龍月譚

@kabuu

月の導き

 そこは世界の中心だった。

 夜闇の中で佇んでいるのが人だとわかるのは、白い満月に影が映っていたからだ。両手を広げ、胸の前で手を打ち鳴らす。幾枚の青い光を放つ葉が夜空に解き放たれる。

 その葉は風に舞い、波紋のように地上を覆い広がった。


 数秒後、ひらりと一枚の葉が主の右肩に落ちた。世界中に広がり舞い戻ったその一枚を手に取り息を吹きかける葉は白い光を放ち西の方に飛んでいった。


ーーー


 目を開け、ただ立っていた。


 (これは夢だな。忘れるだけの夢。)


 ハルオミがそう認識したと同時に暖かな陽光の下、ラベンダー畑に佇む少女の姿が視界に入る。『緑の長髪』を靡かせた少女が緑色の瞳を細め微笑みを向けると突風が吹き紫の花弁が舞った。細めた視界の先は青い海が広がっており、振り返った先では女性が墓前に花をそえていた。夕日に照れされた横顔は儚げで目が離せない。女性が立ち上がり、長髪を靡かせる。髪を抑えた女性と目が合った。またも視界が暗転する。次に目を開けると石造りの建物に囲まれていた。視線の先には左手にバスケットを持った女性が子どもたちにパンを分け与えていた。

 緑色の瞳と目が合えば、また違う場所に立っている。聖像に祈りを捧げる姿も医師として患者を診る姿も。

 何度も違う場所で同じ面影の女性の姿を見る。


 (・・・そろそろ、目が覚めるのか。)


 夢から覚める前に必ず見るのは月下に照らされた天使の姿だ。純白の輝きを放つ翼を広げ、金髪を靡かせている。逆光で表情は見えないが、全て彼女なのだとわかるのだ。

 覚えていることもできない彼女のことだと。


ーーー


 「ハァールー!おーきーてー!」

 体を大きく揺さぶられてハルオミは現実世界に引き戻された。黒く輝く丸い瞳がジッと見ている。

 「・・・ユウマ?今日は早いな。」

 「ハル、起きたー!」

 弟のユウマは今年で十二歳になるが、間延びした口調で年齢より幼く見られがちだった。母親に似た大きな瞳にはボザボサ髪のハルオミが映っている。

 「なんか目が覚めちゃった。卵焼き作ってー。ふわふわ、あまーいのっ!」

 「わかったから先に顔洗ってこい。」

 「ん!」

 バタバタと部屋から出ていくユウマを見送り、ハルオミはベッドから降りた。久しぶりに頭が重い。熟睡したはずなのにだるさが取れていない。

 「ハルー!たーまーごー!」

 「わかってる。」

 ユウマに急かされ、ハルオミは伸びた前髪を無造作にかきあげキッチンへと向かった。

 

ーーー 


 大陸の西にある森は広く、深い。

 太陽光を遮るかのように鬱蒼としている様はまるで侵入者を阻むようだった。

 森の最奥を上空から見ると満月を縁どったような円形の左端に丸い湖が見える。遠目に見るとまるで三日月に見える集落に『月の民』と呼ばれる少数民族が住んでいた。


 木漏れ日から柔らかな日差しがまばらに地面に降り注ぐ中、白を基調とした布地に月の刺繍の民族衣装に身を包んだ女性が丸木小屋の前で柔和な笑みを浮かべていた。 

 「気をつけていってらしゃい。」

 手を振る女性の視線の先には旅支度を終えた愛娘が二人。

 黒髪を後ろでお団子に纏めた少女、リオンは「行ってきます。」と右手を振った。視線だけで挨拶をした幼女カノンは足先までの長い髪と左耳上の大きな桜の飾りを揺らしリオンの先を歩き出す。リオンは直ぐにカノンを追いかけた。

 二人の姿が森の奥に消えるまで母親は手を振り見送った。最愛の娘達が旅立ったが不安などはなかった。


 あの子達は月に愛されているのだから心配はいらない。


 「うふふ。今度帰って来るときはお孫ちゃんも一緒から?楽しみねー。」


 両頬を抑え、上機嫌ではにかみながら母親はくるくると小躍りしていた。


 カノンとリオンが目指す先は大陸の中央に位置するリントエーデル国。その国は神の御遣いである龍の子を助けた一族が治めていた。


ーーー


 今朝は珍しくハルオミがユウマを訓練場まで送っていた。軍服を崩さずにきっちりと着用しているハルオミと違いユウマはお気入りのフードジャケットとダボッとした大きな長袖シャツに腰には黄色のポシェットを巻いている。

 「今日の卵焼きも甘くてふわふわで美味しかったー。ハルのご飯好きぃー。」

 「そうかそうか。」

 「んっ!」

 ユウマが元気に左手を上げた。ハルオミは満足そうに数回頷く。

 「今日は1日中会議が入ってるから俺は訓練に顔出せないが、夕方には迎えに来れると思う。」

 「はぁーい。」

 「無茶な動きはしないこと。本番まで万全な体調を維持するのも仕事だ。それから、」

 「・・・ハルオミ隊長、一度執務室で資料を確認してもらいたいのですが。」

 部下のフェンがハルオミに声を掛ける。コーヒーブラウンの髪色にそばかす顔のせいで実年齢より幼く見えがちだが、呆れた時の溜息だけは隊長のハルオミですら有無を言わさせない凄みがあった。


 「・・・ああ。じゃあなユウマ。何かあれば必ず連」

 「ハルオミ隊長。時間がないです。」

 「ばいばーい、ハルー。」


 フェンに促されるハルオミをユウマは大きく手を振って見送る。これも『白龍王特別警備隊』では日常茶飯事な、見慣れた平和な光景であった。


 ハルオミが訓練場を後にし、各々が武器の手入れや木剣で自主訓練に励む。

 昼休憩に中年の兵士が思い出したように呟いた。


 「おい、ユウマは?」

 「さっき『まんじゅーう!』って叫んで城壁に向かってたぞ。」

 「またかー。」

 「3時間持ったならいいほうか。」

 「違いねぇ。」


 ゲラゲラと野太い笑い声が訓練場に響き渡る。ここまでが午前の一連の流れだった。


 その頃、笑いのネタにされているユウマは過保護な兄と交わした約束を綺麗に忘れ元気に駆け出していた。


 「ま・ん・じゅう♪ふっかふかぁー!!」


 訓練場の壁を飛び越え、城壁も飛び越えて好物のまんじゅうを求めてユウマは城下町を目指した。


ーーー


 目的地であるリントエーデル国境付近にカノンとリオンは降り立った。

 警備兵の駐屯している外門を抜けると城下町に繋がる南門が見える。旅人や行商人達が行き交う馬車の横をカノンとリオンはゆっくりと歩いていた。


 『ようこそ!神龍が護りしリントエーデル国へ!』


 外門には色とりどりの旗が立っており複数の言語が書かれている。どれも歓迎の言葉だった。

 深碧の瞳でカノンは青空に靡く旗を眺めていた。


 「お姉、読めるんですか?」


 リオンの問いかけにカノンは目線だけを動かす。


 「もちろん。」


 淡々と告げるカノンだが、他国の複数の言語を即座に読み取り理解する事などそう簡単にできるはずがない。


 「リオンも読解術かけてるでしょ。」

 「私は言葉を話すだけで精一杯で二言語くらいしか読めません。」


 『月の巫女』と崇められる姉とは違うのだからそう簡単に高度な術が仕える訳ではない。

 先を歩き出すカノンに肩を竦めリオンは後を追う。


 「招待客の方は特別門をご用意しております!どうぞこちらへ!」


 石畳みで整備された門の前には長い行列が出来ていた。招待客より積荷の馬車が多い。

 最後尾へ誘導しているそばかす顔の少年がカノンには不憫に映った。

 

 「お姉、あっちじゃないんですか?」


 特別門の方を指さしたリオンにカノンは「あんなとこから行きませんよ。」と面倒そうに言った。


 「貴族が用意した屋敷に直通の門でしょ。あんなとこから入るなんて「私、魔力と金持ってますー。」て自慢げに言ってるようなもんじゃないですか。品がないです。」


 特別門に向かう者達を横目にカノンはその幼な姿に似合わない毒を吐いた。毒のついでだと舌打ちまでもする。


 「どうせ夕刻には向うのですからそれまでは市場で買い物しましょ♪」


 しかし直ぐに機嫌が治ったカノンの提案はリオンも頷いた。


 「そうですね。」


 十三年、この姉の妹をしているのだから気分屋の姉の切り替えの早さにリオンは慣れている。そして言い出したら絶対に曲げない事も。ふぅと嘆息し、リオンは顔を上げた。


 『城門外では護石の常備を忘れずに。今季のホリビス注意報3。』


 (・・・ホリビス?)


 ふと壁の張り紙にリオンは首を傾げる。


 「リオン!ボッーとしてると置いてきますよ。」

 「今いきますー!」


 数十歩前を歩くカノンのもとにリオンはパタパタと駆け出した。

 

ーーー


 東西南北の貿易中継地点であるリントエーデル国は多種多様な物流がある。人やモノ、交流も。

 城下町が賑わえば国民の幸福度も高いのだと誰かが言っていた。


 「んっー!」


 好物のミルクまんじゅうを頬張り、ユウマはご満悦だった。


 「ユー坊!甘ぇいちごあんぞ!」

 「むふっー!」


 顔なじみの八百屋の店主、ポポフに呼ばれユウマは黒曜石の大きな瞳を輝かせた。ふらふらと苺に釣られ八百屋に寄っていく。が、


 「おい、ユー坊!あっちで柄の悪い奴らが観光客に絡んでるぞっ!追い返してくれよ!」


 後ろから魚屋の店主、グエンにフードを引っ張られ、八百屋から遠ざかる。まんじゅうをくわえたユウマはズルズルと八百屋から遠ざかっていく。


 「だははっ!イチゴはまた今度なー。」

 「むぅー!」


 八百屋の店主が笑顔で手を降る。ユウマは眉を寄せて悲し気に苺に両手を伸ばした。



 「・・・人が、多い。」


 先程のルンルン気分はどこにいったのやら。幼い姿に似合わず、ギロリと周囲を睨みつけるカノンの表情は例えるならゴロツキの頭のようだった。


 「・・・仕方ないじゃないですか。一番栄えている国なんですから。」


 大陸の東西南北の中間地点なので人の出入りも激しいだろうと予測はしていた。煩わしいとカノンは視界を遮るように袖から扇子を取り出す。

 これほどの人が溢れているのを初めて見るリオンは苛立つカノンと違い、人酔で少し気分が悪かった。足早に行き交う人の流れに視線が追いつかず、背負ったリュックがすれ違う人に当たる度に頭を下げる事数回。少し休みたいと思う。


 「・・・お姉、荷物も下ろしたいし、まずはステイ先に行きません「嫌です。」


 姉の即答は疲弊したリオンの言葉を遮った。


 「貴族の屋敷になんていきませんよ。」

 「だって、招待客は4代貴族の屋敷へお越し下さいって。」

 「別にお越ししなくてもいいでしょ、綺羅びやかな世界ってボクに合わないんですよねぇ。っていうか、気が変わりました。他人がいるとゆっくりできそうにないです。」

 「・・わかりました。ならどこかで一休みして宿探ししましょう。」


 折れたのはリオンだった。言い争っていてもこの我が強く、我儘な姉には敵わないのは知っている。更に人の多さに苛立っている今は何を言っても聞く耳持たないだろう。無駄な労力は使わないに限る。


 「そうしましょう。きっと変わった食べ物があるでしょうしね。その後は雑貨もみたいですし。」


 姉は買い物続行は確定らしい。2人ははぐれないように互いに手を握り、屋台か休憩所を探すことにした。


    ドンッ


 「ひゃ」

 「ああぁ?!」 


 突然が大きく揺れた。つまづきかけたリオンが小さな声をあげる。そこにわざとらしく行く手を阻む男が2人立っていた。腰には剣を刺しており、手には酒瓶を持っている男。その横の男は酒を煽り睨みをきかせている。背負ったリュックがすれ違った際に当たったのかとリオンはすぐさま頭を下げた。


 「・・・あ、すい」

 「なんですか?」


 下から睨んでくる幼女に男たちは蒸気した顔を見合わせる。予想外の反応だからだ。


 「んだぁ?しつけのなってねえ、ガキンチョだなぁ。舐めてんのかごらっあ!!」

 「それはそっちでしょうが。出会い頭に酔っ払いが「ああ?」とか因縁つけるなんて。そんな一昔前の脅迫がこの国での流行りですか?お粗末ですねぇ?」

 「お姉!」


 しゃがみ込み、リオンがカノンの口を抑えたが、相手の逆鱗に触れたのか空気は変わらない。むしろ悪化しているのが男たちの握り拳からもわかる。


 「ぶつかったらごめんなさいダローが!おお?!」

 「ごめんなさいっ!」


 しゃがんだままリオンは大きな声で謝罪した。


 「何で謝るのですか!」

 「謝って済んだらいいじゃないですか!」


 納得がいかないカノンの手を握りリオンが懇願する。これ以上、トラブルを大きくしたくない。謝罪で済むならそれでいいじゃないかと。

 リオンが大声で謝った事にで周囲の注目を浴びた大男は酒瓶を振り回して周囲を威嚇した。


 「胸糞悪いぜ!飲み直すぞ!」

 「まてまて。」


 酒を煽っていた男がリオンを睨め付ける。

 

 「民族衣装、黒髪。西側の奴だよな。」


 ニヤついた視線にリオンの体が強ばる。これまでに向けられた事のない、嫌な視線。


 「そのゲスな目で妹を見るのはやめなさい。ぶち殺しますよ。」


 尖った氷柱を言葉に纏わせカノンが言い放った。リオンの前に立ちはだかり男達を睨み上げる瞳は軽蔑と虫けらを見るそれだった。


 「ああ?!」

 「はぁーあ。人が多いとこ、嫌いなんですよね。こんなクズがいるから。」


 ため息と蔑視。愚かだと鼻を鳴らす様は子供っぽさの欠片もなくその態度が男たちの逆鱗に触れている。リオンは周りに視線を送るが、誰もが目を反らした。関わりたくないのは当然だろう。どう見ても喧嘩なれしており、剣を持っているのだ。


  (どうしよう。)


 カノンの肩に置いた手に力が入る。正体を隠したいと言ったり、相手を挑発したりとカノンの行動は滅茶苦茶だ。男たちが近づいてくる。足音が止まり、男たちの影がリオンとカノンに被さった。リオンは目を見開くだけだった。


 「ねーぇ?暴れてるのおじさん達?」


 男たちの背後から間延びした、幼い声が響く。振り返った男達の後ろにいたのは黄色のポシェットを持った小柄な少年。


 「なんだ、こい」


 一人の男が吹っ飛ぶ。それは見事にリオン達の後ろ、人が離れたぽっかりと空いた空間に落ちた。地面に倒れた男はピクリとも動かない。

連れの男もあんぐりとしている。


 「オレね、イチゴ食べられなかったんだ。とっても甘くて美味しいのにぃー。」


ポシェットのベルトを握りしめ、ユウマは腰を捻った。遠心力で重みを増したポシェットが男ね顔にヒットする。二人の男がのびていることを確認し、剣を取り上げるとユウマはフンと鼻を鳴らした。好物のイチゴが食べれなかったのが余程悔しかったのか、拗ねたユウマの一撃はいつも以上に重かった。


 あっという間の出来事にリオンとカノンはぽかんとしていた。


ーーー


 「ありがとうございました。」


 誰かが通報していたのか、伸びた男たちはあっけなく警備兵に連行された。助けてもらったリオンがユウマにペコリと頭を下げる。


 「うん!」


 礼を言われたユウマも満更でもない様子でニッコリと嬉しそうに笑った。

 ぱわぽわとしたユウマからは大柄な男を殴り飛ばしたとはとても思えなかった。本当に世界には色んな人間がいるんだなとリオンは感じた。


 「それでは。」


 もう一度、頭を下げリオンとカノンはユウマに背を向け歩き出した。

 

 「・・・。」


 その後ろをユウマはとことことついて歩いた。一定の距離を保ち、ついてくる。


 「・・・。」

 「・・・。」


 カノンが立ち止まり振り返るとユウマはにこーと笑って立ち止まった。


 「・・・なにか?」


 煩わしいとカノンが睨みを効かせるがユウマはきょとんと首を傾げた。


 「なにか?」

 

 問いかえしたユウマにカノンは小さな拳を震わせ怒鳴りつける。


 「用がないならついて来るなってことですよ!」

 「お姉、落ち着いて。」


 どうどうとリオンがカノンを諫める。


 「用事ぃ?はないけど。」


 用事はないと即答するユウマに短く細いカノンの堪忍袋が切れた。

 

 「だったら、ついてく「あのね、オレ、2人に付いて行ってもいぃ?」


 怒鳴ったカノンの言葉にユウマの間延びした声が重なる。

 カノンは怒りの矛先を見失い口を開けたまま固まった。リオンも緑の瞳を見開いている。


 「ね?」


 にこにことユウマは笑っている。体を左右に揺らし、顔色を伺っているようだ。


 「このボクの話を遮るなんていい度胸ですね。・・・いいでしょう。」


 不敵な笑みを浮かべ、カノンはユウマを見上げた。そして、ユウマの顔を指差す。


 「とことん、今日は遊んであげます!」

 「やったー!」


 両手を上げてユウマは嬉しさを表すと、「オレ、ユウマ!ハルの弟っ!」と自己紹介を始めた。カノンが無言だったのでリオンが変わりに答える。


 「私はリオン。こちらが姉のカノンです。」

 「姉ぇ?」


 ユウマはキョトンと首を傾げ、膝に手をついてカノンと視線を合わす。そしてカノンとリオンを交互に見た。


 「カノンより、リオンが大きいよ?」

 「そうですね。でもボクが姉です。」


 姉のプライドなのか、子供のユウマ相手に強気のカノンにリオンは嘆息するしかない。カノンの姿は誰が見ても幼女に見えるし、初見では姉でなく妹と思う人が多数だ。


 「妹よりお姉ちゃんが小さいの?」

 「姉が妹より小さいと変ですか?」


 少しの間の後、「そーなんだー。」とユウマは一言呟いた。


 「あんまり難しい話好きじゃない。ハルいないとわかんない。」

 「なら黙っていなさい。」

 「わかったー。」

 「・・・。」


 2人の会話にもついていけないが屈託ない笑みを浮かべカノンと話すユウマにリオンは驚きを隠せなかった。しかもあの人間嫌いな姉が会って数時間の子が会話を続けている。


 「だいぶ変わった子。なのかな?」


 類は友を呼ぶとはまさにこのことだろうと東の国の言葉がリオンの脳裏に浮かぶ。


 「今の時間の美味しいものはパン!焼き立てが食べられるよ!」

 「え?」


 カノンとの会話が終わったのか、自然と自身の右手を握ったユウマにリオンは驚いた。カノンの手も既に握られている。


 「オレ、クリームパン好きー!」

 「・・・えっと。」


 リオンは初めて異性と、しかも村人意外の人間と手を握った。戸惑うリオンの視線を端に映したカノンが足を止める。


 「遊んであげるからまずは荷物をもちなさい。」


 顎でリオンを指す。これ?とユウマはリオンからリュックを受け取り背負った。「初めて背負ったー」とはしゃぎユウマはもう一度2人の手を握った。


 『成人するまでは純潔を保たねばならない。リオンは自身の役目をわかっているね?何故なら、』

 

 父の言葉がぼんやりと浮かぶ。

 

 「ったく、子供は欲求に素直ですねぇ。こっちは歩幅が違うってのに。」


 ぶつくさと愚痴るカノンにリオンはハッとなりユウマを見る。

 その横顔はまさに無邪気で天真爛漫だ。


 「あったかいのも好きだけど、冷たいのも好きー!でも冷たいのはハルがあんま食べないでってゆうーのー。」


 ニコニコと話すユウマにつられてリオンも笑った。


 「お腹痛くなるんですね。」

 「そう!でもね、オレよりハルがゴロゴロなのー!」

 「・・・貴方のお兄さんの話されてもわかりませんよ。」

 「カノン怒りんぼだねー。」


 舌打つカノンに聞こえないように、ユウマが小声でリオンに話す。リオンは苦笑して頷いた。


 ユウマ行きつけのパン屋はマーケットから少し離れた場所にあった。パンを購入し、お店の前のベンチにユウマ、カノン、リオンと並んで座った。

 「クリームあまーい!ふかふかー!」


 好物のクリームパンに超絶ご満悦のユウマをカノンは白い目で見る。


 「ねー!美味しいでしょ?」


 ニコニコと笑いユウマがリオンに問いかける。


 

 「はい、とても美味しいです。」


 リオンの返答にユウマは更に嬉しくなったようで頬を緩めた。


 「・・・。たしかに美味しんですけど、ね。」


 先程の熱も覚めたカノンはユウマのテンションについていけなくなり黙々とパンを食べ続ける。「暇なら少しは役に立たせよう」との見立ては甘かった。無料案内人の選択に失敗した。とカノンは失礼な事を考えながらクリームパンにかぶりついた。


 「パン食べたらどこ行く?ハルもりゅーえんまでは忙しいから、オレ一人でつまらなかったの!だから、散歩ばっかりしてるー。あ、あと、東と北の道には動物が沢山いてね、」


 パンを食べながら、しかも器用に咀嚼・嚥下しながら話し続けるユウマにカノンがピクリと肩を震わせた。それにリオンが反応する。


 「ユウマ?食べ終わってからお話しましょうか?」

 「うん、わかったー!」


 素直にパンを食べることに集中したユウマにリオンは胸を撫で下ろし、こそっとカノンに耳打ちした。


 「短気は損気ってお父に」

 「あの男の話はしないで下さい。」


 カノンの恨みが籠もった刺す視線をリオンに送るがリオンは慣れているので気にしない。


 「それはごめんなさい。」


 直ぐに謝罪したリオンにカノンは大きな口を開け、残ったパンを全て放り込んだ。

 そんなカノンにリオンは嘆息し、パンを食べ進める。

 せっかく美味しいパンなのに、雰囲気が悪くなってしまう。これも姉の人間嫌いと短気な性格のせいだ。怒りが他人に向くより、身内である自分に向く方がまだ後の始末が楽だとリオンは常々感じている。


 「パン食べたよ!」


 にっこーと笑顔向けたユウマにはカノンの自己中心的な理不尽言動も届いていないようだ。

 村の子ども達でさえ、カノンには気を使っているというのに。


 「美味しかったねー!」


 屈託ない、人懐っこい笑顔。ほっとけない気にさせるのもこの子の魅力だろう。


 「あ、ユウマ」


 リオンの指がユウマの頬に優しく触れた。甘い匂いと柔らかい感触。パチっと開いたユウマの黒曜石の瞳の中にリオンが映る。翡翠の瞳を細めリオンは微笑んだ。


 「クリームついてました。」


 こういうところも目が離さない。

 頬についたクリームをリオンが指に拭った見せた。


 「ありがとー!!」


 照れる事なく素直に礼を言うユウマの姿に可愛いなぁとリオンの心も温かくなる。ユウマはニコニコしながらリオンの手をとると迷わずクリームのついたリオンの指にぱくついた。


 「へぇ?!」

 「あのね、残すともったいお化けがくるのっ!」


 赤面するリオンにユウマは一生懸命伝える。


 「そ、ぅかもしれにゃ・・・」

 「にゃあ?猫さん??オレ猫さん好きっー!!」

 「・・・あんたらいい加減にしなさいよ。」


 頭上でいちゃつく2人にカノンは低い声を絞りだした。殺気の籠った黒いオーラを放っているが無邪気なユウマがニコニコと幸せオーラで相殺している事にカノンは機嫌は更に深く急低下していった。


ーーー


 「そ、そういえば、正門に貼られていた『ホリビス注意報』ってなんですか?」


 暫く茫然としていたリオンがふと我に返り手を引っ込め話題を変える。


 「ホリビスは変な怪物だよー。」

 「怪物注意って事ですか?」


 端的に答えたユウマにリオンの疑問が更に膨らむ。


 「この国では人に害意を与える魔物、妖、異形の類を『ホリビス』と称しているようですね。」

 「それ!」


 やれやれとカノンが説明を付け加える。それにユウマはニコッーと頷いた。


 「あ、だから護石を装備って書かれてたんですね。」


 合点がいったリオンからカノンが節目がちに視線を外す。


 「・・・ま、結界がこうもザルなら招待客以外も入り放題でしょうし、ね。」


 ぺろりと指についたクリームを舐めカノンは呟く。龍の国は神の恩恵を受けし国と聞いていた。魔術と武術が備わる、誰しもが移住したいと望む国だと。


 『善で成り立っている国』


 それが入国前にカノンが抱いたリントエーデル国の感想だった。


 「シュッツシエールが不足してて、護石もこうとーしてるってハルが言ってたー。」


 考え込んだカノンの隣でユウマは足をぶらつかせている。食べ終えて手持ち無沙汰のようだ。思考を邪魔されるその幼い行動にカノンが嘆息する。


 「少しは落ち着きなさい。」

 「ハルにもよく言われるー。」


 ニコニコとユウマは笑って答えた。


 「あの、しゅっ?てなんですか?」


 聞き慣れない単語にリオンがユウマを見あげた。


 「『シュッツシエール』って言いにくいよね!オレも最近覚えたんだよー!」 


 検討違いな返答を満面の笑顔で返すユウマにリオンは再度聞き返せなくて「・・・そうですね。」と気遣った笑みを向け頷く。何と言えばユウマには伝わるだろうかと悩んでしまう。


 「で、『シュッツシエール』ってなんですか?」


 悩むリオンに代わりカノンがユウマに聞いた。ユウマはハッとした顔になり、手を動かす。


 「えっと、ユ、あ、違った。・・・あ!魔法使いの事っ!」 


 適した言葉が見つかりユウマはぱぁと明るくなった。


 「魔術が使えるって事ですね。」


 教えてくれてありがとうとリオンが微笑むとユウマは更に笑顔になった。子供が母親に褒められて嬉しくてたまらないというように安心しきっている。自然とリオンの手はユウマの頭を撫でていた。


 「えへへ。りゅーえんもね、優秀なシュッツシエール探しで開くの。りゅうーおーの為に雇うんだってー。」


 褒められて上機嫌のユウマが話を続ける。カノンはその話を眉間に深いシワを刻んで聞いていた。


 「優秀なシュッツシェールがいれば国はあんたいなんだよ。今ねー、ハルとりゅーおーは赤いのとケンカしてるんだー。」

 「喧嘩?」


 カノンの声が低くなる。ユウマはハッとなって両手で口を抑えた。


 「これ、お話しちゃダメだったかも。誰にも言わないで、お願い。」


 両手を合わせてユウマが頭を下げる。リオンはカノンに視線を移し判断を委ねた。カノンは頷くだけで何も言わなかった。


 「大丈夫ですよユウマ。内緒にしますから。」


 優しい声音のリオンにユウマは顔を上げた。少し目元が潤んでいるユウマにリオンは口元に人差し指を持っていく。


 「ありがとー、リオン!」

 「ひゃっ!」


 感極まってユウマがリオンを抱きしめた。座っていたリオンはすっぽりとユウマの身体に収まった。


 「ユウマ、あの」

 「絶対に軍の話はしちゃっダメって言われてたのに、うっかりしてたー。誰にも言わないでね、約束だからね!」


 念を押すユウマにリオンは赤い顔で何でも頷いた。


 「・・・ふふっ。貴重な情報ありがとうございます。」


 ニヤリと口角を上げてカノンが笑った。とても幼女らしい笑みとは言えない悪意を思わせる笑みにユウマはリオンの胸に顔を埋める。


 「そのカノンの笑い方、ハルが嫌いなおじさん達にするのと似てるー。オレ、あんまり好きじゃないー。」

 「・・・ユウマ、そろそろ離してくれると嬉しいです。」


 ボソボソと喋るリオンの声はユウマには届かなった。暫く抱き締められたまま、リオンは忙しなく動く心臓を右手で抑えるしかなかった。

 

 (この子は、使えるっ!)


