第26話 旅立ち①

 1.



 風はどこまでも吹いていく

 さえぎるものは何もない

 砂塵を巻き上げガリア中を駆け巡る

 太陽は熱き炎を容赦なく吐き続ける

 砂にまみれた空の向こう側から強く

 その輝きはガリアを焼き尽くさんとする

 人は大地に息づく

 小さき力を合わせ寄り添うように

 限りある命を燃やし懸命にガリアに根付こうとしていた



 2.



 風が強く吹き付けてくる。

 すでに三日に渡って吹き続けている。

 壁や管制塔の物見にも見えない彼方で大型の嵐が吹き荒れているのかもしれない。高い外壁をものともせず風はオアシスの中へと勢いを衰えさせることなく吹き込んだ。

 砂嵐でもないのにこれだけの風が吹き荒れるのはロンダサークでも珍しい。

 砂漠からもたらされた砂が路地や通りを縦横無尽に風の波に乗って飛び回っていき、ざらついた耳障りな音をたてて人や物に襲い掛かってくる。

「商いにならないわ」

 少女はぼやく。

 独り言を言ってから失敗したと思った。マスクをしていても口の中が砂っぽくなったのである。

 隙を見逃さず砂やほこりが隙間という隙間から侵入してくる。フードやマスクすら役に立たなかったので、さらに悪態をつきたくなるのを少女はグッとこらえる。

 人々は顔を伏せ足早に通りを歩いていく。ときおり客が店をのぞいていくものの会話はほとんどない。商品を指さし頷くか首を振るだけで、あとはお金のやり取りだけで終わってしまう。

 常日頃から情報収集もあり会話を楽しんだりしていたが、これではいつも通りに商いが出来なかった。

 小さな露店ほどこういった風と砂の影響を受けやすい。特に食料品を扱う店は最悪だ。すぐに店じまいしてしまう商店も多く見られた。

 少女も量り売りを諦める。風で細かい計量ができないばかりか、化粧水に砂が入る恐れがあり瓶詰めのみの販売とした。普段なら売り切れてもおかしくない品まで残っていたりしたので、覗き込んだ客が幸運にも残っていたオイルを大事そうに抱え笑顔で帰っていくこともあった。

 それでも売れ行きは最悪だった。

「? オーリス、どうかしましたか?」

 風が少し弱まった瞬間を見逃さず、少女は眉間にしわを寄せながら空を見上げているオーリス・ハウントに声をかける。

 店に現れてからズッと空の様子を気にしていた。

 少女も空を仰ぎ見たが、砂雲の動きがいつもより早いように感じるくらいだった。何か昨日と今日で違いあるのだろうか?

「うん? ああ……なんでもない」

「なんでもない顔ではありませんよ」

 少女は声は穏やかだったが、彼の表情をまねておどけてみせる。

「そうか、そんな顔をしているか」

「ええ、なにか心配事でも?」

 少女の問い掛けにも苦笑いするだけで彼は答えない。

「シュトライゼさんからの難題ですか? それとも診療所のことでなにか?」

「いや」オーリスは首を横に振る。「たいしたことじゃない」

「そうですか」

「ああ、すまないな」

「あなたの奇行はいまに始まったことではありませんよ」

「奇行かよ」

「ええ、オーリスの考えることはまったく読めません」

「そういうお前さんもな」

「そうですね。あたしはトレーダーですから」すました調子で胸を張り、オアシスの外から来た少女は屈託なく笑った。「地根っ子の考えることはあたしにはやっぱりわかりません」

「そいつはすまないな。おれ達はオアシスの外では生きる術を知らないからな」

「あたしたちトレーダーは砂漠をわたる誇り高き民ですから」

「誇りと勇気か。本来、人はどこででも生きることが出来るはずなんだがなぁ。お前さんのようにな」

「そうなのかもしれませんね」

 その言葉には少しだけ実感がこもっていた。

「いつかあの外壁がなくなって、もっと広い土地で暮らせるようになるかもしれん」

「無理ですよ」

「どうしてだ?」

「どうしてって……外壁が壊れてしまった地区をオーリスだって見ているでしょう。砂漠とオアシスをさえぎるものがなければ、砂に飲みこまれていくのですよ」

「それは放置してしまったからだろう」

「確かにそうですが」

「イクークが砂を土に変えられるように、砂の勢いに負けないくらいの力で土を生み出せれば砂漠になんて飲みこまれねぇよ」

 イクークを使って砂を土に変えるという検証実験がヴェリール・ナハで始まっていた。実験場に放たれたイクークはすべて死滅したが、調べた結果、全部ではなかったが砂が土に変化しているのが判った。しかもそれは良質の土だという。

 どのようにしてイクークが砂を土に変えたのかは謎であるが、砂地を農地に変えることが可能であることが証明されたのである。

「でも、あの実験では小さな区画に土をもたらすのにものすごい量のイクークが必要だったのですよ」

「おれ達がイクークを獲って食ってしまうからだろう」

「それはイクークがあたしたちに必要な食糧だからなのですから」

「誰が決めた? イクークが食いものじゃなかったら、奴らは増え続けて砂漠を飲みこんでいたかもしれねぇんだぞ」

「そのようなことは……」

 あり得ないといいかけて、少女は言葉を飲みこんだ。

『イクークがいなくなったオアシスは滅びる』

 そんな格言じみた言葉を思い出したからだ。少女はそれを食料が無くなってしまったものだと思い込んでいたのだが、意味が違っていたのかもしれない。

「まさか」

「あり得ねぇ話じゃない。イクークは元々食料でも何でもなかったかもしれねぇ、そのまま放置していれば土地を増やしていてくれたのかもしれなかったんだ」

「ありえません。あたしたちはなにを食べて生きればいいのです?」

「大昔、オアシスに住む人はそんなに多くなかったのかもしれねぇな。オアシスの農園でとれたものや家畜で自給自足できたのかもしれない。人が増えすぎた結果、腹を満たそうとして本来食いものじゃなかったはずのイクークに手を出してしまったのかもしれん。実際、生の小さなイクークなんて食えたもんじゃねぇからな」

 オーリスは鼻を鳴らす。

「大型のイクークは刺身にもできますよ」

「それは稀だろう。イクークが緑化のためのものだったらどうするよ」

「なにを根拠に?」

「根拠なんてねぇよ。すべてはおれの妄想だ」

「妄想って……」

 それでもオーリスの言葉には納得させられそうになる。それは言葉の持つ魔力なのだろうか?

「まあ、イクークの生態なんて誰にも判っちゃいねぇんだからな」

「クロッセは何とかならないかと試行錯誤しているようですが」

「相手が砂の中じゃあな」

「そうですね」

「さて、出るか」

 オーリスは伸びをすると少女の店を出ようとする。

「診療所へ行くのですか?」

 オーリスは動きを止め、まじまじと少女を見つめる。

「なんで判った? おれは行き先を言ったか?」

「なんとなくです」

 そう言いながらも、少女はオーリスとの会話の中で診療所の名を出した時に彼の表情が少しだけ変化したのを見逃していなかった。

「サリアにお会いするのでしょう? 最近お会いしていませんでしたから、あたしも行きますよ」

 少女はオーリスが何か口にする前にそう言い加える。それは有無を言わせぬ勢いがあった。

「……楽しいものじゃねぇぞ」

「あたしがサリアにお会いしたいのですよ」

 少女は手に取ったマントを羽織りながらオーリスに笑いかけた。

「勝手にしろ」

「はい。そうします」

 少女は店の奥にいるグッダとフィリアに声をかけるとオーリスとともに店をあとにする。


「グッダさんは、嬉しそうにお二人を見ていらっしゃいますよね」

 エアリィとオーリスを見送った後、フィリアはグッダに言った。

「そう見えますか?」

「はい」

 フィリアは微笑んだ。

「そうですねぇ。仲睦まじくされているオーリスとエアリィ嬢を見ていると自然とそうなるのかもしれません」

 穏やかにグッダは言う。

「仲睦まじいですか。わたしにはどうしても言い合いをしているようでハラハラさせられます」

「まあ、オーリスはあのような口調の方ですからね」

「お嬢様も口調が移ってしまわれないか心配です」

「オーリスと話をしているときはエアリィ嬢もだいぶ砕けた調子になられているようですが、それ以外では大丈夫だと思いますよ」

「それならよいのですが」

「それに子供らしくて良いじゃありませんか」

「子供らしい、ですか?」

 それは少女が最も嫌う言葉であった。少女は幼く見られること、子供扱いされることを非常に嫌っているのをフィリアは知っていた。

「エアリィ嬢がそうみられるのをよく思っていないことは知っていますが、背伸びする必要はありませんよ。威厳とか風格なんてものはその方の内面からにじみ出てくるものなのですからね。普段の行動や態度に現れるのです。エアリィ嬢は大変慕われていますし、敬意をもって扱われていますよ。気にする必要はないのです」

