第32話

「その処罰は甘すぎると思います」

 侯爵邸に戻った侯爵と書斎のソファに侯爵と向き合ったカインは、悔しさに拳を握り締め唇を噛んだ。

「お前はよくやっている。それは陛下のみならず他の貴族も認めている。今回の件は――お前のせいではないんだ」

「いいえ。それでも制御を誤ったのは自分の未熟さです」

 予想通りの返答に、侯爵は内心で苦笑いした。

 調査の結果が出ていないが、結果的にカインの魔力で首都の結界が壊れた事は事実だ。

 あの場の貴族達を納得させるために、王はカインに30日の蟄居と、60日の減給を命じるよう侯爵に伝えた。

「こっちにおいで」

 侯爵は優しい口調でカインに、自分の隣に来るよう促した。

「ティン=クェンと口論になったって?私がちゃんとお前に言ってなかったせいだね。悪かった」

 侯爵の大きくて温かい手が、カインの肩を抱いた。

 子供の頃からカインが落ち込んだり、悲しんだりしているといつもこうしてくれる。

「父上!違います。冷静に考えていればもっと早く気付く事ができたのに、目先しか見ていなかった私が未熟だったのです」

 カインは自分の不甲斐なさに、頭が上げられなかった。

 久しぶりに感じる父の温もりは、懐かしさと安堵を与えてくれる。

 だが、甘えてはいけない。自分はもう大人なのだ。

「お前が一人でも大丈夫だと安心しすぎていた私の落ち度だ。よく考えたら私がお前ほどの年の頃はもっと子供だった。大人になってからもアルティシアにはよく怒られたものだ」

 久しぶりに聞く夫人の名前に、カインは胸の奥が熱くなるのを感じた。追慕の情ではない、黒い熱がじわりとカインの胸に広がる。

 カインの肩を抱いていた温かさが、急速に失われていくのを感じた。

「カイン――今までお前を一人にしていた私を許してくれるか」

 侯爵の言葉にカインは我に返り、侯爵の胸から顔を上げた。

「父上の責任ではありません。私の未熟さが招いた結果です。父上は私を信頼して任せて下さっていただけじゃないですか」

 カインは、身じろぎして侯爵に向き合うと、自分の肩に置かれていた手を握り、その甲に口付けした。

「それに――私は父上に謝らねばなりません」

「例の女性の事か」

 侯爵は優しい表情を変えず、しかし目の奥は冷静な光で頷くカインを見つめた。

 カインとて、侯爵がイレリアの話を聞いていないわけがない事はわかっていた。

 だが、今まで侯爵が何も言ってこないのをいい事に報告もせず、好き勝手していたのは事実だ。

 カインは急に自分が恥ずかしくなって、膝の上で小さく拳を握った。


「薬師見習いはエスクード侯爵家の恩人だ」

 侯爵が二人の間に流れていた気まずい沈黙を破り、カインは驚いて侯爵を見た。

「嫡男であるカインの命を救ったのみならず、騎士隊の二人の命まで救った。わが侯爵家は薬師見習いの恩に報いる為に、彼の方の後見人となり、相当の身分を与えることにした。今は、行儀見習いのため身柄を引き受けている――何を謝る必要がある」

「父上……それはつまり」

 侯爵は黙ってカインを見つめると、立ち上がり呼び鈴を鳴らしてアレッツォを呼んだ。

「薬師見習い――イレリア嬢も侯爵家に慣れた頃だろう。そろそろ教育を始めてはどうだ」

「――はい。教師については選定が済んでおります」

 アレッツォが恭しく礼をすると、侯爵は軽く頷いてカインに視線を移した。

 カインはまたも父が自分のすべてを掌握し、常に先手を打っていた事を理解して膝の上で拳を強く握りしめた。


 カインは子供の頃から、明るく利発で勉強も剣術も魔力制御の訓練も卒なくこなす子だった。

 複雑な環境にいたにもかかわらず、大した反抗もなく素直にのびのびとした性格に育っていた。

 見た目こそ妻に生き写しだったが、性格は自分にも妻にも似ていなかった。

 だからこそ、より愛しいと思っていた。それは今も変わらない。

 侯爵は窓の外を見た。

 すっかり夜が更けた庭園は、月明かりが白く反射して、まだ秋だというのに、雪に覆われているようにも見えた。

 10年経っても思い出してしまう。妻の亡くなった日のことを。

 唯一の忘れ形見として大切に守り育てた息子は、人が変わったようにあの薬師見習いに没頭している。

 愛することが悪いわけではない。身分の問題でもない。

 立場を忘れ、後先を考えない行動が問題なのだ。

 あの子は慎重で注意深く、思慮深い性格だったのになぜ……

 いつものカインであれば、あの程度のことなどもっと早くに気が付いていただろうし、魔力の注入の際に考え事などして心を乱したりはしない。

 これが恋の病のせいだと言うのなら簡単だ。薬師見習いをカインの愛妾と認め、関係を続けさせればいい。

 しかし、話はそれだけなのだろうか。

 カインはこれまでジルダを疎ましがっていても、必ず尊重していた。

 ジルダと口論になることはあっても彼女を傷つけようとして行動したこともなければ、彼女の名誉が傷つくことを厭っていた。

 ロメオの事も、子供の喧嘩こそは何度もあったが、現在では従兄弟でもありお互い次期侯爵という立場から、常に理知的な態度で接していたというのに――ロメオの報告ではまるで子供に戻ったかのような態度だったと言う。

 これが何を意味しているのか。

 単に抑圧された子供時代を取り戻そうという心理的退行ならば、時が過ぎればまた落ち着きを取り戻すだろう。

 しかし、そうではない何かだったら――

 侯爵は窓から離れると、ソファに体を預けて大きく息を吐いた。


「君がここにいる為の名目だよ。そして然るべき時に相応の身分を与えると父上はおっしゃっていた。つまり、父上は僕達のことをお認めになったんだよ」

 カインが嬉しそうにイレリアの手を握って、いきさつを説明してくれたが、突然のことにイレリアは理解ができなかった。

「カイン――落ち着いて。どういう事?」

 イレリアはカインに握られた手を振りほどかず、そっと握り返して尋ねた。

 握られた手は優しい暖かさで包まれ、カインの心もまた暖かさで包まれる気がした。

 やはりイレリアは自分をどこまでも幸せにしてくれる。

 さっきまで書斎で感じていた無力感や羞恥の心は、イレリアの顔を見た途端吹き飛んでしまった。

 やはり自分にはこの人がいなければだめなんだ――。

「君が貴族の縁者になれば、僕と結婚できるってことさ」

 カインはイレリアに口付けた。

「その為には面倒だけど貴族としての振る舞いを身に着けてもらう必要がある。――なに、イレリアなら簡単だよ。君はとても賢い女性だ。すぐに身につくさ」

「わ――私が貴族に?」

 カインに抱き上げられながら、イレリアは戸惑いながらも落とされないようにカインの首にしがみついた。

「カインと結婚――?」

 イレリアの独り言のような問いかけに、カインは口付けで答えた。

「父上がお認めになったんだ。僕たちのことを」

「カイン――私、夢じゃないのね。あなたと堂々と並んで立つことができるのね」

 イレリアは頬を上気させて、カインに口付けを返すと首に回した手に力を込めて、力一杯カインを抱きしめた。


*********************

あとがき

カクヨム初心者すぎてあとがきどこに書くんだろう?って悩んでました。

本文に書くのですね。知りませんでした。

カインがどうしようもなくバカで可愛くて仕方ない作者です。

よろしければ★やレビューなど頂けると、とっても励みになります。

よろしくお願いします。

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