 イチャつく2人を他所にカノンは小さな拳を握り締めていた。


ーーー


 リントエーデル国王、白龍王の住む龍王宮は国の北側に位置している。龍王宮の北西には国のシンボルでもある古城が聳え立っていた。


 石造りの通路をハルオミは歩いていた。

 ハルオミの歩幅に合わせ両サイドのランプの火が灯り、消える。

 

 ーボッ!


 最奥の扉は10メートル程あり、両側の松明が青白い炎を勢いよく燃やした。


 緊張から喉が鳴る。ハルオミは詰襟を正し、深く息を吸い込んだ。扉の前で右手をかざすと重量のある扉は音を立てる事なく開いた。

 

 「白龍王陛下。特別警備隊ハルオミ。参りました。」

 「入りなさい。」


 澄んだ声にハルオミまた深呼吸をして、「失礼します。」と告げた。


 部屋の中央の玉座には白龍王が座っていた。天窓から入る陽光に照らされその姿は神々しく輝いている。ハルオミは膝を付き、頭を垂れ白龍王の言葉を待った。


 「宴の準備は万全か?」

 「はい、つつがなく進んでおります。」

 「そうか、期待しているぞ。」

 「必ずやご期待に添えます。」

 「ハルオミ。」


 白龍王の声音が変わった。それは一騎士に向けるものでなく、どこか温かみがあった。


 「今回の宴で最高の魔道士が見つかればお前の願いも叶えてやれるかもしれない。」

 「・・・勿体ないお言葉です。私の望みは白龍王陛下に仕えることだけです。」


 ハルオミの返答に白龍王は「そうか。」と静かに告げた。


 (叶えてやれるかもしれない、か。)


 耳に残っている白龍王の言葉にハルオミの口元には無意識に自嘲の笑みが漏れていた。

 神聖なる龍の間での会話は龍に誓いを立てる事と同じだ。天井に描かれた5つの龍は常にこの国を見下ろしている。今でも絵画から飛び出し、頭上を優雅に舞いながら、


 その巨大な牙がいつか自身に向くのではないか。


 額から流れた汗が首筋流れ体温を奪っていく。

 ゆっくりと立ち上がるとハルオミは白龍王に一礼し、龍の間を出た。


ーーー


 「でね、こっちに機織り屋さんがあってー、あっちはガラス細工売ってるんだよー。」


 「この国の事が知りたい。」とカノンが言ったのでユウマは2人の手を取り道案内を始めた。

 カノンは身長差から早々に手を解いたがリオンはされるがままで今も左手を繋いだままだ。

 あまりにもユウマが楽しそうに話し続けるものだから2人はもう3時間程付き合っている。日も暮れてきたのでそろそろ宿を探さないといけない。


 「ユウマ、色んなお店を教えてくれるのは嬉しいけど。私達行きたいところがあるんです。」

 「行きたいとこ?」


 立ち止まってユウマが首を傾げる。


 「宿を探してるんです。」

 「宿?どこ?」


 きょととするユウマにリオンは眉をよせわらった。反応が幼いのが愛らしく、一生懸命説明しているが語彙力が少ないところはカノンと正反対だ。


 「どこにあるかはこちらが聞いてます。」


 疲れたと地べたに座り込んだカノンにユウマは更に首を傾げる。


 「だからぁー、宿はどこぉ?」


 リオンと違い間延びした口調と理解力の低さは疲れているカノンの苛つかせるのは充分だった。

 

 「それを聞いてるんですっ!」

 「どこか言わないとわかんない!」


 バチバチと火花を散らす2人は互いの主張を譲る気はないようだ。やれやれとリオンは肩を落とす。リオンはなんとなくだが、ユウマが言いたいことがわかっていた。


 「私達、今日初めてこの国に来たんです。知り合いもいなくて。宿を知っているなら教えてもらえると助かります。」

 「!」


 リオンの説明にユウマは納得したようだった。予約した宿を探しているのではなく、空いている宿を探しているのかと気づく。


 「予約してないの?ならないよ。」


 至極当然のようにユウマは言った。


 「ないわけないでしょ?」

 「ないもん。予約してないと入れないもん。予約するか、広場のテントで野宿だもん。」


 呆れて馬鹿にするカノンに「むっー」とユウマが頬を膨らませる。


 「えっと、とりあえず宿があるところに行きたんですけど。」


 2人の間に入り、リオンがユウマに声をかけた。噛み合っているようで2人の会話は噛み合っていない。


 「でも絶対ないよ?こっちから遠いし。」

 「行かなければわかりません。この世に絶対はありません。」


 ツンとそっぽを向くカノンにユウマは唸る。


 「うっー!ないもんっ!ホントだもんっ!」

 「ユウマ落ちついて、ね?お姉もこの国のことはユウマの方が詳しいんだからプンプンさせないでくださいよ!」

 「・・・プンプンって貴女ユウマをいくつだと思ってるんですか。」


 カノンに一喝するするとリオンはユウマに向き直り、手を握った。


 「宿のある場所、教えてください。」


 翡翠の瞳でお願いされる。普段とは違う、お願いの仕方。ユウマはと手を握っていたこともあり、リオンも警戒なく自然と普段子供達に接するようにしてしまった。


 「うん、いいよ!」


 ニコッと笑うとユウマは握った手を上下に振った。


 「わっ、わっ!」

 「リオンのお願い聞くー!」


 はしゃぐ2人を横目にカノンは面倒そうに地面座ったまま動かない。


 「ここから遠いのでしょ。もうボク歩けません。第一、面白いものがあるとここに連れてきたのはユウマですからね。馬車拾ってきて下さい。」

 「じゃあオレがカノン抱っこするっ!いこいこっ!」

 「はぁ?」


 まるで人形を扱うようにユウマはカノンを抱き上げた。先程までの拗ねた様子はなく、上機嫌である。


 「・・・切り替え早いとか、忘れっぽいとか言われるでしょ。」

 「うん、よく言われるー。」


 嫌味すら通じず、カノンはユウマの肩に担がされた。何を言っても通じないとカノンは左手で頭を抱えた。


 「リオンもいこっ!」


 ユウマの左手がリオンに伸びる。リオンはうなずいてユウマの手を取った。


ーーー


 「うちはもう満室だよ。」

 「あー。いっぱいだ。悪いねぇユー坊。」

 「二、三日は予約でいっぱいだ。他当たりなと言いたいけど、どこもいっぱいじゃないか?広場のテントも満杯だろ?」


 行く宿、行く宿と全て断れた3人の前を木の葉が円を描き舞う。


 「ね?言った通りでしょ。」


 ほらねとユウマが無邪気に笑う。その視線の先ではカノンが小さな体を震わせていた。


 「ありえない!一番栄えている国で宿が見つからないなんて!貿易の中間地点でしょ、ここはっ!」


 口から火が飛び出そうな勢いのカノンはぶつける先のない怒りを吐き出した。

 「だからだよー」というユウマの言葉も耳に入っていない。


 「ここに来る人は商売とか観光が目的だから長期滞在が多いんだー。宿は予め予約するし、1日とか2日なら広場のテントで寝るよ。」


 文化の違いですねとリオンはしみじみ思った。


 「仕方ないですよ。きちんと調べなかった私達が悪いし。」


 これなら大人しく主催者側が用意した屋敷に向かうだろうとリオンは思っていたのだが、


 「野宿します。」 

 「ええっ!?」


 即決したカノンは今夜のねぐらを探そうとキョロキョロとあたりを見渡し、最初に行ったパン屋あたりがいいですかね?と呟いている。


 「寝袋なんて持ってきてないっ!それに危ない!」

 「一晩くらいいけます!」


 リオンの正論をカノンは何故かガッツポーズで返した。


 「どうしてステイ先を嫌がるんですか?!」

 「金持ち嫌いなんですよ。」

 「はぁ?」


 フザけた理由にリオンの声が裏返る。入国前と話が違う。気紛れにも程がある。


 「寝袋いるの?オレ、持ってこよーか?」


 のほーんとしたトーンでユウマが会話に参加する。ニコニコと問いかけるユウマはまるで主人を喜ばそうとしている子犬、親の期待に答えようとしている子供のようだった。役にたち褒められたくて仕方がない、というような。


 「倉庫に3つくらいはあるし。何色がいい?黒と青と赤と、」

 「3つもいらないですよ。」


 呆れるカノンにユウマは指折り数える。


 「オレとリオンとカノンで、みっつー。」

 「なんでユウマも野宿するんですか?家に帰りなさい。」


 腰に手を当て、カノンが更に呆れる。リオンも困ったように笑うしかなかった。


 「リオン達が野宿するならオレも野宿するー。」

 「子供ですか。」

 「お兄さんが心配するから、ユウマは帰った方が良いですよ。」


 ね?とリオンに言われユウマは唇を結んで俯いた。


 「ヤダ。オレも野宿する。なんでダメなの?一緒にいたいのに。オレの事イヤなの?」


 眉を寄せたユウマは今にも泣いてしまいそうだった。どう声を掛けていいか迷ったリオンはそっとユウマの頭を撫でた。


 「ううん。嫌じゃないの。あのねユウマ私達が言いたいのはね、家族が心配してるからお家に帰ったほうが良いと思ってて。」


 ユウマは一瞬顔を上げリオンを見上げる。リオンの微笑みに込み上げる感情が追いつかずギュッとリオンに抱きついた。


 「ユ、ユウマ?」

 「イヤだ。一緒にいたいもん。」


 柔らかい感触に心地よい鼓動が聞こえる。甘い匂いに優しい声。懐かしいような感覚にユウマは目を閉じておもいっきり息を吸った。


 「・・・今日のリオンは大胆ですねぇ。」


 周りの視線に耐えかねたカノンが面倒臭いように呟いた。


 「お姉勘違いしないで下さいよ。」


 頬赤らめ慌て、リオンはユウマから離れようとしたが、ユウマはリオンの胸に顔をうずめたままだ。幼い子供のように。


 「ユウマ、いい子ですからね、今日はお家に帰りましょう?また明日会えばいいじゃないですか。」


 段々とユウマに対する口調が子供に向けたものになっていく。イヤだとユウマは駄々っ子のように首を左右に振った。


 「お兄さんも待ってますよ?」

 「オレ、もっと2人といたい。いつもはこんな我儘言わないよ?でもなんかわかんないけどリオンと離れたくないってすごい思うんだ。」


 縋るユウマにリオンも返答に困った。言葉も見つからなかったが、速る鼓動を抑える事もできない。


 「は?なんですかそれ。プロポーズですか?」

 「ぷろぽーず?」

 「お姉!」


 カノンの言葉にリオンは恥ずかしさのあまり大きな声が出た。


 「マジか、ユウマ!」


 聞き慣れた声にユウマが顔を上げた。そこには腹を抱えてニタニタ顔の癖っ毛の青年が軍服を着て立っている。


 「ヴィントぉ?」


 顔を上げたユウマにヴィントはひーひーしながら人差し指をさした。右耳のラピスラズリのピアスが夕日を浴びて愉快だと笑うように光っている。


 「なぁに?」

 「お前こそ、公衆の面前に何してるだっての!隊長が見たら卒倒する案件(笑)」


 リオンとカノンに目をやりヴィントは面白いものを見たと息できなくて死ぬと言った。


 「えっとぉ、見回りぃ?」


 こてんと首を傾げるとリオンの胸に頬が乗った。


 「んなことより、どうした?どうして女に抱きついて縋ってるわけ?ん?困ってんだろ?泣きそうだぞ?お前が悲しむと隊長の士気が下がるんだよねー?ほらほら話してみ?」


 人助けと言うより、興味本位感が半端ない聞き方の軽さ。早口で捲し立てられたユウマは聞き取れた事だけを素直にヴィントに話しだした。


 「あのね、オレ、今日は三人で寝たいんだけど、」

 「まさかの3P」

 「?」


 きょとーんとするユウマとリオンにヴィントはスベったと感じたが笑いが止まらない。あの真面目な、人生全てを弟の成長にかけている兄貴がどんな顔をするのか想像するだけで笑いがこみ上げる。


 「宿も満室だから、オレも野宿するって言ったらダメって。それで困ってる。」

 「花茶屋は空いて、いだっ」 


 黙れとカノンがヴィントの右脛を蹴り上げる。

 言葉足らずなユウマと会話が成り立つのは長い付き合いのある者だけだ。こほんとヴィントが咳払いする。


 「ってか、野宿なんてブラコン隊長が許すわけないしょ。」

 「3人でやってみたいことがあるの。」

 「え、やっぱ3P、いでぇ!」 


 カノンのケリが今度は左脛に当たる。

 

 「オレね川の字で寝てみたい。ヴィントがこの前言ってたやつ。」

 「かわ」

 「のじ?」


 リオンとカノンがぽかんとしたが、ヴィントは「それでか」とうんうんと頷いた。 


 「なら手っ取り早くユウマんちに泊めればいいんじゃね?」

 「!」


 左足をさするヴィントにユウマはぱっと明るく笑顔になった。


 「そっか!オレん家にいこ!」


 満面の笑顔でユウマはリオンを見上げる。その笑顔にリオンの頬が赤くなった。ユウマの頭を撫でるリオンに代わりにカノンが呆れながら答えた。


 「タダなら良いんじゃないですか?それに何より無害で問題ないですし。」


 確かにとヴィントも頷いた。

 カノンの了承にユウマははち切れんばかりの笑顔になった。こうも庇護欲を刺激する存在をリオンは知らなかった。


 「やったね、リオン!」

 「そうですね。」


 可愛さのあまりリオンはユウマを抱きしめた。ユウマも嬉しくて抱きしめ返す。 


 「リオン、何度も言いますがここ路上ですよ。」


 もう止められないかとカノンは大きく嘆息した。リオンは気付いていないが、多分初恋だ。仕方ないから妹の恋を応援してあげよう。

 そんな事を考え、良い姉だと自身を褒めた。


 「あ、そうでした!あまりにも可愛すぎて。つい。」


 我に返ったリオンがユウマから離れた。ユウマは名残押しそうにリオンを見つめ、シュンと悲しげな表情になった。その様子を見てヴィントの笑い声が大きくなる。


 「もうだめだあー!ついに、ユウマに彼女がっ!ひひっ、ぜってー、寝込むって、ちょ、ユウマお前、いひ、ひひひ、ふっ、俺の仕事増やしちゃあかんってー!いっでぇ!!」

 「不愉快な笑い方ですね。」


 五月蝿いとカノンが2度めの右脛を蹴った。


 「問題解決したー。ありがとねーヴィント。じゃあねー。」


 痛みに悶えるヴィントにユウマはブンブンと手を振った。


 「切り替え早っ!負傷兵を見捨てるのかよ?」

 「えっと、ご武運を?」

 「ぷはっ!使い方(笑)」


 敬礼したユウマとヴィントのやり取りがカノンのツボに入った。


 「この漫談サイコーですね!」


 パチパチと拍手するカノンにユウマは「褒められたー」と無邪気に喜んだ。


 ヴィントと別れた頃には日は既に落ち、夕闇がせまっていた。帰路に着くユウマはご機嫌で童謡を歌っている。もちろん、リオンの手を握りながら。


 「あるぅひー♪森の中♪くまさんにぃ♪出会った♪花咲くもぉりぃの道ー♪」

 「選曲がガキですね。」


 はーと呆れカノンはユウマのダボダボの服の裾を引っ張った。


 「あの男とはどういう知り合いですか?」

 「ヴィントの事?ハルの部下でね、特備隊の副隊長だよ。」

 「軽薄そうな男でしたね、彼。」


 カノンの評価にユウマは「ヴィントは皆にそう言われてるー。」と答えた。


 「城下町の見回りはオレもたまにするけどね、オレは花街入れないからヴィントがしてくれるんだ。」


 昼から巡回と称し、ただ遊んでいるだけだろうがとカノンは内心毒吐いた。カノンが言葉を続けようと口を開く前にリオンが会話に入ってきた。


 「へぇ花街?素敵な名前ですね。」

 「大人しか入れないんだってー。なんでだろーねー?」

 「それは残念です。」


 ユウマとリオンの会話にそういえば村ではこの手の書物は父が厳重に管理していたなとカノンは思い出した。適齢期までは純粋培養などとなんと罪な躾だろうか。


 「うん。大人になったらリオンとカノンも一緒に行こ。」

 「お茶屋さんも楽しみです。」

 「オレ、お団子好きー。あわあわ茶も好きー。」

 「気乗りはしませんけど、興味はあります。」


 2人が考えていることは、色とりどりの花に囲まれて菓子を食べるということだろうと理解してカノンはため息を吐いた。現実を知るにはもう少し先だろう。

 城下町から離れた北の空に一筋の星が流れた。



ーーー



 会議は午前午後に分けて行われた。会議後にハルオミが執務室に戻ると、未決済の書類をフェンがテキパキとさばいていた。ハルオミの姿を認めるとフェンは安堵の表情を見せた。ハルオミはヴィントが戻ってこなかったのかと察する。


 「ご苦労様。今日はもう上がっていいぞ。」


 明日も招待客の案内を行うフェンを気遣い帰宅を命じた後、ハルオミは残りの書類を持ち帰ることにしていた。午後の会議が長引きもう日が暮れている。ユウマには迎えに行けない時は日が暮れる前に家に帰るように話しているから家に帰っているはずた。


 (・・・今日の夕飯は何にしようか。確か魚があったな。野菜も少しはあった。そろそろ氷石の補充もしなければ。買い物は宴が終わってからでいいか。)


 フェンは帰り支度を済ませ、口元を抑えたハルオミをジッとみた。

 ハルオミが定時後に考え込むのは夕食のメニューだと部下達は知っていた。そして質が悪い事にその間は全く話を聞かない。龍王特別警備隊長の優先は常に弟なのだ。


 「そういえば、今日の訓練。ユウマ逃げたようですよ。」

 「は?」

 「そう、報告がありました。」


 誰の話しも耳に入らないが、弟の名だけはしっかりと聞き取れる。ある意味でヤバイだろうとフェンは思っているが、尊敬できる上官なのだからその事は胸にしまっている。


 「お先に失礼します。」


 そう言ってフェンはハルオミを残して執務室を出た。

 


ーーー



 ハルオミとユウマの自宅は龍王宮殿から少し離れた林の中にぽつんと建っていた。軍寮でなく、平屋にしたのはユウマと暮らすのに丁度良いとハルオミ考えたからだ。

 ハルオミが自宅に着くといい匂いがした。それに話し声も聞こえる。ハルオミは怪訝に思いドアを開けた。


 「ただいま。」

 「ハルっ!きてきて!」

 「なんだ一体、」


 玄関に入るなりリビングへとユウマが右手を引っ張る。このテンションなら訓練を抜け出した事は忘れているだろう。どう説教しようかとハルオミが思案しているとユウマは勢いよくリビングのドアを開けた。


 「ねぇ!ハルが帰ってきたぁー!!」


 ユウマに引っ張られハルオミもリビングに入る。


 「お邪魔してます。」

 「こんばんわ。キッチンお借りしてます。」


 見慣れたリビングのソファで新聞を広げる幼女と食卓テーブルに料理を運ぶエプロン姿の少女。


 「・・・ん?」


 呆けたハルオミは状況を理解してない。


 「今日ね、3人で川の字で寝るんだー。」


 ニコニコと上機嫌のユウマにハルオミは更に言葉を無くした。12年、ユウマの兄をしてきた。脈絡ない言葉も理解できたのだが今回は不確定要素が多すぎてついていけない。


 「あ、ハルおかえりなさい。」


 思い出したように話すユウマにハルオミはもう一度「・・・ただいま」と返した。



ーーー


 「ボクはカノンです。数日間、宜しくお願いします。」


 幼女が新聞から顔を上げ簡潔に挨拶をした。続けてエプロン姿の少女もキッチンから出てきて頭を下げる。


 「私はリオンです。宿泊中は家事等のお手伝いをさせて下さい。」

 「・・・ハルオミです。ユウマの兄です。」


 今だに状況は飲み込めていないが、現実を受け入れるしかないのは事実。互いの簡単な自己紹介が終わるとハルオミはテーブルに並んだ料理を眺めた。食卓に並べれた料理はどれも手が込んでおり、食欲をそそるものばかりだ。根菜と白身魚のスープをメインにトマトとチーズの乗ったサラダ。


 「これ全部リオンちゃんが作ったのか。」


 大したもんだとハルオミが感心する。


 「リオンでいいですよ。お口に合うといいのですけど。」

 「オレも手伝だった!レタス洗った!」


 サラダを指差すユウマにハルオミは「偉い偉い。」と褒めた。


 「椅子、2脚だけです?」


 食卓に料理が並んだ事を確認し、ピョンと椅子に飛び乗ったカノンの手にはすでにフォークとスプーンが握られている。

 控えめで大人しそうなリオン。他人の家になのに遠慮なく振る舞うカノン。対象的な姉妹だな。それがハルオミの第一印象だった。


 「もう一個あるよー。」


 折りたたみの簡易椅子を持ち上げユウマがニコニコしている。個でなくて脚でしょ。とカノンがぼそりと呟く。

 折りたたみ椅子も急な来客、主に部下用だ。ふぅむとハルオミはカノンを見た。


 「カノンちゃんはこっちだな。」

 「!」


 カノンを抱き上げたハルオミは簡易椅子に座るとカノンを膝に乗せる。


 「何のまねですか?」


 子供らしくない低音でカノンが呟く。慣れた手付きの対応が癪にさわる。弟が弟なら兄も兄だ。


 「あまり座り心地は良くないが我慢してくれ。それじゃあ、温かいうちに頂こうか。」

 「そうではなく、」

 「いっただきまーす!」


 両手を合わせて元気いっぱいに挨拶するユウマにカノンの抗議はかき消された。この兄弟は他人に対しての距離感が近くないか?

