「ネームバリューと再現性に相関関係無し その3」
扉の向こうは一層むせ返るような「熟れ過ぎた南国の果実」の匂いに満ちていた。匂いだけではない、温度や湿度、照明の加減にも「人間の戦意を削ぐ」工夫がされている。
部屋の中央にあるやたらに凝ったデザインの椅子には、妙齢の女性が足を組んで優雅に座っている。女はデコルテが出る黒いワンピースにスリットから素足をのぞかせ、黒縁の眼鏡の奥からマツタケシメジに、挑発的な視線を送っていた。
「久しぶりだね。アヤナさん。」
「ええ、久しぶりね、ファンガス。」
「だから、その呼び方やめてって。」
親しい友人の多くはシメジの事をシメジと呼ぶが、親しい間柄でシメジをファンガスと呼ぶのはアヤナだけである。口先で嫌がって見せるシメジであるが、その口角は上がっていた。
「いつも言ってるでしょ、私の中ではアトス、ポルトス、アラミスと並んでるの。」
アヤナも口を尖らせて見せるが、このやり取りが以前よりの魔女との謁見の作法である事が見て取れた。
「お、知ってるぞ、それ「三銃士」だろ?ムショの慰問で人形劇を観たんだ。シメジ、お前褒められてるぞ。」
自分も混ぜろと言わんばかりに、タケが会話に割って入る。
「ほら、お連れの方もこう言ってるわよ。」
獣の無礼に、魔女は寛容な姿勢を見せた。
「いやいや「カビ野郎」って意味だからね。」
「なるほどシメジだからな。洒落も効いてら。」
「お連れさんとは話が合いそうね。お名前は?」
魔女はほんの少しだけ、獣に興味を移すのだった。
「俺は松田尊、タケでいい、あんたはマツナリ アヤナさんだったか?」
「残念、今は真田 綾菜よ。」
魔女の左手には、白銀に光る指輪が嵌っていた。
「はは、本当に残念だな。」
そう言うとタケはシメジに向き直り。
「だから、言っとけってば。」
何度目かの文句を繰り返した。獣の勘に頼らずとも、タケは魔女が真田製薬の中枢に座している事を理解した。シメジはニヤけながら無理矢理に神妙ぶった顔を作り、その前で手を合わせる。
「ちなみにそちらは、あんた娘さんかい?」
気を取り直してタケが話を振る。
「義理の娘、連れ子よ。」
「真田 愛子です。」
アイコと名乗ったのは、先ほど2人を部屋まで連れてきた少女である。肌の露出は少ないが、並んでみればなるほど然り、継母と服装を揃えている。
「真に愛か。ストレートに綺麗な名前だな。大企業の社長令嬢を口説くにゃ安い文句で悪いが。」
大物を前に怯む獣ではないが、このあたりからいくらか様子がおかしかった。
「今は社長じゃないわ、真田製薬は今、北欧の人が社長なのよ。」
「そんな事言ったらパパが可哀想よ、CEOではないけれど、あなたのパパは大阪本社の社長さんなんだから。社長で間違い無いわ。」
その言葉に、獣は再びシメジに向かって首を回す。
「なぁ、真田が外国人のモンになったのって最近か?」
「まぁ、かれこれ10年てとこだね。」
「日本最大の医薬品製造会社の代表が外国人になった頃に薬学部に入学したうちの1人が、そこを標的にテロを起こして、1人がそこの創業者一族の籍に入って、そんでその2人が同じゼミでテロ計画みたいな論文を一緒に書いてる。これは偶然か?」
「薬屋の業界って意外に狭いからね、一見すると奇跡みたいな偶然も無いとは言えない。ただ、真実がどうであれ、去年アヤナさんが真田社長の後妻になった事は、無関係では通らないだろうね。」
「だよなぁ。ところでよぉ。」
戦意を削ぐとはすなわち、自律神経のうちの交感神経を抑制する事である。そして交感神経の抑制とは、同時にもう一方の自律神経、副交感神経にスイッチを入れる事である。
「なんだい?」
交感神経と副交感神経が切り替わる瞬間に、体が示す最も顕著な反応がある。
「俺もう限界だ。話が済んだら起こしてくれ。」
そういうとタケはその場に崩れ落ち、その図体に相応しくない小さな寝息を立て始めた。獣は睡魔には抗えなかった。
「やっぱりタケちゃんはさ、俺なんかいなくたってヒーローになれるよ。」
魔女が目くばせをすると、少女がタケの頭を膝に抱えた。恐らく日本全体でみても屈指の贅沢な膝枕で、タケはより深い眠りに落ちる。
「本題に入ろう、入り口の人は警察官なんだってね。て事はやっぱり君も狙われてるのか?」
