第34話 「人間をなめるなよ、小娘」
出来立てのTボーンステーキは瞬く間に平らげられ、空になった白い皿が一枚、また一枚と積み上げられる。気が付くとその数は1ダースを越えていた。
いくら食べ放題だといわれても、ここまで豪快な食べ方はできない、とミキティをあっけにとられていた。
もちろん、ここは八千草邸の食堂であり、八千草家に仕えるマリヤが何をどれだけ食べようが、後で食べすぎだと怒られようが関係ない話ではある。
ランチに何を食べたい? と聞かれてミキティはひどく動揺してしまった。連れていかれた食堂は、飾りつけから何から高級レストランのそれっぽく、シェフは一流で何だって作ってくれるから遠慮せずと言葉が続くと、まず「シェフ」という言葉に驚かされ、「一流」でさらに驚き、「何だって作ってくれる」で絶望的な気持ちになった。
ラーメンか担担麺にしようかしらんなんて考えてきたけど、どう考えても場違いな本格的な雰囲気だ。ラーメンはラーメンでも、回るテーブルのある本当の中華料理店に出てくるようなやつを頼まないと恥をかく、そんな雰囲気に追い詰められていた。じゃあ、本当の中華料理店に出てくるラーメンって何さと聞かれれば、たぶんフカヒレのラーメンって答えるのが正解だと思うのだけど、フカヒレがなんだか自分には分からない。
しかも、このいかにもフレンチな雰囲気の中、一人ラーメンをずるずるとすする勇気はミキティには無かった。もちろんいかにもフレンチな雰囲気が何かも説明はできない。イタリア料理でも、モロッコ料理でも、トルコ料理でも、たぶんフレンチな感じと答えるだろう。
だが、この日のミキティは神懸っていた。とっさに会心の答えが天から舞い降りてきた。
「フィッシュ、プリーズ」
そういうわけで、彼女はこの日、真鯛のポワレを食していた。それ以前にパンが異常なほどに美味だったので、3度もお替りした。
となりで英樹が『おでん』をオーダーしたのには驚かされたし、実際におでんが出てきたことにも驚かされた。煮込むの早すぎである。
そんなこんなで学園の未来を決定づける重大なランチミーティングが始まっていた。
恐ろしい勢いでTボーンステーキを平らげるマリヤにも理由があった。蛇崩が、復帰すればすなわち自分が前線へと赴くことができるということだ。備えてエネルギー蓄積が必要だというわけである。
「綾瀬一夜退学裁判が決まった。開廷時刻は今から47時間と44分後だ」
マリヤが部下からの報告を読み上げる。
「退学裁判?なにそれ、まずいんじゃないの」
動揺するミキティを英樹が宥める。
「八大委員会がいかに強大な権力を持っているとはいっても、何から何まで自由にできるわけではありません。生徒の権利は学園憲章で保障されています。正式な裁判を経なければ、誰も生徒の権利を奪うことはできない」
「じゃあ、その裁判に勝てば問題ないってことなんだな」
「まぁ、そうですが何せマンパワーが違いますからね。ジャッジが公平であることは私も信じて疑いませんが、それでも物量で押し切られる可能性が高い。訴訟対応は僕に任せてもらうとして、あくまで時間稼ぎ程度に考えておいてください」
「時間稼ぎって!?」
要領を得ないミキティに答えるのは、マリヤ。
「2日も姫様を待たせるつもりはないさ。それまでにヘイローを押さえれば、八大委員会だって黙らせることはできる。そういう話だ、子猫ちゃん」
「じゃ、じゃあ、アタシはマリヤがヘイローって奴を手に入れて、ゼロっちを無事に連れて帰るのを待っていればいいってそういうこと?」
「私がお連れして戻ってくるのは姫様で、ゼロっちとかいう奴はオマケだがな」
「オマケでもなんでも、ちゃんと連れて帰ってきてね」
「藤原君のことは、一夜の仲間も動いてるようだから安心するといい。マリヤ嬢も彼らと接触した場合はできる限り協力して欲しい」
「もちろん気が付けば善処はするが、その前に消し飛ばしちまうかもしれないねぇ」
不敵な笑みを浮かべるマリヤ。しかし、英樹も当のお仲間の顔も名前も分からないので、それ以上の追及はしない。
「できれば、すぐに出発したい。蛇崩の解放はどうなっている」
「君たちのアジトの一つを指定してくれ。蛇崩自身に案内させてそこに連れていく」
「ならば『バーバー』で待っていると伝えろ」
ミキティは恐怖の対象であったマリヤが今では随分と頼もしく感じられていた。すべてがうまくいく、そう信じたい。ゼロっちが戻ってくる、その瞬間を考えたとき、今ここにいるべき人物がいないことに気付いた。