 むすっとカノンに眉間に深い皺が寄っていく。


 「・・・いただき、ます。」


 カノンと目を合わせないようにリオンは一瞬視線をそらしスプーンを手にした。


 「んまぁー!」

 「ホントだ、うまい。」


 喜んで食べているユウマとハルオミにリオンはほっと安堵の笑みを零す。カノンも渋々といった様子で食べ進めている。


 「お口に合って良かったです。」

 「リオンはお料理も上手ー!」


 パクパクと食べるユウマにハルオミの目元も緩む。


 「そういえば、ユウマは2人とどう知り合ったんだ?」

 「んっとね、魚屋のおじちゃんに引っ張られて行ったら2人組のおじさんが『おおっ!』とか大声出してたから殴ったの。その後にカノンが遊んでくれるって言ったから一緒にパン食べたんだ。それからガラス細工屋さん行ったの!でね、宿が満室だからお家に一緒に帰ってきたんだー。」

 「概ね間違ってはいません。」


 ユウマの言葉にカノンはただ頷いた。今の説明で理解できたのかリオンはハルオミを見る。伝わっていないなら補足しようと思っていたが、


 「そうだったのか。二人共怖い思いをしてしまったんだな。」


 あの説明で伝わるとは流石ユウマの兄である。


 「狭いが部屋は余っている。寝具もあるしこんなところで良ければ滞在中は自由に過ごしてくれ。」


 リオンとカノンの姉妹は観光で訪れており、暴漢に絡まれていたところをユウマに救われたらしい。ユウマが我儘を言って2人を家に泊めることになったのは話に流れで理解はできた。


 「わぁーい!これで川の字で寝れるねー。」


 ニコニコ顔のユウマにハルオミは「んん?」となった。


 「川の字?」


 繰り返したハルオミにユウマは無邪気に「うん!」と頷いた。


 「・・・部屋も余ってるし、何も2人と一緒に寝なくてもいいだろ?」

 「オレ、絶対真ん中がいい!」


 そのポジションは譲らないらしいユウマにハルオミは嘆息する。その様子をリオンは力ない笑みで見ていた。


 「川の字ならカノンちゃんが真ん中じゃないか。」

 「??」


 首をかしげたユウマにただただ、3人で眠るだけだと大方誰か(ヴィントあたり)に吹き込まれた知識だとハルオミは察していた。


 「絶対嫌です。」


 話題に上がったカノンはハルオミの膝でスープを啜りながら即答した。


 「なんでぇー?」

 「ユウマ寝相悪そうですもん。」


 プハッとスープを飲み終えたカノンはペロリと唇を舐めた。カノンに取り合ってもらえないならとユウマはリオンの方を向いた。


 「ねぇ、リオンも川の字が良いよね?」


 ね?と同意を求めるユウマにリオンは言葉を詰まらせた。うるうると瞳を潤ませて見上げている。この庇護欲を掻き立てられる表情で見つめられたらリオンが断るはずがなかった。先程からユウマの可愛さに当てられているリオンには答えは一つしかなかった。黒曜石の瞳が潤み目元に涙が溜まっていく。唇を結んで返事を待っているユウマにダメとは言えない。


 「・・・いいですよ?」

 「やったぁ!」


 両手上げてユウマが喜んだ。


 「末恐ろしい子ですね。」


 リオンを陥落させたユウマの手腕にカノンは称賛した。


 「いや、だから部屋は余ってるから。ユウマもリオンを困らせるな。」


 リオンが不憫に思えて助け舟を出したように見えたハルオミだが、強くは言えていない。部下が言ったように極度のブラコンのようだなとカノンは内心毒づいた。

 

 

 夕食後、ソファに腰掛けカノンは「う~ん。」と小さな手を宙に伸ばした。背伸びし、肩を回した後、新聞の続きを読もうと手に取る。

 ペラリと捲ると『龍宴』の文字がすぐに目に入った。


 (まさか、国王特別警備隊長がお兄さんとはね。日中の件も頷けます。)


 華奢な体躯のわりに暴漢を数メートル先まで殴り飛ばした事や、城近くの林にぽつんと平屋が建っている事も含めてだ。

 兄弟二人で住んでいるにしては広さはあるし、家具もそれなりの物。それなりの『特権』というものがあるらしい。ちらりとカノンがリオンに視線を送る。リオンは夕食の片付けをしていた。宿泊代の代わりにと家事を率先している。


 「楽しそうですねぇ。」


 カノンの呟きにリオンは皿を洗う手を止めて振り返る。


 「だって、お湯が使えるんですよ?食器も変わった物ばかりですし見てて楽しいですし。お姉も洗います?」

 「嫌ですよ。めんどくさい。」


 こんな事で文化の違いを感じ楽しめるなんて純粋に羨ましいものだとカノンは新聞をテーブルに置いた。


 「そういえばお姉。」

 「なんです?」


 雑誌に視線を落とすカノンにリオンはエプロンで手を拭きながら近づき隣に腰掛けた。そしてそっと耳打つ。


 「いいんですか?宮殿近いですけど。」 


 リオンが何を言おうとしているかカノンにはよくわかっていた。


 「問題ないですよ。あの兄弟見てると警戒するのが馬鹿らしく感じるでしょ。それに貴女、ユウマを好いてるじゃないですか。ボクが呆れるくらいに。」

 「好いて、好い!?」


 真っ赤になりあたふたと手を動かすリオンの姿に 


 「初恋の自覚無いんですか?」と意地悪い笑みをカノンが浮かべた。


 「リオンちゃん、カノンちゃん。」

 「ひゃいっ!」


 返事をしたリオンの声が裏返る。その声にリビングに入ってきたハルオミがギョッとなった。


 「何かようです?」


 冷静に返答したカノンにハルオミは手にしていた物を差し出す。


 「・・・着替えなんだが、新しい服はこれしかなくてな。」


 顔を両手で覆ってリオンは首を左右に振ったままだ。


 「・・・何かあったのか?」

 「ああ、ほっといてもらって結構です。で、これは?」


 無遠慮に袋を開け、カノンは中身を引っ張り出した。綿生地で厚みがあり触り心地が良い。


 「軍で支給されている襦袢だ。」

 「・・・襦袢。」

 「ユウマのサイズならリオンちゃんにも着れると思って。」


 言葉を無くしたカノンにハルオミが続ける。


 「カノンちゃんに合う服は無いからタンクトップの肩部分を縛って長さを調節したんだがどうかな?ワンピースみたいで可愛いと思うんだが。」


 タンクトップを掲げたハルオミにカノンは変態を見るように顔を歪めた。


 「もちろんちゃんと新品だから!しかも、それなりに厚みがあるし、機能的だっ!」


 慌てて弁解するハルオミにカノンはそこじゃねぇと心中で悪態を吐いた。


 「・・・わざわざ気遣ってくれてありがとうございます。(棒)」


 着替えはもちろん用意していた。この親戚のおじさんのような世話焼きっぷりに本当に子供が好きなのだと伝わる。


 「ユウマの が2人に迷惑掛けたから、これくらいはしないと。」


 ハルオミが眉を下げ苦笑する。整った顔立ちに高身長。申し分ない役職。周りの女性が放っておかないだろうにブラコンなんて本当に勿体無い。とカノンはハルオミを哀れんだ。


 「え?迷惑なんて!迷惑ではないですが可愛すぎて困るくらいです!」

 「確かにユウマは素直で可愛いすぎて困るんだよな。・・・訓練抜け出しても本気で怒れないからな。」


 この二人のユウマ至上主義もいい加減にしてはほしいとカノンはこめかみを抑えた。


 「今日はユウマがサボってくれて助かりましたよ。」


 このままでは話が進まないとカノンは嫌味も含めきっぱりと答える。それをフォローするようにリオンがハルオミに向き直った。


 「ユウマが助けてくれたので私達無事でした。大事にもならずに本当に感謝しています。」

 「今回は上手くやったんだな、良かったよ。」


 優しげに目を細めるハルオミにリオンの口元も緩む。


 「ユウマはわかりにくいが良い子なんだ。滞在中は仲良くしてくれ。」

 「もちろんです。」


 リオンはにっこりと返事をした。


 「それでは、」


 ぴょんとソファから降りるとカノンはハルオミに近づいた。


 「面倒みますから交換条件です。この国の歴史書や現代書あります?城下町のゴシップ誌でも構わないですけど。」


 幼な姿に似合わない高飛車な物言いをするカノンにハルオミの視線が下がる。白の民族衣装はサイズが合ってないようで、無理に小さな体に巻き付けているようだ。


 「お姉っ!ここは村じゃ無いんだから、ハルオミさんへの態度は改めて!」

 「人に合わせる人生なんてつまらないですよ。」


 他部族との関わりはあまりないが、姉が妹より年下な異人は初めて聞く。双子が先に生まれた順で上が決まる国もあれば、後に生まれた子を上とする地もあるとか。

 他の者達の生活環境に部外者が口を出すのは争いの種にもなりかねない。

 この時期に国に来るのであれば宴参加者の連れかとも思ったが、二人に知り合いはいないようだし、参加者に子供はいなかったはず。

 逡巡した後、ハルオミは頷いた。


 「そうか、カノンちゃんは本が読みたいんだな。」 

 「ボクらの事は呼び捨てで結構、ハルオミさん。」

 「わかった。なら俺もハルオミでいいよ。リオンもさ。」


 そうハルオミに言われたがリオンは手を振り必死に否定した。


 「そういうわけにはいきません。目上の方には敬称をつけないと。」

 「ならお義兄さんと読んだらいいんじゃないですか?」


 律儀なリオンをカノンが茶化す。


 「お姉!からかわないでよ!」

 「あはは。こんな可愛い妹が二人もできたら嬉しいな。」


 さすが、あのユウマの兄だ。ならばとニヤニヤとリオンをみればリオンは顔を真っ赤にしたままだった。

 

 「んもう、お姉聞いてますか??!」

 「はいはい、聞いていますよー。」


 怒れるリオンをスルーしてカノンがリビング出ようとジャンプした。そのままハルオミの前を横切る。


 「?」


 ふわっと体が宙に浮いたのにカノンは眉を差寄せた。


 「こぉーら、相手を怒らせたら『ごめんなさい』しないとメッだ。」

 「・・・は?」


 抱き上げられたカノンは今日一番の深いシワを眉間に刻んだ。ハルオミに悪気がないのはわかっているし、この姿ならばそういう対応をされることもカノンは知っている。

 だがこの兄弟は小さい子供を見ると抱き上げる癖があるのか?と疑わずにはいられないくらい慣れていた。だいたい、初対面の大人に急に抱き上げれたら泣く子供もいるはずだ。

 悶々と思考を巡らすカノンの眉間にはシワが寄る一方だ。睨みつけるカノンにハルオミは微笑むだけだった。左手にカノンを抱え直し、ハルオミはカノンの眉間に右手人差し指を置いた。予想外の行動にカノンの緑色の瞳が見開く。


 「可愛いお顔が台無しだぞ?」


 ムニムニとまるでマッサージするようにカノンの眉間をハルオミが指圧した。


 「ほら、可愛くなった!」


 満足気に笑うハルオミにカノンの瞳は見開かれたままだ。次第に耳に熱が集まるのを感じる。こんな扱いをされたことがない。屈辱と感じる。


 「失礼ですね!!ボク最初から可愛いんですけど!」


 思わず出た言葉にカノン自身が驚愕していた。この場で「可愛いです。」なんて。そんな事を言えばこの男は。


 「うんうん、可愛い可愛い。」


 そう返すに決まっているのに。

 高い高いと持ち上げられ、赤面した顔を隠せずにカノンは唇を噛んだ。


 「あ、こら。そんな強く唇を噛むと血がでるぞ。皮膚が薄いんだから。」


 ハルオミの視線が己の唇に向いている。その視線に体が熱くなる。


 「あー、もう!離しなさい、このブラコンっ!」

 「こら、あぶないっ!」


 ジタバタ手足をばたつかせるカノンを落とさないようにハルオミはカノンを抱きしめた。


 「落ち着けって。」


 カノンの小さな背中をハルオミの大きな掌が撫でる。


 「!!?」

 「よしよし。」


 されるがままになってしまったカノンは小さな拳を握りしめていた。なんだこの状況は。

 こんな風にされたのは初めてだ。どう対応していいかわからない。読書好きのカノンはこれまで色んな書物を読み漁った。恋愛小説の中でならこんなシチュエーションもあるだろう。その時、主人公達はどうしていたかも把握しているのだが、実際にされる側になると一瞬頭が真っ白になりわからなくなった。


 「・・・ハルオミさんてすっごい。」


 ユウマも距離の詰め方がエグかったが、ハルオミはそれ以上のようだ。なんせあの高飛車で唯我独尊の姉が赤面し黙っている。


 「ハルは子供好きだからねー。子供の扱いはお手なものなんだよー。あ、お湯湧いたよ。お風呂どーぞ。」


 炎石をカッチと鳴らし、ユウマはにこにこしている。お風呂を沸かしたから褒めてほしいというオーラを出していた。


 「ありがとうございます。お先にいただきますね。」

 「んっ!」

 「リオン、ボクも入ります!」


 体を起用にくねらせカノンはハルオミの手から飛び降り、「髪を洗ってください。」とリオンに告げた。


 「タオルはお風呂の棚にあるから。」


 ハルオミが用意した服をリオンに手渡す。リオンはぺこりと頭を下げカノンとリビングを出ていった。


 「ユウマもあれくらいの時期は一緒に風呂に入ってたな。懐かしい。」

 「そーだったね。」

 「・・・もう大きいもんな。」

 「うん?」


 しみじみと昔を思い出すハルオミにユウマは素っ気なく返した。あれだけカノン達と一緒に川の字に寝たいと騒いでいたのに、自身との風呂に興味は無いらしい。ユウマの成長にハルオミは少しだけ寂しさを感じていた。


 「ねー、りゅーえん終わったら温泉いこー。混浴ってみんなで入れるってー。」


 腕を掴み強請るユウマに思わず頷きそうになったハルオミが我に変える。行動は可愛らしいが話している内容は可愛くなかった。


 「・・・ヴィントから聞いたのか?」

 「うん。前にヴィントが『混浴サイコー!』って言ってたからなぁにーって聞いたら、みんなで温泉に入って背中流し合いっこして、泡で遊ぶってー。」

 「・・・。もうわかった。ユウマ、ヴィントとの話をリオンにすると嫌われるから絶対するなよ。」

 「え!?ヤダ!うん、もうしないっ!」


 黒曜石の瞳を見開き、ユウマは何度も頷いた。


 「良い子だ。ヴィントは俺が叱っておくからな。それからヴィントから聞いた事は俺に報告してくれ。」

 「うんっ!わかった!」


 『ヴィントを叱っておく。』『リオンに嫌われる』と静かに言ったハルオミにユウマは素直に従い力強く頷いた。ユウマの成長に異性関係が必要な事はハルオミも理解している。一般市民と家庭環境が異なっている中でユウマの思春期にどう向き合っていくか兄としてハルオミは模索中だった。大切な事程、ユウマには慎重に伝えなければと常に考えている。


 「・・・。」


 頭を抱えたハルオミにユウマが「ハル、さんぴーって何?新しいピーナッツ?」と聞き、更にハルオミは頭を抱える事になった。


ーーー



 リオン達が入浴を終えると入れ替わりでユウマがバタバタと浴室に駆け出した。「じゃんけん勝ったー!」と相変わらずカノン達にはわけのわからない事を言いながら。


 「・・・。」


 ブスッと不機嫌なカノンは悶々としていた。ホントにわけわからない兄弟。人間嫌いのカノンにとってこのユウマとハルオミの兄弟は初めてであう人種だった。育った村にこんな輩はいない。これまで読んだ書物にも該当する人物像はない。


 村の掟で「生涯伴侶となるもの以外に肌を見せてはいけない。触れさせてはいけない」という昔からの決まりがある。今ですら時代遅れだと笑う者も出てきたが、頭の固い長たちは律儀に子供に教えこんでいる始末だ。押し付けるだけの掟が嫌だし、知識欲が人一倍強いカノンは村を出たいと常々思っていた。

 今回の「神夜の暗示」はちょうど良いと思っていたし、それを口実にリオンを連れ出せたのも良かった。ただ村を出るだけではリオンは躊躇しただろうし、リオンを残して村を出ようとはカノンは思わなかった。自分が居なくなれば無理に跡を継がせられると知ってる。人間なんて、力があれば利用するし、それが身体潜在的な力の差ならなおさらだ。

 人間に限らず、魔族でもそうだ。だからカノンは力あるモノが嫌いだった。


 「カノンにはまだこっちは難しいから、これとかどうだ?」


 テーブルに積まれているのは「神さまと龍の子」というタイトルの絵本だった。それを無視してカノンは経済誌を読んでいる。声を掛けて来た人物がこの苛立ちの張本人。

 しかも入浴を終えたカノンの髪を自然な流れで拭いている。これぞ痒い所に手が届く・・・というのだろうか。


 「貴方、慣れてらっしゃいますね。」

 「ユウマのもやってるからな。」


 慣れた手付きで髪に残る水分をタオルで吸い取る。それが心地よいなんて絶対に言わないとカノンは決めていた。


 「あまり手を焼くのは教育上よろしくありません。」

 「そうかもなぁ。でも、濡れたまま寝て風邪を引かれる方がもっと手がかかる。カノンもしっかり拭かないと。」


 真剣に受け止めていない返しにカノンは会話を続けるのが馬鹿馬鹿しいと感じた。穏やかに、間延びした話し方はユウマに似ていてやはり兄弟だと思った。


 「お風呂終わったー!リオンと服お揃いっー!」


 ドタドタとリビングに掛けてくるユウマの声にハルオミがクスリと笑ったのが顔を上げずともカノンには伝わった。 


 「カノン、まだ髪乾かないのー?」

 「長さと量があるんですよ。」

 「カノンが終わるまで自分で拭いてろ。」

 「はぁーい。」


 手を上げて返事をしたユウマはガシガシと髪を拭き始めた。雫が飛びっているが本人は気づかない。


 「確かに、あのまま寝たら枕ビショビショで風邪ひきますね。」

 「だろ?」

 「ちゃんと教えたらいいのに。」

 「教えてるんだが、中々できなくてなぁ。いつかできるといいなとは思うけどな。」


 それが教育上良くないってことなのに。

 国の特別警備隊長に任命されるということはかなり頭は切れるだろうに。どうしてこうも弟に激甘なのかとカノンは思った。


 「皆さん、お茶を入れたんですけど、」

 「何チャー?!」


 ポットとカップをリオンが運ぶ。リオンの声にすぐさまユウマが反応する。


 「少し冷まして飲むー、氷入れてー!」


 民芸用品の龍の絵が書かれたカップにお茶を注ぐと、リオンはユウマの後ろに回った。


 「そんなに力強くしなくても大丈夫ですよ。」

 

バスタオルでユウマの頭を優しく包むように軽く押さえながら拭き取る。

 ユウマは顎下を撫でられる猫のように気持ち良さそうに目を閉じた。そんなユウマの姿にハルオミの手の動きが鈍くなる。 


 「リオンも面倒見が良いんですよねぇ。母性が強いといいますか。」

 「あはは。そうだなしっかりしてるもんな。これまでにユウマの近くにいない子だ。」

 「ボクの周りにもあんな失礼な子いませんでしたよ。」

 「それはすまなかったな。ユウマにはきちんと言い聞かせるよ。」


 ハルオミは全て肯定する。それがカノンは気に入らなかった。


 「貴方何でもかんでもはいはいしてますけど、ご自身の意見とかないんですか?」


 カノンが真っ直ぐにハルオミを見上げる。ハルオミは目を丸くした。


 「え、ユウマの事もリオンの事もホントの事だろう?」

 「あ、もういいです。」


 確かに本当の事なのだが。これまで弁明や虚偽、言い訳ばかりを聞いていたカノンは初めて会う人種にどうしたもんかと頭を悩ませた。


 その晩はユウマの希望通り4人で川の字になり寝た。リオン、ユウマ、カノン、ハルオミの順だ。

 案の定と言うべきか、ユウマとカノンは直ぐに寝入った。リオンは少し緊張していたが、ユウマの安心しきった寝顔を見ているとなんだがホッとして目を瞑ることができた。



 夜が深まり3人が寝静まったのを確認し、ハルオミは静かに布団から離れた。勿論、リビングを出る前にきちんとユウマとカノンの布団を掛け直すのを忘れずに。


 自身の部屋に入ると炎石を弾き、ランプに入れる。ポウと明かりが灯った。持ち帰った仕事を少しは処理しようと鞄から紙束を取り出す。半分程処理を終えたところで肩を回し、伸びをした。

 

 「・・・ふぅ。」


 小さく息を漏らし、ハルオミは頭を抱えた。思い返すのは本日行われた軍議の事だ。



 『龍宴とは、優秀な魔道士を一箇所に集めての品評会ではないですか』


 議会場でそう口火を切ったのは王弟赤龍派のダ家だった。ダ家は王弟に取り入れられようと手段を選ばない貴族で有名だ。花街での黒い噂も絶えない。そんなダ家当主のマエ・ダが雄弁に高らかに講説を述べることができるのも王弟の力が大きかった。

 昨今は現龍王、白龍から遠ざかる貴族も出てきた。

 争いを好まない、自由と平等を愛する白龍王を腑抜けだと言い出す者まで出てきている。自己の利益を優先し、他者を搾取する者はどこにでもいる。身近にいるのだが、被害に合わなければ野放しのままなのだ。


 「マエ・ダ様、言葉が過ぎるかと。」


 気持ちよく語っていたマエ・ダの言葉をハルオミが遮る。マエ・ダはハルオミを睨みつけた。上流階級の侮蔑は慣れているハルオミは気にせず続けた。


 「現白龍王陛下のお力で我々は安寧を享受できているのです。」

 「時代は変化し続ける。仲良しごっこが永遠に続くと思っておるのか。民のことを思うならば軍備強化は必須。現にシュッツシエールは不足しているではないか。」

 「私は貴殿の空想に賛同しかねるだけ。戯言は屋敷で行ってもらいたい。現龍王は争いを好まない。」


 凄みを利かせたハルオミにマエ・ダがたじろいんだ。「この野蛮人め。」プライドがそう言わせたのか吐き捨てるとマエ・ダは不愉快だと壇上を降りて会場を出ていった。

 人生で一番無駄な時間だとハルオミは思う。招待客を物扱いする発言はこちらも不快なのだ。

 貴族の会議など参加したくないが立場上参加しなければならないし、こんな劣悪な環境に部下を代理で参加させるわけにもいかない。


 「はぁ。」


 ハルオミの口からは二度目の溜息が無意識に吐いた。


 「真面目ですねぇ。」

 「!」


 いつの間にか部屋に入っていたカノンが机の端を掴み、つま先立ちをして書類を覗いている。

カノンが部屋に入るのに気づかないくらい、集中していたのだろかとハルオミは驚いた。


 「トイレです。」


 黙っているハルオミにカノンはそう言った。


 「トイレ・・・・。一緒に行くか?」

 「貴方ホントにド変態ですか?」


 一人行くのが怖いのかと思って声をかけたら「変態」と言われた。言われ慣れていないハルオミにとってはかなりのパワーワードで一瞬固まってしまった。


 「・・・我慢は良くないからトイレに行って来なさい。」


 ショックを隠ししつつ、カノンを諭す。諭されたカノンはムッとなる。

 済みましたよ。と呟きカノンはハルオミの机と椅子の間に小さな体を滑りこませた。やれやれとハルオミはカノンを抱き上げ膝に乗せる。


 「良い子は寝ないと大きくなれないぞ。」

 「既にいい女ですから。」


 即答のカノンにハルオミは黙った。紙面を小さな掌で抑えているカノンの旋毛を視界に入れ、ハルオミは黙った。暫くぼんやりとしてていると小さなくしゃみが聞こえた。


 「もう、遅いし寝ようか。」


 風邪を引く前にとハルオミはカノンを抱え直した。その仕草にカノンはランプを取り、蓋を開けてフッと息を吹きかけ火を消した。


 「ありがとう。カノンはすごいな。」

 「こんなの朝飯前です。」


 簡単に行っているが、ハルオミが炎石の火を消すとなると、魔力の籠もった扇子で仰ぐか、専用の水を垂らさなければいけない。吐息で炎石の火を消せるということは体内に魔力を持っている証だ。


 「寝る前に月がみたいです。」


 窓から入る月明かりをカノンが指差す。ハルオミは抱いたカノンと窓に近づいた。


 「みえるか?」

 「窓開けて下さい。」

 「風邪ひくぞ?」

 「大丈夫でしょ、貴方焚き火みたいにあったかいですから。」

 「・・・。」


 言葉を無くしながらもハルオミはカノンを片手で器用に抱き、窓の鍵を開けた。夜風が室内に入り込む。サラサラと葉が擦れる音が聞こえる。

 

