第20話 「ただ怯え、恐怖し、従うのだ」
千夜学園大地下道。
学園地下1500mにまで達する超巨大構造体であり、その全容は日々拡張を続けている。特に広い部分には歩道だけでなく、自動車道さらには鉄道までが敷設されている。
下水道もまた大地下道の一部であり、それだけで総延長10000kmに達する。
エレベーターから解放された零斗とカルラはまず下水処理センターの地下施設へと連れていかれた。粗末な地上のそれとは違い、それは巨大な工場施設だった。広大な下水道の維持管理に必要なものすべてがここで生産され、ドローンにより各地点に運ばれる。そのすべてが機械によりオートメーション化されていた。
広大な車両倉庫には大小の駆動機械が備え付けられていた。
ざっと目に付いたところで
――全長2m、外輪船のような形をしたメンテナンスドローンが数十機。
――全長5m、削岩ドローンが10機。
――下水道を移動するための車両が10台。
男たちは、車両4台にそれぞれ荷物を運びこむと、残りの6台をすべて破壊してしまった。
「ごきげんよう。私はこの隊の責任者である『ククルカン』だ」
車両倉庫の床に放り出されていた零斗たちを見下ろす中肉中背の男。迷彩服にボディアーマーという兵装に身を包んでいる。頭皮に毛はなく顔は大きく焼けただれている。その目立つ特徴が彼の人種や年齢を分かりにくいものとしているのだが、おそらくはアジア系40歳前後といったところ。
彼は、二人を縛り付けることもなく、かといってもてなす様子もなく、床に座り込んだ彼らを嘗め回すように眺めている。男の部下は8人。全員が同じような兵士の格好をしているがヘルメットとマスクで、その顔は分からない。
「何が目的ですカ。反抗するつもりはありません。要求はすべて受けれます。こちらの新入生は私とは無関係ですから、手荒な真似は控えていただけますカ」
「了解した。我々はプロの傭兵だ。無駄に暴力を振るうつもりはない。我々の要求だが、それは貴女が一番よく分かっているだろう。見ての通り、部下に準備をさせている。楽しい小旅行のはじまりだ」
それは彼らが何をすべきかを十分に理解しているというアピールだった。
「目的はヘイローですね。正直、察知されているとは予想外。驚いてますヨ。よほど優秀な組織なんでしょうネ。公安ですか、遺失文書局ですか、あるいは……いえいえ、これは質問ではありませんヨ。ヘイローはお渡しします。ですから身の安全の約束を」
「我々は傭われの身でね。上の事情は分からんさ。ただ、私はヘイローの実物をこの目で見たことがあるとだけ言っておこう。だから下手な工作は考えないことだ。私だって無駄な仕事は増やしたくない」
「嘘を吐くつもりも、貴方たちを騙すつもりもありませんヨ」
「賢明な判断だ」
ククルカンはそっと右手を差し出す。カルラがそれを手に取り、立ち上がった次の瞬間……
彼はその右手を大きく振りかぶり、カルラの右頬に向かって勢いよく振りぬく。カルラの小さな身体が後ろにふっ飛ぶ。
倒れこんだカルラに近づくと今度は胸に向かって蹴りを二発。さらに顔を踏みつけると、続いて腕や脚を踏み抜く。
相手が小さな少女だと忘れているかのような執拗な攻撃。
それをただ見つめるしかない零斗。やめろやめろと叫ぶけれど、暴れる彼を男の部下はいとも容易く制圧する。
「レディ・カルラ。貴方はとても賢明だが、その眼がいけない。恐怖がない。私は嘘をつきません。約束は守りますよ。だが、すべてを決めるのは私だ。人は理外の狂気にこそ恐怖する。意味もなく訪れる死にこそ恐怖するものです。それをその体に刻み込んであげますよ」
ボロ雑巾のようになったカルラの姿を見て、零斗はボロボロと涙を流すことしかできなかった。ほとんど他人も同然の彼女だが、それでも目の前で起こっていることはあんまりだ。悔しさ、怒り、憎しみ。この感情は何だろうか。零斗が生まれて初めて、体感している何かであることには違いがなかった。
「これからは、何一つ自分たちの思い通りになるという考えは捨てることだ。うまく立ち回ろうなどというのは甘えだ。お前たちはただ怯え、恐怖し、従うのだ。そうすれば家には返してやる」
ククルカンはそう告げると部下に命じ、二人を移動用車両の一台、後部が荷台になっているピックアップトラックの荷台に放り込んだ。
痛みに顔を歪めるカルラの顔を心配そうにのぞき込む零斗。
そこに再びククルカンが近づいてくる。彼は零斗に炭酸飲料の缶を二つ手渡す。
「飲ませてやれ。うまいぞ」
怯えながら黙って受け取るしかない零斗。
「レディ・カルラ。目的物まで地図は?」
「……残念ですが、私は持っていません。リスクの分散ですヨ。副局長の端末に……」
「副局長というと蛇崩。今日一緒にここに来ていたボーイですね。ふむ、蛇崩とはあまり気持ちがいい名前ではないですね。困りました」
ククルカンとは、マヤ神話の創造神。翼のある蛇で、アステカ神話のケツァルコアトルと同一視される。果たして男がなぜそのような名前を用いているのか、カルラには思いも浮かばなかった。
と蛇。そこで何やら考え込む。
「あ!」
声を上げる零斗に視線が集まる。
おそるおそるポケットから取り出したのは、首輪状のP-LIVE主装置。
「ひょっとして、これじゃないかな。その端末ってのは……」
ククルカンは、耳まで口が避けるような――まさに蛇のような笑みを浮かべると、それを受け取った。
カルラが再び殴られるかもしれないという恐怖が、零斗から素直にそれを差し出す以外のすべての選択肢を奪っていた。
「お手柄です。上と連絡を取る手間が省けました。さぁ楽しい地下探検の始まりですね」
男たちは4台の車両に別れ出発する。零斗とカルラに見張りのようなものは付かなければ、拘束されることもなかった。荷台に二人だけ。
「ごめんなさい、カルラさん」
車が動き出して、零斗の第一声は謝罪であった。
「何を謝っているんですか。これは、貴方たちとは無関係。ずっと私たちを監視していたんですネ。一夜もまんまと利用されたというわけです。ふふふ。ちょっと笑えます」
「でも端末、渡しちゃいました」
「そうすべきです。決して逃げようなどとは思わないことですネ。逆らうのもなしです、相手はプロですから何をしても無駄ですよ。安心なさい。藤原さんは必ず無事に家に帰します。それは私が約束しますヨ」
それっきりカルラは黙り込む。意識が途絶えたわけではないが、全身が痛むのだ。
そんな彼女に零斗はカメラを向ける。逆らうなといわれた。しかし、あのとき彼の心の中で燃え上がったあの感情を、言葉にできない得体のない何かを、決して忘れてはいけないとそう思ったのだ。
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