或る街の情景

 わたしの住んでる街ではたまに奇妙な音が鳴る。

 ゴウーウという轟音。

「あれなんだろうね」

「ふしぎだねえ」

 と、わたしは友だちとよく言ってる。

「飛行機じゃないよねえ」

「鳥がぶつかってるのかなあ」

「でもさ、ここらって住宅街じゃん」

 友だちは首をひねる。わたしは言う。

「じゃあ、やっぱり飛行機?」

「ちがうんじゃない? だって、音だけだもん」

 そうなのだ。轟音がどこから聞こえてくるのか、まったくわからないのだ。だから正体もつかめない。

「でもさ、飛行機じゃないなら」

 と、わたしは言った。

「じゃあなに?」

「さあ、今度たしかめてみる?」

「こんどって?」

「だから、こんどよ」

「どうやって?」

 わたしは少し考えた。それから言った。

「そうね。じゃあ今度、いっしょに行こうか」

 さて、その約束の日になった。わたしはその友だちといっしょに、音の正体をたしかめに出かけた。

「どこから聞こえるのかなあ」

「あっちのほうだと思うんだけどなあ」

 わたしたちはてくてくと歩いていった。

 ゴウーウという轟音はしだいに大きくなった。もうまちがいない。でも、どこから聞こえてくるかは相変わらずわからないのだ。だからわたしたちもあいかわらず首をかしげたままだった。

 やがて、私たちは一軒家にたどり着いた。

「ここらへんから聞こえてこない?」

 友だちが言った。

「そうかも」

 と、わたしは答えた。

「あ、でも」

 友だちが指さした。わたしたちはちょうどその家の裏手に来ていたのだ。裏には空き地があって、ヘンな工場みたいな建物がある。そして轟音はそこから聞こえてくるのだった。

「ここだ!」

 わたしは思わず叫んだ。それから表にまわって玄関のベルを鳴らした。するとすぐに返事があった。

「おや、どうかしましたか?」

 出てきたのは犬みたいな頭のおじさんだった。わたしは聞いた。

「あのう、あの音なんですか?」

 するとおじさんは言った。

「ああ、あれですか」

 とおじさんはにこにこした。そして表を指さして言った。

「どうぞ見てらっしゃい」

 わたしたちはおじさんについていった。工場に入ると、ヘンな機材。わたしたちが首をかしげていると、おじさんはにこにこしたまま言った。

「ほら、あれですよ」

 おじさんの指さしたほうを見ると、そこにはほら貝みたいな装置が置いてある。わたしは聞いた。

「あのう、あれはなんですか?」

 するとおじさんはにこにこしたまま言った。

「あれで音をだしてるんですよ」

「え?」

 わたしたちは目を丸くした。それから同時に叫んだ。

「うそだあ!」

「ほんとですよ」

 おじさんは笑いながら言った。そして説明してくれた。

「ほら、この音ですよ」

 おじさんは装置のつまみをちょっといじった。すると音がぴたっと止まった。わたしは聞いた。

「どうして?」

 するとおじさんは言った。

「この装置でいろんな音を合成するんですよ」

「どうしてあんな音がするんですか?」

 と友だちが聞いた。

「むかしむかし、ここには沼があったんですよ。ほら、湿地帯というやつですね。そこにたくさんの蛙が住んでいたんです」

 おじさんはまたつまみをちょっといじった。するとまた装置が鳴り始めた。そしてあのゴウーウという轟音も聞こえてきた。わたしたちが目をぱちくりさせていると、おじさんは言った。

「この音ですよ」

「どうしてあんな音が?」

 とわたしは聞いた。

「いやね、ここはもともと湿地だったでしょう。だからいろんな蛙がいたわけですよ」

「ええ」

「それで、ほら、あの音ですよ。あれが聞こえてくると、蛙はみんなあわてて沼から飛び出るんです。そしてあたりは蛙でいっぱいになるわけですよ。だからあんな音がするんですね」