「それならいいのですが……」

「確かに人間は噂と見た目で人を判断しがちですがね。エアリィ嬢と接してみれば判ります。彼女は同年代の女の子と違っていることにね」

「それでもお嬢様の資質に気付かなかったとしたら」

 実際、少女を小ばかにするような態度をとったり、奇異な目で見る大人達も少なからずいるのである。

「その人物が愚かなのでしょう」きっぱりとグッダは言う。「人を見た目や先入観でしか見ることが出来なかったとしたら、その方の人格から疑うべきでしょうね」

「……すいません」

「なぜフィリアさんが謝るのです?」

「その……なんかいろいろと。そう、いろいろとあって」

 フィリア自身、館に来るまではトレーダーを噂でしか見ていなかったので、身を縮ませながら申し訳なく感じてしまうのである。

「誰しもが通る道なのかもしれません。大人になる過程で背伸びをしたり大人ぶって何かにあらがってみたり、そういったことをしながら自然と身についていくものではないかと思うのです。そして年齢とともに精神が成長し見た目に追い付いていくのだと。それにオーリスもエアリィ嬢も誤解されやすいのかもしれません。いや、誤解というよりは見たまま聞いたまま判断されやすい事ですかね」

「おっしゃっていることがよく判りません」

「見た目は幼い女の子。素性を知れば畏怖と偏見。エアリィ嬢ほど本質を理解されない方も珍しいかもしれません」

「トレーダーというのは、どうしてもついて回りますから、それはよく判ります」

「かくいう私もそうでした」オーリスから話を聞いたとき彼は耳を疑った。「ですが、そういった偏見を捨てて話してみるとよく判りました」

 グッダはそう口にしても、それが嘘であると判る。染みついた偏見と畏怖の念はぬぐい切れていないのだ。

 それでも少女には人を惹きつけてやまない何かがある。だからこそ今はこうして付き合っていられるのだろう。

「わたしは心底お嬢様を尊敬しています。なぜあんなにトレーダーを怖がったのだろうと今は思います」

「そうですね。ですが、それが人なのでしょう。本来考えなければならないこと知らなければならないことを見失い、安易に流されてしまう。見るべき本質を見ないで噂や偏見で物事を判断してしまうのが当たり前になってしまう。それではいけないと判っているのにね」

 グッダは自分自身を皮肉るように笑う。

「お嬢様は納得しないでしょうね」

「エアリィ嬢は何事にもとことんぶつかっていき突き詰めないと気が済まないようですしね」

「後悔したくないというのが、お嬢様の口癖ですから」

 フィリアは微笑んだ。

「エアリィ嬢の精神的な年齢は私やオーリスと同格かそれ以上でしょう。ベラル・レイブラリー師に匹敵するといってもいいかもしれない」

「それほどですか」

「子供らしさはところどころに残していますがね。それでも彼女は早熟の天才です」

「それは判ります」

「彼女自身、自分が何者でありどのような道を進めばいいのかまだまだ手探りな状態であるでしょうが、それでも意志の強さは誰にも負けていない」

 年齢も体格も超越しようとしているようにすらグッダには感じられた。

「はい」フィリアも頷く。

「それでもどれほどのことを成しえても、彼女の偉業をすべて知ることは出来ないでしょうね」

「そうなのですか?」

「悲しいかな。私もフィリアさんもその一部しか見ていない。一生知らない事すらあるでしょう。だからこそ、それらを理解出来ない者にとっては畏怖の対象でしかでしかなく、恐怖してしまうのです」

「出来ないとしても、わたしはお嬢様のことを知りたいし、もっと見ていたい」

「本来はそうであるべきなのですよ。フィリアさんのように理解しようとすることが大切です」グッダはフィリアの頭をなでる。「生まれに付随するそれらのことは一生エアリィ嬢に付きまとうでしょう。オーリスも彼女ほど天才ではありませんが、それでも商才は誰よりもあった」

 それ故に大店には理解されなかったし、疎ましく思われていた。

「今のお姿を見ていると、そうは見えませんね」

「仕方がありません」失ったものが大きすぎたのだ。「結局のところ、人は理解されないまま一生それと付き合っていかなければならない」

「グッダさんはお二人をよく見ていらっしゃいますね」

「何とか理解しようと試みているだけですよ」

「そうではありません」フィリアは首を横に振る。「温かく見守っていらっしゃいます」

「そう見えますか?」

「はい。うちのお爺様を見ているようです。わたしやいとこを見守るようなそんな暖かな眼差しです」

「そうかもしれません。私も年ですからね」グッダは微笑む。「オーリスは子供の頃から見ていますし、本人は嫌がるかもしれませんがお二人とも孫のようなものですよ」

「そう見えます」

「それにエアリィ嬢を見ているとどうしてもティナ様を思い出します」

「そんなに似ていらっしゃいますか」

「見た目は全然違うのに、不思議なものです」

 二人の姿を追っているとグッダは何度もハッとさせられるのであった。

 まるであの頃に戻ったような錯覚にすら陥るときがあり、それはグッダにとっても複雑な気持ちであった。

「オーリスも同じなのかもしれません」

 時折見せる悲しげな表情がそれを物語っているようにも見えた。失ったものの大きさに、過去に引き戻され閉じこもってしまうのではないかと思ってしまうこともあった。

「大丈夫ですよ。お嬢様ならそんなことでへこたれませんし、引きこもることも逃げることもさせないないでしょう」

「そのようですね」

「強い方ですよ」

「そうかもしれませんが、強い人間などどこにもいませんよ」

「そうでしょうか?」

「ただエアリィ嬢は少しだけ意思が強いだけでしょう。ほんの少しだけね」

 毛先ほどの差かもしれないが、それは大きい。大きいが、それは諸刃の剣であるようにも見える。どんなに硬いものであっても壊れてしまう。危ういものだった。

 オーリスも強いと思っていた。それがティナや子を失ったことで失意のどん底に陥ってしまい姿をくらました。グッダは己の不甲斐なさとオーリスの辛い胸の内を気づいてやれなかったことを悔やみ続けている。そして、彼をここまで立ち直らせてくれた少女の存在に感謝するのであった。

「ですが、それが強さというものでしょう?」

「そうかもしれませんね。難しい。人も人生も本当に難しい」

 再び巡ってきたチャンス。この場に立てる喜び。

 これまでの苦労も終わってみれば愛おしいものに感じられるようになるのかもしれない。

 いつまでこの体がもつのか判らないが、それまで与えられた仕事をまっとうし、ともに見守っていければとグッダは改めて決意とともに誓うのだった。



 3.