「あれれ、プランB子ちゃんはいないのかな。あの子の正体もきちんと説明してもらってないのだけど」
「あいつは今、風紀委員会から取り調べを受けている。取り調べといっても、保健委員会上下水道管理局長八千草カルラとしての取り調べだ。丁重に扱われていることだろう」
「大丈夫なのですか。風紀委員会は、まだヘイローの存在にさえたどり着いていないようですが」
「プランB、彼女の正体はお前たちの考える通り姫様の影武者だよ。だがねぇ、影武者というのは囮や替え玉とは違う。いざとなれば本物として振舞うことが求められる。姫様の言葉を借りるなら、『自分が死んだときは自分の代わりとして』働くことが求められるんのさ。もちろん、姫様が死ぬなんて話は私が絶対に許さないけどね」
ここでマリヤは何かが込み上げてきたように体を震わせ血管を浮き上がらせた。そして、もう一度「絶対に許さない」と繰り返した。マリヤはすぐに平静を取り戻し、話を続ける。
「そういう意味で彼女は傑作さ。元は女優志望だけあって、芝居はよくできる。いや、天賦の才と認めてやってもいいさ。もう少し華があれば、それこそ本当に女優になれたかもね」
「まさか、女優志望の女の子を整形して陰武者にしたってそういうことなの!?」
「ふふん。整形ではああはならんよ。それこそ我々の秘中の秘。最先端の科学技術の賜物さ。
「擬態って言葉は知っているだろう。カメレオンが肌の色を変える……のは実は擬態ではないと言われてたりもするけどね。ある研究所では人類が擬態能力を獲得する研究をしていた。ある種の菌類を人間の皮膚に共生させ、それに特殊な光学的刺激を加えることで体色を自在に変化させる、そんなところだ。その過程で、ある面白いことを考えた男がいた。この技術を応用して、人の姿を3Dプリンタのように自由自在に書き換える装置だ。件の菌類を遺伝子的に改良し、皮膚組織、筋肉組織、そして骨組織へと深く深く菌類を潜りこみ、より高度な人体の変成を可能にする。自由自在に他人に化けられる人間、面白いじゃないか。そういうわけで、被検体1号に選ばれたのがプランBというわけだ」
ミキティは何か悪い夢を見ているかのような気分になり、何も喉を通らなくなった。
この女は何を話しているのだろうか。科学の難しいことは分からない、だけど彼女が信じられないのはそこではない。人が人の体に菌を植え付け、その姿を全く別の姿に変えた、そんな話をマリヤはしているのだ。それも、科学の進歩だと誇らしげに。
「あ、あの。そのプランB子ちゃんは、も、元に戻れるんですよね?」
「そうだな。技術が確立すればそれも可能かもしれん。だが、元の姿とはなんだ。そっくり瓜二つに似せたところで、本当に元になど戻れたといえるのかは疑問だな。それに、あの手術は地獄の苦しみらしい。もう一度、あれに挑戦しようなど思うのだろうかな」
そんなことを笑いながら語っている。
「え、え? マジであなた何なんですか。正気ですか。赤の他人の顔に変えられてそのまま一生だとか、そんなのって、マジでさ。酷くない?」
そこまで言って、英樹が止めに入る。
「やめろ。それは僕たちが口を出す話じゃない」
ミキティは、その名も知らぬ、その顔さえ知らないプランBこのことを想い胸が張り裂けそうになる。だが、そんなミキティをマリヤは一笑に付した。いや、マリヤは笑わない。激しい怒りと共にマリヤはミキティを断罪する。
「人間をなめるなよ、小娘。あやつには十分な対価を支払った。人が一生働いて、それでも得られるかどうかという大金だ。これはビジネスだ。そしてな、ビジネスというのはただの金のやり取りではない。あやつが、金に困って体を売った哀れな少女に見えたか。くだらん。
「最初にも言ったが陰武者とはただの替え玉とは違う。覚悟も要れば、技術もいる。今はその名も捨てた、あの女がした決断の重さを易々と知れると思うな」
「そして姫様がなぜ影武者などを必要とするかを考えることだ。人の上に立つとは、命を賭けるということだ。そして、自らの死後のことにも備えねばならない。その重責が分かるか。そして我々は皆、その姫様のためにこの命を捧げているのだ。あの音が影武者ならば、私は肉の壁だ。何を恥じることがある」
そう言い放つとマリヤは食堂を静かにさ去っていった。
そしてこのとき、ミキティは自分から『兄』を奪った、人の持つ『狂気』に初めて直に触れたのであった。
「誰かのために死んでもいいなんて……そんなの絶対変だろ」
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