 わたしは聞いた。

「じゃあ、いまも?」

 するとおじさんは装置を止めた。あたりが急に静かになる。おじさんは言った。

「いや、いまはもうやってませんよ」

 わたしたちはほっと息をついた。それから聞いた。

「どうしてなんですか?」

 するとおじさんはにこにこしながら言った。

「蛙が多すぎましてね」

 それから装置についているメーターみたいなものを指さした。

「ほら、いまはゼロになってるでしょう。だからもうやらないんですよ」

 たしかにそこにはなにも表示されていない。おじさんはまたつまみをちょっといじった。するとあの轟音が鳴り出した。そしてあたりは再び蛙でいっぱいになった。おじさんは言った。

「ま、そういうわけでしてね」

 わたしは装置を見ながら聞いた。

「でも、どうしてこれがここに?」

 するとおじさんは答えた。

「それは、つまりですね。研究のためですよ」

「なんの研究ですか?」

 とわたしは聞いた。おじさんはにこにこしながら言った。

「ほら、この音を聞いてごらんなさい」

 また装置を止める。あたりは静かになった。そしておじさんは言った。

「どう思いますか?」

 わたしたちは答えた。

「どうって……いやな音ですねえ」

 するとおじさんは満足そうに言った。

「そうでしょう。いやな音でしょう」

 いやな音をわざわざ合成して聞くなんておかしいじゃないか。わたしはそう思ったけれど、おじさんがあんまりにこにこしているのでなにも言わなかった。

「どうしてこれが研究なんですか?」

 するとおじさんは得意そうに言った。

「つまりね、蛙というのは急に大合唱をはじめたりするんですよ。それでこの音を聞いていれば、ほら、なにか起こったときにすぐわかるでしょう」

「なにか起こったときって?」

 とわたしが聞くと、おじさんはまた装置をいじりながら言った。

「たとえばですよ、急に飛行機が飛んできたりしたときでもですね」

「「へえ、そうなんだ」」

 おもわすユニゾンしてしまったが、まあ謎が解けてよかった。


 また別の日。

「ねえ、聞いた?」

「なにが?」

 友だちとふたり焼き芋を食べながら、こんな話をした。

「ほら、となりのマンション」

「え、あのできそこないの?」

 いま建築中の隣のマンションは、内側から見たかぎりなかなか立派なのできなのだが、いざ外側から見てみるとなぜか出っぱったり引っこんだりしているのである。設計したひとは少しも満足していないのだけれど、もうできあがってしまったものはしょうがないとあきらめているそうだ。

「でさ、あのできそこないのマンションなんだけど」

「うん」

「夜になると、光るんだってさ」

 とわたしは言った。友だちは目を丸くして聞いた。

「え? なんで?」

「知らないよ。そう聞いたんだもん」

 すると友だちは言った。

「……ちょっとさ、行ってみない?」

 というわけで、できそこないのマンションを見にいくことになったのだ。もうあたりは薄暗くなっているし、なにかおもしろいことが起こるかもしれない。わたしたちは自転車に乗ってでかけた。

 できそこないのマンションにつくころにはすっかり暗くなっていて、あたりは水の底みたいに静まりかえっていた。

「やっぱりできそこないだね」

 とわたしは言った。友だちもうなずいた。そしてわたしたちはマンションのまわりをゆっくりと走ってみた。しかしなにもおこらなかった。

「帰ろうか?」

 とわたしが言うと、友だちは言った。

「でもさ、せっかくここまで来たんだからさ」

 たしかにここまで来て帰るのはつまらないかもしれないなと思ったので、わたしたちはさらに探索を続けてみることにした。自転車を置いて歩きだすと、やがて公園があった。わたしたちは公園に入り、ぶらぶら歩いてみた。しかしこれといって変わったものはなかった。そのまま帰ろうかなと思っていると、とつぜん友だちが叫んだ。

