第43話 人の肉、食べてみないか?-カニバリズム

 安くなければ物は売れない。肉何て豚も牛も鶏も高くて手が出ない。でも、生きるには食わなければならない。段ボールを圧縮して辛子と砂糖で煮た。見た目はビーフンだ。格安で店頭に並べると売れた。元手が掛からない。安くても儲け率が高い。もっと儲けたい。野鳥は捕るのに苦労するし、他の者が食い散らして探すのも大変だ。どこの若者か知らないが、店にやってきた。ここは、雲南省南門村だ。一人か?店主には獲物に見えた。段ボールを喰う若者の背後に周り、鈍器で後頭部を殴りつけた。「うぐ」低い声と共に若者は地面に倒れた。ピックとして動かなくなった。店主は様々な動物の屠殺方法を経験から学んでいた。動かなくなった青年を全裸にし、片足を逆さに吊り上げて喉を切り裂き、血を抜いた。しばらく放置して、皮を剥いだ。部位ごとに切り分け、油で揚げて、辛子と砂糖で味付けした。

 段ボールより高くしたが、面白いように売れた。購入者の口コミで謎の肉が変に旨いと評判になった。それから、一人の旅行者を次々に襲った。男女構わず襲った。区分けした人肉を樽に入れ、辛子と砂糖・老抽ろうちゅうに付け込んだ。それを焼いて売った。

 衣服や骨は近場に穴を掘り、埋めた。一人、ふたり、五人、五人を超えると数えるのも面倒臭くなった。その分、手際は良くなった。店主は魚を切り身にするように切り分けては樽に漬け込んでいった。店主の出す謎の肉は旨いと評判になり、連日行列ができるようになった。

 中酷では人肉食は珍しいことではなかった。愛情の表現や魂を受け継ぐとか病気の治療などにも用いられていた。その文化は、密かに廃れることはなかった。4本足のものは机と椅子以外、2本足のものは家族以外、飛ぶものは飛行機以外、水中のものは潜水艦以外、なんでも食べる!広東省では当たり前だとされた。

 宋代では公式に宴で人肉料理が出され、食肉用の市場もあった。時代背景が食肉に走らせたのかもしれない。

 村人の数人は店主が、手押し車に得体の知れない肉を運んでいるのを幾度か見ていた。手押し車にはナイロン袋が幾つかぶら下がっており、中から骨らしき一部も確認されていた。店が繁盛しているのを見て村人は嫉妬を込めて、この村で失踪する若者がいることと結びつけ噂が広がるようになっていた。店主は、ダチョウの肉だと慌てることもなく答えていた。

 張がいた村では、そこを通ると行くへ不明になると言われる程、ある道で失踪者がでていた。村で失踪した青年たちの家族が警察に捜査依頼をしたが、面倒だと通り一辺倒の捜索で終了させていた。金の匂いがしなければ無駄働きというのが本音だった。家族はマスコミに助けを求めた結果、世間の注目を浴び始めた。警察はやっと連続失踪事件として事件として取り扱うようになった。

 事件が発生していた場所にはご自慢の監視カメラはなかった。警察の調べでは1年間に17人の失踪が確認された。80歳と37歳を除いて15人が12歳から22歳であることが分かった。容疑者として張栄明が浮上した。張は傷害や殺人での前科があり、1978年に美紀懲役の判決を受けていた。1997年に出所し、一人ひっそり暮らしていた。当初、20年間も刑務所にいて自由の身になった者だから関連性がないと考えていた。しかし、失踪は張の付近で起きていたことや村人への聞き込みから張の不可解な動きに注目が絞られた。不可解な動きとは、夜中でもテレビを大音量で流していたこと。それは何かの音を掻き消すためではないかと推察された。

 警察は張の家を家宅捜査した。張はその時居なかった。あったのは、物干し竿に乾燥肉がいくつもぶら下がっていた。この地域では軒先に肉を干すのは珍しいことではなかった。警察官は。その乾燥肉が今までに見たことがない色や形に疑念を抱いていた。さらにダチョウの肉と言いつつもダチョウが見つからなかった。警察は意を決して張の家に踏み込んだ。中は薄暗く、鼻を突くような強烈な臭いが漂っていた。

 一人の警官が積み上げられたプラスチックのケースを発見し、ガムテープを剝すとそこには液体に漬けられた人間のパーツと思えるものが詰まっていた。その付近から衣類や身分証明書、スマホなど被害者の私物と思われるものが出てきた。井戸からは肉を削がれた人骨や衣類が発見された。家の中には、人間の太腿が吊るされていた。何十個もの人間の眼球を漬け込んだ薬酒まで見つかった。靴も50足程見つかった。警察は張を逮捕した。張は犯行をあっさり認めた。張は何人手掛けたかわ分からないと言っていた。

 張は、殺人罪で逮捕され死刑判決を受けた。


 中酷にはカニバリズムの文化や風習が根付いていた。「韓非子」には、人肉を炙ったり、干したり、塩漬けにすると言う記述がある。春秋戦国の覇王桓公は子供の丸蒸しを料理として賞味したことや宋代では。人肉こそは、天下第一美食とし、婦人や小児を攫ってこさせた記述もあり、人肉料理の献立もあった。そこには、人肉は酒飲みの人肉は粕漬の猪肉に似ているとも記されてある。小児の肉は上とし、婦人の肉はが中で、男子の肉は下等ともされていた。人肉は、権力者が嗜む高級料理だった。民間でも「事林広記」では妻が自らの肉を病気の夫に食べさせた美談として記載されている。また、親に自分の肉を食べさせる親孝行の話もある。

 三国志にも劉備は身を寄せた漁師の家で狼の肉として漁師の妻の肉を与えたともある。劉備は厨房で肉を削がれた妻の亡骸を見つけ、劉備は感銘を受けたとある。中酷においては人相食、夫食婦、婦食夫、易子而食(親がお互いに子供を交換して食べる)などの種類があった。人肉の売買は当たり前だった。韓国の犬食など蹴散らしてしまう文化だ。「本草網目」では人肉由来の漢方薬もあった。宮廷では女人の血から作った強壮剤もあった。

 中酷には目が悪ければ目を、肝臓が悪ければ肝臓を食べる習慣があった。肝臓の簡単な取り出し方も残っている。これが生体移植を盛んに行う原点かも知れない。

 人肉を食べるのを楽しむ文化が、東京の葬儀業界を買収し支配する。人肉に関する考え方の違いは埋めがたい気がする。文化革命は、過去を消し去り未来を観るのを口実に知られては拙い歴史を消し去ろうとしたのかもしれない。








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