万国大乱─天眼の瞳術士、人士を見極め推挙す─

低生下衆《ひくき げっしゅう》

義勇軍立身編

新万歴180年7月 万徳功、義を唱え、天眼を得る。

「およそ3日前!蛮族による侵攻で北の最前戦である北平砦が危機に陥っているという報が知らされたっ!!」


「さらにっ!我らが万帝国は度重なる冷害と過酷な徴税によって、賊の跳梁跋扈がとどまるところを知らぬっ!」


「事ここに至って、私、万徳功まんとくこうは義によって立つことを宣言するっ!私と共に身を立てんとする義勇の士は、3日以内に東門の外に張っている陣に集まって頂きたいっ!」


 威風堂々とした男だった。皮鎧を着こなし、万帝国の紋様が描かれた深紅の旗槍を担いで、街の至る所で彼は声を張り上げていた。


──この男だっ!


 俺は思わず頭の中で快哉を叫ぶ。というのも、俺がこの地に現れてからずっと感じていた、チリチリとした焦燥感と、様々な負の感情が彼の近くで一気に治まったからだ。


「とは言っても、此処にきてから2日…なんか荒事っぽいし、あの人について行ったとして、どうにかなるのかよ」


 義勇の士なんて柄じゃない。何故かそう思う。この地で自分を認識してからおよそ2日──俺には、ただ21世紀の日本という国で生きてきた人間だという認識しかなかった。俺が日本でどのような人物だったかなどの記憶を、俺は全く覚えていなかった。その事実が理解できなかったし、何もわからないことに心の底から恐怖した。


 ただ、どうしてか…俺の脳味噌は、日本のサブカルチャーとやらに、まみれていたらしい。俺が置かれている現状を、異世界トリップだと断定した。


 恐怖している筈なのに、テンションが上がって、その場で色々と試してみた。しかし、俺に何らかの規格外の力チートはなかった。この世界の1人の年若い貧民として、俺という、ちっぽけな人間が荒野にいるだけだった。


 ただ、呆然とする中、耐え難いほどのチリチリとした焦燥と不安が、俺を突き動かした。その焦燥が治まる方向へと足を向けて、気づくと、この街にたどり着いていた。


 街の名前は斉正さいしょう。立派な壁に囲まれた都市だった。とはいえ、都市の中は前時代的で貧乏臭かった。一部の区画以外は、あばら屋が立ち並び、自然に呑み込まれている場所だって多かった。


 据えた匂いのする貧民の服と、吐き潰された草鞋。黒い髪と周囲と同じ肌の色が、俺をこの街に溶け込ませた。川沿いの街だったから水だけは簡単に手に入った。もちろん煮沸などできていない。だが、仕事と飯だけはどうにもならなかった。


 日本ではそうそう感じなかった飢餓感が足を動かす。俺は川で、身嗜みをできるだけ整えた。結局の所、死にたくなければあの人について行くしかないのだ。


「申し訳ない。此処に来れば義勇軍に入れると聞いたのですが、私でも入れるのでしょうか?」


「ああっ!志しさえ有ればウチは誰でも大歓迎さっ!そんじゃあ万大将んとこに挨拶に行くぞ」


 義勇軍の陣の前に居た1番安心できる大柄な青年に声を掛ける。すると、すんなりと陣の中に案内された。野ざらしの天幕の中心にあの人は居た。俺以外にも今回の募兵で集まったらしい人達もいる。


 それにしても、やっぱりこの人の近くだと、酷く安心する。砂漠の中のオアシス。まるでこの世が天国と地獄かのようだ。


 できるだけ気に入られたいと強く思った。よし、俺は丁寧で頭が良く、弁舌爽やかで将来性溢れる若者だ。義勇の士だぞ義勇の士。


「万大将っ、また新しい人が来ましたぜっ!」


「おう、この街は中々に志しのある者達が多いようだな。さて、私は万徳功。一応は帝の一族である万氏の庶流である。貴殿は?」


 万徳功様はなんか凄そうな血筋だった。庶流とはいえ帝だってよ。俺の名は──


「その…実は私に名はありません。どうか万徳功様が好きなように、お呼びください」


「名がないか。それは何か罪を犯して名を剥奪されたのか?」


 万徳功様の疑念に、すかさず口が開いた。


「いえ、私の親が"大人になるまでは"と、名をつけてくれなかったのです。親とは賊に襲われて離れ離れとなり、それ以来生きてるかどうかもわかりません」


 嘘である。何故か息をするように嘘を吐けた。正直この世界での名前の法則など全く分からないから、適当な設定で、この方...万徳功様に名付け親になってもらおうと画策したのだ。義勇の士が嘘吐きとはちゃんちゃら可笑しいが、きっとその方が万徳功様の覚えも目出度くなるであろうから、この設定でいく。


 それにしても思っていたよりもスラスラと舌が回ってくれた。何故か俺はコミュ障で嘘など苦手な男だったような気がするのだが、気のせいだろうか?