「綺麗な月だな。今日はいつもより大きく見える。」


 真っ直ぐにハルオミは月を見上げた。


 「な、カノンもそう思うだろ?」


 目線をカノンに落とすとカノンは目を瞑っていた。静かに月明かりを浴びるカノンの横顔に重なる面影。


 (・・・彼女は、)


 「うあっ!?」


 ハルオミの腕の力が抜ける。驚いたカノンは咄嗟にハルオミに抱きついた。


 「危ないじゃないですか!」

 

 ギッとカノンが睨み上げる。


 「抱くならしっかり抱きなさいよ!ユウマでもできるんですけど!?・・・ちょっと」


 カノンが怒りから驚きの表情に変わる。そしてそっとハルオミの頬に触れた。ハルオミに伝わるのは小さな掌からの温もり。カノンの大きな瞳がハルオミを気にかけている。


 「・・・ぁ。」

 「貴方、随分マヌケな顔になってましたよ。まるでお化けでも見たみたいな。」


 月明かりに照らされる、緑色の瞳。

 鼻を掠めた甘い香りにハルオミは目を閉じ、カノンの小さな手にそっと自身の手を重ねた。


 「・・・大丈夫だ。不安にさせて悪かった。」

 

 カノンを抱く腕に力を込める。

 月明かり明かりが2人を照らす。

 さわさわと夜風がカノンの長髪を撫でた。


 「ん?」


 ギュッとカノンがハルオミの頬を抓った。


 「ボクは心配してません。」

 「そりゃ、悪かった。」

 「そのすぐ謝るのもやめて下さい。情けない。」


 鼻先を小さな指をさしカノンはハルオミを見上げ喝を入れた。「はい。」と頷くハルオミにカノンは「よし。」といつも通りに鼻を鳴らした。


ーーー


 龍王宮内を黒衣を纏った魔導師が歩く。いや、歩くという表現は合わなかった。魔導士は浮遊しており、黒衣を揺らしながら進んでいたのだから。進む度に壁から吊り下がったランプの火が付き、離れると消えていく。

 魔導士はある扉の前で止まった。重厚な扉は触れる事無くゆっくりと開いていく。


 「白龍王。宴参加者は国内にお越しになったようです。」

 「・・・そうか。」


 玉座に腰掛けた白龍王が静かに答える。


 「魔力の強いシュッツシエールもおりますでしょうから陛下の望みも叶いましょう。」


 宮廷魔導師・ユタを白龍王は静かに見つめた。


 「謎の多い、『月の巫女』も必ずや見つけ出してみせます。」


 頭を垂れるユタに白龍王は静かに告げた。


 「先代の為し得なかった『龍の顕現化』。私の代で成し遂げたい。」


 白龍王の言葉にユタは顔を上げた。


 「承知しております。黒の兄弟は宴中は城に近づけてはいけませぬよ。シュッツシェールが集まる中であの兄弟は危惧すべき。」

 「心得ている。」

 「貴方様は情が深過ぎます。足元を掬われぬように。」


 最後に警告とも取れる言葉を残し、ユタが消えていく。静かな玉座で白龍王は小さく息を吐いた。頭上では5匹の龍が円を描き飛んでいる。


 (黒の兄弟を近づけるな、か。)


 「・・・悲しいが、私には必要なのだよ。」


 その呟きは誰にも届かなかった。

 


ーーー 



 月が白く輝いている。

 北の山から流れた川はリントエーデル国の西側に向かって流れている。月明かりに照らされた清流がボコンッと湧き上がった。だが直ぐにもとの静かに煌めく水面に戻った。先程と変わったのは息絶えた魚たちが下流に流れ始めたことだけだった。


ーーー


  ふわふわにやわらかくて

  あまーい匂い

  少しぬくいくらいがちょうどいい

  今日のまんじゅうはいつもより大きい♪


 「いっただきまぁーす!」 


 いつもより大きく口を開けたところで、ユウマは鼻に違和感を覚えた。


 「ぶぁっくっしょんっ!!ぁれえ?」


 ユウマがくしゃみをすると手からまんじゅうがこぼれ落ちてしまった。


 「待てぇ!」


 転がるまんじゅうを追いかけ手を伸ばす。


 「取ったぁ!あれぇ!なんでぇ!?」


 今度は右手にしていたまんじゅうが消えて、なめらかな糸が手に握られている。なんだろうとユウマは首を傾げ糸の束を引っぱてみた。


 「いっっだっ??!」

 「ぶっ?!」


 糸を引っぱっると右脇腹に痛みが走った。


 (なに?なに?なに?何もされていないのに、お腹が痛くなった?!)


 ユウマが左右を見渡し混乱しかけたとき、


 「何すんですか?!」


 怒声で黒曜石の瞳がパチリと開いた。

 カノンの髪を引っ張り、蹴られたのだとユウマが気づくのはハルオミが起こしに来てからだった。



 「うぅー。」


 朝食を終えても脇腹の痛みは消えない。痛みに耐えられず漏れるうめきはカノンに向けられたが、カノンは自業自得だとそっぽを向いている。


 「ユウマー、明日の」 

 「お腹いたいー。」


 軍服に着替えたハルオミにユウマはテーブルに突っ伏したまま答えた。最後まで話しを聞きたくないとダダを捏ねているようにも見える。


 「明日は龍宴なんだ。警備の配置の確認もあるだろ。今日は軍に顔出すんだぞ。」

 「お腹いたいから行きたくないー。」


 嫌々と被りを振るユウマにハルオミは訓練拒否の言い訳になっていないと呆れた。だが、強く叱る事は無い。


 「カノンに蹴られたくらいで情けないぞ?」


 1回の蹴りが何だと言うのか。昨晩ハルオミは顔は蹴れるわ、鳩尾にかかと落としを受けた。急所も狙われたが当たる寸でで何とかかわすことができたのだ。

 その後は悪いと思ったがタオルケットでカノンを簀巻きにし、抱き抱えて寝た。

 そうでもしないと身体を休める事ができなあと感じたからだ。簀巻きにしてからはすやすやと大人しくカノンが寝てくれた事は幸いだった。

 


 「めっっちゃくっちゃいたっかった!っていうか、いたい!」


 強調するように溜めて、現在進行形で叫んだユウマにハルオミはため息を吐いた。


 「お姉が力いっぱい蹴るから。」

 「覚えてないです。」


 寝ぼけていたユウマだけのせいではない。カノンが倍返しすることをリオンはよく知っている。そして絶対に謝らないことも。

 テーブルに顎を乗せるユウマにリオンはしゃがみ込むと脇腹に手を当てた。


 「いたいのいたいのとんでいけー。」


 微笑むリオンをユウマはきょとんと見ている。


 「もう痛くないでしょ?」


 リオンにそう言われ、ユウマは頷いた。


 「うん、いたくない!すごい、リオンすごい!なおった!」


 立ち上がり、左右に腰をひねるユウマは痛みを感じていないようだった。

 その様子を顎に手をやり眺めるハルオミにカノンは眉一つ動かさずに一言告げる。


 「あれ、一応治癒魔法使ってますからね。貴方にはできませんよ。」

 「え?あ、ああ。」


 図星を突かれたハルオミが少し慌てている様子にカノンは肩を落とす。その呆れ方はどう見ても6歳児のものではない。

 こんな時のカノンがハルオミは少し苦手だった。


 「ユウマ、訓練場に来ないなら今日は南石の確認頼むぞ。」

 「はーい。」


 右手を上げるユウマにハルオミは機嫌が治ったかと笑う。つまらなさそうにカノンは新聞を眺めた。そんなカノンの頭をハルオミはぽんぽんと撫でる。


 「もう今朝の事は許してやってくれ。」

 「別に怒ってないです。っていうか、腹の痛みも治ったのなら訓練に参加させたらどうですか?明日は特別な日なのでしょう。甘やかすだけが教育じゃありませんよ。隊長としての示しも部下につかないでしょ。」

 「帰りは遅くなるから3人共気をつけて外出するんだぞ。」


 小言を遮りカノンの頭を撫でる。この大きな手のひらがなんともくすぐったい。

 優しく見つめる視線もこそばゆい。特別視されてきたことはあってもこんな風に大事に見られたことはない。

 ホントに変な兄弟。不思議な兄弟。

 ボクを惑わせるなんて、魅せるはずの僕を。

悔しい。何の勝負かはわからないが、悔しいのだ。全てをさらけ出しても勝てないようで。

 ふとある種の言葉がカノンの脳裏を過ぎる。認めたくない、感情だ。


 「もぉっ、子供扱いしないでくださいっ!」

 「うぉ、すまん。」


 カノンが勢い良く頭を振った事で反射的にハルオミは手を引っ込めた。


 「カノンは子供じゃんかー。」


 そう一言呟いたユウマにカノンは殺気だった視線を向けた。 



 天気が良いので、家事を先に済ませたい。とリオンが話したのでユウマはリオンの手伝いを張り切って行った。洗濯にリビングの掃除。

 リオンが移動すればユウマも後ろからついて歩く。リオンに褒められるのが嬉しくてユウマは更に頑張った。

 そんな二人を遠めにカノンは数冊の古書に目を通していた。


 「お昼はミレのとこ行こーね!」


 何の脈絡もないユウマの言葉にリオンは首を傾げた。


 「みれ?」

 「町でお店やっててご飯が美味しいのっ!」


 ニコニコと話すユウマにリオンは昼食の事だと察した。


 「リビングのゴミを纏めたら出かけましょうか。」

 「んっ!」


 ご機嫌のユウマにリオンが微笑み返す。無性に世話を焼きたくなるハルオミの気持ちもこんな感じなんだろうかとリオンは思った。


 「お姉もそれでいいですよね。・・・お姉?」


 ソファに居たはずのカノンが居ない。


 「カノンかくれんぼ?」


 ユウマも首を傾げきょろきょろとあたりを見渡した。


 「終わりましたか?」


 リビングのドアを開けカノンが顔を出す。トコトコとソファに向かうカノンをユウマが指差した。


 「カノン見っけー。」

 「ケンカ売ってるんですか?いいですよ、高価買取中ですから。」


 ギッとカノンに睨むがユウマはニコッーと笑うだけだった。


 「お姉、お昼はミレさんのお店に行きましょう。」

 「ご飯が美味しいんだー。」


 珍しく断定的に話すリオンをカノンはジッと見つめる。些細な事でも伺いを立てていたのに。こうも変わるのかとカノンは感心した。これも無邪気なユウマのおかげかと。


 「では準備して行きましょう。」


ーーー




 城下町の市場は今日も大盛況で人で溢れている。龍宴の前日でもあり、城下町に近い南門前は混雑していたが警備を強化した事もあり大きなトラブルは無かった。また臨時で南門に仮設テントが張られており宿泊施設の問題も解消されていた。


 「おー、ユー坊!めんこい娘連れてるなぁ!これかぁ?」


 マーケット内を歩くユウマを見つけた八百屋の店主ポポフが小指を立てた。


 「めんこー?これぇ?」

 「からかいがいもねーやっ!」


 相変わらずきょとーんと小指を立て真似をするユウマにポポフはゲラゲラと笑った。


 「野菜のおじさんなんでオレ見て笑うのー。」


 「そりゃおめぇがかわいいからだよ。」

 「かわいい違うー。」

 

 ぷくぅと頬を膨らませて拗ねるユウマにリオンは苦笑する。

 どうやらユウマは顔が広いようだ。行く先ざきで声を掛けら可愛がられている。


 「ユー坊!ちょっと手伝っておくれ!」

 「はぁーい!リオン達はちょっと待っててー!」


 酒樽を荷台に乗せおばさんがユウマに声を掛けた。

 駆け出すユウマをリオン達が見送る。残された2人にポポフが試食用のりんごを差し出した。


 「これでも食べて待っててくれ。ユー坊は有名人だからさぁ。」

 「ありがとうございます。」

 「ボク、イチゴがいいです。」

 「おおっ!さっっすが、ユー坊の連れだっ!!」


 ポポフが艶がよく大粒のイチゴをカノンの小さな手のひらに懐紙と共に乗せた。「これは見事ですねぇ。」とカノンが喉を鳴らした。


 「おいくらですか?」


 あたふたとリオンがポンチョの下のから財布を取り出すとポポフは右手で静止、ニカっと笑った。前歯が欠けている。


 「気にしなくていいよ!つけとくからね。」

 「え?」


 それだけ言うとポポフは他の買い物客の対応に行ってしまった。呆けるリオンに店員のおばさんが「大丈夫だから」と笑いかけた。

 ここで立ち止まっていては他のお客さんの邪魔になると感じたカノンが苺を頬張りリオンのポンチョの裾をくいくい引っ張る。リオンはおばさんに頭を下げて八百屋から離れた。


 買い物客の邪魔にならないよう、端でユウマを待ちながらリオンは市場を眺めた。

 初めてみる景色は戸惑うこともあるが刺激的だった。初めて見るもの、匂い、異国の文化が混ざりあい、共存している国。国民も笑顔でとても幸せそうだ。

 確かに村にいれば味わなかった感覚だ。

 初めは多少の村を飛び出したことに多少の罪悪感はあった。


 「リオン、カノン!お持たせー!」

 

 戻ったユウマにりんごを見せるとユウマはパッと瞳を輝かせた。


 「はい、ユウマ。」

 「あー、んっ!」


 まるで雛のように口を大きく開けたユウマにリオンに爪楊枝に刺した一口大のりんごを食べさせた。


 「街なかでですよ、あんた達。」


 カノンの言葉は2人には聞こえていない。

  

 「美味しいですか?」

 「うんっ!」


 ユウマの幸せそうな笑顔をみるとほっこりする。これもリオンには初めて感じる感情だった。

 

 「ったく、さっさと案内なさい。」


 無視されたカノンがユウマの服を強く引っ張る。りんごを咀嚼中のユウマは数回大きく頷いた。


ーーー


 「ミィレェー!ご飯っ!」


 古風なカフェのドアをユウマは勢いよく開けた。店内にカラコロと鈴の音が鳴り響く。


 「これ、ここは家じゃないんだよ。それから私はミランダだ。いつになったら人の名前を覚えるんだぃ。名前を間違えるのは失礼だと何度も言ってるだろ。」


 店に入るなりユウマは女の主人のミランダから口早に説教されていた。恰幅の良いミランダの説教中にもユウマは「ごはんー。」と答える。

 いつも通り反省はないと察したミランダは嘆息するしかなかった。店内には遅いランチを楽しんでいる観光客がおり、テーブル満席だ。


 「カウンターに座りな。」

 「わかったー。リオン、カノンこっちこっちー。」

 「おや。今日は可愛い娘を連れてきてたのかい。いらっしゃい。」


 カウンターの椅子を叩くユウマ案内されリオン達は椅子に腰掛けた。


 「おすすめはなんですか?」


 カノンに聞かれたユウマは迷わず「オムライスとクリームパスター」と答えた。


 「ではボク達はその2つを。」

 「オレはー、オムライス食べたいー。」

 「オムライス2つにクリームパスタだね?鶏肉や豚肉は大丈夫かい?」


 ミランダの問いにカノンはほぅと感心した。流石は多種多様な民族が行き交う国で商売を行っている。観光客相手との食や宗教トラブルは戦争のきっかけになることも理解しているようだ。


 「鶏肉でお願いします。」

 「あいよ、少し待ってな。」


 厨房に入るとミランダはすぐさま調理を開始した。

 手際良く調理を進めながらカウンター席のユウマ達に方へ話しかける。


 「2人とも名前を聞いてもいいかい?私はミランダだ。しがない定食屋の女主人さ。」


 ミランダはその体躯に合った豪快な笑みカノン達に向けた。


 「あのねー、優しいのがリオンで、怒りんぼがカノン。」


 そう紹介したユウマにミランダがボールでユウマの頭を叩いた。


 「いたぁーいっ!」

 「あんたにゃ聞いてないよ!それになんだい、女の子に対してそんな紹介の仕方があるか!ほんっとにあんたら兄弟は女心をわかっちゃいないねっ!女泣かすなって言ってるだろっ!特にアンタは無意識に言葉で傷つけてんだからそこを理解しなっ!」   

 「・・・うぅ、リオンごめんね。」

 「リオンちゃんじゃない、カノンちゃんに、だっ!」

 「カノン、ごめんなさい〜。」


 涙目のユウマをカノンはチラリと見る。


 「別に気にしてませんよ。ボクは寛大な心の持ち主ですから。」

 「・・・え?」


 素直に謝ったユウマをすんなりと許したカノンにリオンは疑いの目を向けた。今朝の事を考えるとどこに心の広さがあったのか気になるところだった。


 「二人はこの国には観光でかい?」

 「そんなもんです。」


 ミランダが話題を変える。カノンはコクンと頷いた。


 「そうかいそうかい。良い時期にきたもんだ。この国は珍しい物が沢山あるからね。ゆっくり見てくといいよ。」

 「それなら昨日ユウマに少し案内してもらいました。」


 リオンが答えると、ユウマはふふんと得意げに鼻を鳴らした。


 「そりゃ、びっくりだ。ユー坊、ちゃんとお仕事したんだね、きちんと案内できたかい?観光街や博物館、特産品。ああ、あんたの好きな展望壁も有名だね。どこに行った?」

 「・・・」


 得意げな顔から固まったユウマにカノンが呆れ、ため息を吐いた。


 「国の事なんて教えられるわけないですよ。『美味しいものがあって、みんな良い人ー』ってしか言わないですからね。人口や面積を知っているかも怪しいところです。」

 「やっぱり。」


 やれやれと手を上げて盛大に呆れを見せるミランダにユウマは「できるもん!」と両拳を作る。



 「リントエーデル国は龍王が治める国で、色んな人がたくさん来るから、経済が回って、お金が入ってきて、気候も良くて、・・・美味しいのがたくさんある!」

 「それは歴史じゃないだろ。情けないね。」


 せめて人口くらいは覚えなとミレンダに言われ、ユウマはうっーと唸り、「べんきょー嫌ー。」と、フードを被りカウンターに突っ伏した。


 そらから少しして。ミランダがオムライスとクリームパスタをリオンとカノンの前に置いた。ふわふわ卵とケチャップ、彩りのキャベツにミニトマトが乗っている。ユウマはリオンの前に置かれたオムライスをジッと見ている。


 「どうぞ?」


 その視線にリオンはクスクス笑いオムライスをユウマの方に寄せた。


 「わっ、いいの?」


 パァとユウマが笑顔になった瞬間、


 「これ!あんたのはこっち!少しくらい待てないのかぃ!」


 オムライスをユウマの前にドンとおいた。勢いでミニトマトがはねる。


 「ミレこわーい。」


 抗議をしながらもユウマはすでにスプーンを握っていた。


 「いただきまーす。んまー。」


 パクパクと食べ始めたユウマにリオンは余計なことをしてしまったかとバツが悪そうに眉を寄せた。余計なことをしてしまってユウマがミレに怒られてしまった。


 「あの、」

 「さっさと食べなさい、リオン。」

 「そうそう冷めないうちに食べな食べな。」


 隣のカノンも口周りにクリームを付けて食べている。リオンはとまどいながらもスプーンをとる。


 「いただきます。・・・、美味しい!」


 目を見開いたリオンにミランダが満足そうに頷く。


 「ね、おいしいでしょ?」


 にこにことユウマも満足げだった。


 3人が食事を終えた頃には客はまばらになっていた。


 「おいくらですか?」


 リオンがポンチョの中から財布を取り出すとミランダは首を振った。


 「お代はユー坊につけとくよ。な?」

 「うん。」

 「え?でも、」


 八百屋でも同じことを言われた。困ったリオンはカノンに視線を送る。


 「この年でツケなんて相当ですね。」


 カノンの嫌味にミランダが違う違うと手を振った。


 「この子は財布を無くすんだ。置き忘れるっていうのかい?首から下げてても無くすもんだからハル坊がツケにしてくれて頼んで回ったんだよ。」

 「もう無くさないー!少しはお小遣い持ってるもんっー!」

 

 むーっと抗議するユウマをミランダは無視して話を続けた。


 「ま、外商でなければ2人のことはよく知ってるからね。問題はないよ。」

 「警備隊長殿も大変ですねぇ。」

 「ホントだよ。毎日毎日弟の世話ばかり。良い娘を紹介しても弟が成人するまで面倒見ると断るばかりだ。一時期は女に興味がないのはあっちかと噂もあったよ。本人は必死で否定していたけど、浮いた話もないからね。」


 やれやれと肩をミランダが肩を落とす。

 それから閃いたように目を輝かせた。


 「ねぇ?リオンちゃん?この際だからあんたハル坊のとこに嫁に来ないかい?この国じゃ女の結婚は早いんだ。私が見たところそれくらいだろ?どうだい?ハル坊は顔は良いし、金はある。唯一のこぶつきだけど、懐いてるし問題ないと思うがね!」


 ずいずいと押されたリオンは返答に困ってしまった。どこの部族のおばさんはこの手のお世話をしたいようだ。身近な子だと尚更熱くなるらしい。


 「・・・あの、うちのとこでは、姉より先に嫁に出るのはご法度なんです。それに両親にも相談しないと。」

 「ああそりゃそうだ。親御さんに話しないといけない。しかしもったいないねぇ!じゃあ、お姉さんに話てもらえるかい?リオンちゃんのお姉さんなら美人で器量も良いだろうし。」

 「・・・ええ、話してみますね。」


 ちらりと視線を横にいるカノンに移し助けを求めたがカノンは無言でお茶を啜っている。


 「ミレ達のお話長いねー。」

 「ま、考えてもいいですけどね。」

 「なにを?」


 カノンから返事がないので興味がなくなったユウマはスイーツメニューを見ている。


 「ミィレー!ミルクアイス食べたーい!パイン乗せてー!」

 「ボクはプリンをお願いします。あ、この黄金卵の特別プリンいいですね。生クリームトッピングで。」


 カノンがユウマに便乗し注文したスイーツは店の1番の人気商品だった。ちなみにプリン1つでオムライスの3倍の値段だ。


 「カノンちゃんは見る目があるよっ!希少鶏の黄金卵プリンは1日3個限定だ。すぐに用意するからね。リオンちゃんは何にするんだい?」


 そうミランダに問われては断りきれず、リオンはスイーツの中で安いアイスを選んだ。


 「抹茶アイスでお願いします。」

 「毎度ありっ!」


 ミランダが上機嫌で厨房にひっこむとはユウマはテーブルに肘をついてカノンに顔を向ける。


 「ねーねー。オレもプリン食べてみたいー。カノン一口ちょーだい。」

 「嫌です。」 

 

 きっぱりとカノンに断られ、ユウマは瞳を潤ませた。その、断られる事を想定していない姿にカノンの眉があがる。

 不機嫌になったカノンから視線を外し、ユウマはリオンを見つめた。


 「・・・ねぇリオンは抹茶一口くれる?」


 お願い?と手を合わせたユウマにリオンは「いいですよ。」と笑顔を見せる。ユウマはパッと瞳を輝かせた。


 「ありがとー。オレのミルクもあげるねー。カノンにはあげないもん。」

 「いりませんよ。」


 仕返しだと言わんばかりの幼稚なユウマをカノンはピシャリと突き放した。


 「ほんとに仲良いねぇ。ユー坊も賢い妹ができて良かったじゃあないか。」


 ミランダが3人分のスイーツを奥から運んでくる。カノンはフンと鼻を鳴らした。


 「心外です。ボクの方が姉です。」

 「そーだよー。カノンみたいな厳しい妹やだよー。」

 「なにいってんだぃ、あんたら息ぴったしだよ。」 


 そこじゃないだろうとミランダもリオンも思ったが敢えて突っ込もうとはしなかった。


ーーー


 ミランダの店を出ると既に日差しが柔らかくなっていた。

 店を出てからのユウマの足取りは何故か重い。


 「ユウマ眠いでしょ?」


 横からリオンに覗かれユウマはうんと頷く。


 「どこかでお昼寝したいですね。」


 空を見上げ話すリオンにユウマはもう一度うんと頷く。普段ならユウマは食後はその辺の広場のベンチや樹の下で昼寝をしている時間帯だった。


 「昼寝の前にユウマ言われてたことありませんでした?南の結界石の確認。」


 服の裾をカノンに引っ張られ、ユウマはうんと眠い目を擦り答える。そして、あっちーと南の方角を指差した。


ーーー


 東西南北の門の中で南門が長く高さもあった。入国した時は気付かなかったが門には大砲が等間隔に設置されている。


 「立派ですね。」

 

 カノンが見上げ呟く。ユウマはうんと頷く。眠気で半分は聞いていない。


 「城下町が近いから南門は大きいんだ。ゆーじの時、国民の避難の時間稼ぎができるようにって。」

 「の割には結界石は一つですか。」


 南門の壁には成人女性の拳大程の水晶が埋め込まれていた。水晶は濁り、表面には小さなヒビがいくつか入っている。


 (・・・これはこれは。)


