第24話 没落令嬢の兄(1)
霧の立ち込める深い森を進んでいくと、急に視界が拓ける。
木漏れ陽がスポットライトのように降り注ぐ赤煉瓦の邸宅。それが、アレスマイヤー家の令息マルセリウスの住まいだ。
息子の療養施設として建てられたこの屋敷は、両親が失踪する二年前にマルセリウスが知人名義で買い取っていたお陰で、政府の接収を免れていた。
樫の木材の両開きの扉に付けられたドラゴンの意匠のドアノッカーと叩くと、
「おかえりなさいませ、リュリディア様」
新緑色の長い髪のメイド服の女性が出迎えてくれる。コウと同じ琥珀色の瞳の彼女はマルセリウス付きの合成魔獣だ。
「ただいま、リョク」
気軽に挨拶して屋敷に入るリュリディアの後にコウも続く。
邸内にはツンと鼻をつく薬品の匂いがしていた。
「マリス兄様は起きているかしら?」
「はい。リュリディアお嬢様が来られるのを楽しみにしておられましたよ」
最奥の部屋に通される。
広い室内には天蓋付きのベッド、その中で柔らかなクッションに埋もれるように上体を起こし、儚げに微笑んでいるのは、この屋敷の主マルセリウス・アレスマイヤー。
「やあ、リュリ。待ってたよ」
妹によく似た空色の瞳を細め、彼女より色素の薄い金髪を揺らす彼は十八歳だが……見た目はもっと若く、リュリディアより幼い。
これは彼を蝕む奇病、『魔法使いの無限環』のせいだ。魔力の高い者が稀に発症するこの病は、罹患者の肉体の『時間』を止めてしまう。マルセリウスが『魔法使いの無限環』に罹ったのは十三歳の頃。それ以降、彼の容姿は変わっていない。
この病の厄介なところは、罹患者によって症状が異なることだ。身体が成長しないだけで、内面は老いて普通の人間と同じ数十年の寿命を全うする者もいれば、若いまま数百年生きた大魔法使いもいたという。
そしてマルセリウスはというと……発病と同時に内臓ほとんどの機能が活動を停止してしまっている状態だ。彼を今生かしているのは、か細い腕や首筋に射し込まれた管から体内に注がれる霊薬のみ。
ベッドの左右に立てられた不思議な色の液体を満たした六本のガラス瓶と、それを繋ぐ管に、リュリディアはつらそうに視線を逸した。
「お加減はいかがですか? 兄様」
「今日はとっても気分がいいよ。リュリが来てくれたからかな」
ベッドの端に座った妹の髪を、兄は優しく撫でる。
「市井での生活はどう? 苦労してない?」
「毎日楽しく過ごしてますわ。色々なお仕事をしてますの。あ、そうだ」
リュリディアは持っていた鞄を開ける。
「これ、先日私が収穫した物です。兄様にどうぞ」
「わあ、立派なマンドレイクだね!」
日干しされて皺の増えた奇怪な魔物系植物にマルセリウスは眼を見張った。
「ありがとう。後でリョク達に処理させるよ」
マンドレイクは高価な魔法薬の材料で、彼の生命を維持する霊薬にも使われている。
「他にはどんなことをしているの? 教えて」
ねだる兄に妹は身振り手振りを交えて大げさな冒険活劇を語る。
――発病してから五年。ベッドから出られなくなったマルセリウスは、妹に外の話を聞きたがった。最初は兄に遠慮していたリュリディアは、喜んでくれる兄の笑顔にいつしか進んで自分に起こった日々の出来事を話すようになった。
マルセリウスはリュリディア以上の才能を持ち、幼い頃から革新的な魔法技術を開発し、『アレスマイヤー史上最高の大魔導師』として将来を嘱望されてきた。だから彼の発病は、家族にとっても魔法業界にとっても大きな衝撃だった。
両親は必死で治療法を探した。リュリディアも幼いながらに読める文献は読み尽くした。しかし未だに有効な治療法は見つからず、ただ辛うじて既存の知識で無理矢理命を繋ぎ止めているだけだ。
そんな最中に、両親は失踪してしまった。
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