 なんにせよ、この身体が凄いのか、それとも万徳功様の安心感がそうさせてくれるのか。なんだっていいが上手く話せる事に越したことはない。素直に感謝しておく。


「なんと、それは困った事だな。ううむ、なんと呼べばいいか…猛蒼もうそう、何か良い名はないか? 」


 俺をここまで案内してくれた若い青年…猛蒼とやらに万徳功様が尋ねた 。


「はあ、お前の姓はなんというんだ?」


「いえ、姓も名も好きなように呼んでください。どうせなら、万徳功様のような、立派な人物に名付けをしてもらいたく思います」


「万大将。俺じゃなくってアンタに姓まで名付けをして欲しいってよ」


「そうだな、それなら…姓を千。名を隗。字を徳玄などどうだろう?」


 そう言って、地面に棒で姓名と字を書く万徳功様。なるほど、漢字だ。まさか三国志みたいな世界だったりするのか?


 それとも、此処……もしかして古代中国とかだったりして?


 いやでも、日本語を喋ってる感じなんだけどな俺。なんにせよ見知らぬ他人に名を付けてくれたのだ、人としてきちんと礼を言わなければ。


千隗徳玄せんかいとくげんですか。良き名をありがとうございます」


 俺は深く感謝を告げる。どうしてこの名前にしたのか、少し気になる。いつか聞いてみたい。だけど今聞くのは、なんか恐れ多い。


「おう、俺は名付け親だ。字の徳玄と呼ばせて貰おう。皆は千徳玄と呼んでやってくれ」


 万徳功様に侍っていた周囲の人間達が頷いた。俺も周りの人達に頭を下げる。


「皆様……どうかよろしくお願い致します」


 すると猛蒼が万徳功様に遠慮がちに問いかけた。


「えーと、万大将。千って千百人長からとって許してくれるんすか?」


「構わんだろう。奴も姓名を替え、天涯孤独の身だ。猛蒼に続いて弟分が出来たと喜ぶかもしれんぞ」


「あー…千徳玄殿。ご愁傷さまだ」


 そう言って猛蒼は俺に向かって合掌してきた。


「あのー、その千百人長とはどういった方で?」


「鬼だよ。鬼っ!あの人の扱きで何人の人がこの義勇軍から離れたかっ!俺だって何度地獄を見たか分からんっ!」


「ほう、天猛蒼てんもうそう。私は鬼か」


「げえっ!千凱超せんがいちょう!」


「おー、凱超。兵達の水練と厠の設営は終わったか」


「ああ徳功。それは終わった。だが私は猛蒼をしごいて、もう一浴びしないといけないかもしれないな?」


「ひえー、千百人長っ!勘弁してくれっ!」


 突然ニヤリとした笑みを浮かべて現れた2メートル程の大男。そして、地べたに這いつくばって、その千凱超と呼ばれた男に許しを乞う天猛蒼。


 この人も嫌な感じがしないし、安心する。だが、そんなに危ない人なのだろうか?いや、大男で髭面で威圧感が半端ないけどさ。


「あの、初めまして。先程、万徳功様に千隗徳玄という名付けをして貰った者です。よろしければ千徳玄と呼んでください」


「ほう…?これは丁寧に辱く。それで徳功。何故私の姓をこの者に名付けたのだ?」


「ああ、お前にまた弟分でも作ってやればちっとは落ち着くかと思ってな。それに徳玄はなんか利口そうな若者だし、お前の下で名を上げられれば、丁度良いだろう」


「むっ、徳功。貴様も私は厳し過ぎるという気か?」


「そりゃあなあ。儀を1度もやれていない志願兵に厳しくしすぎて、死なせるのは流石にやり過ぎだろ」


「むう…だがあ奴は名士の出である事を鼻にかけ、軍律を乱しておった。更に兵糧も有限なのだ、使える兵は選別すべきだろう」


「それでも、当て付けのように過度の練兵と刑罰で死なせるのはやり過ぎだ。あれで名士の軍もウチを離れた。それに、せっかく志しのある者に厳しく接しすぎて、後々から賊にでもなられたら寝覚めが悪かろう?」


「ぐぅ…それはそうだが」


「まあ、徳玄の様子を見ながら、新兵への手加減の仕方を覚えろ。お前と同じ姓を持つ新兵を殺したら、流石に恥だと思えっ!そして徳玄の方も無理だと感じたら凱超に教えてやれ。そして、凱超が無理を強いる様なら俺に知らせろ。良いな?」


「はいっ!分かりました!」


 よく分からない話だった。だが、元気に返事だけはしておく。それにしても、そんなにこの人は厳しいのか?