 足元を砂が流れていく。

「本当についてくるのか?」

 オーリスは少女に重ねて言う。しかめっ面は吹き付けてくる風のせいばかりではないようだ。

「ついていくのではありません。あたしがサリアに会いに行くのです」

 すまし顔で少女は答える。風も気にせずステップを踏むように歩いていく。

「後悔しても知らないぞ」

「後悔ならたっぷりしています」少女は屈託なく笑う。「オアシスとかかわりあった時から目いっぱい」

「そいつはよかったな」

「本当ですよ」

「だが、それとこれとでは次元が違う」

「やっぱり、なにかあるのですね」

 少女はニヤリと笑う。

「お前という奴は……」

「後悔は聞いてからします。それにあたしがいることで力になれることもありますよ」

 自信に満ちた口調だった。

「それで済めばいいがな」

「悩んでいる方が問題です。立ち止まっているよりも、一歩でも前に進みましょう」

 オーリスの背中をたたく。

「おれのことであればこんなに悩みはしねぇよ」

「でも、やろうとしているのでしょう?」

「やれやれ」オーリスは苦笑するしかなかった。「とことん付き合うことになっても知らねぇぞ」

「わかりました」

 少女はオーリスをいざなうように風に逆らいながら進んでいく。


 サリアは診療所の所長室にいた。

 診療所での診察や医療体制の打ち合わせがあったりと忙しい身ではあったが、そのようなそぶりを見せることなく快く二人をサリアは迎え入れる。

「今日は彼女をお連れなのですね」

 サリアの暖かなまなざしは変わらない。

「ただの紐クズですよ。払っても払ってもくっついてくる」

「静電気はきちんと取り除いた方が良いですよ」オーリスの言葉にも気にする様子もなく少女はサリアに向かって言う。「ぐずぐずしているから、引っぱってきました」

「誰のことだ」

「オーリスに決まっているではありませんか」

「いつおれが」

「空を見上げてはため息ばかり」

 困ったようなしぐさでため息までつく少女だった。

「ため息なんてついてねぇよ!」

「でも眉間にしわを寄せて空を見ていましたよね?」

「おや、おや」オーリスと少女のやり取りを見てサリアは微笑む。「オーリスもエアリィには形なしですね」

「そんなことはありません」

「本当ですよ。オーリスには口でかないませんから」

 少女は頷く。

「なに言ってやがる。ひとつ言えば十ぐらいで返してくる奴が」

「ああサリア。言い直します。口の悪さではオーリス以上の人は見たことがありません」

「そうですね」

 サリアも同意する。

「悪かったな」

「そう思っているのなら、なおしてください。特にここは診療所なのですから」

「へいへい、善処します」

「これですからね。よくこの人が商いをやって来れたと、不思議に思ってしまいます」

「今はやってねぇよ」

「それでも、やっていたことに変わりはないでしょう?」

「あん時はグッダに店を任せていたからな」

「信用が大事なはずなのに、よく顧客が怒りださなかったと思いますよ」

「そこはそれ、おれの人徳ってやつよ。って、なんだよ?」

「はいはい。そう言うことにしておきましょう」

「信じてねぇな」

「今ではただ口の悪いおっさんにしか見えませんから」

 少女の言葉にサリアは笑いながら同意する。

「サリアまで……」

「オーリスはすぐにひとりで考え込んでしまいますからね」

「勝手に決めるな」

「決めますよ。なにも言わないのであればあたしが決めます」

「なんてわがままな奴だ」

「エアリィらしくて良いではありませんか」

「あたしらしいですかね?」

「ええ、そうですよ。人に力を与えてくれます」

「人に? こいつが? ただのお邪魔虫じゃないか」

「悪かったですね」

 少女は唇を尖らせる。

「まったく、オーリスも天邪鬼ですね」

「おれが?」

「そうですよ。エアリィとでなければ、あなたはきっとすぐにはここに来ないで考え込んでいたことでしょう」

「うっ」図星だった。「そ、そんなことはない」

「本当ですか? まあいいでしょう。ですが、エアリィが人の力になっているのはまぎれもない事実なのですよ」

 マサ・ハルトもコードイック・ドルデンも少女に関わったすべての人々が活き活きと活動している。

「そうであるのなら、うれしいです」

「こいつを褒めるとつけあがるから、ほどほどにしてくださいよ、サリア」

「本当のことですよ。エアリィがいてくれて良かった」

「よくはないですよ。まったく」

「素直になれとは言いません。オーリス。それでも一人で抱え込んで悩みすぎないでください。わたし達にできることであれば言ってください」

「……判りました」

 オーリスは少し照れくさそうに頭を掻いた。

「それで、何があったのです?」

 改めてサリアはオーリスに訊ねたが、彼は問われてもしばらくサリアを見つめるだけだった。

 重苦しい空気が流れる。

「くるかもしれない」

 吐息とともに彼はぽつりとつぶやいた。

「くる?」

 少女は意味が判らず問いかける。

「あれが来るというのですか? オーリス!」

 サリアは腰を浮かせ問いただす。取り乱したような声に少女は驚いてサリアを見ると彼女の顔は蒼くなり震えているようだった。

「たぶん間違いない……」

「どうして、という問いかけは無意味ですね……あなたがそう言うのですから」

「外れてくれた方がいいんだがね」

「それならば、準備を進めておいた方がいいのでしょうね」

「出来るか?」

「判りません。猶予はどれくらいあるのでしょう?」

「データが足りねぇんだ」オーリスは吐き捨てるように言う。「明日なのか、ひと月後なのかなんて判るわけがねぇ」

「あの時と同じであったなら……」

「いや、サリア、同じかどうかも判りはしねぇ」

「……そうですか……」

 サリアは首を振る。一気に老け込んだような動きだった。

「ちょっ、ちょっと待ってください!」少女はついていけず割って入る。「二人ともなにを言っているのですか? 起きるだの、来るだの。なにがやって来るのですか?」

 オーリスとサリアは顔を見合わせる。

「スラド熱のことですよ」

 サリア声はかすれささやくように小さかった。

「はっ?」その言葉が少女はなかなか理解できなかった。「ス、スラド熱って、あのスラド熱ですか?」

 絞り出すように言葉を発する。

「そうだ」

「スラド熱が下町で発症しているのですか?」

「そうじゃない」

「オーリスはまたスラド熱がロンダサークを襲う、その可能性が高いと警告しているのです。十年前のあの時のように」

「本当ですか?」

「当たってほしくないがな」

 オーリスは吐き出すようにつぶやいた。

「オーリスは前回のスラド熱流行を予想していたのでしたね」

 少女の言葉にオーリスは顔をしかめる。

「そのとおりです。十年前オーリスの予測は的中し、スラド熱が下町を襲ったのです」

「どうしてわかるのです?」

 その問い掛けに横目でちらりと少女を見てからオーリスは答える。

「お前さんはこの風と空を見てどう思った」

「空ですか?」意味が判らなかった。「そうですね、風がいつもよりも続いているのが気になります。砂雲の流れが速いのか、筋がいつもよりも多いかな」

「そうだな」

「ですが、風は長期にわたって吹くこともありますし、砂雲の筋が幾重にも見えることはよくあります」

「龍が襲い来る気配がないのにこの風はおかしい。仮にロンダサークに向かってないとしても一定方向から吹き続けるのは変だ」

「そう、ですね……オーリスはこの風がなにかを運んできていると?」

「そう考えた方が自然に思えてくる」

「わかっているのなら、警告しないと」

「してどうする。パニックを広げるだけだぞ」

「それではどうするのですか?」

「それをサリアに相談しているんだ」

 吐き捨てるように彼は言った。


「まずは」オーリスは身を乗り出し少女の顔を覗き込む。「このことは誰にも言うんじゃねぇぞ」

「は、はい……」

 息がかかるほど顔を近づけられて睨まれた少女は、気圧され頷く。

「ですが、そうなるとわかっていてなにもしないというのは……」

「何もしないわけじゃねぇ。下手に動けないんだよ」

「どうしてです? 正しいことをやろうとしているのに」

「正しくとも信じてもらえねぇんなら意味はねぇ」

「オーリスの示したものは可能性であって、絶対的なものではありませんでした。それ故に当時は根も葉もない噂をたてるなと言われたのです」

 サリアは悔しそうでもあった。

「うわさって……本当におきてしまったのに」

「われわれ診療所も、誰もが納得できる根拠を示すことが出来ませんでした」

「だれもやったことがない事なのですよ」

「だからなのです……」

「長老会も五家も信じてくれませんでした。不安を助長するようなことはするなと……」

「おれが一儲けたくらんでいると思われたしな」

「そんな……」

 それが現実のものとなったとき、今度は診療所が発生源ではないかとされ、暴徒が襲い掛かってきたのである。

「どうして?」

「診療所は多くの患者を抱えていました」

「それに迷信からっていうのも大きいか」

「えっ?」

 少女は耳を疑った。

「地区によって発症元を潰していけば救われるなんてのもあったな」

「それって……」

「助かるのならどんなことでも人はやっちまうからな。考えてもみろ、誰かが熱を出しただけで隔離騒ぎが起きかねねぇんだ。疑心暗鬼になり思い込みや無理解から、他を排除していく。おれ達がどれだけ正しい情報を出そうとな」