 住民避難優先が聞いて呆れる。魔族が数十匹で攻めてきたら結界は1時間と持たないのではないかとカノンは思った。


 「・・・濁ってますね。」


 リオンが膝に手をつき水晶石と目線を合わせる。


 「うん。シュッツシエールが殆ど赤いのについちゃったから。」

 「赤いの?」

 「王様の弟。オレ、赤いの大嫌い。」 


 嫌そうに目を細めるユウマはこれまでののほほんとした顔ではなかった。キラキラと輝いていた黒い瞳は光を無くしている。

 無表情なユウマにリオンは「どうして」と疑問を口に出せなかった。一瞬で体が固まってしまったからだ。


 「オレ達にすっごい意地悪なんだ。」


 ぷくぅと頬を膨らませたユウマは普段のユウマで、先程の畏怖感はない。ホッとリオンは胸を撫で下ろす。


 「権力争いに国民を巻き込むのは愚王ですよ。ユウマは後ろ向いてなさい。」

 「へ?」

 「言う事聞きなさい。」


 ?を浮かべながらもユウマ素直にカノンに背を向けた。

 ふわっと風が足元から吹き上がる。


 「??」


 なんだろうと気になり振り返ろうとしたユウマの頬をリオンが両手で包んだ。ユウマはパチリと目を見開く。視線の先では桜の花びらの中でリオンが穏やかに微笑んでいた。

 桜の香り。癒やされる緑色の瞳。柔らかく暖かなぬくもり。

 視覚、嗅覚、触覚が微睡み、更に眠気が増幅される。意識が溶けるような感覚にユウマはぼっーとリオンと目を合わせていた。


 「これでいいでしょう。」


 透き通る輝きを取り戻した結界石の周りには呪禁文字が浮かんでいた。それを確認し、カノンは満足げに目を細める。

 振り返るとリオンと目が合った。リオンはユウマの頬から手を離す。

 

 「あそこの木陰で少し休みましょうか?」


 日差しの中をリオンが笑う。ユウマは頷くとその横をカノンが長髪を揺らし横切った。


 「さっさと行きますよ。」

 「待ってぇ!あ!」


 カノンを追う形でユウマは歩きだした。思い出したように立ち止まり、振り返る。

 光を放つ結界石を見て「目視で確認!」とユウマは大きく呟いた。そんなユウマにリオンはクスリと微笑む。


 「少しお昼寝するー。」

 

 木の下に背もたれたユウマの隣に座ったリオンが膝をポンポンと叩いた。ユウマは瞳を輝かせ、リオンの膝枕に甘える。


 「リオン、甘やかすのはやめなさい。」


 呆れるカノンにリオンは顔を上げて笑った。


 「お姉こそ。」


 肩を落としたカノンはユウマの脚を枕にして横たわる。

 

 リオンの子守唄と葉の擦れる音が心地良くてユウマは深く深く眠りについた。


ーーー


 軍会議が終え、訓練場へと続く回廊をハルオミは歩いていた。


 「隊長!」


 部下のフェンに呼ばれハルオミは足を止める。申し訳無さそうな表情のフェンにハルオミは眉を寄せた。


 「どうした?」

 「・・・あの、警備用の装具が足りなくて。それか急遽警備の増員希望者が。」


 宴は明日だと言うのに、警備希望。しかも、「白龍王の特別警備隊」に。

 フェンが伺い立てたということは面倒な相手という事だ。


 「ヴィントに対応させてくれ。」


 リントエーデル国には騎士階級が存在する。

 新兵、国内外警備の下級騎士「ルリッター」。城内警護の中級騎士「ラジャン」。貴族警護の上級騎士「アヒェント」。そこから更に出生でランクが「A 」「B」と分けられる。上級騎士で貴族ならば「AA」。特備隊隊長のハルオミは上級騎士だが貴族出身ではないので「A B」と言った具合に。

 ヴィントはラジャン階級で弁が立つ。貴族相手にも物怖じしないので舐められることもなく、逆に貴族から疎まれている。本人もその環境を「ゲーム」感覚で取られており、メンタル面は鋼だ。

 就業態度以外は優秀なのでハルオミも一目置いている。


 「・・・そのヴィント副隊長ですが。」


 言いにくそうなフェンにハルオミは「またか」と嘆息する。胸ポケットから取り出した紙束にサラサラと署名をすると、ペリッと一枚切り離した。


 「はい、『特別通行証』。」

 「あ、ありがとうございます!」

 「面倒かけるよ。」 


 90度以上、足におでこがくっつくんじゃないかという勢いでフェンは頭を下げると急ぎ足で去っていた。

 フェンを見送りハルオミは奥歯を噛んだ。

 直前になってこんな子供じみた嫌がらせで足の引っ張りあい。こんな時に思う、力が〈権力〉が少しでもあればと。


 回廊に吹風は生暖かい、不快な風が吹いていた。


ーーー


 ハルオミが一時帰宅できたのはユウマ達が夕食を済ませしばらく経ってからだった。


 「ただいま、」

 「おかえりー。」

 「おかえりなさい。」

 「おかえりなさい。夕食先に済ませました。ハルオミさんの分は温め直しますから先にお風呂に。」


 三者三様の出迎えにハルオミは自然と笑みが溢れた。


 「何から何までありがとう。でもすぐにでないと行けないから悪いな。」


 ユウマの頭を撫で、ハルオミはリオンとカノンに向けてて話した。


 「あら、そうですか。ですが少しお話したいんですけど。」


 ぴょんとソファから降り、カノンか緑色の瞳で真っ直ぐにハルオミを見上げる。ハルオミは苦笑しカノンの頭に手を乗せた。


 「ユウマに相手してもらうといい。」

 「ユウマじゃ話になりません。」


 ハルオミの腰にさした警棒を目がかけジャンプしたカノンはぶら下がるように警棒を小さな手でしっかりとカノンは握った。


 「困ったなぁ。明日は大切な仕事があるんだ。終われば時間もとれるだろうからそしたらこれまでのお礼も兼ねてカノンの好きなもの買いに行こう。この国は海の向こうの品々も置かれているし、希少な魔導石も見ることができるぞ。カノンが気に入る本も見つかるかもな。」


 疲労の滲んだ笑みでもどことなくハルオミには安心感がある。なんて不思議な男なのか。こうやってこれまでもユウマを諭してきたのかとカノンは思った。  


 (・・・安心感。)


 じっとカノンはハルオミを見上げる。ずっと感じていた小さな違和感。これまでは他人等気にする事なかったのに。


 (・・・夜に近い青い髪。黒い瞳。)


 数秒間、真剣に見つめてくるカノンにハルオミがたじろぐがカノンは気にせずに見続けた。


 「な、なんだ?どうかしたか?」


 気まずくなったハルオミが左に視線をずらす。


 「左を見る。」


 カノンの言葉にハルオミがギョッとする。

カノンはしてやったりとにんまりと笑った。 


 (直感に賭けてみましょう。)


ぐいっと更に強い力でカノンが警棒を引っ張る。


 「疲れてる時には良い案など浮かびません。リフレッシュも仕事の効率化には必要なこと。」


 自信に満ちた緑色の瞳にハルオミは小さく笑った。


 「ははっ。確かに。」


 一理あると頷いたハルオミにカノンは得意げに鼻を鳴らした。


 「せっかく帰ってきたし風呂に入ってから出ようかな。」

 「でしたら夕食はお弁当箱に詰めておきますね。」


 直様リオンがハルオミに声をかけた。本当に周りをよく見ているのだとハルオミは感心する。


 「できれば片手で食べれるものだと助かるよ。」

 「ではそのように。」

 「オレもお手伝いするっー!」


  頷きエプロンを腰に巻いたリオンの隣でユウマが右手を上げ張り切っている。元気いっなユウマにハルオミも釣られて笑った。


 「ユウマも頼むな。」

 「ばっちこぉーい!」


 ニコニコなユウマに「それは今はあまり良い返事じゃなあないぞ。」と一言告げハルオミはそのまま浴室に向かった。


 浴室ではカノンが替えのシャツを脇に挟み、小さな手に乗せた匂い袋を見せた。ハルオミがリビングを出たときに姿が見えなくなったのは着替えを取りに行っていたようだ。


 「ボクも一緒にお風呂はいります。これ、リラックスできます。」


 カノンなりに気を遣ったのかとハルオミは嬉しかった。どこか一生懸命な姿も微笑ましい。


 「なら一緒に入るか。カノンは優しくておりこうさんだな。」

 「当たり前です。ボクは正直ですっごく偉いんです。」


 両手を腰に当て得意げにカノンは鼻を鳴らした。


ーーー


 ぷかぷかと匂い袋が湯船に浮き、湯気からは花の匂いが漂っている


 「気持ちいいですねぇ。」

 「だなぁ。」

 

 カノンは遠慮なくハルオミに持たれてリラックスしている。


 「頭重くないか?」


 カノンの頭に巻いたバスタオルは髪の量がある分、小さな体で支えるには大きく重そうにハルオミには見える。

 

 「ええ。バランスは取れてます。」


 振り返らずに答えたカノンに苦笑いが漏れる。急いで軍部に戻らないといけないはずなのについつい湯船に浸かったのはカノンが匂い袋まで用意してらくれたからだ。

 こういう所が甘いのだと部下に言われている事もハルオミ自身はわかっている。


 「そんなに急がなくてもある程度の準備は終えているのでしょ?」


 時に鋭い言葉を投げかけるカノンにハルオミは感服した。どうしてこうも相手の考えを見抜けるのかと。


 「はは。念には念を入れないと。龍王主催の宴だからな。」


 気合入れるように掬ったお湯を自身の顔にかける。パシャと跳ねた水飛沫がカノンの首にかかった。


 「この国は龍の加護を受けた国ですよね。永遠の平和と安寧が約束された。」

 「ああ。龍神の恩恵を受けし王が治める地だ。」

 「これまでの龍王は皆男性なんですね。女王は居ないのは何故ですか?」


 純粋な疑問と言うより、探りを入れるようなカノンにハルオミは間を開ける。面白い着眼点だと笑みが溢れた。


 「龍の力は代々男児に引き継がれるんだ。その理由はわからない。」


 カノンは何も言わずに新緑の瞳でハルオミを見上げる。それから睫毛を伏せた。どうやら納得のいく答えだったらしい。


 「カノンは勉強熱心で好奇心旺盛だな。それに難しい言葉も沢山知っている。ユウマも見習ってほしいくらいだ。」


 カノンの言動が大人びていて話しやすい事もあり時たまカノンが子供だということを忘れてしまう。


 「知らないことがあるのが気持ち悪いだけですよ。」

 「はは、そっか。」


 会話が途切れる。急な沈黙にハルオミは思い出したように口を開いた。


 「そういえばカノンはどんな神様を信じているんだ?」

 「癒やしの女神様です。リオンの治癒を見たでしょ?」


 唐突なハルオミの質問にカノンは間を空けずに答える。ハルオミは少し考え、今朝ユウマのみぞおちを治していたことかと思い出した。

 相手に対して治癒を行えるとは二人の潜在能力は高いのだろうとハルオミは推察する。


 「ボクの生まれた村では『許嫁』が勝手に決まるんです。」


 小さな両拳でパシャンと水面を叩く。カノンのその拳からは苛立ちや嫌悪が感じられた。こんなに小さいのに色々と我慢してきたのだろうか。ハルオミは黙って聞いていた。


 「だから、ボクはパートナーは自分で決めようと思ってるんです。どんな人を好きになるかは僕の自由ですっ!」


 力のこもった声にカノンの意思の強さが伝わる。


 「・・・自由に好きな人と、か。そうだなそれがいい。」

 「でしょ?!」

 「あぶねっ!?」


 勢いよく振り返ったカノンの頭をハルオミが抑える。危うくタオルでまとめた髪が崩れ湯船に浸かるところだった。 

 

 「でも条件もありますよ。」

 「条件?」

 

 ため息を吐くハルオミを他所にカノンは嬉々として話を続ける。

 

 「ボクだけを愛してくれること。ボクに釣り合う外見であること。家事育児が得意であること。頭はそこそこ良くて構いませんが、それなりの収入は必要ですね。ボクは必要時以外なるべく外出はしたくないので、外面良く社交的な方がいいです。あとは」

 「・・・そんな奴いたら是非お目にかかりたいもんだな。」


 カノンの厳し過ぎる条件を黙って聞いていたハルオミは苦笑する。そんな外見内面完璧な男なんて居るわけがない。


 「なら鏡見たらいいんじゃないですか?」

 「鏡?」

 「お目にかかりたいのでしょう?旦那さん候補は貴方ですよ。」

 「俺?」


 瞳を丸めたハルオミにカノンは満足気に頷いた。


 「ミランダからも高物件だと伺いました。」


 にんまり笑うカノンはハルオミは「困ったなぁ」とわざとらしい笑みを作った。


 「そういう見られ方は嫌だなー。」

 「貴方、中身ブラコンですから家庭を大事にしてくれそうだし。」

 「・・・。ブラコン。」


 影でそう言われているハルオミはぐうの音もでない。それからカノンは付け足すように続けた。



 「それに『契り』前に異性と寝るのはタブーです。一緒の湯船に浸かるなんて持っての他。だから責任取ってくださいよ。」


 最後の言葉に語気を強めるカノンにハルオミはうーんと唸った。


 「そうなのか。知らなかったとしても悪いことしたな。」


 民族間で考え方や独自の掟があるのだから、そのような決まりがあるのも頷ける。だが、入浴はカノンの方からついてきたのだからそこは弁解の余地があるようにハルオミは考えていた。



 「でも一番は貴方に触られてもそこまで嫌じゃ無いって事です。だから、ちゃんと責任とってくださいね。」


 真っ直ぐな緑色の瞳はどこか少しだけ気恥ずかしそうに揺れている。


 「最初は変な男だと思っていましたけど。第一印象が悪い方が気になったりしますから。」


 照れ隠しのあとの言葉が更に愛らしさを増す。

素直じゃないカノンらしいとハルオミが小さく笑った。


 「ならカノンが大きくなったらお嫁さんになってもらおうかな?」


 苦笑し、ハルオミは承諾した。こんな可愛らしく熱烈な求愛は初めてだった。


 「絶対ですよ!」


 ハルオミの返事にカノンは満面の笑みを浮かべた。


 「ああ、約束な。」


 カノンが適齢期になるまでは十年はかかる。

 そうなれば自分はおじさんだ。そもそも子供の頃の約束等忘れているだろうし、その瞬間だけ幸せならそれもいいだろう。娘が父親に「将来はパパと結婚するー」というのと同じなのだと簡単にユウマ基準で考えハルオミは安直に受け流していた。


 「じゃあそろそろあがるか。」

 「はいっ!」


 ニッコリと笑ったカノンが両手を広げる。甘えん坊のカノンをハルオミは笑って抱き上げた。


ーーー


 入浴を終えたハルオミにユウマがお弁当を渡す。ユウマお気に入りのハンカチに包まれた弁当は温かい。


 「オレもリオン手伝った!ハルの好きな鮭入れた!あとねあとね、炎石砕いて欠片一緒に入れたの。リオンが保温効果があるって。」

 「そうか、ありがとな。」


 頭を撫でるとユウマはもっとしてほしいというようにハルオミに擦り寄っていく。

その様子をカノンが面白く無さそうに見やり、ソファに飛び乗った。バサリとバスタオルが緩み、濡れた髪が落ちる。


 「そうだユウマ。カノンの髪拭いてやってくれ。」

 「カノンも一緒に入ったの?」

 「ええ。」

 「え?!一緒に?!」


 キッチンからリオンが驚いた声を出した。きょとんユウマは首を傾げる。


 「カノンまためーわくかけた?」

 「失礼な。」

 「そうだぞユウマ。決めつけはよくない。」  


 「めっだ。」と人差し指を立てハルオミがユウマを注意する。ユウマは「はぁーい。」と返事をした。


 「・・・リオン、ココアお願いします。ユウマ、丁寧に乾かしてくださいよ。」


 兄弟のやり取りに呆れ、カノンは驚きで固まっているリオンに平然と指示する。


 「じゃ俺は行ってくる。ユウマ今日は早めに寝るんだぞ。明日の集合時間は覚えてるな?」

 「お昼の鐘が鳴ったら!」

 「よし。じゃあ2人もゆっくり休んでくれ。」


 

 ユウマの頭を撫でハルオミはカノンとリオンに視線を送る。カノンはぴょんとソファから飛び降りハルオミの腰の警棒を握った。


 「約束ちゃんと守ってくださいよ。」

 「約束?」


 カノンの言葉に直ぐに反応したのはユウマだった。


 「ええ。この仕事が終わったらボクはハルオミのお嫁さんになるんです。」

 「えぇ?!」


 またリオンが驚きの声をあげた。


 「あはは。カノンが大きくなったら、な。」


 そう訂正し、ハルオミはポンポンとカノンの頭を撫でリビングを出ていく。

 

 「んーと、ハルとカノンは結婚するの?」


 普段と変わらず、きょとーんとしながらユウマがカノンに聞いた。カノンは得意気に鼻を鳴らす。


 「ええ。ユウマのお姉さんになるんですよ。」

 「お姉さん?じゃあオレもお姉って呼ぶの!?リオンと一緒っ!」  

 「呼び名はこれまで通りカノンで結構。結婚したらみんな家族になりますね。」

 「家族?やったー!」


 ご機嫌なユウマと違い、リオンは言葉を失ったまま茫然としていた。


 「ユウマ。これだけは覚えておきなさい。世界には特殊な能力を持つ者がいます。その中でもボクが一番だということを。」

 「カノンが一番?」

 「そうです、ボクが一番です。困った事があればボクのもとに来なさい。義弟特典で助けてあげますよ。」

 「わかったー。」


 ユウマは素直に返事をした。カノンが一番♪カノンが一番♪と繰り返すユウマにカノンは頷く。


 「リオン、ココアまだです?」


 未だに微動だにしないリオンにカノンはココアの催促を求めた。まさか本当にお昼の話を実行しようとしているのか?いや、姉は指示されるのが何よりも嫌いなはず。??とプチパニックになっているリオンにユウマは?を浮かべ「オレもココア飲みたいー。ミルクいっぱい入れてー。」とねだった。


ーーー


 今夜は雲が多い。白い光を放つ月の姿は見えることはないが感じる事はできた。

 窓枠に腰掛け雲の隙間から地上に届く月光をカノンは全身に浴びていた。


 「ユウマは寝たのですか?」


 空を見上げたまま問われ、ドアの近くにいたリオンは「ええ。」と頷いた。月光浴中のカノンが振り向かないことを知っているのでそのまま話を続けた。


 「お姉、ハルオミさんのこと、本気で?」


 リオンの不安気な声がハルオミの部屋に響いた。勝手に出入りしている事からカノンがハルオミを相当気に入っているだとわかる。


 「もちろん。」


 カノンは微動だにせず、普段の声音で答えた。幼い音に芯の通った、不思議な声で。


 「あの兄弟ね、無茶苦茶なんですよねほんと。」


 雲が月から離れていく。


 「これまでも感情を逆なでした輩は迷わず潰したもんですけど、あの兄弟は違うんですよ。弟は純粋培養、というか無知な愛されキャラ。そのくせに容赦がない。兄は人望のある軍人で強度のブラコン。ねぇ?村にいては出会うことのない輩ですよ。」


 月の輝きが増す。照らされたカノンの影が長く伸びる。


 「ねえ、リオン。神夜様は何故牛車で月と地上を往復したのでしょうね。馬の方が速いのに。」



 神夜様の話をする時のカノンの考えはリオンにはわかならない。ただ、寂しげに話を続けるのだ。


 「それは女神様である神夜様が長く民に姿を見せるように。」


 物心ついた頃、父からそう聞かされていた。


 「ボクには月にも地上にもどちらにも居たくなかったと思うんです。だから、力だけを我々に残して消えてしまった。幾千と受け継がれるように。途絶えぬように。・・・自身を苦しめた者たちへの復讐する者が現れる事を祈っていたのかもしれない。」


 吐き捨てたカノンにリオンは何も言わなった。『月の巫女』であるカノンは神夜の暗示である導きを受ける事ができる。

 そんなカノンの神夜様の解釈は父や村人、昔から受け継がれている民話とは違う、哀しい結末だった。

 リオンは月に照らされるカノン背中を見つめる。小さいけれど、大きな背中だ。


 「ボクはね、咲く場所は自分できめます。たとえ灼熱の砂漠でも、太陽の光が届かぬ深海だって。気に入ればそこで咲き誇ってみせます。愛する人も自分できめます。」


 ようやく振り返ったカノンの表情は逆光でわからない。ただ、自身のことを言われているのはわかった。


 「さぁ、貴女ももう寝なさい。」

 「うん、おやすみお姉。」

 「おやすみ。」

 

 カノンはもう暫く起きているらしかったのでリオンは先にリビングに戻る事にした。

 タオルケットの中ではユウマが丸まって寝ている、


 『十六になる迄は神夜様の教えを守り無垢でいなさい。リオンは姉のカノンと違い姫なのだから』


 父の言葉は未だに難しくよくわかっていない。わかるのは姉に比べて力が弱い事。民を導く力は無く仕えるしかできない事だ。

 将来は複数の夫を持ち、神夜の血を絶やさぬように子を産む事を求められる。


 (お姉はそれはまるで家畜だと言っていた。)


 カノンが『妊娠しにくい体になったのは血が濃いからでしょう。こんな事を続けていればいつか月の民は滅びます。』と父と言い合いになる場面は何度も見ていた。

 激怒し、怒鳴り散らすカノンを父は反抗期の延長、月の巫女の慢心だと捉えていた。カノンの力が強くとも、長の父には逆らえない。いずれカノンも村の掟に従うしか無いとリオンは漠然思っていた。リオンも姉がそうなるなら自分もいずれはと思っていた。

 けれど、今日。カノンは自身の花婿を決めたと言った。きっともう、村に帰る気はないだろう。



 (そもそも。あの引き籠りのお姉が旅をするなんて言い出した事に意味があるはず。お父と離れたいからだけじゃない。)


 カノンの行動から探ろうとするが、肝心な事は上手く隠し説明する事はない。時期をみて、ぽろっと世間話程度に話すので質が悪い。


 「・・・うぅ、んん。」


 呻き、ユウマが寝返った。何度も左右に寝返っている。リオンが隣に横になると寝返りが止まる。安心したようにピタリと止まる。そしてぬくもりを探すようにすり寄ってくる。最後は胸に顔を埋めるのだけど、リオンは嫌ではなかった。子供達の世話に明け暮れていたリオンは赤ちゃんが母親の鼓動を聞いて安心するのを知っている。

 

 「・・・まんじゅうう。」


 好物のまんじゅうの夢をみているのか幸せそうでリオンの目元が自然と緩む。

 数秒前まではモヤモヤとしていたが、ユウマと一緒に居ると幸せな暖かな気持ちになれる。

 この国に来てユウマに逢えた事には感謝しなければ。ユウマの寝息が心地よく、リオンも深く眠りについた。



ーーー


 

 軍執務室を月が照らす。淡い光のなか、時が過ぎる。

 執務室は簡素なもので古びた机と椅子のみだ。その中でハルオミは地図を眺めていた。

 国軍上層部は王弟の息がかかった貴族ばかりだった。

 『白龍王直属の特別警備隊』はハルオミが全て取り仕切っている。ハルオミが現王の忠誠心と国民たちの安全を守るため。そしてユウマの為に作った部隊だからだ。

 これからの為にも現政権を維持しなくてはいけない。それには王の力を補助する優秀なシュッツシェールとの契約が必要だ。

 白龍王に仕える魔導士は前王の側近だった者と龍に中立な者だけ。


 「・・・。」


 考えてもなるようにしかならない。頭ではわかっているのだが、何故か今回は不安が拭えない。

 地図面から顔を上げると月がガラス越しに輝いている。 

 もうユウマは寝ただろうか。母親を知らないユウマにとってはリオンとの出会いは良かったのかもしれない。カノンとの兄妹のようなやりとりも刺激的だろう。感慨深く口元に笑みが浮かんだ。ユウマが楽しければそれでいい、幸せならそれでいい。

