百味修仙美食秘譜 ―その異邦人、食神につき―

白玖黎

蘇国編 その異邦人、食神につき

序章 民以食為天

零 異世界から来た宮廷厨師


 宮廷厨師ちゅうしの朝は早い。

 夜も明けきらないうちに寝床を出て、厨房で朝餉あさげの仕込みを行うのが彼らの日課だ。

 鶏が鳴くころには皇帝陛下に妃嬪ひひんたち、宮女や官吏も起き出してくる。

 そういった宮廷の人々へ決められた時間に最上の美食を届けなければならない厨師たちは、毎日朝から晩まで働きっぱなしだ。


 おまけに今日は中秋のうたげの日。

 年に一度の盛大な祭典をひかえた宮廷内の厨房は、熱気と殺気が渦巻いていてまるで戦場のようだった。


「だれかそっちの蒸し料理を運んでくれ!」

「揚げ料理の方はもう粗熱あらねつ取れたか?」

「おい、酒が足りてねえぞ。料理用の白酒を持ってこい!」

「ちょっと、お酒は後でしょう!? こっちは前菜だから最優先でお願い!」


 木組みの大厨房には百以上ものかまどが並べられ、底の浅い大鍋がぐつぐつと湯気を立てている。

 砂糖と醤油をじっくり煮こんだ紅焼タレに乗って食材が踊り、なかには激しく火を吹くものも。

 鍋と玉杓子たまじゃくしをふるい上げ、それらを器用にいなしながら、厨師たちはあっという間に料理を完成させる。


 その周りでは、包丁人に下処理係に調料係に……と、さらに大勢の宮廷厨師たちがそれぞれの作業に没頭していた。

 日暮れから始まる宴の準備のために、今日ばかりは別の部局に勤める厨師たちも宮廷の大厨房に招集される。

 かくいう私も、雑用係として助太刀すけだちにきたのだった。


 力のある男厨師が刃幅の広い包丁をふり上げ、つやと弾力のある豚バラ肉を豪快ごうかいに真っ二つ。

 何度かその工程を繰り返し、小さなブロックになったところで細切れにしていく。

 次に赤身と脂身がほどよく混ざった挽肉ひきにくたくされたのは、さっきまで鶏を丸ごと煮出して出汁を取っていた女厨師。

 大葱と生姜しょうがで香りづけした料理酒を挽肉とよく混ぜ合わせていく。

 ここではとの卵白も加えるのは知る人ぞ知るささやかな工夫だ。

 より舌触りがなめらかになり、素材の味が引き立つという。


 最後に、料理人各々のこだわりがぎゅっとつまった挽肉を受け取ったのは私。

 まずはきちんと空気を抜いてから形を整え、片手に収まらないくらいの大きなかたまりをこね出していく。

 ずっしりと重みのある塊が五つほど仕上がったら、あとは白菜と一緒に鍋にふたをして弱火でことこと煮こむだけだ。

 繊細せんさいな宮廷料理は煮くずれを起こしやすい。そのため、ゆっくりと時間をかけて煮るのがミソだ。


 煮え上がるのを待っているうちに、私は隣の鍋のふたに手をかける。

 こっちは数時間前に煮始めた同じ料理だ。そろそろ熱も全体に通ったころだろう。


「よし、こっちはもういいわね。いざ――」


 一気にふたを開け放つと、料理酒の深い香りと胡椒の風味があたり一面にただよった。

 鍋の中心で半透明の白菜に包まれるように鎮座ちんざする肉塊にくかいは、ひとつひとつが大粒おおつぶ真珠しんじゅのように輝いて見える。

 ただでさえ大きかったというのに、今や煮汁にじると旨味を吸ってもうひと回り大きく見える気がした。


「うわあ、これが本場の宮廷料理……」


 「これからこれを味見できる」と思えば、知らず知らずのうちに私のくちびるはにんまりとを描いた。


 私はわずかに形が崩れてしまったものをひとつ取り分け、出汁を染みこませて自分の口もとに運ぶ。

 口に含んだ瞬間、黒胡椒こしょう特有の芳醇ほうじゅんな味わいが広がり、同時にふわっとさわやかな辛味が鼻に抜けた。

 噛むまでもなく肉がほろりと崩れ、あふれ出した鶏の出汁が口のなかいっぱいに広がる。

 ボリューミーなはずなのに、さっぱりとした出汁が不思議とそれを感じさせない。

 いくらでも胃袋のなかに収められそう。


「うん、いい感じ。さすが私、よくできてるわね」


 自画自賛した私は、きれいに仕上がった残りの肉団子と白菜を白磁はくじの器に盛りつける。

 いろどり豊かにするために頂点に真っ赤な枸杞くこの実を添えれば完成だ。


 料理の名は清燉チンドゥン獅子頭シーズトウ

 その名のとおり獅子の貫禄かんろくを持つ肉団子に、清燉と呼ばれる国料理特有の鶏がらスープをからめた逸品いっぴんだ。

 蘇の国では定番の宮廷料理でもある。


 古来より家族や愛人と月を眺め、豊作と幸福を祈願きがんする中秋節では、天子が月をまつることも宮廷の厳粛げんしゅく儀式ぎしきのひとつとされている。

 丸々とした肉が心なしか満月にも見える獅子頭は、今日この日を祝う宴にぴったりの一品なのだ。


「おーい、だれか手が空いてたら水をんできてくれないか!?」


 給仕係に料理を運ぶように指示した私は、遠くから切羽詰せっぱつまった男厨師の声が聞こえ、弾かれるように顔を上げた。


「はーい、今行きます!」


 私は元気よく返事をし、早速木桶きおけを持って次の仕事に取りかかる。


 宮廷厨師としての仕事もだいぶ板についてきた。

 今ではたくさんの仕事も任せられ、以前のように純粋に料理を楽しむこともできるようになっている。

 あれもこれも、すこし前までは微塵みじんも考えられなかったことだ。



 美食を愛する普通の大学生だった私――鳳璃ほうりがこの百味ひゃくみ大陸で宮廷厨師として働くようになったのは、今からちょっと前のこと。


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