「そんなにひどいのですか?」

「根も葉もない噂が広がってしまうんだよ。診療所だって諸悪の根源みたいなことが言われたからな」

「よく無事でしたね」

「実際に危なかったわ」サリアは言う。

 診療所が病気の根源だと思い込み潰そうとする民衆と、助かりたい一心で診療所にすがろうとした者達がぶつかりあったという。

「なあサリア、今この時、何カ所かの地区でスラド熱が発症したとして、診療所は対応できるのか?」

「発見が遅れて十ヶ所以上の地区で症状が進行しているとしたら……対処は難しいでしょう」

「早期発見が重要か」

「そうですね」

「あとは薬も必要です」

「資金か? それなら何とかしよう」

「それだけではありません」

「なにが必要だ? 資材か? 場所か?」

「人が足りません」

 サリアは沈痛な面持ちで言う。

「クソッ!」

「今いる人員では多くの地区で発症した場合の対応ははっきり言って無理です」

「今更それか!」

 オーリスは声を荒げた。

「私の力不足です」サリアは頭を下げた。

「スラド熱はあれでおしまいじゃないって判っていただろう。また起きることは判っていたはずだ! それなのに診療所はなにをしていた!」

「すいません」

「療法士がもっと必要なのは判っていたはずだろう!」

「オーリス落ち着いてください」声を荒げるオーリスに少女は言う。「サリアも手をこまねいていたわけではないはずです」

「判っている。判っているが、肝心の診療所が動けなければ意味がねぇんだよ! 人手はあるに越したことはねぇんだ」

「人の生死を分けるのでしょう? 簡単な仕事ではないはずです」

「知ってるよ」

「だったら現状を理解してください」

 担い手を育てるのは大変なことだった。地道にサリア達は療法士を育ててきたが、それでもなり手は少なく、育てても辞めていく者も多かったらしい。

「ひとつでも対処を間違え、遅れをとればそれだけ被害は大きくなっていくんだ。多くの人が死ぬんだよ。できなかったじゃすまされねぇんだよ」

 スイッチが入ったようにオーリスはサリアに向かって一方的に喚き散らして行く。

 サリアもただ謝るだけだった。

「オーリス落ち着いてください」

「やかましい! おれは落ち着いているよ」

「どこがですか」

 少女はオーリスとサリアの間に立ち、彼を睨みつけた。

「オーリス、どれだけ被害を抑え込めば満足するというのです?」

「そりゃあ……」

「数字なんて無意味でしょう。ゼロでなければあなたは絶対に満足しないでしょうからね」

「それができたら苦労はしねぇよ!」

「サリアだって無為に時間を過ごしていたわけではないでしょう。それを非難することは筋違いというものではないでしょうか」

「エアリィ、ありがとう」サリアは悲し気な笑みを浮かべていた。「ですが、これは診療所を束ねるものとして私がなさねばならなかったことです。あの時の教訓から判っていたことですから……、診療所は本来どのような流行病にも対処できなければならないのです」

「オーリスの考えも、サリアの言葉も立派です。でもそれだけではついていけるものではないでしょう? 同じことが起きたとしても人は実際にその場に立ってみなければどう動けばいいかなどわかりはしません」

「お前、何を言ってるんだ?」

「立派すぎて現実とのギャップがありすぎるのではありませんか? オーリスは極端に走りすぎです」

「おれは起こりうる最悪を考えてだな」

「それはわかります。でも現実はどうなのです? 机上の空論にしか今はなっていません。いかにオーリスが言葉にしようともできないものはできないのです。高い理想は必要ですが、それを求めすぎても現実が追いつかなければ、逆にそれが足かせになり最悪の結果を招くかもしれないのです」

「そうならないようにだな」

「療法士は専門的な職種ですよ。いまから頭数だけそろえても現実に起きたら、その人たちで対応できるというのですか?」

「それでもいないよりはましだ」

「サリア、いまから教えても療法士として役に立つものなのですか?」

「手伝い程度であれば……」

「だったらあたしにも教えてください」

「おい」

「人が必要なのでしょう? そのうえであの時を経験した療法士の方が指示してくれるなら何とかなるかもしれないのですよね?」

「わかりません」

「そうなのです。わからないのです。オーリス。今あなたが考えていることだけで、スラド熱の流行を抑えられるというのですか?」

「想定外のことは起きるだろう。いや、むしろ想定外だらけになるだろう。どう転ぶかなんてわかりはしないんだ」

「ご理解いただけましたか? だとしたら今できることをやっていきましょう。どうせどんなに準備したとしてもオーリスは満足しないでしょうからね」

「言ってくれるねぇ」

「ええ、言いたいことは言います。そしてもっと動きましょう」

「お前はなにをしようというんだ?」

「ベラル・レイブラリー師に話を通します」

「正気か? 五家に直接なんて、不安を煽るだけだ。十年前と同じになるだけだぞ」

「五家には話をしませんよ」

「無茶苦茶だな」

「あくまでベラル師に、個人的にお話しするのです。ベラル師の知識と力はどうしても必要です。ことがおきたとして診療所だけでは身動きが取れなくなってしまう。診療所は治療活動に専念してもらわなければなりませんよね? だとしたら他の面での支援は絶対に必要です」

「それはおれが」

「オーリスだけで何とかなるのですか? 人がいるにこしたことはないでしょう? あたしにはどれも手伝えるほど力はありません。ですが、あたしがここにいる理由があるとしたら、もっと選択肢を増やすことです。やれることはやってみましょう。ベラル師ならきっと理解してくれますし、悪いことにはなりませんよ」

 少女の笑みと言葉にオーリスは苦虫をかみしめながらも頷くしかなかった。



 4.



「それで私のところに来たと」

 急にやって来たかと思えば、ベラル・レイブラリーはとんでもないことを少女とオーリスから告げられたのである。話を聞き終えたベラルは半ば呆れるように言葉をもらしたという。

 オーリス・ハウントは少し緊張した面持ちで少女とレイブラリーのやり取りを見ていた。

 診療所をあとにした二人はまっすぐにレイブラリー邸を訪れると、ベラルとの会見を求めた。

「はい。それにしても師は驚かれないのですね?」

「十分驚いているし、そう、呆れているよ」

「呆れられるようなことをしているでしょうか?」

「腰を抜かしかねないほど驚愕することを打ち明けられているのだよ。心臓によくない」

「このまま看過してもさらに体にはよくないと思います。師よ」

「ロンダサークの命運を左右しかねないことを簡単に話してくれる」

「師にしかできない話です」

「持ち込まれた案件を聞いて、私は喜んでいいだろうか?」

「どちらかというと……やはり呆れるしかないでしょうかね」

 ベラル・レイブラリーに話を振られオーリスは肩をすくめる。

「君とは気が合いそうだね」ベラルは微笑んだ。「十年越しでようやく会えたこと、嬉しく思うよ。オーリス・ハウント君」

「恐縮です」

「十年越し?」

「十年前のスラド熱の猛威を予測した男の話は私も聞いていた。それ故に話をしてみたいと思っていたが」

「オーリスは引きこもってしまっていましたからね」

「その名前を久方ぶりに聞いたかと思ったら、お主が絡んでいるというのだからな、エアリィ。人と人とのつながりとは面白いものよ」

「面白くはありませんよ」

「マサ・ハルトも最初は同じようなことを言っていたよ」

「工の頭もですか?」

「この娘はどんなに堅牢な外壁でさえ粉砕して入り込んでいくようだからね。我々が腫物に触るようなものでも」

「確かに」ベラルに同意しつつオーリスは苦笑いした。「嫌なガキですよ」

「それ以上に面白いがな」

「おれはシュトライゼのように笑っていられません」

「人それぞれだからな」

「師もオーリスもあたしを何だと思っているのですか?」

「エアリィ・エルラドだろう?」

 判っているとベラルは頷く。

「そうですが……」

「ベラル師は慣れていらっしゃるのでしょうね」

「この娘が不意にやって来る時は、なにか大きなことが起きる前触れでもあるからな。この娘を中心に」

「心外です」

「判ります」

「オーリスまで」

「我々の常識を超えたことが起きようとしている。今回のようにな」

「それほど非常識なことを師に持ち込んでいるとは思えませんが?」

「我々が当たり前のように思い込み普段気にしないような隙間をついてくるのだよ」

「それほど常識からはずれているようなことをしているとは思いません」

「お主にとってはそうなのだろうな。だからこそ面白いと思うのだよ。オーリス君」

「理解はしかねますが」

「とはいえ簡単なことでない事は確かだ」

「ベラルはよく言っているではありませんか、過去に学ぶことも大切だと。スラド熱は昔からオアシスで猛威をふるっているものです。その対策というものもないのでしょうか?」