 厳しいのはちょっと勘弁して欲しい。運動は得意じゃなかった気がする。まあ、万徳功様に告げ口できるんなら大丈夫か?


「おい、凱超。返事は?」


「……徳功、私はあ奴に厳しく接した事は間違いだと思っておらん!あ奴は性根が腐っていた!だが、新兵への練兵の強度は考えるっ!それで良いかっ!」


「はあ、まあそれで良い。お前の名士嫌いは相変わらずだな凱超」


「ふんっ、徳功の師のように、立派な生まれで立派な事を言い、立派な行いをする名士は好きだ。尊敬もする。だが、虚言を弄し、行動が伴っていない名士は駄目だ!虫唾が走るっ!」


「はあ、田師匠でんししょうみたいな名士はそうそう居ないだろう。それに師匠だって若い頃は幾つも過ちを犯したと言っていた。少なくとも奴には志しはあった。長い目で見れば立派な名士になれたやもしれん」


「…私とて、殺したくて殺したわけではない、あ奴があんなに軟弱だとは思わなかったのだ…徳功もういいだろう。千徳玄っ!そして集まってくれた勇士諸君っ!これより陣を案内し、この義勇軍の軍律と待遇を周知するっ!付いてまいれ!」


 というわけで、色々と説明された。食事は1日に朝と夕方に赤穀せきこくという穀物と雑草の粥を1杯ずつ。昼に猛乳獣モウタウと呼ばれる乳が良く出る牛のような運搬用哺乳類の乳1杯。そのほかの食事や飲料は各自で狩りや採取をしたり、持ち込みも可能だそうだ。


 武器や防具も基本的には持ち込みが可能で、戦場での鹵獲も許可されている。簡易的な棍棒や竹槍。竹の鎧や盾に投石紐なんかは経験者が作り方を教えてくれる。材料は行軍途中で採取して作成するらしい。最前線迄にまだまだ幾つかの村や街、採取場所があるらしく、余分に武器防具を作って練兵しながら最前線に向かうらしい。


 軍律…この軍でやってはいけない事は──


【盗み】【放火】【強姦】【同僚同士での果たし合い】【新兵への虐待】【練兵時の怠慢】【あからさまな上官への不服従】


──などだ。悪質かどうかは義勇軍内で判断され、悪質でなければお目こぼしも多少はされる。また、基本は棒叩き10回の刑だが、悪質で重大な過失があると判断されたら、そのまま死刑になる。


 街や村での犯罪は基本的に街や村の人に引き渡されて裁かれる。後は血儀けつぎと呼ばれるよく分からん事に関するアレコレとそんな所だった。


 そして、今は菅柵達かんさくたつと呼ばれる面倒見の良い十人長に、自前の武具の作成を教わっているところだ。


「それで、こうやってこうよっ!」


「おー、器用ですね菅十人長」


 この世界の人達は基本的に姓に役職名を付けて呼ばれるらしい。菅十人長に教えてもらった。早速使ってみた。


「新兵はな、棍棒と竹の盾と鎧に投石紐があればまあ運がいい方よ。最高なのは弓を持ち込んで来る、弓の名人だわな。矢さえ行軍中に作っとけば後方に配置されるから死ににくい。最悪は武器防具もなくて、そこら辺の石を渡されて闘わせられる事もある」


「石ですか...」


 それは流石に勘弁して欲しい。そんなのすぐに昇天するぞ?


「そうだ。早いうちから経験豊富な奴がいる義勇軍に混じって、装備を整えられるのは運がいいぞ。1番は官軍に入って装備を整えて貰うことだけどな」


「官軍ですか...」


「ああ、コネがあれば1番いいが、無ければこういう義勇軍で、5回ほど儀を受けられれば試験に受かれるな」


「その...血儀って実際どんな感じなんですか?」


「あー…知っての通り生き物が死んだ時には生気が放出される。何百もの生物が死んだ場所の近くでは生気溜まりが起きて、そこで一日を明かせれば儀の完了よ。俺らは血儀を略して、儀って言ってる」


 なんだそれは?初耳なんだけど、本当の話か?古代中国とか思ったけど、やはり全く世界が違うのか?