 行き詰まったり悩み過ぎるとついついユウマの事を考えるのが昔からこれがハルオミの切り替え法だった。


 【偽善振るな災いのお子よ。】

 「!」


 鼓膜に直接響いた嗄れた声音にハルオミは顔を上げた。執務机を挟んだ場所に立つ、黒衣を纏った老婆。背中を丸め、杖を持ち暗がりに佇む姿は不気味以外の何者でもない。


 「・・・ユタ。」


 喉の奥からハルオミは声を絞り出した。ユタはこの国最古の中立な魔導士だ。

 黒衣から覗いた腕は棒きれのように細かった。震えながら右手にした杖でハルオミを指す。


 【他人を救い、救われようなどと思うな。お前にその権利はないぞ。お前は現龍王陛下の恩情で生き長れているのだ、お前の命は白龍王の為のもの。】


 魚が水上に上がり息するようにパクパクと口を動かす。距離からして普通では聞こえないはずだが、ハルオミの耳には嫌というほど鮮明に響いていた。


 【決して忘れるな、お前の存在意義を!】


 ぎょろりと瞳には込められた憎悪がハルオミに向けられる。

 目が合った。瞬間、視線の先には誰もいなかった。代り映えのない、慣れた室内があるだけだった。

 けれど、ハルオミの鼓動は嫌に早く、血流は体内を焼き尽くさんばかりに熱くかけめぐっていた。

 忘れない、忘れるわけがない。生きている限り決して忘れない。

 ハルオミの額から流れた汗が頬つたい、ぽたりと広げていた地図を濡らした。それは黒い滲みとなり、広がっていった。


ーーー


 今朝も城下町は大盛況だ。宴がすめば街に有能な魔道士と知り合いたいと人々が集まっている。基本的にリントエーデル国は何者も受け入れるウェルカムな国なのだ。


 「気持ちぃー!」


 ユウマとリオンは城壁にかけれていた梯子を登り、その上を歩き城下町を見下ろしていた。ここが有名な展望壁らしい。様々な露店が並ぶ広場や独特な壁の建物が並び、一見統一感がないように感じる街並みだが、見慣れてしまえば意外と味がある。


 「宴が終わればもっとすごいよ。美味しいのいっぱいだよ。」


 にこにことユウマはリオンに言った。


 「本当に素敵な国です。」


 纏めた髪を止めている大きなリボンが風にひらひらと揺れる。微笑みを浮かべ城下町を眺めるリオンの横顔をユウマはじっと見つめた。


 「ユウマ?」

 「リオンはほんとーに綺麗。絵画みたい。」

 「えぇ?!」


 相変わらず突拍子も無い事を口にするユウマにリオンは驚き、「綺麗」という言葉が頭を過る。頬に熱が集まる。


 「オレね、「可愛い」とか「綺麗」とかよくわからなった。子供は可愛い。大人は綺麗。そんな感じと思ってた。でもね、リオンを見てると、可愛いのに綺麗でなんで?って思うの。」


 屈託ない笑顔で話すユウマにリオンは恥ずかしさのあまり俯いた。


 「・・・ありがとう、ございます。」

 「へ?」

 「・・可愛いのに綺麗って言ってくれて。」

 「ホントの事だもん。」


 ユウマの笑顔に嘘偽りは感じられない。本心だと伝わる。それがユウマの魅力だ。


 「ユウマも可愛いですよ。」

 「一緒だね!」


 差し出されたユウマの右手をリオンは握る。温かい温もりに優しい笑顔。心が満たされる。そう、リオンは感じていた。

  

 それからも二人は他愛ない話をしていた。


 「西の村ってどこにあるの?」


 ユウマの疑問にリオンは西側の森を指さした。


 「あの辺ですね。」

 「木しか見えないねー。」

 「ふふっ。森の奥ですし、結界が張ってあるので見つけらないと思いますよ。」

 「そっかー。」

 「村は森の中なので周りは緑一色です。湖が太陽光を反射して輝いていて。日差しも柔らかいです。気候的には住みやすいと思います。ただ、」

 「ただ?」


 黙り込んだリオンをユウマが覗き込んだ。真っ直ぐな黒曜石の瞳に俯いたリオンが映る。


 「決まり事が多くて息苦しいかもしれませんね。」


 ユウマはきょとんとした後に「そうなんだー」と無邪気に笑った。


 「オレ、この国が好き。決まり事もあんまりないからー。リオンにも好きになってほしいな。」



 鮮やかな街の景色も色褪せるようにユウマが笑った。

 秩序維持のルールはあるだろうが、ユウマがそれを決まりと捉えてなければ無い様な物だ。ルールと認識せずにこれまで社会に馴染めていたならハルオミの教育が良かったのか苦労しているかのどちらがだ。城下町での関わりを見ていると、前者だとリオンは確信していた。


 「はい。好きになります。」

 「やったー!」


 素直に喜ぶユウマの姿が可愛い。何でも肯定したくなる。ふと、村の子供達が気になった。

 西の方角に向いてリオンが指を組み、瞳を閉じた。?を浮かべたがユウマだが直ぐにリオンの真似をする。


 「お願い事したの?」

 「ええ。両親と村の子達が元気でいますようにって。」

 「りょーしん。」


 こてんと首を傾げたユウマにリオンがはっとなる。そういえばユウマは兄のハルオミと二人暮らしで親はいない。バツが悪そうに口を結んだリオンにユウマはいつものように答えた。


 「オレ、親ってよくわからない。ハルしかいなかったから。それに、わかんなくてもいいかなって思ってる。」

 「・・・。」


 リオンはユウマの言葉をただ、受け止めるだけしかできなかった。2人の育った環境は違うのだから。


 「でもリオンがお願いするってことはきっといい人なんだね。みんな元気だといいね!」

 「はい。」


 笑顔のユウマにリオンは自身のモヤモヤを隠すように笑った。今のリオンには肯定する言葉しか見つからなかった。


 「二人共ささっと降りてきなさい!」 


 カノンが壁下から声をかける。ユウマは「はーい。」と返事をしてリオンの腰に手を回した。


 「え?」


 戸惑ったリオンにユウマはニコニコと笑ったままだ。


 「せっーの。」

 「ちょっと、まってぇえ?!」


 ユウマがこの壁を飛び降りる気だと察したリオンは力いっぱいにユウマにしがみついた。




 「城内部には結界が貼ってありますが、その周辺の結界は?魔導士も警備に?」

 「魔弾を装備するから結界はいらないって言ってた。」


 難なく着地したユウマは腰が砕けたリオンを右手で支え普段通りにカノンの問いに答えた。


 「・・・。」


 未だにバクバクと心臓は動いて、表情も青いままのリオンに気付いていない。

 高さ30メートル程の壁から飛び降り、平気な顔をしているユウマも信じられなかったが淡々と話を進めるカノンもリオンは信じられなかった。


 「・・・結界がいらないねぇ。」


 結界は術師の力量にもよるがある程度の魔物を拒む事ができる。しかし、外からの魔力攻撃を弾くと同様に内側の魔力攻撃も弾かれてしまう。つまり迎撃時の魔弾の効力が相殺されるということだ。魔導士の張る結界は基本魔力に反応する。なので魔力を持たない人間や動物達はその中を通る事ができるのだ。

 ハルオミが頭を悩ませていたのはその事かカノンは察した。


 「そんな支持を誰が?」

 「赤いの。」


 難しい顔のままのカノンの問いにユウマは嫌そうに顔を歪め即答した。


 「龍が守る国だから問題ないって。みんな言うんだ。変な大人ばっかり。」


 ユウマの言う「皆とは」国で権力のあるも者達だろう。思ったよりも内政は荒れているのかもしれない。ふぅむと腕を組み考え込んだカノンの隣でユウマも腕を組む。


 「真似するんじゃありませんよ。他には知っていることは?」

 「他?」

 「警備の配置や装備です。」


 仕事だろうと呆れるカノンにユウマはああと言う。


 「それはあとでハルから聞くから知らない。」

 「呆れた。それで警備が務まるんですか?」

 「それは大丈夫。これ持ってるから。」


 腰に下げたポシエットからユウマは銃を取り出した。ユウマには合わない、厳つく、重量もあるものである。初日のチンピラはこれで殴れらたのならかなりのダメージを受けたことだろう。


 「警備以外は弾は抜いてるけど。」

 「見せてください。」


 カノンが小さな手を伸ばすとユウマは迷って、ダメと答えた。


 「ハルに誰にも触らせたらダメって言われてる。怒れられるからダメー。」

 「見せたなら触ってもいいじゃないですか。」

 「危ないから触らせたらダメって言われたけど。見せたらダメって言われてないもん。」


 ポシェットに銃を閉まったユウマにカノンはそれ以上は何も言わなかった。

 

 リーン、ゴーン、リーン、ゴーン


 正午の鐘が響く。ユウマはハッとなった。相変わらず顔に出やすい。


 「あ!オレ、行かなきゃ!」


 慌てたユウマにカノンが落ち着けと服の裾を引っ張る。


 「はいはい、深呼吸ー。」

 「すーはー、すーはー。」


 ユウマは素直にカノンの指示に従う。そんなユウマにリオンが近付く。


 「ユウマ。」

 「なぁにー?」


 リオンに呼ばれ、ユウマは普段と変わらず間延びした返事をした。


 「手を出して。」

 「うん?」


 首を傾げながらもユウマは素直に両手をリオンの前にだした。リオンが包んでいた両手を離すとひらひらと緑の花びらが舞った。


 「おっー!魔法だー!初めてみたー!」


 瞳を輝かせ声を上げるユウマにリオンが微笑む。

 

 「怪我しないように、お守りです。」

 「わっー!ありがとー!」


 花びらはユウマの手に触れると体に溶けるように消えた。


 「でもオレ怪我なんてしたことないよ?」

 「それでも。持っていてください。」


 懇願するリオンの気持ちをユウマが気づくことはない。いつもと違うとだけ感じ、?を浮かべるだけだった。


 「ではこちらはハルオミに。」


 カノンの小さな手のひらには一輪の桜があった。ふわりと舞ってユウマの手のひらに落ちる。リオンのときと違い、溶けることなく形が残っている。


 「これはハルの分ー!」


 両手で覆いユウマは「いってきまーす。」と駆け出しかけ、思いだしたように足を止めた。


 「そーいえば、リオン達はこれからどうするの?夕ご飯は?」

 「ボクらは龍宴に参加するんですよ。だからしっかり警備してくださいね。」


 不敵な笑みでカノンが告げる。


 「そっかー。じゃあ、終わったらお迎えに行くねー。」


 ユウマは龍宴を町のイベントくらいにしか考えていない。祭りのあとに上がる花火くらいにだ。自分からは知ろうとしないので、教えられたら聞くくらいの程度の認識だった。


 「今日はお刺身も出るのっ!食べれていいなあー。オレね、マグロ好きっー!ネギトロー!」

 「はいはい、わかりましたわかりました。ユウマの分も食べてきますから安心なさい。」

 「うん、わかったー。じゃあいってきまーす。」


 言いたい事だけ話し、ユウマは背を向ける。


 「ユウマ、気をつけてね。」


 リオンが不安気な瞳をユウマに向ける。ユウマな振り返るとにっこり笑った。


 「うんっ!気をつけるっー!」


 パタパタと走り去るユウマの姿を見送りカノンはリオンを見上げた。


 「ボク達も準備しましょうか。」

 「はい。」


 右の人差し指と親指を弾くとひらりと一枚の葉が宙に舞ったその葉を指に挟む。

 カノンの後ろを歩き、リオンは顔を上げた。

今日は晴れている。今宵の月はきっと綺麗に見えるはず。薄っすらと青空に浮かぶ月にリオンは祈りを捧げた。


ーーー


 民家の屋根に飛び乗り、見知った猫に挨拶をしながらユウマは龍王宮を一直線に目指した。

 宮廷の敷地内に入ると多くの使用人達の横をユウマは器用に駆け抜ける。更にそこから窓を飛び出し、古びた建物に入った。


 「ハァールー!」


 ぎぃと錆びた蝶番が金属音が響く。


 「ゆっくり開けろと言ってるだろーが。」


 言葉とは裏腹に穏やかな口調のハルオミにユウマはニコッーと笑った。


 「肩で押したから勢い余ったー。」

 

 上官の執務室に体当たりで入る不届き者など懲罰房行きは確実だが、ユウマ自身に軍に所属している意識はない。兄の手伝いの延長のような感覚なのだ。


 「これ、カノンからハルにお守りー。手ぇ出してー。」


 ニコニコ笑顔のユウマはハルオミに手を出すように言う。手のひらに落とされたのは一輪の桜の花だ。


 「・・・これは。」

 「オレもリオンにもらったよ。緑色の花びらでキラキラしてたー。お守りだって。」


 街で見る桜と違い、花弁は淡い光を纏っている。明らかに魔術の掛かった花だ。受け取った桜の花をハルオミは胸の内ポケットに閉まった。



 「さてユウマ。今回は二班だ。ヴィントの下について東側を警備。」

 「はぁーい。」

 「俺は西側の警備にあたる。」

 「西側?」


 繰り返したユウマにハルオミはどうしたと聞く。


 「ん、なんでもない。オレは東ねー。」


 普段と変わらない間延びした返事にハルオミはユウマの頭を撫でた。


 「服、着替えろよ。」

 「ヤダ、動きにくいんもん。それにハルのお下がりがいいー。」

 「でもこの布じゃ怪我するかもしれないだろ。」

 「オレ怪我しないぃー。」


 首を振るユウマにハルオミは困ったなぁと笑った。

 戦闘に関してハルオミがユウマに言うことは何もない。本気になればユウマは自身より強いだろうと確信している。


 「ハルー?」

 「どうした?」

 「んー、あのね、」


 ユウマは少し俯いた後にハルオミに抱きついた。


 「ユウマ?」

 「ギューッてしてから行く。」

 「あはは、そうか。」


 腰に抱きつくユウマを抱き締めてハルオミが笑った。ユウマも満足気に笑う。


 「じゃあ、気をつけるんだぞ。」

 「うん、気をつけるー。リオンもね、気をつけてって言ってたの!だから絶対気をつけるっ!ハルも気をつけてねっー!」

 「ああ。」

 「仲が良いのはいいんですが・・・。」


 扉前ではフェンが報告のタイニングをミスったと一人反省をしていた。


ーーー


 夕暮れ時でも城下町には明かりが灯り賑わっていた。多文化が混ざり合う市場はそれぞれの地域の特色を更にだし彩られていた。皆、明日のお客様の準備だ。

 上級魔道士ともなれば貴族が接待するのだが、魔道士は風変わりな者が多いので街に降りてくることもある。どこから噂は流れたのか、女性の魔道士の招待が多い分、街には観光での男性客も多かった。

 国内治安は貴族が統括しているのだが、結界石に頼ることが多い。


 東門の最上階でユウマは膝を抱えて空を見上げていた。段々と東に夜が降りてくる。東の山の向こうには海というのがあるらしい。絵本でしか見たことがない海の中では魚が泳ぎ、昆布が生えていると聞いた。


 (お魚は好き。昆布ってどんなだろう?緑でうねうねって聞いたけど見てみないとわからないー。)


 むーと考え込むユウマの背に小石が当たる。


 「一大事だっよん、ユウマー。」


 一大事と言うには緊迫感が感じらない。声の主は副隊長のヴィントだった。


 「うんー?どうしたのー?」

 「魔封弾が足りなさそー。」

 「えー?足りないー?」



 150メートルの高さからユウマは器用に飛び降りる。


 「どーする?」


 頭の後ろで手を組んだヴィントにユウマはぅーんと唸った。


 「ぇっとぉ、魔封弾は各自に配ってー。ライフルと実弾用意しといて。今日の風、気持ち悪いー。」


 普段と変わらずに語尾を伸ばすユウマにヴィントもうんうんと頷く。


 「そーなんすよっねー。弓も今回は支給されないし。火炎とナイフはくすねたんだけどさー。」

 「ハルのとこは足りてるのー?」

 「うんにゃー、どっちかってとこっちより少ないかも。西側は木が多いし、隠れるとこ多いからライフルめんどいだよねー。火炎放射器使いたいけど怒られるし。川が流れてるから俺はいけるとおもうけどなー。」

 「ふーん。じゃあ、オレ終わったらハルのとこいくね。」

 「りょーかい。実弾どんくらいほしい?装填する奴必要?」

 「ひつよー。えーっと、500くらい?」

 「ざんねーん。430しかないでーす。」

 「じゃあ430ー。」


 世間話のような感覚でヴィントとの会話を終了したユウマは軽々と塔に登って配置に着いた。


 「集合~。」


 ユウマが戻った事を確認し、ヴィントが手を鳴らした。それを合図にヴィントの前に部下が集まる。

 集まった部下の顔ぶれにヴィントは眉をよせた。


 「え??俺、今日は子守と介護任されたの?」



 前にいた最前列の古株のガシャコに声をかける。ヴィントより、二回りも年配のガシャコは白髪混じった短髪をガシガシとかいた。そして後方に並んだ少年達を親指で差し、不快げに話した。



 「バイトだと。日給3000リー。」

 「宴のバイトが3000リー?!やっす。下級遊女4時間!?」

 「ヴィント。隊長いたら6時間説教コースだぞ。」


 例えが下品だとガシャコが嗜めるとヴィントは面倒だと表情を歪めた。


 「依頼したのは貴族の息子たちで龍宴での警備に参加した実績が欲しく人数合わせのためにそこらの少年達を安くで雇ったらしい。」


 ガシャコの説明にヴィントは「はー」とわざとらしい溜息を吐き座り込む。


 「んっだよ。だからフェンも居なかったわけかー。」

 「名簿に目を通さないお前さんが悪い。」

 「・・・子守りと介護かー。」


 もう一度繰り返し、ヴィントは盛大に溜息を吐いた。そんなヴィントにガシャコが一枚の紙を差し出す。差し出された紙には班編成と警備内容が簡潔に記載されていた。

 貴族の息子連中の名が自身の班にだけ入っている。ヴィントとガジャコのやり取りを少年達は申し訳無さそうに顔を歪める者、悔しそうに拳を握る者と反応様々に眺め聞いていた。


 「ユウマー。」

 「なぁーにー?」


 地上からヴィントに呼ばれ、ユウマがいつもより大きな声で塔の上から返事した。


 「下で処理しやすいように、全部頭ぶち抜けー。兄貴の尻拭いよろー。」

 「??はぁーい。」


 素直に返事をしたユウマにヴィントはもう何度目かのわざとらしい溜息吐いた。


 「ったく。おっかしいと思ったんすよね。隊長が何も言わないなーって。東側が安全パイってことかよ。」


 ゴチるヴィントにガシャコは豪快に笑う。ユウマとヴィントが同じ場所に配置される事は滅多にない。


 「年寄と貴族の息子、お前とユウマだぞ。」


 「あーあー、サボってるのバレてたからなぁ、ちゃんと給金分は仕事しろってことか。ユウマとも意見一致したし。今日何かあるよなー、絶対。」


 だるいなぁとヴィントは背中を伸ばし、指示を出した。


 「今日は魔封弾と手袋は絶対装備。」

 「おうよ。」

 「死体は一箇所にまとめて。」


 各自が装備を行った後、ガシャコは近くにいたグシトウと少年達に短剣と手袋配り歩いた。

 気の良いオジさんのようなガジャコと違い、坊主頭に右目に眼帯をしたグシトウに少年達は震えながら短剣を受け取っていた。


 「んじゃ、配置についてー。あ、キャン爺はユウマのサポート宜しくきゃーん。」

 「ヴィント!年寄りに階段上がらせるたぁ、どういう了見じゃ!!」

 「年寄りだからの後方支援しょー。今日は俺が偉いんだから散った散ったー。」


 犬を追い払うように手を振るヴィントに古株達はぞろぞろと持ち場へと去っていく。

 国を挙げての一大イベントの攻防というより、近所の夏祭りのような緩い空気が流れている。

 はぁーとまたため息をついてヴィントは少年達に向き直った。


 「3000リーでこんな仕事させられて損だよなー。」


 哀れみでも侮蔑でなく、淡々とヴィントが告げた。少年達は目を丸くし、黙ったままだ。


 「上からだろうが下からだろうが、ぜーんぶユウマが狙うからさ。一応こっちで処理するけど動いてたから迷わずこの短剣で心臓をぶっ刺す。余裕あんなら目ん玉を深く刺せば脳みそまで届くからそっちがいいかもな。」


 簡単に説明を受けた少年達は手のひらに乗った震える短剣をじっとみていた。


 「何か聞きたい事は?無ければガジャコ達についていって。」


 話しを締め括るとヴィントはユウマと同じように塔の上を目指して跳躍し登って行った。

 取り残された少年たちは暫くその場を動けずにいた。


ーーー


 龍王宮殿内は綺羅びやかだ。集められた魔道士達も能力を誇示すよう、派手に魔道具で着飾っている。


 (・・・場違いすぎるような。)


 シャンデリアから降り注ぐ人工の光は魔道具に反射し刺激の強い光に変わっていた。人工光が苦手なリオンはクラクラと目眩を感じていた。


 「食べないと損しますよ?」


 そんなリオンを気にも止めずカノンは欲求のまま手にした皿にスィーツの山を作っている。フォークに差しては一口で頬張るカノンの図太さが羨ましい。


 「魔導師さんてたくさんいらしゃるんですね。」


 世界中から集まったであろう魔導師達はそれぞれの力を誇示するように魔具で身を固めていた。魔力を込めた宝石を身に付ける者もいれば、大鎌を背負っている者もいる。これは傍観するだけでも刺激的だとリオンは思った。

 宮廷魔導士、しかも龍王付きの魔導士となれば権力も名誉も財も全てがついてくる。


 (しかし、ギラギラした女狐ばかり集めましたねぇ。)

 

 白龍王には世継子が居ない。それならば上手くいけば正妃になれる可能性がある。最悪、王弟付きでも構わない。下衆い企みの渦が伝わりカノンは辟易としていた。


 「まぁ、雑魚ばかりですけど。」

 「・・・お姉。」


 相変わらずのカノンの物言いにリオンはため息しかでない。


 「いずれリオンにもわかりますよ。」


 ため息しか出ないのはリオンが現実を知らないからだ。ユウマ同様、リオンもまだまだ幼い。羨ましい限りだとカノンはチョコレートをフォークで差し口に入れる。


 「いずれではなく今教えてくれても、」

 「それより、上を見なさい。」


 口を尖らせ抗議したリオンにカノンはチョコレートを飲み込むとフォークをひらひらと動かした。

 フォークの先にリオンが視線を向ける。そこは貴賓席で中央に銀髪の人物が座っていた。

 隣にはウォーターブルーの髪色の小柄な女性がおり、少し離れたところに赤髪青年の姿が見えたが数名の魔導女に囲まれているので顔はよく見えなかった。


 「銀の長髪の方が現龍王でしょう。隣の女性は王妃ですね。赤の長髪は王弟。」


 フォークでシュークリームを差しカノンは話続ける。リオンは黙って聞いている。


 「リントエーデル国は5匹の神龍の恩恵を受けています。」

 「5匹?でも王様は白龍ですよね?他の方は?」

 「推測ですが生まれる龍はランダムでしょう。この時代では慈悲と叡智の象徴である白龍王が国を治めている。なので国は安泰でしょう。」

 「良かった。それなら心配ないですね。」

 

 リオンがホッと安堵で胸を撫で下ろす。カノンは貴賓席に視線を上げたまま続けた。

 

 「ただ、王弟は赤龍です。2番めに強いと言われる龍です。この国の未来を思えば王位につくと事はご辞退願いたいですね。」

 「・・・2番めですか?」

 「リオンそんな事も知らなかったんですか?」


 呆れるカノンに何のことかリオンはムッと眉を寄せた。そんなリオンにカノンは「あ。」と自身が伝えてなかった事を思い出したがそのまま話しを続ける事にした。

 

 「この国では白龍と赤龍、黄龍が王位につくことが多いです。生まれる確率が高いのでしょう。前王は赤龍王のようですし。その前は黄龍。青龍も居たようですが即位していない。それぞれに特性があったようですし、青龍は政治が苦手なのでしょうね。」

 「はぁ。」


 カノンの説明にリオンは頷く。全くの初耳だ。何故知っているかのように話したのか不思議なくらいだ。

 

 「白龍、赤龍、黄龍、青龍。・・・あれ?あと一匹の龍さんは?」

 「黒龍。破壊を司る龍ですよ。」


 『破壊』

 何でないと一言告げカノンはフォークでフルーツタルトを刺した。ただ、リオンには衝撃的な言葉だった。

 それは神夜様の自己犠牲とは相反する考えだからだ。


 「この龍の記録だけ無いんですよね。何故か。」


 タルトを口に運び、飲み込むカノンにリオンは疑問を口にした。


 「でもお姉そんな事いつ調べたんですか?」

 「簡単ですよ。」


 ぽんと小さな手に書物を出す。カノンの手に握られた書物にリオンは首を傾げた。


 「この本は?だいぶ古そうだですけど?」


 リオンに見せるとカノンは直ぐに本を消す。


 「ハルオミの部屋にあったのを借りたんです。」


 にんまりと目元を緩めるカノンにリオンは借りたのではなく許可なく持ち出したのだろうと頭を抱えた。


 「・・・だったら私がこの話知らなくて当たり前じゃないですか。」

 「そうなりますね。」


 しれっと謝罪の一つもないカノンにリオンは眉を上げる。


 「ハルオミさんに言い付けますから!」

 「おやまぁ。リオンがボクに歯向かうなんて。これもユウマの影響ですかねえ?」

 