「残念ながら教訓として活かされたことはないに等しい」

「どうしてですか?」

「スラド熱が流行する周期が長いサイクルによって起きるということもあるだろう。今回のように十年という短いサイクルは過去には数えるほどしかない。それ故に、その時考えた対処法を覚えているものもいなくなってしまう。過去の忘れられた遺物になってしまうのだろうな」

「残念です。でも、ベラル師ならば期待に応えてくれますよね?」

「弟子にいいところを見せろと」

「弟子ではありません。ですが、そうなりたいと思わせてくれるようであれば」

「まだ足りぬか」

「ええ、まだまだです。あたしにトレーダーを捨て去るなど簡単なことではありませんよ」

「捨てる必要はないのだがな」

 ベラルは呟いた。

「あたしは半端者にはなりたくありません」

「誰もそうは思わぬだろうに」

「やるのならとことんやらないといけません。とくに二股かけるようなことはしたくありませんから。それでは信用すらされません」

「それは違うと思うぞ」

「トレーダーとオアシスは相いれない存在です」

「お主が変えようとしているではないか」

「それでもやはりあたしの生い立ちは付いて回ります。人は表面ばかり見てしまうのですから。それにあたしはやはりトレーダーです。砂漠があたしの生きる世界です」

「だったらガリアすべてをお前の生きる世界にしちまえよ」

 オーリスはぽつりと呟いた。

「それもいいですね」少女は目を輝かせた。「それならなおさらロンダサークだけ見ているわけには行きませんよ」

「お主らしいのぉ」

「ありがとうございます」

「それでだ、オーリス君、本当にスラド熱がまたロンダサークで発症するのかね?」

「その可能性は高いです」

「どれくらいだ?」

「時期的なものはまだ何とも言えませんが、八割か九割がた……」

「にわかには信じがたいな」

 歴史的に見ると五十年か百年サイクルでやって来るものが、今再びやって来るというのである。

「信じてください、オーリスの言葉を。ここでなんらかの手を打っていかなければ最悪の事態を招くかもしれないのですよ」

「判っている。判っているよエアリィ。スラド熱がまた下町に蔓延するとなると多くのものが亡くなるだろう」

「理解していただけましたか」

「しかし、民衆を納得させられなければ身動きが取れないものも多いぞ。スラドの名を出しただけでパニックが起きるくらいだからな」

「おれが言ったくらいでは、誰も納得はしてくれないでしょうね。その場で袋叩きにあうのがおちです。前回は袋叩きにこそあいませんでしたが、変人扱いされましたからね」

「誰も難しいだろう」

「ベラル師ででもですか?」

「耳を傾けてくれるかもしれんが、それでも疑心暗鬼を生み出すだけだろうな」

 互いに信じあえなくなってしまう。ベラルは吐息をもらす。

「やっぱりそうなりますか」

「お主にだって難しいだろう」

「子供だということで、一笑にふされておしまいですかね」

 少女は鼻を鳴らす。

「難しすぎる問題だよ」

「そうでしょうか? すべてを打ち明ける必要はないと思います」

「どうしてだ?」

「だって、オーリスは言ったじゃありませんか、スラド熱を未然に防ぐことは出来ないと。無理だって」

「今の医術では無理だな」

「そうでしょう。防げるのであればあたしだってすべてを公表してしまいます」

「だってら、なんでここに来た! 話を大きくするだけだろうが!」

「声が大きいですよ、オーリス。あたしが欲しかったのは、後ろ盾と、そして目と耳です」

「は?」

 ベラルとオーリスは少女の言葉に顔を見合わせた。


「どのような兆候も見逃さない目と耳が必要です。早期発見が鍵だとすると、そうですよね?」

「そうだ。感染者が少ないほど対処しやすくなり、感染者が広がることを抑えられる」

「蔓延してしまうとスラド熱は手を付けられないからな」

 オーリスの言葉にベラルも同意する。

「だとしたら、そこから話を進めるべきでしょう」

「診療所がこの広いロンダサークの下町をすべてカバーするのは不可能だと、サリアからも聞いたばかりだろうが」

「それは治療の話ですよ」

「それにだ、ちょっとした熱でも感染者だと勘違いするものがでてくるんだぞ。それだけでパニックが起きる」

「それは公表して、オーリスが一人でやろうとしているからでしょう」

「目と耳って何をしようとしているんだ?」

「まあ、オーリスは友達が少ないですからね」

「おい! それは関係ないだろうが!

「関係ありますよ」少女は目を細めオーリスを見る。「抱えこむ必要はないとサリアにも言われたばかりではありませんか、巻きこめる人はおおいに巻きこんでいきましょう。ベラル師」

「そうだな」

「しかし五家を巻き込んでしまうと話がでかくなるだけでかえって身動きが取れなくなってしまうぞ」

「話し合いだけで無意味に時間をとるようなところには、話を持っていく気はあたしもありませんよ?」

「だから、個人的にか」

「そうです。五家なんてただ居るだけで、普段なにもしていないじゃありませんか」

「おい、それは」

 オーリスはベラルの顔色を窺ってしまう。

 しかしレイブラリーは少女の言葉を聞いてもにこやかに笑っているだけだった。

「五家はあたしたちのお金で暮らしているだけですから」

「お前、税なんて払っていたか?」

「あたしはトレーダーですから、それらに関しては出したことはありませんよ。ですが、商工会には店を出している関係で納めています。商工会からも五家にはお金が流れていると聞きましたが?」

 少女の言葉にベラルは頷く。

「そうだとしたら、長老会や五家に動いてもらうときはいろいろといわせていただきますよ。その権利はありますよね?」

「もちろんだとも」

「まったく、口達者なガキだ」

「ええ、日々だれかさんに鍛えられていますから、まずは負けないようにしていかないと」

「十分勝っているよ」

「まだまだです。なにせ子供ですから」

「都合のいい時だけ、ガキになるな。責任をとりたくねぇならここから出ていけ」

「むきになるオーリスの方が子供ですよ」

「うるせぇ」

「オーリス君もエアリィにはからかわれっぱなしだね」

「本当ですよ。レイブラリーはよくこいつの相手をできますね」

「むずかしい時もあるがね。だが、この娘の問い掛けは目を見張るものがある。いまも我々が考えようとしなかった方向から方法を見つけようとしている」

「そういうこともありますかねぇ。下手すりゃただの世間知らずになってしまいそうな面もありますが」

「あたしはトレーダーですから」

「その考え方もどうかと思うがな」

「だから郷に従うところは従っているではありませんか」

「そうじゃない秩序は破壊していくがな」

「そうでしたか?」

「まったくお主というやつは、だからこそ話をしていて飽きが来ない」

「シュトライゼも同じようなことを言っていますよ。おかげでこいつはやりたい放題だ」

「そのようなことはありませんよ。どちらかというと、阻まれ潰されてしまうことの方が多いです。いままでそのようなことはなかっただの、無理だだの、そういうことばかりです」

