第20話 神のみぞ知る
「ボル! こっちゃ来るっぺよ。昼飯さ食べるべ」
たき火に小さな鍋を吊るし下げ、積もった雪を掬って鍋に入れながら愛犬をに話しかける。
「今日こそは捕って帰んねーと、そろそろかかぁにドヤされてしまうべな」
溶けかけた雪の上に干し肉を二切れ置く。
犬がその様子をじっと座って見ている。
「でっけぇのはいらね。もうオラわかっただ。欲かくとロクなことね。だかんなボルよ、ちっせいのでええんだかんよ。だってよ、今年はでっけぇのいね。いくら探してもいね。この山からでっけぇのみんな引っ越したみてぇだ。いねもん捕まえられね。おらがもっと早く気づけばよかっただ。かかぁが言う通り、おら馬鹿だ」
犬の頭をワシワシと撫でながらガードンは呟く。
ガードンは魔物狩りにきた猟師だ。
待ちに待った狩猟期に入るや、朝暗いうちから山に入り魔物を追いかける日々。
ガードンの相棒は猟犬のボル。去年からガードンとコンビを組んでいる。
小さな村だがガードンは、狩猟に関し村一番の腕利き猟師として名を上げていた。
だが今年の猟期に入りすでに2か月経つが、今日にいたるまで一匹の大型魔物を狩れていなかった。
乳豚や雪熊など、食肉として高値のつく魔物がどういうわけか見当たらなかった。
沸騰した鍋の中で干し肉が踊り始める。
干し肉から溶け出した油が湯に浮き始める。
干し肉の一切れを箸でつまみ犬の前に落とす。
「そらボル、少ねぇけんどお食べ。魔物捕ったら、たぁんと食わせてやっからな。いまはそれで我慢してけろ」
カバンから袋を出し、粉引きし親指大に練り固めたソマを10個ほど鍋に入れる。
少し煮て鍋を火から下ろし地面に置く。
ボルが腰を上げ鍋に口をゆっくり近づける。
「こらっボル、おめぇはもう食ったろ。こりゃオラんだ。欲かくな」
ボルは名残惜しそうに鍋から離れていく。
ガードンは鍋を持ち上げ、ソマを箸で摘まみゆっくり口に運んでいく。
ソマから湯気と干し肉の旨味の香りが食欲をそそる。
半日歩いた身体が補給を欲している。
自然とよだれが溢れてくる。
ガードンが熱々のソマを口に入れようとしたその時、
ワワワワワン!
突然ボルが喧しく吠えた。
ガードンはボルの声に驚き鍋をひっくり返し箸で摘まんだソマも落っことしてしまう。
「うわぁっちちっ!」
煮え湯を素手に浴びたガードンは立ち上がり鍋から手を離す。
湯を浴びた手をブルブル振りながら、地面に落とした鍋をガードンは見つめ、悲しくなる。
ワワワワン!
ボルが吠え続けている。
愛犬に文句を言ってやろうとガードンがギロっとボルへ視線をやると、尻尾をピンとさせ毛を逆立て警戒心を露にする愛犬の様子に異常を覚え、すばやく立てかけたボーガンを掴み上げ愛犬の睨む方に目を向ける。
熟練の狩人であるガードンはすぐに見つけた。
30mほど離れた斜面に小さな雪熊が立ってこっちを見ている。
ガードンは慌ててボーガンを構え雪熊に照準を合わせようとする。
パンッ
乾いた音が鳴ると同時にボルが雪熊の方へ駆けだしたのを感じた。
パンッ
もう一度乾いた音が鳴り、ボルの甲高い一声を聴こえたが、ガードンは雪熊から視線を逸らさなかった。
ボーガンのトリガーを引こうと指に力を込めるが、人差し指への指示は届かなかった。
愛用のボーガンが手から零れ落ち、続いてガードン自身も地に倒れてしまった。
(なしてオラは倒れてるんだ?どしただ?体が言うことをきかねぇだ。なにしてるんだオラ…。はやぐ起きねぇと雪熊に食われっぞ!)
ガードンは起き上がろうと懸命になるが、体は微塵も動いてくれない。
意識はあるのに手足が動かない。
動け、動けと抗うガードンの耳に、ザザッザザザッと雪熊のいた方角から灌木を踏む音が聴こえた。
(やべっ、やべぇって! 雪熊さ、こっちさ来る! 頼むから動いてけろ、動け……)
ズササーッ、やがて足音がガードンのすぐ背後まできて止まった。
ガードンは体を動かそうと必死で抗いながらも、いつ自分に雪熊の爪が振り下ろされるのか恐怖でパニックになり、目を強く瞑った。
ドサ…
足元で音をし、ガードンは硬直した体をさらに硬くさせた。
(も、も、もうダメだ、オラ死ぬんだ、オラここで死んでしまうだ…)
ガードンが死を意識したとき
「じきに動けるようになるから、もう少し待っててね」
(死ぬ、死ぬ、死ぬ…、えっ、はっ、はぁーーーー?」
死の恐怖に囚われていたガードンは、話しかけられたことを俄かには認知できなかった。
雪熊に話しかけられた気がしたガードンは少しだけ目を開けると、そこには足元のたき火に背を向けてあたり座る小さな雪熊がいた。
「おじさんがボーガンを向けるからだよ。とっさに攻撃しちゃったじゃないか」
(な、な、なんだぁーーーー! 雪熊が言葉しゃべって焚火にあたってるだぁーーーー!)
