第7話
校門をくぐり、自転車を降りてそばにある駐輪場まで車体を押して移動する。校内にはいったら危険なので自転車を降りる、というのがルールだ。まぁ、赤信号は渡るな程度のもので、破ったところで厳しく注意されるわけでもなく、律儀に守っている奴とそうでない奴の割合は半々くらいだ。俺個人としては、赤信号もこのルールも、半数守っていれば充分なんじゃないかと思う。
「この時間に登校するのは久しぶりだなぁ。早朝と違ってもう結構暑いね」
「部活始まってからは毎日朝練にいってるもんな。やっぱ早朝は涼しいのか」
「自転車漕いでるだけで汗をかくいまの時間よりはね。あたしはバドミントンだから練習は室内だけど、野球とかサッカーとか、外でやってる人達はそれでも暑いと思うよ。夏休みは熱中症になりかけた生徒もいたみたいだし」
「そりゃ危ないな。どっかの県みたいに、スポーツドリンクの出る蛇口でも設置すれば防止できるかもしれない」
「隆志くんよくそんなこと思いつくね。実現は難しそうだけど、それあったらいいかも」
「こんなの誰だって考えるって。金のある私立の高校になら、もう導入してるとこがあるかもしれない。調べたことはないけど」
「ここの学校も導入してくれないかなぁ。スポドリ代が浮けば、その分べつのものにまわせるし」
「導入するなら色々制限が必要そうだな。部活中と部活後数十分だけ出るようにするとかしないと、俺みたいな部活に入ってない奴も飲み物代を浮かせるために殺到するだろうから。画期的なものっていうのは、思いつくのは簡単でも実現レベルにもっていくのは難しいな」
「でも、高校生でそこまで頭が回る隆志くんなら、将来すごいものを開発できる気がしちゃうなぁ」
「そんなふうにうまく行けば、俺の人生は楽しいものになりそうだ」
人生の価値だなんて小難しいことは知らないが、ただ腐っていくよりは目標があったほうがいい。いまの俺に、具体的な目標はないが、この先生涯をかけて成したい何かを思いつけたならば、きっと俺の人生はマシな部類に入れるだろう。
だが、そんないつになるかも不明な先のことなど考えたくはない。将来よりも、まずは今日だ。転校してきたあの奇人が、今日はいったい何をするのか。朝から強烈な風景を見せられたが、あれがピークであることを祈るばかりだ。
「見て隆志くん、枢木さんちゃんと来てるみたいだよ」
いわれて原付置き場に目をやると、確かに玲奈の愛車と思しき原付が駐車されていた。
「変わった奴だよな。ってか、樹理はあいつがサボるかもしれないって思ってたのか?」
「だ、だって、なんかバイクって不良みたいだし……ちょっとはそういうの想像しない?」
「気持ちはわかるけど、たぶん玲奈は不良とは違うぞ。そのへんは安心していいはずだ」
「……隆志くん、枢木さんと一気に仲良くなったよね」
「あっちが妙に絡んできてるだけだって。俺とは元同級生の関係だし、話しやすいんだろ」
「枢木さんくらいコミュニケーション能力があるなら、元同級生なんてきっかけがなくたって、誰とでも仲良くなれそうだけどなぁ」
「樹理もあいつともっと話したいのか?」
「え……私は、その、ちょっと……ちょっとだけ、枢木さんみたいな人は苦手だから……」
意地悪な質問をしたと、胸のうちで後悔した。まさかおとなしい樹理が玲奈のような奇人と交流したいと思うはずがないと想像したが、そのとおりだったのだ。自明の理だったのに、わざわざ本人の口から証明させてしまった。
「ま、まぁ、あいつ相当な変わり者だから、同じように思ってる人は多いって」
「でも隆志くんは枢木さんに苦手意識ないんでしょ?」
「それは勘違いだぞ樹理。俺だってあいつは苦手だ。基本的に全てがおかしいからな」
あれを得意だと豪語する奴がいるなら会ってみたいものだ。おそらく、そいつもまた彼女と同等の奇人だろう。世界は広い。あいつと似た奴が、国内に百人くらいいても不思議じゃない。百人という数字が多いのか、少ないのか。その点はいつか、誰か別の人間に判断してもらおう。
自転車を所定場所に駐車して、俺と樹理は駐輪場から出た。玄関口に向かう生徒の群れに混ざり、特に会話もないまま自分達の教室を目指した。