 少女は口をとがらせる。

「常識から逸脱しすぎなんだよ」

「そうでしょうか? ではなにをもって常識となすのでしょう?」

「難しい問題だな。常識と非常識は表裏一体、紙一重だ」

「少しは自重しろ」

「しているではありませんか。オアシスの常識というものであたしを縛ろうとしていますからね。それに世間知らずではすまされないところは直そうとしています。そうですよね、師よ?」

「まあ、そうかのう」

 ベラルはあいまいに答えた。

「ベラル。そこは頷くところです」

「お前さんはレイブラリーの前でも遠慮がねぇな」

「ベラル師には敬意をはらってお話をしていますが?」

「本当かよ」

「腹の中にためてしまってもいいことはありませんから、すべて吐きだすようにしています。それに無知なままでいることの方が問題だと思います。だから話すことは話、おかしなところがあれば耳を傾けます」

 なんらかの方法がある場合、そのままにしておく方が後悔する。

「私で力になれるのなら遠慮はいらないよ。オーリス君も」

「お知恵を拝借です」

 ベラルの言葉に少女は嬉しそうだった。

「しかし、お主はすでに考えがまとまっているようにも見えるが?」

「サリアとオーリスの話を聞いて、思いついたことはあります。それが、オアシスの中でも実行可能なのか確認したいと思いました」

「相変わらずじゃのう」

「シュトライゼさんにも相談してみますが、その前に師の人脈も使わせていただきたいのです」

「それで目と耳か」

「はい」理解してくれたことに少女は微笑む。「下町は広い。広いけれど、五十の地区で区切られています」

「長老を巻き込むか?」ベラルは問う。

「信用できるのなら、長老でもかまいません。ですが長老の中には権力だけふるいたがるものやどこかの誰かさんの腰ぎんちゃくとかチクリ屋までいますからね」

「それでも地区のまとめ役であるのだがな」

「なかには信用できる方も長老にはいるでしょうが、騒ぎ散らして役目を放り出してしまうような、無責任な人はいりません」

「では、どのような人物がお眼鏡にかなうのかな?」

「必要なのは正確に情報を判断できる人です。周囲で起きているちょっとした異変にも気付けるような世話焼きというかおせっかいな人がいい」

「おせっかい?」

 お前のような奴かとオーリスは思った。

「お店でお客さんと話をしていると、本当になぜそこまでこの人はささいなことまで周囲の情報を手に入れてくるのだろうと思ってしまう人がいます」

「ただの噂好きなばあさんじゃないか! お前さん、最近商売そっちのけで客と話し込んでいるのはそのせいか?」

「ほとんどはただのゴシップですけれどね。百あるネタにひとつくらい次の商いにつながるような話があったりするのです」

「時間の無駄じゃないか」

「それをどうとるかでしょうね。地道にコツコツやることも必要でしょう? なかには他人の家の中の細かいことまで知っていたりするのです。病の話もあります。診療所に行ってくれた方がいいような症状もありますが、多くの人はその地区の療法士や祈祷師に頼んだりするか、行くことが出来ずにそのままになることすらあったりするようです」

「そうだな。診療所は遠かったり、治療費を安く設定していてもそれすら払えなかったりする人も多い」

「スラド熱の初期症状は普通の発熱と大差ないことが多いと聞きます。実際の症例を知らなければみすごしてしまうのではないでしょうか?」

「実際、そうして十年前も広がっていったんだよ」

「だからこその情報収集なのです。見回り組が必要なのです」

「見回り組?」

「いま思いついたネーミングですが」少女は笑う。「あたしたちの目となり耳となりその地域を見守ってくれる人たちです」

「見守るというよりは地区の監視役だな」

「今回の場合はスラド熱の監視がメインになりますが、手伝ってもらうのではなく雇ってしまい仕事として成り立たないかと考えました」

「誰が雇う。それに誰が金を払うんだ?」

「オーリスに決まっているではありませんか。そのための資金は工面してくれるでしょう?」

 診療所で言いましたよね? と、少女はオーリスに微笑みかける。

「シュトライゼさんが自発的に商区を回っているような感じですが、それとは悟られないようにやる方がいいかな? ベラルにもいるでしょう? 何事かあれば情報をもたらしてくれるような方が。そういう人たちを各地区に配置するのです」

「そんなに信用できる奴がいるのか?」

「だからこそ仕事にした方がいいのでは? 一癖も二癖もある方々が多いですが、そのような欠点をおぎなっても情報収集能力にたけた人がいます」

「面白い知り合いがおるのだな」

「ベラルはどうです?」

「そうだな。いままで長老をやってくれていた者の中に幾人か信用できるのがおるかな。お主のお眼鏡にかなうかどうかは判らぬがな」

「ベラル師が信頼している方なら大丈夫ですよ」少女は微笑んだ。「急ぎ行うものですから十分な頭数がそろえられるとは思いません。ですが、そこから始めるべきだとあたしは考えますがいかがでしょう」

「本当にやってくれるのか? 一歩間違えば犯罪者呼ばわりされてしまうような仕事になるかもしれないんだぞ」

「商いですよ。出向いて商売をしながら世間話をするだけです。それに情報戦ならオーリスがよくわかっていると思いますが?」

「おれのやっていたことは、これとは違う。化かし合いのようなものだ。それにシュトライゼの方が、そっちは得意だ」

「初動が大切なのであれば、これは必要なことだと思いました。あたしは医術にかんしては素人です。そちらはサリアに任せるとして、診療所は基本的に待ちの態勢になるので、動いて情報収集するのは別のものに任せた方が無難だと考えたのです」

「お前さんの考えは判った。療法士の情報網に引っかからない可能性は考慮しなければならないからな」

「なあオーリス君、我々ではなかなかこういう発想には至らない」

「いや、情報収集については考えましたが、おれはすべての療法士にそういったものは集まると思い込んでいた。こいつの話を聞いて、考えが足りなかったとは思いました」

「方向性として間違っていなかったのならよかったです」

「それにしても、お前さんが考えている見回り組の連中はどんな奴らなんだ?」

「そうでね」

 少女はオーリスの知っていそうな人物の名を何人か上げた。それを聞いた彼は顔をしかめる。苦手なタイプばかりだった。

「お主も顔が広いのぅ」

「お店にはいろいろな方がいらっしゃりますから」

 少女はケラケラ笑った。

「曲者すぎるだろうが」

「だからこそ信用できる部分もあります。実際に下町が一枚岩だといいがたいのであれば、こういった措置も必要だと考えます。仕事だと割り切ればそれ見合ったことはやってくれるではと思うのです」

「そううまくいけばいいが」

「ベラルの方はいかがですか」

「出来そうなものには声をかけるようにしよう。それでも十人集まればいい方かな」

「さすが師です」

「それでも足りないだろう」

「仕方がないですよ。オーリスにお友達がいないのですから」

「ほっとけ」

「オーリス君には、百人の知り合いよりもエアリィの存在の方が頼りになるのではないかね?」

「どうです?」

 少女はオーリスを見つめる。

 しかし、オーリスの答えはそっけないものだった。

「このとおりまったくオーリスはあたしに優しくありません」

「それをおれに求めるな」

「期待していませんよ。そのかわりご褒美はあとでたっぷりいただきますよ」

「なにも出ねぇよ。頭でも撫でてやるか?」

「対価はいただきますよ」

「尻の毛まで抜かれそうだ」

「足りない分はシュトライゼさんにお願いしてみますから、それでだいぶカバーできるのではないかと思います」

「まあ、それしかないか」

「あとはそうですね」

「まだ何かあるのか?」

「子供ですよ」

 少女は微笑んだ。

「子供だと?」

「小さな子はどこにでももぐりこみあらわれます」

「好奇心が旺盛な子が多いだろうからな」

「それに素直な目線で物事を見てくれます」

「お前さんとはえらい違いだな」

「それは自覚しています。トレーダーはいまのあたしよりも小さなころから自立心を育て鍛えられます」

 文字だけでなく計算や数式など初歩から始まり高等なものまで叩き込まれていくのである。それが当たり前だと思っていた。

 しかし、オアシスの子供達は違った。少女くらいになっても読み書きすらできない子さえいた。それらを教える場が少なかったのである。本当に知識を得たいのであれば五家に弟子入りするしか道はなかった。

