5
× × ×
駆けつけた時には、大上は既に血溜まりの中で事切れていた。よほど怨み深かったのか、包丁で体中を滅多刺しにされていた。すぐ近くに見知らぬ男性も倒れており、そちらも首から血を流して息絶えていた。自分は走って乱れた息を整えてから110番を押した。
彼が図書準備室を出て行った後に気がついた。準備室のテーブルの上にぽつんと置かれた『オオカミ少年』の絵本。イソップ童話に記された寓話で、嘘吐きな少年は事あるごとに「オオカミが出た」と叫んで村人を脅かすが、ある日本当にオオカミが村に来てしまう。少年は必死に村人に訴えるが、嘘を重ねてきたせいで誰にも信じてもらえず、結果として村で育てていた羊が全て食べられてしまう――
ピノッキオだけでない。彼はオオカミ少年の忌書にも呼ばれたのだ、と察した。学校の図書室にまで忌書があるのは予想外だった。曰くを知らぬまま寄付されたのだろう。
忌書は故人の未練が遺った本が殆どだ。大概は同調した人物に同じ運命を辿らせる。特異な目が読み取った記憶では、どちらの忌書も以前の持ち主は嘘を吐き続けたことを悔いて亡くなっている。このままでは取り返しのつかないことになると直感が告げていた。
急いで大上の後を追ったが、彼は午後の授業を全てボイコットしていたため、放課後になっても会う機会はなかった。大上のクラスメイトに訊ねると、HRが始まる前にふらりと教室に現れてカバンを回収、さっさと帰ってしまったと言う。
その後の足取りを探るために彼のアカウントを確認した。大上はかなりのSNS中毒で、バズり狙いのデマ投稿の他に自身の行動も逐一垂れ流している。嫌な予感は的中した。最新の投稿が目に留まった。
『刃物持ったイカれた奴に追われてる。助けて』
刃物を持った奴、とやらが狼にあたる人物だろう。彼は嘘を吐き続けて誰にも信頼されなくなった少年であり、命を脅かされる羊でもある。すかさず個別チャットでメッセージを送り、どうにか合流を試みた。大上は一人でも自分を信じる者がいて油断したのだろう。それが彼の、文字通りの命取りとなった。
サイレンの音が近づいてくる。二つの亡骸を前に、己の無力さを噛み締めていた。
× × ×
警察の事情聴取も終わり、自宅代わりの〈ゑにし堂〉に帰り着いた頃には、すっかり陽も暮れて街は夜の帳に包まれていた。
「遅くなってごめんなさい」
「どうした? 元気がないな」
出迎えた、あの日から変わらない恩人さんの姿に安堵する。気が弛んだはずみに、必死に堪えていたものがぽつりと零れた。
「同級生が忌書に呼ばれて、結局死んだ。忠告もできたはずなのに、何もしてやれなかった」
脳裏に蘇る親友の死の記憶。他人とは違う力を持ちながら、大事な時に役に立てない。自分の力は何のためにある?
「なあキミ、少し店に立たないか」
しばし黙した恩人さんの口から飛び出したのは、思いもよらぬ提案だった。
「私も丁度人手が欲しくてな。この機会に忌書や人との付き合い方を学ぶといい」
暗闇に一筋の光が射したようだった。この人はいつも、無力に苛む自分に新しい道を示してくれる。閉鎖された村で育った自分には知らないことが多すぎる。自分の力と向き合うためには人を、忌書を知ることから始めなければならない。
「わかった。よろしくお願いします、恩人さん」
「その呼び方はむず痒いから止してくれ、客に驚かれるだろう。今度はキミが私の呼び名を考える番だ」
「はい」
こうして、ゑにし堂に一人の従業員が増えた。
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