第1章 慈水の国・エテリシア

第21話 悪夢

 野山で寝起きする旅人は、眠っている時間も手放しに休むことはできない。火を絶やせば魔物に狙われ、あまり目立てば盗賊に目をつけられるからだ。そのため長い時間を人里離れた場所で過ごす者は皆、短時間で深い眠りに落ち、何かあればすぐに起きられるような眠り方を身につけていく。はずなのだが――あいにくトヴァンは、未だに自分の眠りを制御する術を持ち合わせていなかった。


 典型的な旅人の例に反して、彼の眠りはどうにも安定しない。意識は嵐の中の小船のように浮かんでは沈み、一晩に何度も目が覚めてしまうことも日常茶飯事だった。

 本意ではない夢を見るのも、残念ながら慣れた事だ。

 


(足、動かない……動けない)


 息をするたびに、嫌な熱が喉を焼いている。閉ざされた瞼の裏で、トヴァンの時間は巻き戻っていた。戦火が故郷を襲って、何もかも壊されていったあの日まで。

 溢れそうになる咳と嗚咽をこらえ、霞んで滲む目を手のひらで拭う。くしゃくしゃに丸められたボロ布のように、幼い彼はただ身体を縮めて座り込んでいる。立たなければと何度も自分に言い聞かせても、震える足はまるで言う事を聞かなかった。


「たすけて!」


 ごうごうと燃える炎の向こうから、切れ切れに叫び声が聞こえる。何重にも重なった悲鳴一つひとつが誰のものか、トヴァンには分かっていた。赤ん坊の時から面倒を見てきた、村の弟分や妹分たち。一際大きな声で助けを求めているのは、寂しがりやでいつもホミ兄さんの服の裾をつまんでいたニナだろう。言葉もなく泣いているのはシルンのはずだ。「おかあさん」と叫ぶ舌っ足らずな声が千切れるように途絶えて、トヴァンの肩が鞭打たれたように跳ねた。果てしなく喉が渇く。胸の痛みで目が眩む。


 知らず知らずのうちに、血が滲むほど唇を噛み締めていた。内側から体が焼け焦げていくような苦痛は、決して炎のせいだけではなかった。


「――、」


 不意に自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がして、ハッと顔を上げる。強い風が髪をなぶり、炎を吹き払った。その先に見えた景色に、トヴァンの息は止まった。


(リシア!)


 豪炎の中でも色を失っているとわかる強張った顔の少女が、いくつもの腕に押さえつけられて地面に伏せていた。トヴァンと同じ色の柔らかい赤髪が土と煤に塗れ、無惨にもつれ絡まっている。


 恐怖も怯えも、訳がわからなくなるほどの激しい感情に塗りつぶされた。その場にいるのが自分とリシアだけになったような気持ちに襲われ、何も考えられないまま衝動的に腰を浮かせる。――しかしその時、少女を捕らえていた影の一つが頭をもたげた。


「ひっ、」


 ゆらりと立ち上がった「それ」の頭には、目を覆い顔を隠すように汚れた布がきつく巻きつけられている。見れば他の襲撃者たちの顔も、まだらに汚れた布で何重にも覆われていた。


 「それ」らはきっと、何も見ていない。視界が完全に塞がったまま、ここまでの暴虐を尽くしていたのだ。あまりの異様さと悍ましさに、再びトヴァンの足が竦んでしまう。


 立ち尽くす彼と、顔を上げたリシアの視線が絡まって、少女が小さく目を見開いた……ような気がした。


 出し抜けに炎が勢いを増し、トヴァンの視界を埋め尽くす。その向こうでリシアの身体が強く後ろへ引かれ、闇に飲み込まれるように消えていった。開いた唇の間からあふれた音のない悲鳴が、少年の胸を直接貫く。


 自分でも何を叫んでいるのか分からないまま、トヴァンは無我夢中で手を伸ばした。腕を炙られる痛みも、ほとんど気にならなかった。ただ血を吐くほど喚いて、泣いて――不意に、全てが白く崩れて消えた。

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