「儀を受ければ強くなれるし、偶に術を会得したりできる。だが、生気溜まりは敵も味方も取り合うから酷い時は地獄よ地獄。まあ、最近は冷害のせいで赤穀の種を撒いて、収穫の儀でお茶を濁す事も多いらしいがな」


「その生気溜まりでは、三日で赤穀が収穫できるって本当なんですか?」


 さっき千百人長がそんな事を言ってたのだ。にわかには信じられない話だ。


「おうよ、生気は植物に成長を促すし、赤穀は肉にも根付くからな。儀が終わった後でも種を撒けば七日で収穫出来る。一番は勝ち戦で儀も受けて、赤穀を収穫出来れば言う事がないんだが、そう上手くはいかねえ」


「やっぱり蛮族は強いんですか?」


「強いは強い…だがアイツらを一網打尽にするのが難しいんだ。アイツら突撃獣タルカウっていう獣に乗って遠くから弓を射ってくる。直ぐに引くからまず捕まえられない。そうこうしている内に死んだ味方と敵のお陰で生気溜まりが出来る。それが出来たらアイツらも本気で俺たちの陣に突撃してくる。守りきれれば俺たちの勝ちで蹴散らされたら俺たちの負けよ」


「なんか受け身なんですね」


「ああ、アイツらはタルカウと生き、タルカウと死ぬ。タルカウは俺たちも乗るが数が違いすぎる。強固な陣を作ったら作ったで攻めてこないし、他の街や村で略奪を働く。特に今回は北平砦が落とされるかもしれねえ。あそこは北の草原と俺らの地を結ぶ渓谷に構えられた砦だ。あそこが落ちたら、大量の蛮族が侵入してくるのは確定だ」


「あの、それじゃあ今回の蛮族の侵攻って大変なんじゃ?」


「北平砦は大体五年から十年に一回は落とされる。その周期で蛮族の奴らに王が生まれるんだ。王が生まれたら奴らは一致団結して攻めてくる。そして、何故かアイツらは紅河こうがを越えて侵攻はしてこない。最悪は南に逃げられるし北平砦が落ちそうな時は、最北の住人は北陵城ほくりょうじょうに避難するようになってる。今回は避難民の避難支援と北陵城での籠城戦になるかもしれんな。にしてもお前さん。北方の出ではないにしても、物を知らなさすぎじゃないか?」


 まあ、ずっと質問ばかりだからな。ただ、聞かぬは一生の恥でしょう。俺は物知らずの若者って事で、1つ頼みます。菅師匠!


「いや〜、日々の糊口(ここう)を凌ぐので精一杯だったので、菅十人長の話は勉強にななります!もっと教えてください!」


「まあ黙って武具作りをするのも味気ないしな。次は俺の術でも見てみるか?」


「えっ、菅十人長は術が使えるんですか!」


「おうよ、変術って言ってな。物の形を自由自在に変える事が出来る」


 菅柵達殿が持っている丸い石が段々と尖って矢じりの様になっていく。1分もしないうちに、硬い石が形を変える様は、まるでファンタジーの魔法の様で興奮を隠せない。


「うおー…凄い。これが出来たら武器でもなんでも作りたい放題じゃないですか!」


「まあなあ、疲れるが鉄の武器や道具を作れば、まず食いっぱぐれはしねえよ!」


「それは羨ましい事です。菅十人長はなんで食いっぱぐれをしないのに、義勇兵に参加したんですか?」


「そりゃあ蛮族は殺さなきゃなんねえだろ。それに儀を受けて、強くなるのは男の誉だ。勝ち戦なら褒美に赤穀もたんまり手に入るし、儲けになる物も幾つかは懐に入れられる。男ならやるしかねえだろ。後は徳功の奴とは昔馴染みなのよ。その縁で義勇兵をやってるのさ」


「…そうなんですね。やっぱやるしかないですよね」


 武器防具の作り方を教えてくれる上に、安心感のある人だから近づいたんだが、どうにも覚悟が完了しすぎている。


 術とかさ、そりゃあ興味は惹かれるよ。でも俺、このままでいいの?これからどうなっちゃうの?正直、記憶喪失で良いから帰りてえよ。寝て起きたら現代日本であってくれ!

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