 ニヤニヤするカノンにリオンはフンとそっぽを向ける。その先では龍王へ謁見しようと魔導士達が列を成していた。


 「次はあっちのマーブルケーキ食べましょ。あ、ボクらは挨拶なんていきませんから。」

 「・・・お姉、何しにきたんですか?」


 そういえば。この国に来た本来の目的はまだ聞いていない。リオンはカノンの付き人として同行しただけだ。


 「美味しいものを食べにきたんですよ。『ユウマ』も言っていたでしょ?」


 『ユウマ』の単語だけ嫌に強調するカノンにリオンは更に顔赤めむくれた。そんなリオンはカノンが面白くカノンはニヤニヤと笑って眺めていた。


ーーー



 「あーあ、ボンキュボーンな姉ちゃんいねーかなー。」


 無理矢理謁見の列を終わらせたエンジュはだらしなく椅子に腰かけていた。

 赤いウェーブがかかった長髪に赤い瞳。それが赤龍の血を引いている証だ。


 「エンジュ様、お仕事中ですよ。」


 クスリと宥めるようなにエンジュの背後から魔導士が現れた。グラマラスなボディが自慢のミラーが妖艶な笑みを浮かべ、エンジュの肩に手を回す。その手付きにウェーブの赤髪から覗く赤い瞳が細まる。


 「ボンキュボンな姉ちゃんはここに居たのかー。」

 「そうですよ。一生貴方様の隣に居ますわ。」



 現王が隣にいるというのに、気にせずに濃厚なキスを交わす王弟のエンジュに気を取られることもなく、兄の現龍王のケンシンは会場内を見渡していた。隣に座る龍王妃は眼下に向ける微笑を張り付けたままだった。


 「兄貴、こんなんいつまでやんだよ。もうお開きにしようぜ。」


 開始してまだ一時間と経ってはいない。自由気ままなエンジュをケンシンが一瞥する。


 「公式行事も真っ当にこなせないのなら退出すればいい。次はハルオミを参列させる。」


 静かに放たれたハルオミの名にエンジュがカッと班のする。


 「ああぁ?!なんであの野郎を!?」

 「ハルオミは分をわきまえることができ、私に忠誠を誓っているからだ。」


 正面を見据え、続けた言葉にエンジュは奥歯を噛んだ。


 「お前は自由にするといい。私にお前を拘束する権限はない。」


 突き放す物言いにエンジュは拳を握り黙りこんだ。エンジュの付き人のペトラがシャンパンの入ったグラスを手渡した。


 (ああ、くそ。あの忌々しいあの兄弟が。いつか殺してやる。兄(アイツ)は絶対楽に死なせてやるものか。)


 憎しみを赤い瞳に宿らせエンジュはシャンパンを一気に煽った。


ーーー



 西門の配置についたハルオミは目を閉じていた。

 ユタがやって来た夜、地図に黒いシミが浮かびあがった。その地点がここだ。ユタは禍いを運ぶ魔導士だ。


 (何も起こらず、無事に終われば良いが。)



 ゆっくりと瞼を上げハルオミは周辺に見渡した。

 『ホリビス』は謎が多い生命体でる。黒魔術の副産物との説が有力だがある種の個体は繁殖も行えるらしい。空を飛ぶモノも居れば、海底に引き摺り込むモノもいる。一番厄介なのはにおいに敏感で人を襲い、血肉を喰らう事だ。狼の様な牙にゴリラの腕力には人間は勝てなかった。なので、「護石」の需要が高いのだ。


 通常はリントエーデル国の四方には護石による結界が作動しているが、今回は『全生物対象』からの警護となった。その為結界解除を言い放つ上と揉めに揉め、何とか護石は現状のままで通すことが出来た。


 (それに外からの人間が何故王の元に辿りつけると言うんだ。お前らがサボっていると言ってるようなもんだろーが。)


 精神疲労から苛々してしまい、ハルオミは深く息を吸い込む。


 (・・・任務を終えたら、少し休みを取ってユウマにも構わないと。カノンとリオンにもお礼もしたい。雑務は全てヴィントに任せて順々に休暇を・・・。シフト関係はフェンにお願いして・・・。ユウマは温泉に行きたいと言っていたが遠出は無理だからプールにでも。)

 

 気持ちを切り替える為にハルオミはユウマの事を考える事にした。そこに静かにフェンが駆け寄る。


 「またユウマの事ですか?」


 図星を疲れたハルオミがウッと顎を引く。


 「口元を隠す時は100パーユウマの事だと皆知ってますよ。」


 無意識の癖までも部下に見抜かれている事にハルオミは凹んだ。

 上官の小さな変化にフェンはハッなり、「指示はありませんか?」と聞いた。任務前に士気を下げるのはよくない。


 「ああ、南北はどうだ?」

 「異常ありません。」

 「ふぅむ。」


 (南の護石はユウマに確認させたし、北は藍玉国との境だからホリビスもそう簡単に侵入できないだろう。)


 「西側の数値は?」

 「今朝の測定では67です。」

 「6割なら強度の問題はないな。」


 ふぅとハルオミは息を吐いた。腰に下げた剣に触れる。

 暗い木々の間からサラサラと川のせせらぎが聞こえる。ぼこっと不自然な音をたてながら。空では月が煌々と輝いている。



ーーー


 「ひーふーみーのー。いっぱいきたー?」


 敵が攻めて来たというのにユウマの暢気さは変わらなかった。突如として夜空に現れた異形の影を指差し数え、その多さに途中からは数えるのを諦めた。そんなユウマの頭に顎を乗せていたヴィントは面倒臭そうに立ち上がると塔の下にいる部下に声をかけた。


 「各員、戦闘配置ー。って言っても空からじゃあなー。落とさないと処理できないし。じゃ、ぶち殺そーか。今結界解くからちょい待ってろー。」

 「はぁーい!」


 敬礼の代わりと言わんばかりにユウマは右手を高く上げる。ヴィントは階段を降りるのが面倒だと先程のユウマ同様塔から飛び降りた。


 「キャン爺、弾お願いねー。」

 「任せとけ任せとけ。」


 ほのぼのと話すユウマにキャン爺は黄色く、欠けた歯を見せ笑った。ユウマもニコッーと笑って体格に合わない、ライフルを空に向かって構えた。



 同時刻、西塔付近にも異変が見られていた。星空を塗りつぶし蠢きながら迫ってくる物体にフェンは息を呑み凝視していた。


 「なんだ、あれ・・・。」


 1人の部下の動揺が一瞬で隊に伝播する。


 「護石の魔力値は!?」


 西塔近くにいる部下にハルオミは声をかけた。壁面に埋め込まれた護石の輝きを部下は慌てて測定した。


 「・・・38ですっ!!」


 裏返った部下の声にハルオミは眉を寄せる。

 

 「そんな、67あったのに・・・。」


 動揺するフェンの肩をハルオミが叩く。フェンは青褪めた顔でハルオミを見上げた。


 「魔力値は常に変動するものだ。先程の報告も間違っていない。」


 状況は変化する。

 それに対応するしかない。


 「前線配置の者を下げる。フェン伝令を頼む。」

 「はいっ!!」


 フェンが駆け出した後、ハルオミは周辺の確認した。

 前触れもなく、空を覆った靄にユタの姿が嫌でも重なっていた。


 

 ーバッチィ!


 不規則な形に気味悪く蠢め続けるモノが結界にぶつかる。光と火花が飛び散り閃光が走った。


 「初めてみるけど、マジでキモいな。」

 「にしてもすげぇ。ホルビスは入って来れないぞっ!!さすが龍の国っ!」


 歓喜する部下をフェンは大声を張り上げた。


 「下がれっ!興味本意で結界に近づくなっ!距離をとれっ!!」

 「あ、フェンも見ろって。」

 「クスナ!下がれって指示出してるだろっ!」



 嘲るクスナ達にフェンは大声を出した。クスナとは同年代だ。ハルオミやヴィントに比べれば舐められている事もフェンはわかっている。だが今は任務中だ。


 「下がらない奴は懲罰の対象で上げるからなっ!!」

 

 切れたフェンにクスナ達は舌打ちし下がり始めた。同年代だが、階級の差は絶対だ。

 憎らしげにフェンを睨み引き上げていく。ふぅと一息つき、フェンは周囲を見渡す。皆ノロノロとだが結界から離れている。

 

 ーバチィッ!!

 結界に閃光が走る。フェンは退避前に結界の強度を測ろうと測定器を取り出した。


 ーバチィッ!!

 黒煙が濃くなり、結界全体に広がっていく。

 ぶつかる度に閃光が走る。


 「・・・厚さ30ってところ、」


 ーべたっ

 ぬるりと粘着質な耳障りの音が上空から聞こえた。

 顔を上げたフェンの体が固まる。視界にはニタリと笑みを浮かべた奇怪な人間の上半身がくっついている。その身体は鞭のように反り返っては結界に体をぶつけていた。


 「・・・。」


 ぐりんっとホリビスが遠のく。


 「フェンッ!!!」

 ーバキィ!!


 ハルオミの声がフェンの耳に届くのと同時に破裂音が響いた。降り注ぐ虹色の小さな欠片。そして、黒い霧がフェンの視界を覆った。

 


ーーー



 「!」


 小さな両手にチキンを持ち、齧り付いていたカノンが急に顔を上げる。


 「お姉?」

 「今、気持ち悪くなかったですか?」


 カノンの口の周りについた油をハンカチで拭いながらリオンは呆れながら答えた。


 「食べすぎなのでは?」

 「まさか。この歳で胃もたれなんて。」


 ありえないと嘆息するカノンだが、テーブルの端から料理を見境なく食べ続ければ胃もたれもするだろうとリオンは思った。



ーーー


 東の空に銃声が響く。


 ーパンッ、ドスッ

 ーパンッ、ドスッ

 


 「いっやー、気持ちぃースね、ホント。」


 発射音が鳴れば撃ち落とされ地面に叩きつけられるホリビス達を眺めヴィントは感嘆の声を上げた。



 「これで、終ーわりっ!」


 最後の一匹を撃ち落とすとユウマはライフルを投げ置き、すぐに塔から飛び降りた。


 「こらユウマ!支給物資は大事にしろっ!」


 キャン爺の怒声にユウマは「はーい。」と生返事をしヴィントの前に降り立った。


 「おっ。ユウマー、おつかれちゃーんー。」

 「ん。ハルのとこ行ってくるっ!」

 「うぃ~。」


 急に目の前にユウマが現れてもヴィントは驚く様子は無かった。逆に近くにいた者達が驚き小さな声を出していた。跳躍したユウマの姿はあっという間に夜闇に紛れた。

  

 「んじゃば俺もちょくら結界張り直してきやぁーす。」

 

 ヴィントがガシャコに声を掛ける。ガシャコは頷いて手をあげた。


  「よぉーし、皆手袋を付けろー。血は毒だから触れるなよー。」


 ガシャコの指示に少年達は怯えながらも手袋を嵌めていく。そしていくつかのグループに分かれて林の中を進んで行った。


 「やっぱ年寄りは子守り上手いわー。」



 うんうんとヴィントは自身の采配を自賛した。

 

 


 器用に木々の枝を伝いユウマは西塔を目指した。


 (わけわかんない、変な感じ。嫌な気分。ハルにお話したいっ!)


 うまく言えないがぞわぞわする。お腹の中が、下腹部がぐるぐると気持ち悪い。

 『焦り』と『不安』

 2つの感情が入り混じり、複雑に渦巻く感覚は初めて感じるものでユウマは戸惑っていた。

 城壁を飛び越え宮殿前に出るといくつかの待機馬車が数台見える。


 「お馬さん、貸してっ!」

 「は?」


 腰かけていた操縦者がユウマの姿を捉えるより早く、ユウマは馬と乗車部の紐を切り落とし馬にまたがっていた。


 「お馬さん、ハルのとこに連れてって!!急いでっ!」


 手綱を握ると馬は西の方に向けて走りだした。


 「な、なんだっ?」


 唖然となった操縦者の男の後ろには不安定な乗車部のみが残されていた。



ーーー



 土埃で視界が奪われる。

 視界が曇る前に見えたのは飛び散るガラス片と白い閃光。


 宮廷魔導士シュッツシェールの張った結界石が壊された。


 一瞬、夢かと思った。だが、鼻をつく腐臭はフェンに現実を突き付けていた。


 「あっら〰?情けないのねぇ、これで龍の護衛が務まるのかしらぁ?」


 野太い、耳障りな声が上から振ってくる。吐き気と頭痛で体が動かない、脂汗が止まらない。軍服の襟元を押さえ呼吸をしようと口を動かすが上手くできない。降り注いだ異臭を吸い込んだ気道が焼けるように熱くなり、呼吸ができなくなった。フェンは両目を見開き固まったままだった。

 


 (・・・死ぬ?)


 頭を過ぎるのは『死』だった。



 「弱い弱い。弱いのは食べるだけ無駄なのよー。だって、なんの身にもならない。」


 (・・・。弱い?食べる?)


 痛覚が麻痺し、頭がぼんやりとする。フェンの身体の力が抜け、膝から崩れ落ちた。全身の筋肉が弛緩し、口の端から唾液が流れる。


 (俺、今日、死ぬ?・・・やだな、)


 意識が途切れかける。

 耳元で空気の切れた音が聞こえた。


 「ッ!」


 新鮮な空気が肺に流れ、取り込んだ酸素が脳に届く。

 

 「フェン無事か?!」

 「・・・隊長?」


 ハルオミに体を支えられている。フェンは右手を動かした。


 「これを持って遠くに走れ。」


 ハルオミは胸ポケットから御守りの桜の花を取り出し、フェンの手に握らせた。握った瞬間、淡い光が強くなり、同時にフェンの体も軽くなっていった。


 「すぐにこの場を離れろっ!誰も近づけさせるなっ!」 

 「・・・はい、」


 フェンは頷きと立ち上がるとクスナ達と同じ方向に駆け出した。

 早く、早くこの場を去りたかった。声をかけた上官の顔をまともに見る事も出来ずにフェンは足を動かし、走りだす事ができた。

 フェンが去った事を確認し、ハルオミはホリビスに向き直る。


 「ほほっ。弱い弱い。弱い者は逃げまわる〜。捕まえておいしく食べる〜。」


 ゲラゲラと笑い恐怖心を煽るソレをハルオミは見上げた。


 (これまで対峙したホリビスとは比べ物にならない大きさだ。しかも言語を使えるとは。)


 異臭を放ちゆっくりと近づくソレは息を吸い込み、勢い良く空に黒い煙を吐き出した。

 瞬間、ハルオミはその煙に剣を振るった。真っ二つに切り裂かれ霧散していく。


 「あら?」


 訝しむソレはまたも煙を吹き出す。しかし、煙は地上に降り注ぐ前に切り裂かれていた。


 「あらあら。やるじゃない。弱いのにあなたは美味しいそう。」


 剣を構え直し、ハルオミはホリビスを睨みつける。

 今の状況では何人で戦おうと被害でるのはわかっていた。それなりの準備はしてきたが、まさか新種が現るとは想定外だ。中堅の部下を率いてきたが、得体の知れない煙を吸わせるわけにはいかない。


 「良い男の体をなめるの好きなよねぇ。噛み砕いては芸がない。舐めて溶けてこそ上品な食し方。」


 不釣り合いなほど長い舌を蠢かせるホリビスは神話に出てくる巨大な蛇のようだ。左右に体を揺らし進む度に草木が枯れ、干からびた葉が落ちていく。

 

 「美味しそうなら追いかけるー。こっちからいくわよー。」


 喋り続ける蛇型のホリビスは腐臭を漂わせながらハルオミに近づいてくる。のろりのろりと近づいて来る姿は恐怖心を煽るようだった。


 「・・・。」


 前を見据えハルオミは剣を構え直し、地面を蹴った。ハルオミは体をひねり、振り切ったがどうも手応えがない。


 「あららら、どこを狙ってるのかしらーん」


 もう一度、ハルオミは剣を振り抜いた。空気を切っているようでダメージを与えられていない。確実に剣はホリビスの体に触れているはずの距離なのに。


 「あらあら。いひひっ」


 下卑た高笑いも続き挑発も苛立たせる。焦りが募るばかりでは敵のペースだ。


 (落ち着け、これとは相性が悪い。)


 深呼吸し、ハルオミは柄を強く握り直した。


 (下半身には剣での攻撃は効かない、ならば狙うは上半身か。)


 瞬時に分析を行い、ハルオミは低く構え直した。土を蹴る。目前で下から振り上げる。

 一瞬、歪な笑みがハルオミの視界の端に映った。

 ホリビスが両手を伸ばす。まるで待ち構えていたように。

 振り上げたハルオミの剣先はホリビスの体を、皮膚を切った。手応えはあった。

 それでも口元を釣り上げているホリビス。瞬間、剣の重量の変化にハルオミは気づいた。


 (軽い?)

 「食べる前はいただきます。」


 体が前のめりになったと感じた時、粘着質な、黒い血が降りかかった。

 至近距離で浴びた返り血はハルオミの体にベッタリと付着し、異臭を放ちながらじわじわと熱を持っていく。


 「っ!」


 ハルオミが熱さを感じたときには左肩の感覚はなく、激痛が走っていた。手にしていた剣が滑り落ちる。剣先は溶けて使い物にならなくなっていた。


 「ホーッホッホッホ!いいわ、いいいっ!唾液で悶える格好〜!たまらないたまらないぃぃい!」


 愉悦に入り、ホリビスは上機嫌で笑い声を上げた。


 「動けなくなったら、頭から?腕から?それとも足?旨味の詰まったお腹は最後にもぐもぐしないとー。」


 ハルオミの左腕の感覚はなく、熱に体全体が徐々に侵食されていた。跪いた足にも力が入らない。


 「ふふ、・・・。」

 

 何故かハルオミは笑ってしまった。

 

 「わらう。楽しい。私も楽しいわー。けけけっ」


 目を細め笑うホリビスの目は暗く濁っている。そしてのそりのそりと体をくねらせハルオミに近づいた。

 

 ーバシュッ

 銃声が響いた。ホリビスの右腕が破裂した。


 ーバシュッ

 次に左腕が明後日の方向に飛んでいく。


 「いったいわね、あら?」


 痛覚を感じ、疑問を持つと同時にホリビスの体は簡単に頭部が胴体から離れずり落ちていった。


 木々や葉の擦れ、その間からユウマが飛び出しハルオミの体を支える。


 「ハルッ!大丈夫?ハルッ!」


 クシャクシャに泣き出しそうなユウマがハルオミを見つめた。


 「・・・ユウマ、か。」


 (やはり、まだ、俺は死なないようだ。)


 意識が薄れていく中でも口元が緩んでいる事に心底笑いが込み上がる。


 「ハルッ!ハルッ!ねぇ、ハルってばっ!」


 意識が無くなったハルオミをユウマは必死で揺さぶったが反応はない。

 嫌な、もやもやに押しつぶされそうな、言語化出来ない感情がユウマの中で大きくなる。

 不快な感覚にユウマはどうしていいかわからなかった。これまで、困ったことがあれば助けてくれたのはハルオミだ。そのハルオミが怪我で意識を失ってしまった。


 (どうしよう?誰に聞いたらいいの?)



 『何かあればボクのところに』


 自信に満ちたカノンの声を思い出す。ユウマは力を入れてハルオミを抱き上げよう踏ん張った。ハルオミの傷口に触れた服が異臭を放ち解れていく。


 「・・・早く行かなきゃ。」


 ハルオミが着用している戦闘服は魔糸の特殊繊維で織られている。それが溶けているのだから何の加工もされていないユウマの服は直ぐに溶けてしまう。

 

 「うれしいわぁ、前菜が豊富で。あなた達からは美味しそうな匂いがする。聖女の前にお美味しくいただくわー。」

 

 星空の下から広がる霧の中から耳障りな声音が聞こえる。先程ふき飛ばしたはずの腕は煙中から再生され、頭部からはもくもくと小さな泡の塊が形取りならやがてもとに姿に戻っていた。


 「全部消さないとダメなのかな?」


 ハルオミの体を横たわらせ、無表情で振り返ったユウマの瞳は底のない闇のように黒かった。感情が見えない、虚ろな黒。


 完全修復されたホリビスは自身の人差し指を長い舌でべろりと舐めて見せた。


 「ちいさいのを先にたべ、」

 パンッ

 「でも、肉が無さ」

 パンッ

 「はなしを」

 パンッ

 「このクソガ」

 ザクッ!


 喋り続けるホリビスにユウマは躊躇なく引鉄を引き近づく。射程内に入るとホリビスの喉にナイフを投げ刺した。ゴボッと裂かれた喉から体液が流れだす。


 「腕も頭も飛ばしてー、ナイフも刺した。魔具は効いてるみたい。だったらー、」


 瞳孔を開いたまま、ブツブツとユウマ唇を動かした。

 装填し、シリンダーを回す。無表情のままユウマはホリビスに近づいていく。ホリビスは傷口から毒煙を撒き散らし、先程と同じように体を再生させていく。


 「無駄だってわかんねーのか、このガキはぁははは!?」


 苛々と感情が昂り、ホリビスは振り絞った雄叫びを上げた。飛び散った唾液がユウマの左腕に付着し皮膚を焼いた。唾液が付着したことにホリビスは笑いが込みあがった。


 「かかった、かかった!お前も!あの男と同じように!溶けて死」


 笑いがこみ上げた巨体をのけ反らせるホリビスの頭上目掛けてユウマが跳躍する。


 「早く死んで。」


 月を背にした姿に怪しく光る金の瞳。


 「き、金ビカ・・・。」


 青い夜の中の満月。その満月の中の二対の金色。その姿に見惚れた瞬間にホリビスの体はが動かなくなった。キラキラと月光を反射する光。その光に絡め取られたのが体だと気づいたときには糸が上半身の肉に食い込み、血が流れ始めていた。


 「私は、いくら傷つけてもムダ。」


 恍惚と両手を広げるホリビスの聴覚には糸を巻き取る音が聞こえていた。

 肉片が飛び散った。毒煙が膨らむ。

 その瞬間をユウマは見逃さなかった。迷わずに銃を構え全弾打ち込んだ。切り刻まれた肉片が次々に破裂していく。途端に、空気が変わる。

 薄れ消えゆく毒煙の中、ユウマの姿だけが夜闇に浮かんでいた。


ーーー



 「痛っ!」


 突如として腕に走った激痛にリオンは左腕を抑えた。異臭を放ち皮膚が焼けている。


 「見せなさい」


カノンは直ぐにリオンの服の裾を捲った。患部に手を翳すと淡い光がリオンの左腕を包んだ。


 「毒ですね。溶解系の。」


 淡々としたカノン説明をリオンは黙って聞いていた。左腕を包んだ光が弱くなっていく。痛みで滲んだ汗も引いた。


 「・・・ユウマに何かあったんだ。」

 「リオン、水を用意なさい。」


 不安気に呟くリオンにカノンは指示を出すと閉ざされたホールの扉を見る。扉の上には結界石が呪文の中をクルクルと回っていた。


 (壊すのは簡単なんですけどねぇ。)


 宮殿内外には二重の結界が張られている。室内の結界は魔導士同士の術の相殺だと安易に想像できる。この場で術を解くのは得策ではないとカノンは判断した。 

 正攻法でいくかと、固く閉ざされたホールの扉に向かう。そこには着飾った警備兵と宮殿魔導師がいた。


 「開けてください。」

 

 警備兵を見上げカノンは不遜な態度で一言言い放った。


 「お嬢ちゃんは外にでたいのかな?」

 「ええ。お手洗いに。」


 しれっと嘘を並べたカノン横にデカンタを持ったリオンが並ぶ。


 「ちゃんと妹を見てないとダメよ。」


 宮廷魔導士が追い払うようにリオンに手を振る。戸惑うリオンの右手をカノンが握る。

 

 「早く開けて下さい。我慢できません。」

 「外に出るにはママが一緒じゃないといけないんだよ。」

 「ここでおもらししてもいいねよ?」


 馬鹿にしている警備兵に性悪な宮廷魔導士。

 

 (ホントに漏らしてやろうか。)


 カノンは虫けらをみるように見上げたが、どうも迫力は無かった。我儘で生意気なガキだと思われているようだ。

 扉を無理にこじ開けようとも考えたが、大事にはしたくない。


 「だいたいねえ、パーティの品を持ち出そうとするなんて泥棒なの?」


 宮廷魔導士がリオンが抱えているデカンタを指差した。リオンはどう答えたらいいのかわからない。


  ダン、ダン

  ピッシ


 衝撃音と窓ガラスに小さなヒビが入った。何事かホール中の視線が集まった瞬間、黒い影が近づき、


 ガッシャン!