「ええ、そうみたいね。誰にとは言わないけれど。」
魔女の言には幾ばくかの含みがあった。
「で、君はどこまで関わってるの?」
「それはこっちのセリフよ。まず私は関わってないし、会うことにこそしたけれど、まだ私はあなたが関わっている可能性を放棄してない。」
シメジは、この魔女に小手先の嘘が通用しないことを知っている。加えて自身に後ろ暗いことはないので、魔女の言にシメジが退くことはない。
「昨日軽く連絡したとおり、俺は昨日の夜、自分に全く身に覚えのない懸賞金がかかっていると聞かされた。そこの自称デクの坊が来てくれなかったら捕まってた。」
同様に、弱みを隠す理由もない。数年ぶりの再会であるが、シメジが用意した親愛なる魔女への唯一の手土産は、最大限の信頼であった。
「なるほど。でも、「全く身に覚えのない」という言い分には語弊があるわね、例え一切の関与がなくとも、あなたは少なくともこの状況を予測してたはずよ。なんたってあの「卒論」の著者の一人なんだから。」
「いや、流石に賞金がかかるとは思わなかったよ。「卒論」が世に出たとしてもせいぜい警察に事情を聞かれると思ってたくらいだったし、そもそも潔白だからね。受け答えの想定もしなかったよ。それで本当に困ったから、無理を承知で君を頼りにここまで来たんだ。」
「それがもし本当だとしたら少し興ざめだけど、なんにせよあなたよりは、私の方が事態を把握してるみたいね。やっぱり直接会う事にして良かったわ。私もあなたに用があるし。」
「その用とやらを聞くのは少し怖いけど、それはさておき、何が起きてるの?」
「『卒論』のフェーズで言えば、第二段階が終了したわ。」
「は?」
「そろそろニュースになってるかしらね。私も昨日知ったのだけど。」
シメジはスマホを取り出し、SNSのネットニュースアカウントを確認する。
「【速報】真田製薬企業テロ事件にて、初の死亡者と警視庁発表、毒物混入が現実に」
「なるほど、「卒論」の露見が第二段階より早いと懸賞金が掛かるのか。」
シメジは苦い顔で情報を飲み込む。
実際に死者が出た以上はただの愉快犯では済まない。メンツを潰された警察は捜査に本腰を入れるだろうし、ワイドショーが取り扱わなくなった頃合いを見ての被害者の出現は、話題の再燃にも効果的であろう。
と、シメジは自ら記した論文をなぞる。
「正確には、警察が死者が出た事を把握したのとほぼ同時に匿名の通報があったそうよ。」
魔女の補足に、シメジは一つため息を吐く。
「ここから先は世論の白熱を期待して、なるべく逮捕を避けながら断続的に被害者を出していく予定のはずだけど、だとするとこの時点で容疑者がほぼ特定されてるのは、かなりアドバンテージを失ってるね。俺達の名前を出したのはどこのどいつよ?」
「知らない。けど、警察の人は『卒論』の内容を元に私のところに事情を聞きに来たと言っていたわ。迷惑な話よね。」
一方、魔女はどこか他人事のように悪態を吐く。
「それで、容疑者筆頭に事情を聞きに来た警官が、どうして君に捜査情報を開示してる上に、君を警護してるの?」
「女性の事情聴取に男2人組で私の所に来ちゃダメよねぇ。」
魔女は魔女らしく妖しく笑う。それと知らずに魔女の領域に足を踏み入れたらどうなるかは、足元のタケが証明している。
「おじさんの方は頑張ってたけど、結局昨日までの捜査情報と、警護って名目で若い子を下に置いてったわ。「私は何も知らない」って事を納得したというよりは「目を付けられた」って感じだったけど。」
「で、その哀れな警官は何て?」
「警察の方では、何日か前にサナプロンを使ってる患者の中から死者が出た事を把握してたみたいね。報道に規制をかけていたけど、マスコミにもリークがあったみたい。」
「裏に表に手当たり次第って感じだね。何故だと思う?」
「さあね、と言いたいところだけど、実は心あたりがあるのよねぇ。」
「何?」
「あなたの懸賞金っていくらだったの?」
「一千万。」
「あら、ヤクザの中抜きって思ってたよりエグいわね。懸賞金は捜査協力の謝礼として真田から出る事になってるんだけど、その金額は1億円よ。」
「まぁ、ヤクザだしね、それが何?」