「見て!」

 指さしたのは滑り台の上だった。見るとなんとそこには大きな石でできた蛙がいるではないか! しかもその蛙はこっちを見てにやりと笑ったのだ! わたしは言った。

「ほら、蛙が大合唱をはじめたりするんだよ」

 すると友だちも言った。

「ほんとだ!」

 わたしたちはそれからしばらくその大きな石でできた蛙を見つめていた。そして顔を見合わせてくすくす笑った。やがてわたしは言った。

「帰ろうか?」

 友だちはうなずいて、ふたりで自転車を置いたところに戻った。そしてまた自転車に乗って家に帰ったのだ。


 また別の日のことだ。わたしはひとりで散歩をしていた。川ぞいの道をずっと歩いていたら、むこうから犬を散歩させているおばさんが来たので、あいさつをした。

「こんにちは」

 するとおばさんは言った。

「あら、めずらしいわね」

 わたしは聞いた。

「なにがですか?」

「ほら、あなたよ」

 あちゃーと思ったね。このおばさんは毎日散歩しているからわたしを知っているんだけれど、わたしのほうは知らないのだ。それでわたしは言った。

「ええ、よく言われます」

 それからしばらく犬の話を聞かされたあと、わたしたちは別れた。そしてまた歩きだすと今度は前からおじさんが歩いてきたのであいさつをした。

「こんにちは」

 するとおじさんは言った。

「おや、めずらしいですね」

 わたしは言った。

「なにがですか?」

「いや、あなたがですよ」

 あちゃーと思ったね。このおじさんは毎日散歩しているからわたしを知っているんだけれど、わたしのほうは知らないのだ。それでわたしは言った。

「ええ、よく言われます」

 それからしばらく犬の話を聞かされたあと、わたしたちは別れた。そしてまた歩きだすと今度は前からおばさんが歩いてきたのであいさつをした。

「こんにちは」

 するとおばさんは言った。

「あらあら、めずらしいですね」

 わたしは言った。

「なにがですか?」

「毎日散歩しているのにお会いしたことがないんですよ」

 ありゃりゃと思ったね。このおばさんは毎日散歩しているからわたしを知っているんだけれど、わたしのほうは知らないのだ。それでわたしは言った。

「ええ、よく言われます」

 それからしばらく犬の話を聞かされたあと、わたしたちは別れた。

 そうして今日はおしまい。


 別の日。

「ねえ、きいた?」

「なあに?」

 友だちとテーブルをはさんで話をしているときのことだった。とつぜんこんな話になったんだ。

「ずっと遠くの国でね」

「うんうん」

「道路を歩いているとね、動物たちがじっとこっちを見ているんだって」

「なんでだろう?」

「知らない」

「それでそれで?」

 すると友だちは声をひそめて言った。

「その道路には大きな穴があるんだって」

「どうして?」

「さあ、わからない。それでね、その穴のまわりに動物が集まっているんだって」

「へえ」

「それでね、動物たちはじっと穴を見ているんだって。ほら、道路に穴があいているでしょ。その穴を動物がじっと見ているのよ」

 わたしは言った。

「でもさ、どうしてなんだろう?」

 すると友だちは言った。

「知らないわ」

 そしてふたりで顔をみあわせたあと、大笑いしたんだ。そのときだった。お店の人が注文をとりにやってきたんだけれど、わたしたちの会話を聞いたらしくこう言った。

「その話でしたら新聞に出てましたよ」

「ほんとですか?」

 とわたしが聞くと、その人は新聞を持ってきて見せてくれた。それを見ながらわたしは言った。

「ほら、ここよ」

 友だちも新聞をのぞきこんで、それから言った。

「へえ、ふしぎな話ね」

 するとお店のひとが言った。

「それでですね、その穴の中からつぎつぎに動物が飛び出してきたんですよ」

 わたしたちは顔を見合わせた。そして同時に叫んだんだ。

「知ってる!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ニューラグーン図書館書籍目録 今村広樹 @yono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説