19
新たに更新されていた文章に目を通した神崎は、固まったままの結城の脇で呆然とした呟きを発していた。
「なんじゃ、こりゃ……」
二人の唖然とした様子に片桐と雛森の目もモニターに向けられた。
「どういうことよ……?」
片桐の疑わしい表情が、迷いなく結城を捕らえていた。『18』の記述には、結城がルナに向けてあるセリフを発していたのだ。
「『君は眠っているんだね』というのは、百歩譲ってもまだ分かる」神崎はまるでモニターに話しかけているようだった。「その前の、蹂躙しただの天罰だ、っつうのは一体なんなんだよ」
「あいつって、誰のことなのかしら?」
「なんで、こんなことを……」
行き場のない疑問符は浮かび上がっては、フワフワと漂うばかりで弾けることがなかった。
「なにか思い当たることはないのか?」
神崎は先ほどこら言葉のない結城の肩を叩く。すると、若干憤った様子の声が素早く返ってくる。
「ありませんよ、そんなもの」
彼を揺さぶるものがあったのだ――。それが一体なんなのか、判然とはしなかったが、片桐は確かにそれを感じ取っていた。
(このルナへの呼びかけがきっかけじゃない。その前にも何度か黙って何か考え事をしている様子だった……)
片桐はじっと結城を見つめる。しかし、当然のことながらその固く閉ざされた表情から何かが引き出されることはなかった。
「そんなことより」言い逃れするように結城は話題を転換させる。「この記述にはやっぱり奇妙な点が多すぎると思いませんか? 何かの衝突が事故の原因ならば、神崎さんの仰ったようにLUNA円周部に損傷があるはずです。さっき僕はそこに損傷があるかもしれないといいましたが、『錯綜の彼方へ』では明らかに衝撃がLUNAを襲っている。つまり、何かが激突したのは紛れもない事実ということになりますよね。しかし、望遠鏡での調査では外殻に損傷を発見できなかった。となると、やはり円周部に何らかの被害があることは言えると思うんです。しかも、それはL‐1を封鎖しなければならないほどの規模です。外殻を貫くかしているはず。
そう考えると、遠心力を擬似重力としているLUNAです、外殻と内殻はほぼ分離しており、内殻は常に回転しています。となると、外郭の、衝撃によって内側に捲れ上がった部分が内殻の回転を妨げてしまうはずなんです」
一気にまくし立てる結城に、片桐は白々しい影を見たが、その言葉の内容には少なからず驚きをもって応えていた。
「確かに……言われてみれば、そうだけれど……。衝撃と外殻へのダメージも説明できるわね」
「回転が止まるってことは、擬似重力が消失するってことじゃないのか?」
「そう。しかもそれは衝突から比較的短い時間乃至は即時のはず。これについて触れられていないのが、奇妙ではありますね」
完全に話題の方向を掴んだ結城は、先ほどとは打って変わって生き生きとした表情を見せていた。巧妙なことにそれに気付いた者はいなかった。
「でも、もし擬似重力が消失するのだとしたら、『錯綜の彼方へ』の殺人事件の様相は全く違ってくるんじゃないですか?」
雛森の指摘に片桐は首を傾げる。
「だって、衆人環視の密室といってもL‐5に『太田』がいるだけですよね。話の流れから、そしてルナが『太田』にどうやら傾倒しているらしいことから察するに、彼は犯人というわけではなさそうですよね。犯人ならば、彼の目を盗めばL‐6に行くことはできるっていうことになります」
「それなら無重力には左右されないんじゃないかしら?」
「そこで」雛森は笑顔を見せる。「エレヴェータチューブを使うんです。無重力ならこれを使ってエリアをスキップできます」
「エレヴェータチューブを使うっつったってな……、エレヴェータがあるのはL‐5だろ。『太田』のいるL‐5はどうしてもスキップできない」
懐疑的な神崎の冷静な突っ込みが入ると、予測していたように返事がある。
「『太田』はL‐4に近い場所にいたとありますよね。エレヴェータはエリアの中央にあります。エレヴェータチューブを使えば、『太田』の目に触れずにL‐6に到達することができるんです」
「なるほど……。密室でもなんでもなくなるってわけか」神崎はそう言って雛森をまじまじと見つめた。「さっきまでとは打って変わって鋭いな」
「推理小説を読んで考えたりするのは好きなんです。実際のことを考えるのは苦手なんですけどね」
彼女は苦笑いして舌を出す。そんな彼女へ片桐が遠慮がちに口を開いた。
「それは無理なんじゃないかしら」
「え?」
「エレヴェータは最初のパニックのときに人を乗せて第一階層に到達した後で停止したのよ。つまり、エレヴェータチューブは上部、第一階層で蓋をされた形になっていて、結局はチューブを使って第一階層には行くことができないはず。そうなると、L‐5のエレヴェータチューブに入ることもできない」
破綻した推理に雛森が落胆しかけていると、追い討ちをかけるように結城が告げる。
「ええ。エレヴェータには上部ハッチはありますが、当然ながら床面にハッチはありません。基本的に擬似重力があることを前提に設計されていますからね。下部ハッチは危険と判断されたんです」
「そうなんですか……」
雛森が口を噤むと、片桐はすぐに話題を転じた。
「無重力になるはずなのに、記述にはそれが触れられていないという話だったわね」
「ルナがそれを考慮していなかったというように見えるんだが、俺には」
首を傾げつつも、片桐はこれに同意せざるを得なかった。状況がそれを物語っているように、彼女には思えたのだ。
「無重力になることを無視したということですか?」
「そうね。それが瑣末なことと判断されたのかもしれない」
「ここでの判断は早すぎるとは思いますが」
結城だけは極めて慎重な姿勢を保ち続けていた。
「まあ、確かにそうだな。それに、今俺たちは現実に対して何も考えていない状態だ。記述が今回の事故の鍵を握っていそうなことは分かるんだがな」
雛森は神崎の言に少なからず奇妙な感覚を覚えていた。ヴァーチャル・ゲームをプレイしている間は現実の時間は何もしていないのと同じようなものだ。
「記述と事故の関連はコンセンサスこそあるものの、確かな足場がほしいものね」
「ルナ自身も事故の原因の究明には動くはずです」片桐の提案を受けて結城が手振りを交えて話し始めた。「その究明がこの記述であるということはできます」
先ほどまでの慎重な振る舞いと矛盾するような彼の断言に、一同は疑問を禁じえなかったが、その主張自体には頷くのだった。
「ということは、ルナにも事故の原因は分かっていないということだな。つまり、今回の事故は外的な要因ではない。奇しくも『錯綜の彼方へ』で触れられているようにソフトの問題ということになる」
雛森は埋もれた言葉を手繰るように眉根を寄せると、首を傾げた。その口調は事項の確認をするかのようだった。
「ソフトの問題ということは、言い換えるとルナの内面の問題ということになりますよね。ルナが何か問題を抱えているということなんでしょうか?」
彼女の疑惑に口を開く者はいなかった。議論は巡り、振り出しに戻ってしまうのだ。
闇を仄かに照らす景色が、彼らの前途を暗示しているようでもあった。
しわぶきひとつなく、LUNAは宇宙からの静寂を染み入れていた。
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