赤城ハル

夜の蝶

 生きてたら良いことがある。

 ──でも生きてても辛いことはある。

 世の中には生きたくて生きられない子がたくさんいる。

 ──でも世の中には死にたくても死にきれない人がいる。


  ◯


 再放送のサスペンスが終わり、古臭い時代劇が始まった。ぼんやりとした意識は泡が弾けたように今へと意識が戻された。

 そして時間を確認する必要もないのに私はスマホで時間を確認する。

 私は別にサスペンスが好きというわけではない。丁度良い時間に再放送のサスペンスが終わるから、それまでの間ぼんやりと見ているだけだ。そして妙に癪に触る時代劇のオープニングでいつも意識を戻すのだ。

 そう。所謂、意識を戻すための目覚まし時計だ。

「準備しよ」

 ゆっくりと重い腰を上げて、お仕事の準備に取り掛かる。

 私の仕事はキャバ嬢。キャバクラで働く夜の蝶。


  ◯


 店に入ると私より先にカグヤがいて、ボーイと何か話をしていた。ボーイのそばには不良少女といかにも普通の子がいた。

 ボーイの名は槙野と言い、ボーイとしての経験が長く、ソフトモヒカンとヒゲを生やし、柔和な目を持つ気さくな奴だが、かなりきな臭いことも平気で行う奴でもあった。正直、私は嫌い。

 槙野は不良少女の背を押すとカグヤは目でついて来なと言い、化粧室へと向かった。

 私は歩きながら、槙野に声をかけられないことを願った。

 しかし──、

「サチさん」

 化粧部屋の数メートル手前で私は槙野に呼ばれた。

「この子、新しく入る子。名前はアキナ。面倒見てあげて」

 と化粧気のない芋っぽい顔の子を押し付けてきた。


  ◯


 私は芋っぽい子と共に化粧室に入る。

「ここ使いなさい」

 私の隣の席を与える。

「あ、はい」

 アキナは借りてきた猫のようにおずおずと椅子に座る。それを見ると本当にこんな子で大丈夫なのかと疑問に感じる。

「経験は?」

「ありません」

 アキナは首を振る。

「どうしてこの仕事を?」

「大学の学費で」

 とアキナはバカ正直に答えた。

「そういうのは本音でなく、適当に言いなさい。ここにいるのは皆、金目当てなんだから」

「はあ」

 間の抜けた返事をされた。

「化粧はできる?」

「はい」

 ちらりと横目でもう一人の新人を伺うとすでに衣装に着替えて化粧を始めていた。

 その仕草がもういっぱしのキャバ嬢の雰囲気を醸し出していた。

「あ、あのよろしいでしょうか?」

 アキナが小声で尋ねてくる。

「何?」

「あの子、高校生ですよ」

「へえ」

「私、見たんです。店長に履歴書を渡した時に。怒られるのかなと思ったら……」

「年齢が書かれたもう一つの履歴書を渡されたんでしょ?」

 アキナの言葉を遮って私はつまらなさそうに言う。

「は、はい」

 なんで知ってるのみたいな顔をするアキナ。

 その顔を見て私は溜め息を吐く。

「それくらい普通よ」

「普通なんですか?」

「そうよ。ほら、アンタも着替えなさい」

「着替える?」

「そこに貸し衣装があるから。好きなの選びなさい。着たら私がメイクをしてあげるわ」

「はい」


  ◯


『どう? そっちの新人は?』

 翌日の昼過ぎにカグヤから電話がきた。

「ダメ。愛想笑いもできない。聞き上手でもない。お触りに対して明らかに嫌悪の顔。胸はないよりのありかな? そっちの不良少女は?」

『できる子ね。キャバ嬢として能力を持ってる。というかあれは経験ありね。私の勘だけど。本人はないって言ってたけどね。……胸はないよりのないね』

「いいわね。楽じゃない」

 こっちは一から教えないといけない。

『そうとも言えないかも』

「え?」

『あれは教えるというか、面倒を見るということね』

「面倒?」

『ちゃんと線引きを教えておかないとダメってこと』

 店の皆は決して仲良しこよしではない。グループがあったり、固定客がいる。

 だからなるべく荒らさないようにしないといけない。

 それを若い子はできない。

『あと特別アフターの件も』

「ということは……あの子も裏の仕事を?」

『数日後にはあてがわれるでしょうね』

「高校生らしいわよ」

『元でしょ』

「それでも子供よ」

『私に言われてもね』

「そう言えば源氏名は?」

『ハルナよ。そっちは?』

「アキナ」

『春に秋って』

 カグヤが鼻で笑ったのを通話越しに聞こえた。


  ◯


 それから1ヶ月が経った。

 始めた頃よりかアキナはミスが減った。減ったがないわけではない。

 そして慣れはまだないようで、いかにも新人らしく肩を縮こませることが多々あった。

 逆にハルナはすぐに慣れ、もうサポートもなしで一人で担当。さらにヘルプも完璧だった。カグヤが言うようにハルナは経験者なのだろう。


  ◯


 少し豪華なホテルの一室。

 自分の倍以上の年齢をもつ男性が裸に赤ちゃん用の涎掛けとおしゃぶりをしてバブバブ言っている。

 この男は普段から責任ばっか気にしているからか常に気を張っているのだろう。

 それで今だけはそういうのを忘れて、甘えたいのだろう。

「バーブー」

「はーい、良い子でちゅねー」

 これが何のプレイかは言わなくても分かるだろう。

 ハゲ散らかした頭を撫でてやると、男はキャッキャと喜ぶ。

 気持ち悪い。

 吐き気がする。

 背中がざわつく。

 でも私は心情とは裏腹に笑顔を張り付けて堪える。

 これもまた仕事だ。金のため。金のため。……よし! 我慢!

