第51話 面子都市・雄安新区
鄧章平が中酷の近代化を推進した。1978年、「改革開放政策」として始まった。計画経済から自由化を目指し、農業の集団化をやめ、国営企業を充実させ、手本となる外国資本を招き入れ、その経営ノウハウを盗み取り、監視しやすくするため、一か所に集約させた経済特区を設けた。抑圧からの市場解放が中酷の急成長に繫がった。その拠点が深圳だ。秀欣平も鄧章平のように偉大な実績を残したかった。そこで打ち出したのが千年に及ぶ国家プロジェクトとして約200キロ平方メートルの未来型都市計画である雄安新区を立ち上げた。完成時には約2,000キロ平方メートルにも及ぶはずだった。秀欣平の大きな誤算は、国民の都市に対する付加価値だった。上海・北京など第一級都市と違い態々事業所を移転してまで秀欣平の計画に寄り添う価値を人民は見いだせなかった。面子と見栄が何より優先する国民性に屈したのだ。秀欣平の号令で北京・天津・華北の大企業や学校に呼びかけたが、冷ややかな対応だった。それでも雄安は、中酷では珍しく水に恵まれた都市だ。ただ、その水は既に水質汚染に侵されたものだった。というより、中酷で真水を探す方が難しいのも現実だ。
三都市の人口の過密や大気汚染を緩和する目的としては期待値は大きかった。沿海部の発展に対し、内陸部の発展を願う物でもあった。計画は極秘裏に進められていたが、知られると投資目的で住居や事務所が買われ始めた。それを秀欣平は禁じた。秀欣平が幾ら企業や大学に移転を促すが、その従業員や学生からは、折角、第一級都市に暮らせたのに田舎に行く必要性を感じられないと反対または無視されるのが現実だった。計画は進行するが企業や人が全く集まらない。雄安新区は繁栄の陰さへ踏めず、ゴーストタウンと化していた。それでも維持費に年間1,000億円以上が掛かっている。
まさに膨大な都市を作っては見たが、誰にも見向きもされない都市となっていた。鄧章平の時代は、貧困からの脱出を目的に経済の発展へと歩み始めた時期だった。しかし、今は、世界から孤立し始め、経済は冷え込む一方で明るい兆しが全くない。賑わっていた北京・天津・華北でさへ、衰退の一途を辿っている。
衰退の原因は、不人気だけではない。雄安新区には新疆ウイグル自治区と同じ、天網システムが導入され、顔認証やIoT(Internet of Things=モノのインターネット)を用いて日常行動が監視されるおまけ付きで息苦しさも加味されている。
雄安新区にはもっと深刻な問題が隠れている。雄安新区は低い位置にあり、洪水のリスクにさらされている点だ。昨今、中酷は異常すぎる気象に襲われ、各地で水没の危機に晒されている。それを防ぐ対策は全く取られていない。これは国の責任である。ダムが決壊しそうになると下流の住民に知らせず、放流し、大きな被害を齎すことも稀ではない。それが中酷だ。
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