「したたかにならねば生き残れぬか。それでも子らの好奇心はとどまるところを知らぬ。それはお主とて同じだよ。お主の目と考え方があってのものではあるが向上心だけでは済まされぬ好奇心があってこその行動ではないかと思っておるよ。我ら年寄りのように達観したり斜にかまえてしまっていない純粋な目線があってのものだろう」

「きょ、恐縮です」

 少女は珍しく顔を赤らめる。

「子供視点とはまた面白い。我々が気付かぬものを見つけてくれるかもしれぬな、オーリス君」

「どうですかね。情報収集をしてくれと言ってしまうと、逆にうまくいかなかもしれない」

「あくまで仕事ですよ、オーリス。イクークでいい。商区から遠く離れた地区に売りに行ってもらうのです。その時に見聞きしたものや気付いたことをあたしたちが聴取すればいいのですよ」

「本来の目的は隠してか」

「最初から諜報活動などとは言えませんよ」少女の言葉にオーリスは呆れる。「向き不向きはあるかもしれませんので、そのあたりはうまく選ばなければいけませんが、職をもとめる子は多いと思いますのでこちらの方が集めやすいかもしれません」

「行商か」

「行商?」

「今では廃れてしまっているが昔はそういう商いの仕方もあったのだよ。食べ物や水を売り歩くものなど商区ができる前は多かったと聞くぞ」

「なるほど、あたしの今の商品は、そういうことをやってもあまりもうけにつながらないと思ってあきらめましたが、もともとあったものなのですね」

「大店が独占してしまい廃れてしまったという経緯もあるが、復活させてみるのも面白いな」

 大店にひと泡吹かせられるようなことが出来るかもしれないとオーリスは思案気だった。

「その行商のようなやり方であれば、他の地区にもあやしまれずにはいることができて見回りも可能かなと考えたのですが、気にいってもらえてなによりです」

「気にいるも何もないだろう。やるしかないんだ。たとえ赤字になろうとな」

「赤字にする気などさらさらないくせに」

「まあな」

「では、次はシュトライゼさんですね」

「お前はせわしなさすぎるぞ」

「スピードが大切なのでしょう」

 少女はすでにマントを羽織っている。

「そうだとしてもお前さんが知っていることを話しただけで、レイブラリーにはまだおれから説明していないことがあるんだぞ」

「それはオーリスにおまかせしますよ。先にあたしが商工会議所へ行き、シュトライゼさんと話を進めておきます」

「お前ってやつは……」

「あたしでできることはすませておきますよ」

 笑いかけてくる少女にオーリスは苦笑するしかなかった。

「大事にするんじゃねぇぞ」

「わかっています。これはあくまでもあたしが起こす商いの話ですから」

「なるほど」

 ベラルは感心するのだった。

「そう言えば他の方々も信じてくれます」

 好都合だと少女は言う。

「ベラル師もオーリスの話をきちんと聞いておいてくださいよ」

「判っておる。大事なことだからな」

「よろしくおねがいします」

 少女はベラル・レイブラリーの手を取り、深々と礼をすると、あわただしくレイブラリー邸をあとにするのだった。

 風をものともしないそのスピードに様子を窺っていたドロテアは呆れるしかなかったという。


「相変わらず落ち着きがないのう」

 少女が部屋をあとにして静かになった部屋でベラルは呟いた。

「どこからあのバイタリティが出てくるのやら」

「目的や目標が見つかった時のエアリィの行動力は我々の想像を超えてしまう」

 ベラルは風の中でもスピードを落とすことなくぐいぐい進んでいく少女の姿が判るかのように微笑む。

「はあ」

「アームレスリングの大会の時もそうだった」

「ああ、そんなイベントがありましたね。あいつが?」

「まったく違った目的から始まったものだったがね。数日で主要な参加者を集め瞬く間に大会を実現させおった」

「よくあんなお歴々が集まったものだと思っていましたが、あいつでしたか」

「あの娘が始めなければ実施は不可能だっただろう。エアリィのおかげで意識が変わった者も多くいる」

「意識ねぇ。常識の破壊者か」

「旧区の者達の間では本当にそう呼ばれているようだよ」

「古い慣習や体制を尊ぶあいつらにとって革新的な行動をおこしてしまうエアリィは最大の恐怖でしょうからね」

「停滞は静かに終焉を迎えるものでしかない。本来我らが行わなければならないことをあの娘がやろうとしている」

「外の世界からやって来た異分子が」

「異なるものではないよ、オーリス君。エアリィもまた我らと同じ人の子だ」

「そうなんですよね」

「あの子がこの時代この時にロンダサークにいてくれたことは天の配材だろう」

「そんなに仰々しいものですかね」

「エアリィのおかげで救われているのだよ。あの子がいることで、この大事な局面も重苦しくならずに済んでいる」

「そうかもしれないな」

「どのような難局が訪れようと乗り切れるという確信めいたものが湧き上がってくるのだよ。私自身はね」

 オーリス・ハウント、君はどうだろうか。ベラルの目はそう問いかけ見つめられているような気がした。

「レイブラリーにそう言わせるとは凄いことだ」

「私も人の子だよ。エアリィが我らを気に入ってくれてよかった」

「そうならない可能性もあった?」

「十分にな。ここに来たばかり頃のエアリィは頑なにオアシスを拒んでいた」

「そうは見えませんがね」

「出会いが良かったのだよ。私ではない。シェラやクロッセ、ドルデン親子など、エアリィをエアリィとして受け入れ、興味を引くものを与えてくれた」

「そうですか、おれには無理だ」

「オーリス君も信頼されているよ。うらやましいくらいだ」

「ベラル師ほど信頼されている人もいないでしょう」

「なかなか弟子にはなってくれぬがのう」

「あいつはいつかここを出てまた砂漠の民となりますからね」

「それでもあの才能はおしい」

「確かにたぐいまれなものではありますが……」

「どうしたかね」

「なんでもありません。少し思い出しただけです」

 オーリスは首を振ると、ベラルに彼の予測のこと、そして診療所に必要な物などを細かく話を始めるのだった。



 5.