 唯一の救いはオムツを穿いていないこと。

 オムツを穿くと糞をする奴もいる。それもまたプレイの一つだと勘違いして。

 そういう客は困る。

 全く糞をした後はどうするのか考えていないのか?

 拭くのか?

 私が?

 で、使用済みのオムツはどうする?

 ホテルに任せる?

 ふと思い出す。一度だけ面倒な客がいたこと。

 それからそいつはNGにした。

「バーブー。お腹空いた。ションベンしたいでちゅー」

「あらあらあら」

 慈愛のこもった声で私は返す。内心『死ね! 赤ん坊は喋んねーんだよ』と毒づきながら。


  ◯


 その日は朝まで付き合わされた。

 朝までプレイには違いないが、実際は添い寝。私も男もいつの間にか寝ていた。

 ドレスに着替え、私は料金を貰い、テンプレの礼を述べる。

 男というものは不思議で、プレイが終わるとすぐに何もなかったように外面モードになる。

 オンオフをはっきりと決めているのだろう。

 けど、涎掛けが台無しにしている。

 そのことは触れないでおこう。


  ◯


 ラウンジに強面のマネージャーがいた。いかにもって感じで周りから浮いている。そこへドレスを着た女が現れたのだから、ますます浮いてしまう。

 私は料金の入った封筒をマネージャーに渡すと、マネージャーは周りの目を気にせず、中の札束を数え始める。

 絶対、周りからは私がいかがわしい行為をして金銭を得たと思われているだろう。

 まあ、実際そうなんだけど。

 でも、その視線を浴びるのは嫌だ。

 前にそのことをカグヤ達にも話すと自分達もだと言っていた。

 もしかしたらマネージャーはそれを知った上でわざとやっているのか。

 お前達はそういう存在だ。世間とは違うのだと。身の程を弁えろと。

 マネージャーは札束を数え終えると数枚のお札を私に手渡す。

 私は礼を言ってから受け取り、財布に入れる。

 いつもならここでマネージャーも席を立ち、このまま迎えのバンへと移動するのだが、今日は座ったまま。

「マネージャー? 移動しないんですか?」

「他に待ってる奴がいる。お前は先に帰っていい」

「……はあ」

 ということは今日は独りで帰れということ。もちろん、マネージャーが残っているのにバンには乗ってはいけない……かな? 帰れと言われたし。それにたぶん運転手も私が乗っても発進してくれなさそうだろうし。