「こんなものに相場なんてものがあるのかは知らないから、正確な事は言えないけれど、この金額は会議で「実際に死者が出た場合」の社会的影響を考慮した数字として上がったものよ。そして警察が私のところに来た時には、反社会的勢力が私に掛けた懸賞金は1億円だと言われたわ。この数字ってこんなに簡単に一致するものかしら。」
「つまり、その会議の内容を知っている人物の中に、卒論の内容も知っている人がいて、そいつが懸賞金の話を表と裏の組織に流したと。何だそりゃ。」
「その人がレンと繋がってて、計画を援助していたとしたら、辻褄が合うと思わない?」
「毒物の入手や混入、ロットの操作なんかを実行しやすくなる一方、企業へのダメージがある以上、内通者を作るのは難しいって書かなかったか?」
「それも『卒論』の「非公開部分」の通りよ。」
「株価の下落に併せて空売りすれば儲かると持ち掛けるやつな。従業員が自社株売ったら即バレるからバカにしか有効じゃないけど。真田に入れるような人材にそんなのいるか?」
「執行役員以下でくすぶってるような人達の中には、見栄を張って外側は羽振り良くしてるけど、内側は火の車なんていう人もいるみたいよ。それなりの地位や名誉を持つ優秀な人でも、時に短絡的な行動に出る人間がいるのは、最近もメジャーリーガーの通訳が証明したじゃない?」
「それはまぁそうだね。「卒論」の最終段階は、出頭して裁判で改めて、計画の全貌、動機や制度改革の必要性を訴えて、公の場でそれを記録に残す事だ。内通者としては、洗いざらい吐かれて、自分の関与が発覚するのを回避する為に、テロ計画を破綻させようって腹積りには違いない。そして出来ればそれは、自分にウマ味のある部分までは進行している事が望ましい、といったところか。」
「そう。だから私は、内通者説が濃厚と踏んでるし、警察の見解も「そこまでは」一致してるのよ。」
「そこまでは?」
魔女はウンザリといった顔で溜息をつく。
「儲かると言ってもマネーゲーマー達から言わせれば株価の下げ幅はそれ程でもなかったし、上の人ほど会計士なんかをしっかり使ってるから更に利益は低いので、そういう意味では本命とは思い難い。っていうのが警察の見立てなんですって。」
「じゃあ警察の本命は?」
「そこなんだけど、CEOがタッチしてる海外法人の、株価下落による損失総額が300億円以上なのよ。そして、国内法人の真田関連法人の損失が100億円くらい。」
「真田の時価総額って5兆円くらいだろ?個人なら大金だけど、企業からしたら端金じゃないか。それがどうしたの?」
「問題は金額じゃなくて、ダメージの格差と、その後の展開ね。結構ごちゃごちゃしてるけど、簡単に言えば今回の件で国内法人は真田株保有率を上げているの。」
「経営陣の勢力争いに影響してるって事?」
「そう、海外CEOフランク・マルコフ派と、国内創業家11代目真田仁兵衛派の権力闘争の為に、真田派が起こした自作自演のテロなんじゃないかって。」
「それって真田社長自身が関与を疑われてるって事?警察もえらく大物に張ったね。」
「日本経済界の重鎮、真田仁兵衛本人を疑える訳ないじゃない。だから私のところに来たのよ。状況証拠も充分で、ついでに真田株の分与も受けてる。真田が私を囲ってる理由付けとしては申し分ないし、警察の標的としては最適でしょうね。」
「年端の行かない小娘に入れ上げて結婚したと思ったら、そいつはテロの首謀者で、社長自ら共謀してテロを起こす為のカモフラージュだったと。荒唐無稽だね。」
この魔女が本気であればあながち無いとは言えない。と言いかけたが、話が拗れそうなので、シメジは飲み込む事にした。
「傍目にはそれなりに筋が通ってることも問題よね。ただのイタズラでこれだもの、実際に死者が出たらどうなるかしら。」
「会社は更にダメージを負うだろうけど、国内組の勢力は更に増すだろうって事ね。この見解にアヤナさんは否定的だけど、実際真田社長は本当に創業者一族として復権を狙ってないの?それこそ状況に便乗する形でも。」
「フランクはCEO就任以来、敵対的買収でない事を強調し続けているし、真田が保有率を上げたのは、運用上の最適化と取引先への配慮の結果なのだけど、警察はそうは思ってくれていないみたいね。実際、ウチの旦那とフランクはとっても仲良しよ。お互いの内心は汲みようがないけど、100億円も損してまで、これを実行する必要はないと思う。」