 窓ガラスが室内に飛び散った。

 会場がどよめき、数名の体術系魔道士は攻撃体制を取っていた。その中に降り立ったのは暴れる馬を手綱で押さえたユウマだった。


 「カノンッ!カノンッ!」


 馬上からユウマは張り裂けんばかり叫ぶ。


 「どこ?!ハルが、ハルがぁ!!」

 「ユウマ!」


 目の前にカノンとリオンの姿が現れた。二人の姿にユウマの目元が安堵で緩んだ。


 「カノン、あのね、ハルの体みてっ!」


 馬の首に持たれハルオミをユウマは支えながら手綱を握っている。

 意識が無い事がカノンには直ぐにわかった。


 「馬からハルオミを下ろしますよ、リオンッ!」

 「はいっ!」

 「ユウマ、馬に指示を」

 「うんっ!」


 すぐさまカノンの指示にユウマとリオンが従う。ざわざわとした空間の中視線が三人に向かった。

 窓ガラスを破り突撃したユウマもそうだが、何より、何もない空間から幼女と少女が現れたのだから驚かない者はいなかった。


ーーー


 窓ガラスが割れ、ユウマが馬に乗り現れた。

 ハルオミの姿も貴賓席からは確認できる。


 「・・・ユウマ?とハルオミか?」

 「兄貴、どうなってんだ?」


 ギロリとエンジュが赤い目でケンシンを睨んだ。


 「サプライズってやつ?」

 「・・・。」


 答えないケンシンにエンジュは苛立つとミラーに耳打ちする。ミラーは唇を吊り上げ、姿を消した。

 

 「ケンシン様。」


 傍に来ていた王妃が声を掛け右手を握った。白龍王は小さく息を吐いた。


 「ああ、すまない。びっくりさせたね。」


 眉を寄せたケンシンに王妃は「いいえ。」と答えた。

 

ーーー


 騒然とした会場内ではカノンが誰よりもも冷静だった。


 「そう、ゆっくりとおろしなさい。・・・布を噛ませたのは良い判断です。」

 「うん。でもね、ハル、起きないんだ。」


 泣きそうなユウマにカノンはフッと笑みを見せた。


 「心配しないで下さい。大丈夫ですから。」

 「ぅん。」

 

 不安で声が小さくなっていくユウマの頭をカノンが小さな手でポンポンと叩いた。

 

 

 「おい貴様らッ!神聖な場でなにをしているか!」


 人混みを掻き分け警備兵がユウマ達に近づく。

 詰襟には『AA』の文字が輝いており、手にしている剣は炎を纏っている。


 「うるさい。あっちいって。」


 赤龍配下の騎士だと気付いたユウマは嫌悪感丸出しで睨みつけた。


 「無視なさい。」 


 カノンは静かに告げハルオミの服を脱がしていく。左上半身の皮膚は黒ずんでいた。


 「赤龍殿に歯向かう愚か者どもが!!」

 「あっちいけって言ってるッ!」


 警備兵の声にユウマは叫んだ。ふーふーと肩で息をするユウマは動物のように威嚇しているようだった。


 「ユウマ、クズと遊んでないでこちらに集中なさい。」


 凛としたカノンの声にユウマが頷く。その様子に警備兵は激昂しユウマに掴みかかろうとした。


 瞬間。


 警備兵は後方の壁に勢いよくぶつかっていた。

 会場の誰もが声を失っている無音の中。拡げた扇子越しに氷のように冷たい深碧の瞳が警備兵を睨んでいた。


 「邪魔をするなと言っているでしょう。」


 その場を支配したのはカノンはパン!音を立て扇子を閉じると自分達4人を中心に結界を貼った。


 「結界の中で更に高度な結界を張れた?」


 事を静かに見守っていたケンシンが呟いた。エンジュが椅子から立ち上がり声を荒げる?


 「おい、警備兵!何してる!捕えろ!」

 「待てエンジュ。」


 静止にエンジュは殺気だった視線でケンシンを睨んだ。


 「あ?!」


 怒りで我を忘れかけているエンジュの前にユタがスッと現れる。黒いマントが靡き、左手を前に突き出していた。


 「赤龍殿下。敵意を向けるのは陛下ではございません。」


 そう言いユタはホールに視線移す。そこには傷ついたハルオミが横たわっている。エンジュはチッと舌うつと振り返り幕の中に消えた。


 「エンジュ様、お待ち下さい。」

 

 その後をお付きの魔道士ミラー達が追いかけた。


ーーー

 

 ハルオミの左腕は手首まで毒に侵食されていた。

 侵食スピードの速さにカノンの眉が寄る。


 「ハル、ハル。」


 泣き出しそうに呟くユウマの腕にリオンが触れる。


 「ユウマ、大丈夫だから。お姉を信じて。」


 リオンの声と触れられた腕から伝わる温かさにユウマは頷きカノンに視線を移した。


 「ではいきますよ。」


 カノンがデカンタを振り上げる。空を待った水滴はキラキラと光り、ハルオミの体に落ちていく。降り注ぐ雫がやがて溶けるようにハルオミの体に吸収されていった。


 「っ」

 「ハルッ!」

 「う、ぐ」

 

 先程まで反応を示さなかったハルオミの睫毛が揺れている。

 呼びかけに応えるハルオミの表情は苦悶に歪んでいる。ユウマの表情が曇り、カノンに視線を向けた。


 「よし、ひとまずはいいでしょう。」

 「いいの?痛がってるよ。」

 「表面の毒は浄化しましたが、体内の毒はまだ残っています。ユウマ、両膝に乗って、足首を押さえなさい。リオンは右腕を。足で関節を抑えて。折っても構いません、生きていれば治しはできますからね。」


 ニッと眼を自信に眼を細めたカノンにユウマはコクンと頷いた。そしてカノンの指示通りハルオミの体に跨る。


 「全く。大事な弟に心配かけるなんて兄の自覚が無いんじゃないですか?」


 デカンタに残った少量の水を口に含み、カノンはハルオミの頬を触れた。左手で桜の髪飾りを外す。 


 「貴方に月の加護を。」


 囁いたカノンがハルオミに口付ける。

 

 その刹那、淡い光とともに桜吹雪が舞った。結界内に桜花が舞い、会場にいる者達の視界を奪っていく。

 やがて、光は小さくなり四人を包んでいた結界は消失した。辺り一面をはらはらと桜花は地面に落ちる。


 「ふぅ。」


 ハルオミの頬に触れていたのは肩までの髪の美女だった。白い肌と黒い髪、新緑の瞳を持つ者。



 誰もが噂でしかないと思っていた存在。


 『月の巫女』


 突如として現れた存在に会場内は静まり返っていた。

 


 「・・・いたのか、本当に。」


 立ち上がり、ケンシンが呟いた。その隣で龍王妃のジェンシャンも目を見開いていた。


 「月の、巫女。」



ーーー


 痛みが引いたのか、ハルオミから苦痛の息が漏れることはなかった。

 安定した呼吸にカノンが頷きユウマに視線を向ける。


 「ハルオミを噴水に運びましょう。月下のもとなら直ぐに元気になりますから。」

 「うんっ!」


 『元気になる』という言葉にユウマの顔パッと綻ぶ。


 「ユウマも怪我してますからね。後で治してあげますよ。」

 「わかったっ!」


 ハルオミを抱き起こし、ユウマは肩に抱きかえる。だが身長差があり引きずる形になってしまった。見かねたリオンが反対側から支えたがバランスが悪く結局は引きづる形になっている。


 「あなた達、僕の旦那ですよ、丁重に扱いなさい。」

 「はぁーい!」

 「ならお姉も手伝ってよ。」


 意味も理解せずにユウマが返事にする隣でリオンがぼやいたがカノンはいつものように不敵に笑うだけだった。


 「擦り傷くらいちょちょいのちょいですよ。」

 「ちょちょいー!!」


 楽しそうなユウマが笑うのでリオンも溜息を吐くだけにした。カノンが言っているのは事実だ。

擦り傷、いや、骨折していても直ぐに治してしまうだろう。


 (・・・さてと。)


 前を歩く3人を追いながらカノンはざわつきだした会場内に蔑視の視線を向ける。それは貴賓席にいる王族も含めてだ。カノンはホールを出る前に結界石に手をかざした。そのまま手を握ると結界石にピシピシと無数のヒビが入り結界石はボリンと砕け散った。




 ユウマ達が宮殿の外に出ると待機していたであろう部下達が集まっていた。


 「・・・すいません、隊長は、私のせいで」


 唇を噛み締めたフェンは手にしていた桜花をユウマに見せた。

 これまで対峙してきたホルビスは違っていた。恐怖で我先へと逃げ出した。恥ずべき行為だが、死への恐怖が勝ったのだ。

 

 身内のユウマに何と言えばいいのか。ユウマ一瞬、固まったがうーんと唸る。


 「悪いと思うなら、ハル噴水まで運んで。急ぎなのっ!!」


 ぷくっと頬膨らませユウマは俯いたフェンの右手でつついた。


 「え、あ。はいっ」

 「皆もっ!」


 周りにいる隊員達にも指を差し、ユウマはカノンの真似をした。


 「ていちょーにあつかえー。」


 その様子を観察するように眺めていたカノンが吹き出す。組織として幼稚すぎると思いながら。


ーーー


 星明かりの中に白い月が輝いている。神夜様が見守ってくれている。

 宮殿前にある噴水の水面は月灯りを反射し煌めいていた。


 「本当にいいんですか?」

 「ええ。噴水の中に浸からせちゃってください。」


 戸惑いながらもフェンはカノンに言われた通りに噴水の中にハルオミを座らせた。


 「ご苦労様です。では、始めますよ。」


 目を瞑り、カノンは両手を広げた。ふわりふわりと桜の花が空中に現れ、舞い出す。

 夜のはずなのに、暖かな春の空気が流れている。


 「おっー!すごーい!!」


 空中から現れる桜にユウマは感嘆の声を上げる。カノンが両手を合わせると、桜の花は一つにまとまっていく。それをカノンは噴水に、ハルオミの体に振らせた。水面は光を放つ桜に埋め尽くされていく。


 「しばらく浸かれば傷も完璧に治りますよ。人体の70%は水分ですからね。」

 「そーなんだー。でも、寒くない?」

 「温めのお湯程度ですから風邪は引きません。」


 カノンの言葉にユウマは噴水に近づき、バシャバシャと水の温度を確かめた。


 「ほんとだ!冷たくない!」

 「ユウマ。今は治療中なんだから遊ぶのはあとにしなさい。」

 「はーい!」


 ハルオミの無事にユウマの不安もなくなったようだった。宮殿から出た後はニコニコと笑っている。


 「あっ!そーだ!カノンおっきくなってる!まほー!?」


 唐突に、今更な質問をするユウマにとカノンは面倒くささを感じた。だがそれだけ余裕が無かったのだと察する事にした。


 「これが本来の姿です。子供とは一言も言ってないでしょ。」

 「確かにー!」


 呆れるカノンの隣でユウマは上機嫌だった。そんなユウマの姿が嬉しい反面自身の力の無さにリオンは胸が苦しかった。


 「ユウマも左腕見せて」

 「うん?」

 

 首を傾げたがユウマは素直にリオンに左腕を見せた。溶けた服から覗いた皮膚に青色の斑点がいくつか見える。


 「この服お気にだったのに溶けちゃった。ハルの言う事聞いてたらよかった。」


 しょんぼりとするユウマにリオンは微笑んで優しく患部に触れた。淡い光がユウマの左腕を包み込む。


 「あったかい。気持ちいいー。」

 「良かった。」


 目を細めるユウマにリオンはニコリと笑った。


 「それより、リオンはどうしてオレが左手怪我してるってわかったの?まるでハルみたいっ!」


 幸せそうなユウマにリオンは目を瞑って答える。


 「お守りが教えてくれたんですよ。それより、痛くなかったですか?」

 「ちっとも!リオンが教えてくれるまでわかんなかったー!」

 「ふふ。お洋服は残念だったけど、ユウマが無事で良かった。」

 

 微笑むリオンにユウマはきょとんとなった。

 

 「リオン心配、してくれるの?」

 「もちろんです。」


 パアァとユウマは笑顔になり、嬉しさのあまりに腕を振った。


 「わぁあー!ホントに?嬉しいっ!ありがとっー!」

 「わわ。ユウマ今治してて。」

 「ちっちゃいときにねー『大事だから心配する』ってハルが教えてくれたんだ。ヴィントもフェンもミレも。だからオレもみんな大事!リオンも大事!あ、カノンも!」


 付け加えたように話したユウマは「内緒にして、カノンが知ったら怒るー」と口をパクパクさせた。リオンはおかしくて目尻に涙を浮かべ笑った。




 「フェン〜。フェン〜。」


 後処理を大方終えたヴィントが怠そうにフェンを呼んだ。フェンはバタバタとヴィントの元に駆け隣に並んだ。


 「護石が割れたって聞いたけど、どゆこと?」 

 「・・・」


 単刀直入に状況説明を求められ、フェンは口篭った。隊長のハルオミの指示に従って「退避」した。その後の事は知らない。


 「なになに?複雑な感じ?じゃ後でいいや。それより、あの生足のチャンネー誰?」


 不甲斐ないと後悔している自分と対照的に興味ある事に思考を切り替えたヴィントにフェンはポカンとなった。


 どうして、こんな人が副隊長なんだろう。


 「ふざけないで下さいっ!隊長が、ハルオミ隊長が負傷したんですっ!・・・俺のせいで。」


 感情的になったフェンは自身を抑制できずにヴィントの胸倉を掴み睨み上げた。


 「・・・ハルオミ隊長が、もし、・・・」

 「ぷっ。」


 表情を歪ませ、睨み上げるフェンにヴィントが吹き出す。ヴィントはフェンの左手を払うと腹を抱えて笑いだした。


 「何言ってんだ、フェン!お前がいっちゃんふざけてるだろー?」


 可笑しいと笑いだすヴィントにフェンは固まった。この状況の何が笑えるのか。


 「あの隊長がユウマ置いて死ぬわけねーし!」



 あひゃひゃとひとしきり笑いヴィントは目元に溜まった涙を拭った。


 「それに俺らの仕事は怪我してなんぼっ!死人が出ないのが珍しいっての!もっかい学校行くかぁ?」

 「行きませんっ!!」

 

 怒りだすフェンを指差し「ウケるー」とヴィントはフェンを暫くからかった。


 ヴィントが現れるまでは沈んでいた者しかいなかった。罪悪感が薄らいでいる。

 その様子にカノンは目を細めた。


 「頃合いですね。」


 カノンは胸の前で手を合わせた後、月明かりを浴びるように両手を広げた。すると、夜空に桜の花が溢れ出した。


 「きれぇー。」


 突然視界に飛び込んだ桜は淡い光を纏いキラキラと浮遊している。ユウマは瞳を輝かせ、舞う花を追っていた。


 「♪」


 感激するユウマの隣でリオンは歌を歌った。歌詞の無い、音だけの歌。異国の不思議な歌に呼応するように桜花はクルクルと回りながら部下たちの体に触れては消えていく。


 「?痛みが引いた?」

 「俺も・・・。」


 部下たちは困惑していた。貴族のみが受けることの許されていた治癒魔法を一兵士が目の当たりにしたこと信じられなかった。


 「ヴィント副隊、皆の傷が治ってます!」


 興奮するフェンにヴィントは冷めた目で桜を見ている。近くの桜を指で突こうとするがふわふわとかわされ飛んでいる。


 「見ればわかるっての。ってか。いいなぁ治癒魔法。羨ましいわー。俺、怪我してないから花にスルーされてんだよね。」

 「怪我をしてないことは喜ぶべきことでは?」


 フェンの口からツッコミが出たことで、ヴィントはフェンの頭を押さえつけ、髪をワシャつかせた。先程まで面白いくらいに隊長と言いながら狼狽していたのに。ツッコめる余裕もでてきたようだ。

 


 「さて、と」


 月光を全身に浴びたカノンは白い服の袖を脱いだ。腰紐に引っ掛かった服には気を止めず、白い腕を露出させる。ブーツを脱ぎ、ゆっくりと噴水の中に入った。

 噴水に浸かるハルオミは呼吸も整い、熟睡している。


 「起きると面倒そうなんでちゃちゃっと済ませますか。」


 ちゃぷちゃぷと近づき、カノンは座るハルオミの前に立つと当然のように跨った。

 カノンの胸元に先程は無かった桜の文様が浮かび上がっている。カノンは右手で水をすくい月に掲げた。指の隙間から流れ落ちる雫がキラキラと輝く。

 一息ついてカノンは左腕で両胸を支えた。胸元に谷間を作ると月にかざした水を上から注ぐ。


 桜の模様が水に浸された。


 甘い匂いと淡い光が漂う。カノンとハルオミを包む空気だけが変わっていく。カノンは、笑みを讃え、ハルオミの頭部に右手を回し引き寄せた。ハルオミの唇に桜の模様が触れるように、体内に『聖水』を取り込むように。

 

 「契約完了ですね。」


 仕上げと言わんばかりにカノンはハルオミの首筋を白い指でなぞった。


 「今度こそ、約束を守ってもらいます。」


 愛おしくハルオミを抱き締めカノンは囁いた。それは女神の祝福を受けたかのような儀式に見えた。


 月明かりが地上に降り注ぐ。

 蒼い夜が全てを包む。


 月に映る桜花は柔らかな風に乗って運ばれていた



ーーー


 『お前の弟だそうだ』


 使い古された布に包まれ、木箱に入れらていたのは俺の弟だという赤ん坊だった。必要な物だけを置いて大人たちは出ていく。錆びた金属音を響かせ、鉄扉が閉まる。ガチャリと鍵がかかった。

 悲しいと思えなかった。憎いとも思えなかった。ただ、嬉しかったんだ。

 ようやく会えた。彼女が命を賭けて産み落とした命に。黒い瞳の目元は彼女によく似ている。


 「ぁー、ぅー?」  


 小さな手を握って思ったんだ。

 俺はこのぬくもりに生かされているのだと。



 「・・・。」


 うっすらと視界に色が戻る。見知った天井に、両手に温かな温もり。ハルオミはぼんやりと宙を見つめた。


 「・・・部屋?」


 意識がはっきりしてくると、体に力が入らない事に違和感を感じた。右手も左手も動かない。視線を左右に動かすと無意識に口角が上がった。


 「すぅ、すぅ。」

 「んー。」


 右側にはユウマが、左側にはカノンがぴったりとくっついて寝ている。これでは動けないはずだと苦笑が漏れた。


 「ハルオミさん。気づきました?」


 椅子に座っていたリオンはハルオミが目を覚ましたと気付くと直ぐに執務机の水差しとグラスを持ってきた。ハルオミは2人を起こさないようにゆっくりと体を起こす。


 「お体の具合はいかがですか?」

 「無事なのが夢みたいだ。」


 グラスを受け取り苦笑するハルオミにリオンもにこりと微笑んだ。


 「こいつを残してまだ死ねない。」


 眠るユウマの頭をハルオミが撫でる。ふにゃーと気持ちよさそうにユウマの表情が緩んだ。


「そうだ、俺を治してくれたのはリオン・・・か?」


 ハルオミのぼんやりとした記憶の中には自信に満ちた女性の姿だけが残っている。白の服に肩を出し、胸元を開いた服を着ていた、勝ち気な雰囲気の女性。


 「違いますよ。」


 ハルオミの問いにリオンが困ったように否定する。


 「そうだよな。リオンはあんなイケイケな感じではないし。」

 「・・・あ、はい。」


 乾いた笑みのリオンにハルオミは眉を寄せて笑った。


 「あの、差し支えなければ構いません、ホントに無理に答えなくていいんですけど、・・・。」

 「?」

 「病み上がりのハルオミさんに聞く事ではない、ですね。すいません、忘れてください。」

 

 慌ててリオンはグラスを下げると部屋を出て行った。何だったのだろう?と不思議に思いながら

右隣で寝ているユウマの頭を無意識に撫でる。


 「ふにゃぁ。・・・ハルっ!ハ、ル?」


 ユウマが勢いよく飛び起きる。目の前のハルオミにユウマは力が抜けたようにふにゃと崩れた。


 「よだれ、ついてるぞ。」


 うつ伏せで顔を隠すユウマにハルオミは笑う。



 「いいもん、オレ、頑張ったもん。あの変なのちゃんと倒したよ、みんな無事。ハル褒めてー?」

 「ああ、頑張った、ありがとう。ユウマのお陰で助かった。」

 「へへっ。」


 照れたユウマにハルオミが頭を撫でる。ユウマは強請るようにハルオミに擦り寄った。


 「ボクも頑張ったんですけどぉ?」


 いつの間にか目覚めたカノンがジト目で2人を睨む。ハルオミは笑いながらカノンの小さな頭も撫でた。


 「そっか。ありがとな。」

 「ハル!カノンすごいんだよ、桜がぱぁーっといっぱいでね!」


 ユウマが両手を広げて説明する。カノンは得意げに腰に手を当て鼻を鳴らした。


 「ふふん。旦那を助けるのは妻として当然です。」

 「そうそう、オレ、おとうとっ!」

 「そっか、そっか。」

 「あとね、お馬さんも助けてくれたのっ!」


 高めのテンションの2人の話をハルオミは黙って頷き聞いていた。


 「ご飯を食べた後でまた聞こうな。先に顔洗うか。」

 「はぁーい。」


 話を上手く切り上げたハルオミにユウマが元気に返事を返す。ベッドマットから降りるとユウマはバタバタと洗面所に駆け出した。


 「ケガ、すぐに治しますからね。」


 チュっとハルオミのほっぺにキスをしてカノンもぴょんとベッドから飛び降りた。ふわりとカノンから香った匂いがハルオミの鼻を掠める。

 昨夜嗅いだ甘い香り。吸い込んだと同時に左の首筋に熱を感じた。


 「??」


 妙な違和感を拭うようにハルオミは首筋に触れた。ベッドから飛び降りたカノンの桜の髪飾りが揺れる。後ろ姿からでも機嫌は良い事が伝わった。


 上機嫌で鼻歌を歌いカノンはリビングに向かった。背中を丸め大きな溜息を吐くリオンの隣に並ぶ。


 「あ、お姉?おはようございます。」

 「おはようございます。」


 挨拶を交わすとリオンは朝食の準備に取り掛かる為エプロンを手にした。


 「リオン。中途半端に情をかけるのは貴女の悪い癖です。気をつけなさい。」


 カノンの言葉にリオンは先程の会話はやはり聞かれていたのだと頭を垂れた。


 「すいません。」

 「ボクの事は気にせずに貴女は自分の事に集中しなさい。」

 「・・・はい。」


 お節介だとカノンに遠回しに告げらリオンは反省した。


 「とりあえずは朝食食べてから今後の事は考えますのでお願いしますね。」 

 「お願い?」


 きょととなったリオンにカノンはニンマリと笑った。


 「ユウマをハルオミから引き離してください。できますよね?」

 

 最後は恐喝に近い笑みを向けたカノンにリオンは小さく頷いた。リオンが頷いたことにカノンはウキウキと鼻歌を歌いだす。

 カノンは絶対に曲げない。ハルオミを落とす?までは何が何でも居座るだろうと考えるとハルオミが不憫で仕方なかった。


 けれどカノンが残るならリオン一緒に残りたい思っていた。ユウマと一緒にいたい。


 「朝ごはんの準備しよ。」


 ユウマは用意したご飯は残さず笑顔で食べる。ユウマの喜ぶ姿を思い浮かべるだけで準備も捗る。


ーーー


 「ぶはっー!!」


 バシャバシャと洗面台を水浸しにしながらユウマは顔を洗った。顔を上げると鏡に白衣を纏った老婆が映っている

 ユウマが振り返ると老婆は目尻に皺を刻み微笑む。ふくよかな姿はまるで人生に満足していると体現しているようだった。久しぶりに会えたことにユウマも上機嫌になる。


 「ユタッ!!」

 「久しぶりだねえ。」

 

  笑顔のユウマにユタはニッコリと笑った。


 「うん、久しぶりぃ!!ハルも無事で、ユタにも会えたー。いいことばっかりだね!」

 「そうだよ。いいことばっかりさ。ユウマは幸せかい?」

 「うん!」

 

 ユウマが満円の笑みを向けた先にユタの姿はもうなかったが、ユウマは大満足だった。なぜだか分からないが、小さい頃から良いことがあると優しい魔法使いの「ユタ」が現れた。ユウマはユタは幸せを運んでくれるきっかけだと思っている。


 タオルで顔をゴシゴシと拭いてユウマは鏡越しにニコッーと笑った。


 (ハルは怪我してるからお休みになるからー、天気もいいし今日はお散歩したいー。おやつはリオンにケーキお願いしてー、カノンとオセロしてー、ハルとお昼寝ー。夕飯はお魚がいいなー。おっきいたまごタルタルフライー。)


 今日の予定を大雑把に組み立てユウマはリビングに向かう。ユタが言った通り、良いことばかりなのだから。


 「ハッ!そーいえばおはよーまだだったぁ!」



 元気にリビングに駆け込んだユウマを優しい笑顔が迎える。これまでとは違う、初めて感じる温かい感情。

 鼻を掠める良い匂い。『沢山の好き』にユウマは更に嬉しくなった。

 

 「おはよっー!!」


 元気なユウマの声がリビングに響いた。


 



 


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