 帰りはタクシーということかな。

 一応、バンに向かうと運転手が、

「今日はタクシーで帰ってください」

 と言われた。

「タクシー代は?」

「後でマネージャーに請求してください」


  ◯


 家に帰ると私はすぐにシャワーへと向かい、化粧に体臭、そして昨晩の嫌悪感を洗い流す。

 その後、頭をバスタオルで拭きながらリビングに戻った。

 床に座り、バッグからスマホを取り出すと朝早くから不在着信があった。

 相手はカグヤからだった。

 私は折り返しの電話をすると、すぐにカグヤが出た。

『アンタ、昨晩アステリアで仕事だった?』

 アステリアはさっきのホテルの名前だ。

「そうよ。今、帰ってきたところ」

 正確にはシャワー浴びた後だが。

『マネージャーいた?』

「いたけど」

『……そう』

「どしたの?」

『今日、本当はサヤカが仕事をする予定だったのよ』

「へえ」

 別に仕事日が同じでもおかしくない。たまに一緒にバンで帰ることもある。

『でも急にチェンジがあったのよ』

 ということはマネージャーが待ってたのはサヤカではないと。

『アンタ、誰か知ってる?』

「知らない。私、すぐに帰らされたし。しかもタクシーで」

『本当?』

「本当に知らない」

『……そう』

「別にチェンジって、おかしくないでしょ?」

 客には選択権があるのだから。

 けれど私達のもう一つの仕事は特別なアフター。最低でも一度は客として訪れた人が対象だ。

 もちろん、絶対に客でないといけないということはない。

『でも一度ではないのよ。他の子もチェンジを受けたって』

「……」

 それはちょっとよくないかも。次々と客が取られてるというわけだし。

 選ぶのは客だ。だから文句は言えない。……言えないが、私達からしたら獲られたようなもの。内心穏やかではいられない。

「誰が?」

『今、こんな荒らしをするのはハルナでしょうね』


  ◯


 そしてとうとう爆発した。

「てんめー、客を横取りするんじゃねえよ!」

 勝ち気で怖いマリエがブチ切れていた。そしてそれに呼応するかのように他のキャバ達も吠えた。

 アキナは私の隣でびくついている。

「はあ? 知らねーよ」

「しらばっくれんじゃねーよ!」

「知らんねもんは知らねー!」

 掴み合いなろうとした時に、カグヤが割って入った。

「一体なんだい? え? どうした?」

 間に入ったカグヤはマリエに聞く。

「そいつがアフターの客を取ったんだよ」

 とマリエが言うと、後ろのキャバ達も「そうだ! そうだ!」と喚く。

「本当かい?」

 カグヤはハルナに振り返り、聞く。

「違いますよ。何のことかしりませんよ」

「嘘つけや!」

「嘘ついてねーし」

「ヤメナ!」

 カグヤが声を張った。それに周りは黙り始める。

「今からちょっと聞いてくる。それまで大人しくするんだよ! いいね?」

『はい』

「でも聞くって誰に?」

 私は聞いた。店長もマネージャーも守秘義務とか訳わかんないこと言って黙ると思うのだが。

「なあに? 知ってそうなやつにさ」

 と言い、更衣室を出た。

 そして十数分後、カグヤは戻ってきた。

 えらく遅い気がする。戻ってくるまでの間、ハルナとマルエ達は睨みっぱなしで誰も口を開かなかった。

「やっぱコイツか?」

 マリエがハルナを指差す。

「違うよ。……他の店の奴らしいね」

「ほら見ろ。私じゃないだろ」

 ハルナは腕を組み、鼻を鳴らす。

「マリエ、いや疑った皆、謝んな」

『ごめん』

 マリエを筆頭に疑ったキャバ嬢は頭を下げた。

「ハルナももういいね」

「はい」

 面倒を見てもらった先輩ゆえか、ハルナはカグヤの言うことに素直に従った。

「よし。皆、仲良しだ」

 カグヤは二人の肩をぽんぽんと叩く。


  ◯


 翌日の昼。

 スマホでカグヤから電話がきた。

「もしもし?」

『昨日の件だけど』

「あのマリエ達のアフターの件?」

『そう。あれ、誰か分かったよ』

「誰?」

『アキナよ』

「え?」

『アキナ』

 判を押すようにカグヤは言う。

「嘘でしょ? だってあの子ド新人よ」

『だからよ』

「というと?」

『私達は演技をしている。それは向こうも知っている。けど、あの子は違う。あの子はド新人だから、どうしても素が出るのよ。それが客ウケしているらしいわね』

「へえ」

『アンタから話しつけておきなさい』

「なんて?」

『アフターを止めるか。最悪、キャバ嬢を辞めるかをね』


  ◯


「はい! 辞めます!」

 その日の空き時間に店の裏で私がアキナに問うとすぐに認め、快い返事がきた。

「それはどっちを?」

「両方です」

「キャバ辞めるの?」

「はい。私には向いていませんでした」

 すみませんとアキナが頭を下げる。

「……そう」

 えらくあっさりしたので拍子抜けである。

「学費に困ってたのよね。新しいバイトが見つかるまで……」

「いえ、すぐ辞めます。お金は貯まったので」

「そう……なんだ」

「はい」

 返事の後、なぜかアキナの顔に陰りが生まれ、少し俯く。

「なんか……すごい指名が多くて。ここ最近、キャバ嬢というよりか風俗嬢や泡姫みたいなことばかりで……」

 アキナは声を少し震えさせて答える。視線は下でじっと地面を見ている。まるで地面には穴があり、穴の底を見ているような。

 まあ、キャバ嬢始めて1ヶ月そこら。接客に慣れていないのに特別なアフターなんて慣れないだろう。私だってあの仕事に関しては嫌悪を抱いている。

「ま、まあ、お金が貯まっているならいいじゃない」

 私はアキナの肩に優しく手を置く。

「アンタは大学をちゃんと卒業して良いところで働きなさい」

 アキナは顔を上げ、私を見つめる。

「なれますかね?」

「それはアンタ次第。世の中、辛いことや悪いこともあるけど、どこかに良いこともあるはず」

「そう……ですかね?」

「そうよ。……っと、辞めるなら脅迫には気をつけなさい」

「脅迫?」

「将来、アンタがこういう仕事をしてたことで脅迫を受けるかもしれないってことよ」

 アキナは鎮痛な顔で胸の前で拳を握る。

「ごめん。怖がらせたわね。これはあくまでの話よ。あくまで」

 私自身もどうしてこんな話題をしたのか分からなかった。もしかしたらそんな予感を感じだからかな?

「はあ」

「脅迫されたら無視してやればいいのよ。脅迫された時点で世間にバレるようなものなのよ。だから、その時は諦めたり、何かを捨てないといけない」

「捨てる」

 私は頷く。

「脅迫で金を渡してもそれは一時的よ。脅迫する奴なんて何度も何度も金を要求するから。だから諦めるの」

「何かないんですか?」

「……まあ、他の手段としては殺人という手もあるけど、それだとサスペンスね」

 私は苦笑いした。

「ま、そういうこと。あくまでの話だから」


                   了

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赤城ハル @akagi-haru

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