5話 愛おしき者(7)
相変わらず、空は暮れもせず明けることもない。だが、一つ気付いたことがある。よく考えてみれば、当たり前だったのかもしれない。寒々しいはずの山腹なのに心地よい温もりがあるのは、マヤに包まれているからだった。天の神の
想いを素直に認めた途端、憑き物が落ちたように自分の存在が確かになり始めた。ふいと意識を手放すようなことはもうなくなって、視界も今まで何も見えていなかったのでは、と感じるほど鮮やかだ。
(イェンダの民を、マヤを信じたい)
そう思わせたのは、朗らかに振る舞おうとも、奥底に抱えた嘆きや苦しみがわずかに覗いているからでもあった。今に至るまでにどんな苦難があったのかは、とても計り知れない。しかし、悲しみに沈むことなく日々を乗り越えて、いつも光ある行く末を望んでいた。憐れだなんて、とんでもない。蛇神よりもずっとずっと強くて、目には命を捧げて燃ゆる、気高い焔を宿している。その姿に魅せられて、ひとえに憧れを抱いた。
彼女の言葉が嘘であったなら世も末――いや、この娘になら、裏切られてもいいかもしれない。たとえ何から何まで偽りであっても、それで良いと思えた。むしろ欺かれた暁には、素晴らしい
求めに応じて、少しずつ
怖くないとは言わない。いつだって、背筋が凍るような恐怖に耐え忍んでいる。そうして何度も試みて、やっと行き着けるようになったのだ。それまでは途中でどうしても苦しくなって、引き返すことも多かった。マヤが励ましてくれなければ、きっとどこかで折れていたに違いない。とりわけ集落のためではなく、あくまで蛇神が立ち直るために声をかけてくれたことが、強く背を押した。
見極めるための材料が揃うと、二人で災いの場所や規模などを推し量ろうと、幾度となく話し合った。時には彼女の
初めはなかなか当たらなかったものの、月日を経るうちになんとか
併せて、災いの病を癒せるのではと試みたところ、マヤを通して触れるだけで、たちまち
やがて災い除けの旗も相まって、命を落とす者は見違えるように少なくなった。初めて、月の間に誰一人失わなかった時には、マヤと湧き立つ思いを分かち合った。
「チャンカヌ・バダル様、ありがとうございます。おかげさまで、どうにかなりそうです!」
「我にもまだ、できることがあったのだな……」
胸がこんなにも満たされたのは久方ぶりだった。しかも与えられるばかりでなく、自分の手で為したのだ。子鹿のように跳ね回るマヤを眺めながら喜びにしみじみ浸っていると、突然彼女が蛇神を見て、ふっと笑い声を漏らした。
「何かおかしいか?」
「おかしくなんかありません。ただ……怒らないで聞いてくださいますか?」
「……黙られた方がこたえる」
マヤに裏がないと信じていても、染み付いた憂う癖はそう簡単には消えない。そろりと彼女の方を伺うと、微笑みを湛えてこちらを覗き込んでいた。
「その……笑ったお顔が、思っていたよりも可愛らしくて」
「はあ……」
まったく、突拍子もないことを言う。恐ろしいではなく、醜いでもなく。それが褒め言葉なのかもよくわからずに、もそもそと頭を掻いた。
***
過ぎゆく日々は良いことばかりとはいかずとも、目新しきは絶えることなく、概ね楽しいと言えるだろう。たまに浮き沈みを繰り返しながらも、徐々に心は平らかになって、数年経てば軽口を叩き合えるほどになった。
「初めはわたくしだって怖かったのですよ? 天の神様から身の上は伺っておりましたけど、見た目がこれですもの」
マヤは肩をいからせて、口をむっと結ぶ。その様子は怖いと言うよりひょうきんさが際立って、むしろ微笑ましい。
「はは、そんなだったか」
「もう、膝がぷるぷるするのを頑張って抑えてたんですから! でも、おっかない益荒男も、今ではこんなに丸くなってしまってまぁ……。本当は蛇ではなく子犬か何かでは?」
ちらりと茶目っ気たっぷりに流し目をしてくる。彼女はこうやって蛇神をからかって遊んでいるのだ。であれば、そっくりそのまま返すまで。
「白々しいことを。おまえのせいではないか。誰もが震え上がるこの我を絆すのみならず、挙げ句の果てにしっかり手懐けておって。まったく、恐ろしいのはどっちなんだか」
「そこはありがたがってほしいのですけど!」
しばしお互いをじっと見つめていたが、やはりおかしくなって一緒に吹き出す。こんな尊くて何気ない日々のために力を尽くそうと、今一度覚悟を噛み締めた。
「ああ、ちゃんと感謝しているとも。おまえが拾い上げてくれなければ、我はここにはいない。ありがとう」
「あなたのそういう素直なところ、好きですよ」
マヤは満足げにふわりと顔を綻ばせた。じんわりと紅く染まる頬を、そっと両手で包み込む。すると彼女もそこに小さな手の平を重ねて、無いはずの温もりを感じるように目を閉じた。見せかけではなく、本当に触れられたらと、何度願ったことだろう。
二人で、いつか体を取り戻そうと誓い合った。
「体を取り返したら、一番に胸へ飛び込みに行きますから。ちゃんと心づもりをしててくださいね」
「もちろんだとも。どこからでもかかってくるがいい。……でも華奢なおまえでは、思いっきり組み付かれても何も感じないかもしれん」
「そんなあ」
彼女が楽しげに玉を転がしたような声で笑う、ただそれだけで自然と蛇神の心も弾む。笑ってくれるのならば、喜んでこの魂をくれてやろう。
――好きなもののために生きます。
一度は鼻で笑った言葉が、まさかこんなにも身に沁みるようになるとは、思いもよらなかった。あまりの変わりように自分でも驚く。でも、その想いがきっと
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