 地平線に日が落ちる。

 日暮れとともに砂漠を渡り冷たい風がオアシスへと吹き込んでくる。

 ほんの少しの間だけ訪れる心地よい風が吹く時間だった。

 吹き荒れていた強風は四日目にはおさまった。

「こんなに腹一杯食ったのは、久しぶりだ」

 オーリスは膨らんだ腹をさすりながら少女と並んで歩いていた。

 シュトライゼや商工会との話し合いで、少女が考えた見回り組が動きだした。

 その報告もあって少女はオーリスを伴いレイブラリー邸を訪れた。長く話し込んでしまい夕食までご馳走になっていたのだ。

「大盤振る舞いです。ドロテアのお料理はほんとうに美味しい」

「そうだな、あの味はなかなか味わえるものではない」

 新鮮な野菜がふんだんに使われていた。

「レイブラリーは普段からああなのか?」

「たまたまでしょう。いつもはより質素です。それでもドロテアの味が落ちることはありませんよ」

「そうか、ベラル師の健康に気を遣っているのだろうな」

「そのようです」

 今はだいぶ体調もよさそうだが、それでもたまに体を悪くされる。そうなると少女も気が気ではなかった。

「動くのがしんどい。少し休ませろ」

 広場にさしかかりオーリスはベンチへと崩れるように座り込んだ。

「寝ないでくださいよ」あたしじゃ運べない。

 オーリスにはお酒まで振舞われていた。

「そんなことはしねぇよ」

「それならいいです」

 暗い空の向こう側から砂流雲が流れる音がかすかに聞こえた。

 少女は広がる暗黒の闇を見上げ、そして求める。

「どうした、エアリィ?」

「えっ?」

「上に何かあるのか?」

「ああ、砂流雲の音が聞こえたのです」

「音?」

 オーリスも耳を澄ますが音は聞こえない。

「いまは聞こえません」

「それがどうした。何かあるのか?」

 オーリスと話をしながらも少女は必死に何かを求めるように夜空を見上げ首を巡らせている。

「魅入られでもしたか? 何もねぇ闇を見つめるなんて」

「……そうですね」

 それでも少女は求めた。はるか遠くから聞こえる地鳴りのような音がするたびに空を見上げ、それを探す。

「笑わないでくださいよ」

 しばらくして少女は呟く。

「何をだよ?」

「……星、です……」

 ささやくように小さな声で応える。

「星? なんだそりゃ?」

 大きな声に少女は身を縮める。

「……星は、無数に夜の空に瞬く小さな光です」

「光が瞬く? 星か! あの星か?」

 オーリスはさらに声を大きくし、そして腹を抱えて笑いだした。

 少女は小さく吐息をもらす。

「ああ、すまん、すまん」笑い過ぎたのか涙をぬぐいながらオーリスは謝る。「星なんて言葉、久しぶりに聞いたからな」

「知っているのですか?」

 少女は驚く。

「ティナがな、あいつが言うんだよ。夜の空には星が輝いているってな。いまは砂雲に隠れているが、あの向こう側には数えきれないくらいの星が瞬いているって」

 少女はその言葉に何度も頷く。

「あいつの家にはそんなおとぎ話が伝わっていたな」

「そ、その話を詳しく聞かせてください」

「知らねぇよ。眉唾もんだと思っていたからな。聞きもしなかった」

「おとぎ話でも何でもありません。星は本当にあるのです」

「あいつと同じだな。信じて疑わなかった。見たこともない癖にな」

「そうですか……」

「そんなもん探してどうするんだよ?」

「……わかりません」

「判んねぇで探しているのか」

「もう一度、確かめることが出来たならなにかがわかるはずなのです。ガリアの真理を見せてくれるといわれましたので」

「真理ねぇ。そんなもん判ったとして、何が見えるんだろうな」

 それでも夜空を見つめる少女だった。

「それがお前さんのアイデンティティなのか」

「どうでしょう。そこに手を届かせたい。あの雲の向こう側に広がるものを見てみたい。あたしは知りたい」

「知ってどうする?」

「さあ」少女は首を横に振る。「そこにたどり着けたならあたしがあたしであることを知ることができるかもしれない」

「おいおい」

「笑われてもしかたがありませんよね」

 足元の小石を蹴り落ち着きない仕草で少女は言う。

「それでも本気なのだろう? ガキのくせして、お前さんは凄いな」

「そのようなことはありません。もっとすごい人すばらしい人はたくさんいます」

「それでもだ、お前さんは希望に満ちている」あいつのようにな。

 どうしてもティナの笑顔を思い出してしまう。

「お前さんは他の誰よりも、前を見ている。こんな絶望的な世界であってもな」

「絶望ですか?」

 少女はオーリスを振り返る。暗くて表情はよく見えない。

「おれは昔こんなことを考えていた」オーリスはしばらく言葉を切った。「絶望しかない不毛の大地に人は不要なものだとな」

 少女は耳を疑った。聞き間違いかと思った。

「人は淘汰されていくしかないって思っていた」

「どうしてですか?」

 人を救おうとしている人がなぜ?

「スラド熱は人を間引くためのものだってな。増えすぎた人の数を減らすための自然の摂理じゃないのかって思い込んでいた」

「自然が?」

「人が不要なものを駆除したり排除するのと同じだ。人が増えすぎて窮屈になったと感じたガリアは人を駆除するためにスラド熱という劇薬をオアシスに投下していくんだ」

「意味がわかりません」

「判らなくていい」

「ですが、オーリスが言っていることはガリアにも意思があって、その中に寄生しているのが人であるように聞こえます」

「寄生か、そいつはいいやな」オーリスは声をあげて笑った。虚無の中にそれは響きわたるようだ。「ロンダサークの人口が増えすぎて、人が養えなくなったとき、正常な数に戻るように人を減らすんじゃないか、そんな意図的なものすらあるんじゃないかって思ったんだ」

「あたしたちは飼いならされた豚や牛ですか?」

「もしガリアに命と意識があるとしたら、人とはそういった存在でしかないのかもしれねぇな。おれたちには感じることのできない生命としてのガリアがあり、ガリアってやつの意思が働きスラド熱や恐慌が起きる。不要になったしまったオアシスはガリアに見捨てられ滅んでいくんだ」

「そのようなわけが……」

「だから、これはおれの妄想でしかない。それでも人の転換点としてスラド熱はオアシスに襲い掛かって来る。避けることも抗うこともできない力となってな。あの頃はそんなことを考えていた」

「いまは?」

「くそくらえだ!」オーリスは吐き捨てた。「人が、多くの人がなくなって楽しいわけがあるか! おれの大切なものまで奪いやがって、そんなこと許されるわけがねぇだろうが!」

 オーリスは天に向かって叫んだ。

「今のおれ達は彼ら死んで行った屍の上に生かされている。おれはそれまで生まれたことに意味なんてあるわけがないと思っていた。ただ生まれただ死んでいくだけだってな。そう思っていたが、どんな状況であっても人は生きようとする。生きのびようとしぶとくもがき続ける。絶望のどん底であっても、ガリアが人に様々な試練を与えようとな、だったらおれも最後まであがいてやるよ」

 ティナが生きてくれと願ったように。

「よかった」

「ありがとうよ」

「なにもしていません。オーリスは自分自身で気付いたのでしょう?」

「どうだろうな」自嘲気味に笑った。「お前さんは凄いよ。呆れるくらいな」

 どんな状況であっても見失わないような希望という名の光を持っている。

「呆れないでください」

「体格、仕草、どれをとってもまだガキなくせして、よくやっている」

「そうですね。あたしはアイディアや考えを言っただけで、それが実行されているのはベラル師やシュトライゼさんたちがいてくれるおかげですからね」

「表面上はな、そう見えるかもしれない。それでもお前さんが考え人と人をつなげなければことは進まなかった。起爆剤は必要なんだよ。お前が何もしていないといっているが、エアリィ・エルラドはお前が思っている以上に下町を動かしている」

「そうですか。あたしは後悔したくないだけです」

「結果としてはそこに行きつのだろうがな。一人で何でもできる全能者なんていやしねぇんだよ。この広いロンダサークでは天才といわれているベラル・レイブラリーだって一粒の砂にしか過ぎなかったりするんだ」

「才能ある砂ですよ。もちろん、オーリスも。そのような方々がいてくれるからロンダサークも下町も続いてきているのです。滅びることなく」少女は続けた。「負けない、あきらめない想いさえあれば、多くの後悔が残ったとしても先へと進めるのです。それこそガリアの摂理なんてくそくらえです」

「嫌なガキだ」

「人のことは言えませんよ、オーリス」

 そして二人は笑いあった。

「星か」

「ええ、星はあります。いまは見えなくとも」

 小さな見捨てられたオアシスの片隅での出来事だった。

 大きな砂流雲の音が聞こえた後に確信したように星を教えてくれた彼は言った。

「目を閉じてと、そう言った彼はしばらくして目を開けてごらんとあたしに言いました。彼の指さす先にはあまたの星が輝いている。その満天の星空を示してこういうのです」

『未知の世界へようこそ』

 あの日の見た光景と聞いた言葉を一生忘れないだろう。

「ガリアの真理か」

 少女とともに空を見上げながらそう呟いたオーリスは、言いかけて固まってしまう。

「オーリス?」

 彼は無言で震えるように上を指さした。


 そこには小さな光があった。

 手のひらほどの空間だったが、そこに無数の星が輝いている。

 少女は飛び上がり、両手を掲げながら叫んだ。

「星だ! 星だよ」夢中になって叫び続けた。「夢じゃ、夢じゃなかった。星はあそこにあった!」

 その興奮はオーリスをも包み込む。彼はティナの言葉を思い出し、その思いをかみしめていた。

 生き続けてきた意味を考える。

「夢ではない、今は現実だ」



  〈第二十六話了 第二十七話へ続く〉


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