ガードンは麻痺で硬直してる上、さらに混乱した。
「おじさんもしかして俺を魔物と間違えたの?」
ちっこい雪熊が振り返りながらガードンに訊ねた。
その姿を認めたガードンは、まだ動かせない口をあんぐりした。
雪熊の中に人間の子供がいた。
(あんりゃー、こりゃ、ぶったまげたぁ! 雪熊と人間のハーフだっぺや。はじめて見たなや~)
ゆっくり王都ブルートン方向に移動していた俺は、一か月位前の夕方、探知で人の姿を見つけた。
家に戻るところなのだろう。夕陽を背にしてその男はボーガンを片手にトボトボと小道を歩いていた。
男がたどり着いたところには、小さな集落があった。
ぽつぽつと散在する7軒の木造家屋と整備されたいくつかの畑。
その日は山奥に寝床を作り、翌日から村を観察することにした。
自活できるようになった俺は、容易に人と接触する危険性に怯えていた。
村人一人一人をしっかり見極めようと腰を落ち着けじっくり観察していくこととした。
盗み聞いた会話から推測するに、この村は典型的な農村だった。
農閑期以外は農業で、農閑期は狩猟で生計を立てていた。
そのうち、村人の一人の男に俺は着眼した。
男の名はガードン。
最初に見つけた男だ。
ガードンの狩猟の腕前は、他の村人達から尊敬されていた。
だが今年、その狩猟の腕前をもってしても、思ったように魔物を狩れないでいるようだった。
なぜか今年は魔物が少ないハズレ年ということだった。
魔物が少ない理由、それは俺が探知するやいなや魔物を倒しまくっているからだと後に気づいたときには、冷や汗を流し申し訳なさを感じた。
そこで俺は一計を案じ、ガードンの狩猟を手伝ってあげることにしたのだが、接触しようとした途端、ボーガンで討たれそうになった。
長い間この男を観察していたので、ガードンの穏やかな性質は知っていたつもりだったので驚いた。
前世でも車のハンドルを持つと性格が変わる人がいたように、ガードンもボーガンを持つと性質が変わってしまうのかもしれないと一抹の不安を覚えた。
ようやくガードンは口を動かせるようになったみたいで、俺に話しかけてきた。
「まんず驚いたねや~、おまんさん、言葉しゃべれるんでなや~」
そう、この村の人達の方言はかなりキツい…。
村の観察期間が1か月に及んだのも、観察開始から2週間くらいの間、この村の方言が全く聞き取れなかったので村人の会話を理解できなかったからだ。
「そりゃあ、しゃべれるよ。文字だって読めるし書けるよ」
「はぁ~~~、そんりゃすげぇべなぁ! おまんさんのおっ父ぉだかおっ母ぁだか知らねえけんど、たげ勉強さ熱心なんだなや」
「かもね…」
「そんでぇ、おまんさんはここら辺に住んでんだかや?」
「んだよ」
俺まで方言うつってきた。
「この辺は、魔物がたげ多いとこはんでぇ、危なくないっけ? あー、めやぐ(ごめん)、あまんさんも魔物の血さ受け継いどんさったねぇ」
「えっ、俺って魔物の血が混じってんの?」
「そんりゃあ、そん姿見ればぁ誰が見たってぇ、魔物の血さ入ってるってわかるべなぁ」
…俺の姿? あー、そういうこと。
俺は徐に、赤肉で作った帽子とマフラーを取って顔を男に見せてやる。
「あんりゃまぁ!こりゃたまげた…。自分の毛をそげに乱暴に引っこ抜いて、たげ痛かろうに…」
男が俺の顔と毛皮を見て同情してくる。
らちあかんわ!
前進しない会話に時々苛立ちと諦めを感じながら、ガードンに俺が人間であると半ば強引に認めさせ、今後俺が魔物狩猟を手伝うことを申し出た。
ガードンのプライドが許さないのか当初遠慮してきたが、俺がリュックから脂肉を出して焚火で煽り始めると、やがてしぶしぶと降参した。
炙った脂肉をガードンに食べさせ、午後の狩猟に付き合った。
犬はいつの間にか復活し、ガードンが食べる脂肉をダラダラ涎を垂らしながら瞬きもせず見つめていたが、夢中で肉に食いつくガードンからのおこぼれはなかった。
なのでそっと赤肉の生肉を一塊りリュックから新たに取り出し食わせてやった。
会話に苦慮しながらも、午後の狩猟でガードンは赤肉をゲットした。
俺が探知し、そこにガードンたちを連れていき、犬が牽制しガードンのボーガンが一発で仕留めた。
赤肉は雪熊というらしく、倒した雪熊を見下ろしながら俺をちらちら見て申し訳なさそうな顔をするガードン。
その頭上に雷雲を浮かべたが、雷電を落とすのをなんとか我慢した。
なにかと面倒臭いので、明日は雪熊を避け、脂肉狙いで狩りをすることに決めた。
ガードンと翌日の約束を交わし別れた。
村人へ俺のことを漏らさないようガードンに誓わせた。
果たしてガードンとの接触が吉と出るか凶と出るか、神のみぞ知る…か。
苦労したが、それでも久々に人と会話できたことを喜びつつその日は眠りについた。
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