見上げた。白い筋が交じる、ぼさぼさの髪は何年も
「ここは津櫛邦なんだろ」
「ああ、その東の端っこの戦奴邑だ」
ひげづらの戦奴は音を立てて
工房で使う鋳型用の石や砂を運ぶ仕事を手伝っていた隼人でさえ、水の入った水瓶の重さと、肩に食い込む縄の痛みは耐えがたい。年下のこどもたちはいちどに運べる水の量が少なく、炊き場の大甕をすべて満たすのに正午までかかった。
午後は腕が上がらなくなるまで
夜になって、こどもたちはそれぞれ集めてきた情報を交換しあった。
「ここは、戦奴の
最年長のサザキが口を切る。
「じゃ、おれたちは戦奴にされちまうのか」
暗がりから問い返す声がする。
「いや、やつらはおれらを
「ひえ、農奴よりも下じゃねぇか」
年長のひとりが吐き捨てた。農奴はまだ自分たちの家や道具を持てるが、雑奴はなに一つ所有することはない。ただその日に口に入れる食べ物を
さらに、邑の北に内
身分の高い女性であるが、自ら病人のもとへ足を運び、重傷の戦奴の傷にも触れて治療をするというので、邑びとや近隣の里びとたちからも
史人はひどく疲れたようすで、こどもたちの情報交換に興味を示すことなく、早々に横になる。
隼人は史人の枕元によって、声をかけた。
「戦奴に殴られたって、聞いたけど。痛むのか」
史人は首を弱く横にふって、背中を丸めて
同じ土砂運びの仕事を割り当てられた仲間の言うことには、なかなか新しい仕事が
史人は動きが遅く手先が不器用で、体を使う仕事は苦手なのだ。しかも、ひとの多い場所が嫌いで、
このままでは史人はいびり殺されかねないと、隼人は心配になる。せめて、影すだまのようにあざを
「隼人、寝かしてやれよ」
やるせなく史人のそばから離れずにいる隼人の肩を、サザキがポンと叩いた。
「おれらだって、史人がやられるのを黙って見ていたわけじゃない。余裕のあるやつが史人を手伝ったり、史人に目をつけてる戦奴が来たら、見つからないようにみんなで囲んだりはしているんだ。うまくいかないときの方が、多かったけどさ」
サザキも、頰や
「おれ、何の役にも立てなくて」
隼人は高ぶる感情を押さえつけるのに精いっぱいで、それ以上言葉が出てこない。
「あいつらの方がおとなで強い。おれたちはなんの力もないガキなんだから、仕方がない。しかも隼人はすぐムキになるから、おれたちといたところで騒ぎを大きくするばかりだ。もっと背が伸びてあいつらに対抗できるようになるまでは、我慢しろ」
こどもたちは、それまでしゃべっていた誰かが口を閉ざしたとたん、つぎつぎと深い眠りに落ちてゆく。
水
午後の広場では、戦奴たちが
サザキや他の年長のこどもたちはともかく、そもそも争いごとの嫌いな史人は訓練についていけず、気の荒い戦奴につらく当たられ、日に日に青アザを増やし、ますます口数が減ってゆく。
阿古の里にいたころは、周囲と毛色の異なる隼人を気にかけ、親切にしてくれていた史人が、神子の異能の
やがて、梅雨に入った。早朝の肌寒さと、昼の蒸し暑さに体調を崩すこどもたちも多く、そのしわ寄せは丈夫な年長の少年たちにくる。
ある日の夕食どきのこと。湯気の立つ大炊き甕がいくつも並ぶ炊き場で、
戦奴は雑奴より先に食事をとるのが普通なのだが、邑外での仕事が長引いて、帰りが遅くなったものらしい。割り込まなくても、気の利いた年長の雑奴が声をかけて戦奴に場所を譲ればすむことだ。しかし、雑奴たちが場所を空ける前に、戦奴のひとりが史人を指さして叫んだ。
「おい、だんまりの役立たずがいるぜ」
「仕事もろくに覚えないくせに、飯は一人前に食うのか」
自分たちよりも立場の弱い者をいたぶるのは、下っ端の戦奴にとっては娯楽であった。上位の戦奴からも見放されている史人をなぶったところで、気にかける者はいない。
史人は頭を抱えて下を向き、小突き回されてもまったく反応しない。列のうしろに並んでいた隼人は、憤慨して飛び出したが、その腕をサザキが
「だめだ。やつらに逆らうと、もっとひどいことになる」
「だからって、ほっとけないだろっ」
「おまえは初めて見るから、わからないんだろうけど、下手にかばうと、あとでもっとひどい目に遭うのは史人なんだ。このごろじゃ、他の邑や里からきたやつらまで史人に嫌がらせをしてる。とにかく、問題を大きくしないほうがいい」
戦奴のひとりが史人を突き飛ばして転ばせ、その頭を蹴ろうとした。隼人はサザキの手をふり払って飛び出し、体を投げ出して史人をかばった。戦奴の足が隼人の顔や背中を蹴り、慌てたサザキがその戦奴の背中にとびついてうしろに引きずりたおした。
最年長のサザキが動いたことで、阿古から連れてこられたこどもたちも加わって、史人に乱暴を働こうとした戦奴たちに群がる。
炊き場は騒然となった。いつの間にか、阿古出身でないこどもたちも、つらい仕事で溜まった
この隙に戦奴たちから逃れようと、史人を抱えるようにして炊き場から抜け出した隼人とサザキの前に人影が立ちはだかった。
「なんの騒ぎだ」
サザキも史人も、じぶんたちと同じ年頃とは思えない威圧的な鷹士の声に、うなだれるばかりだ。業を煮やした隼人が口を開いた。
「戦奴たちが史人を理由もなく殴ったんだ」
「いつものことだろう。あいつらは自分より弱いやつらにしか威張れない」
にべもなく言ってのけると、鷹士は一歩踏み出した。手近にあった瓶を持ち上げ、乱闘中の戦奴や雑奴にいきなり水を浴びせかける。
文字通り水をさされた炊き場の騒乱は治まった。入り口に立てかけてあった槍をつかみ、
「誰が始めた」
それほど大きくも野太くもない鷹士の声だが、物騒な響きのこもったその問いに、炊き場はしんと静まり返った。槍の柄で鷹士に顔を殴られた戦奴のひとりが、鼻血をおさえつつあたりを見回し、隼人たちを指さして「あいつらだ!」と叫んだ。
鷹士は隼人たちを
「お前らも、おれについて来い」
有無を言わせない圧力がこもっていた。
鷹士がいまだ髪を結わない未成年者であろうと、剣奴である以上、戦奴が逆らうことはできない。六人の戦奴たちは、槍の柄で殴られた顔や肩をさすりながら、しぶしぶと鷹士のあとに従った。
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