グラウンドを見ると、ほとんどの部活が朝練を終えているようで、皆が汗を流しながら片付けの作業に追われていた。
樹理はグラウンドではなく、体育館のほうをちらちらと見ていた。視線を追うと、女子バドミントン部も練習を終えたところのようだった。
樹理は玄関に向かう足を止めた。俺も遅れて立ち止まり、彼女に振り向いた。
「ごめん隆志くん、先行っててくれる? 私、みんなに謝ってこなきゃ」
「そうだな。そのほうがいいと思う」
「うん」
少し慌てた様子の樹理は、俺が頷くと身体の向きを変えて体育館のほうへ駆けていった。
しかし、謝罪に向かった彼女は、体育館と俺の中間地点あたりで急に立ち止まった。
「――藤堂、お前朝練サボったらしいなァ」
樹理の行く手を阻むように、タンクトップを着たやたらと筋肉質な高身長の男が立っていた。仁王立ちしたその男は、男子バドミントン部の顧問をしている田中だ。
明らかに怯えた様子の樹理が、一歩後ろに退いた。
田中は古臭い体育教師で、サボりは絶対に許さないことで有名だ。不当な理由でねちねちと生徒を追い詰めるのが趣味じゃないかと噂されている。この恋愛難易度が下がった現代でも、彼は独身を貫いている。理由は語るまでもない。
ここはフォローに入らなければ男じゃない。俺は樹理の彼氏ではないが、そんなのはどうでもいい。
覚悟を決めて、俺は樹理の隣に歩み寄った。
おろおろした樹理の視線と、獲物を発見した肉食獣のような田中の視線が、同時に俺へと注がれた。
「――『部活サボって朝から男といちゃいちゃいちゃいちゃ。お前は学校をラ○ホテルだとでも思ってるのか』っていうつもりなら、やめておいたほうがいいわよ、田中先生」
朝から刺激的な単語を「おはよう」のノリで言い放つ声に、今度は俺も混ざって三人同時に視線を移動した。
声を耳にした時点でわかってはいたが、やはり玲奈が嘲笑を浮かべて立っていた。
「お前なんでこんなところにいるんだよ」
「あんた達王道ペアが揃えばこういうイベントが起きることくらい想像に易いもの。教室に荷物を置いて待機してたのよ」
「暇人かよ……それはともかく、ちょっといまのは行き過ぎた発言じゃないか」
「大丈夫よ。あたしがいったわけじゃないもの。田中先生がいうつもりだったのよ」
腕を組んだ玲奈が田中に目をやった。
当然、田中は鬼のような形相で彼女に詰め寄る。
「お前は転校してきた枢木だな。前の高校でどう過ごしてきたか知らんが、この学校は厳しいぞ。教師にあまり舐めた口をきかないほうが身のためだ」
「はぁ……ここも王道なわけ? あんた、いったいなんのドラマに影響されたの?」
「は、はぁ!? 俺は別に、何かに影響されてこんなことをいってるんじゃないっ!」
「あらそう。まぁどっちでもいいわ。それより、早く職員室にいったほうがいいわよ。さっき電話をかけて、あんたが女子生徒にセクハラしてるって伝えちゃったから」
「な、なにぃ!?」
「その反応も古臭いわね」
嘆息する玲奈を尻目に、不本意ながらも田中は職員室に向かおうとした。
駆け出す直前、田中は玲奈を睨んだ。
「覚えておけよ枢木、お前に最悪の学校生活を――」
「あ、田中先生。そういえばあたしの親戚に、彼氏を探してる女性がいるのよ。筋肉ムキムキで怖い人から守ってくれる人が理想っていってたから、田中先生なら合うかも。今度紹介してもいいかしら? 割りと美人で、料理が趣味なんだけど」
「ん……? お、おう。……得意料理は?」
「ハンバーグよ」
「な――っ! ……そうか。ま、まぁ、悪くないな。会ってやってもいい」
「よかった。じゃあ、後日連絡先教えるわね」
憤っていた表情を一息に軟化させて、ゆったりとした足取りで田中は歩き出した。
数歩進んで、彼はもう一度玲奈に振り返った。
「枢木。素晴らしい学校生活にしような。困ったことがあったらお兄さんを頼りなさい」
精一杯作った爽やかな笑みでそういうと、彼は鷹揚と去っていった。
これからセクハラの誤解を解きにいく男の背中には、到底見えなかった。
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