「俺は信じるけど、根拠が個人の所見なのが痛いね。」
「おまけに私は事実上の立案者の一人だし、結婚のタイミングも贈与税対策も完璧。」
「そもそも君は自分の「発表出来ない研究」の代わりに、当時のうちの担任たぶらかしてあの「卒論」に名前を捩じ込んだだけなんだから、そう主張すれば良いじゃないか。」
「話してないと思う?旦那も口では信じると言ってくれたけど、この様よ。」
「真田の日本本社社長の耳に入れた上で「警護」の裁定か。直ぐに追い出されない辺りは流石だけど、君も結構危うい立場だね。」
「根回しを抜かったつもりは無いのだけれど、まぁこの辺りが落とし所よね。」
魔女は歯噛みするが、即時警察に連行される事を回避して自分の領域に踏み止まった魔女の手腕に、シメジは内心で舌を巻いていた。
真田社長が自分の立場を守る為のトカゲの尻尾切りにもせず、状況証拠だけで軽々とこの魔女を磔刑台に登らせる事を許さない程度には、アヤナは真田社長を虜にしているのだ。
「という訳で、このままじゃ私逮捕されちゃうのも時間の問題なの。何とかしてくれない?」
「用ってのはそれ?正直に言って荷が重いんだけど。」
「あら?レンを捕まえるのにも、どうせ内通者は手掛かりだし、逆も然りだからどっちが先でも同じ事よ?まさかタダで私の支援を受けられるとも思ってないでしょ?」
「それはそうだけど。」
「歯切れが悪いわね、私の素敵なファンガス・ナイトらしくないじゃない?」
「ブランクがあるからね。それに、君はもう人妻だし。」
「あら、そんなことを理由に私を檻に閉じ込めておくの?」
「流石にもう頼られる事もないと思ってたし、早く思い出にしてしまいたかった身としては、心情的に苦しいよね。それに、アヤナさんは元々、研究に没頭してる時は引きこもってるじゃないか。今は家事炊事も困らないだろ。」
「流石は「被験体No.016」。特異体は被験期間が長いから、生活習慣を把握されてて時々厄介なのよね。」
「そういうのはいいからさ。そもそも、懸賞金が君にも掛かってるのは何故?旦那さんは何の手も打ってないの?」
「「卒論」をリークした奴がその情報を反社会的勢力に流した時に、私の名前をそのままにしたんだって。だから表向きの指名手配と懸賞金は、あなたとレンに掛かる予定なんだけど、勘違いした裏社会の人達に襲われると危険だから私には護衛をって事で旦那も納得したわ。」
「上級国民め。」
「まぁ、そんなところも含めて、私たちの関係はそんなに変わらないってことよ。後方支援は惜しまないから、頑張って頂戴。」
「じゃあまず、せめて表向きの方は、俺の手配も解いてくれない?」
「出頭すれば?すぐに両方止まるわよ?」
「この立場の俺に拘留されて尋問を受けろと?」
「冗談よ。すぐに私のところに来て本当に助かったわね。午後の記者会見で懸賞金の話をする時には、あなたの名前は消えているわ。」
「それは、ありがとう。」
「素直でよろしい。お連れさんが起きるころには会見も終わるでしょう。それまではゆっくりしてらっしゃい。思い出話でもしましょうよ。」
「そんなにかかるかな?」
「見たところ、彼は昨夜あまり寝ていないみたいね。今から一度換気して結界を解くけど、たぶんしばらく起きないわよ。あんまり情報を渡さない誰かさんのお守で気を張ってたんじゃないかしら。」
「耳が痛いね。」
「お昼はシチューで良いかしら?私のお手製よ?」
「おお、懐かしい、君の血と指先の皮膚は入ってない?」
「やめて!娘の前で辱めないで!」
魔女とシメジの逢瀬を、魔女の娘が白い目で見つめていた。膝に乗せた男性の頭をなでると、特異な髪形と思ったそれが、頭に付いた無数の傷跡によって作られたものだと分かる。その触り心地が妙に新鮮で、また、その経緯を察するに恐ろしく、魔女の娘は小さく戦慄し、そして小さく「ほぅ」と、うっとりとした甘い息を吐いた。魔女を「親」と受け入れた少女もまた、魔女の資質を持つのだった。
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