彼女が泣いているときに僕が考えていたこと

音骨

第一話 

 シノダさんとは、葬儀屋の派遣バイトで知り合った。その週の派遣先は、お寺で住職の雑用を手伝う半日仕事で、失敗の許されない葬儀や体育会系のノリでこき使われる花屋に比べたら、実に楽な現場だった。

 昼時に入った蕎麦屋で注文したざるそばを待っていたとき、結成三年近いにもかかわらず、まだライブをしていないことを話した。

「ロックバンドの平均年齢が三十歳を超えてデビューして成功した例は、わたしの知る限りないですね」 

 と二十歳の女子大生は言った。

「まだ二十代半ばだよ」

 とぼくは言い訳した。

「もうすぐ二十七ですよね? 占いにでも相談しに行ったらどうですか」

 一見、清楚風な見た目だが、遠慮なくずけずけと話すタイプなのだ。

「イメージトレーニングとかしてます?」

 と自分のこめかみを指した。

「ああ、自己暗示みたいなやつ? たまにやってるよ」

 というのはうそだ。大舞台に立つ姿を思い浮かべようとしたことはあるが、一分も経たないうちに、寝落ちした。

「シノダさんは?」

「寝る前に少しだけ。十五分くらいかな」

 結婚式のシーンでも思い浮かべているのだろうか。

 彼女の最終目標は、ヤマトコウイチの正妻になることだった。

 ヤマトコウイチがギターを担当しているグレートベンズは、オーディション番組の企画ものバンドとしてデビューした。現在はメディアへの露出はなく、硬派なツアーバンドとして認知されている。


「ていうか、ツムグに顔似てますよね」

 と言われたのは、三日目の帰り道だった。 

 ヤマトツムグはコウイチの兄で、今年の冬に急逝した。時代の寵児と称されたシンガーソングライターだけあって、告別式の会場近辺には、四万人近いファンが長蛇の列をなした。死因は公表されなかったが、慢性的な薬物の使用と極度の不眠症に悩まされていたと噂されていた。彼の死後は、ファンの後追い自殺が続き、社会問題にまでなった。

「正直、いまの段階ではツムグのことをあけすけに語りでもしない限り、出版にこぎつくのはむずかしいかもです。兄弟間の確執を雑誌に暴露されたのだって、ツムグに商品価値があったからですしね」

 彼女の当座の目標は音楽ライターになって、ヤマトコウイチの自伝本のインタビュアーになることだった。 

「ですが、コウイチさんにはまだまだ伸び代があります。不謹慎かもしれませんが、彼がこの先どんな歌を紡ぐのか、楽しみでしかたがないです」

 彼女が考えた自伝タイトル『彼女が泣いているときに僕が考えていたこと』は、グレートベンズの歌のタイトルから引用したようだ。

 目の前で大切な人が苦しんでいるときに、どんな言葉をかけたらいいか。

 ヤマトコウイチがこれまで綴った歌詞に伏流していたテーマはそれであり、その相手は兄のツムグだったというのがシノダさんの読みだった。結局は悲劇的な結末を迎えたわけだが、大切な兄を失った後の作品に期待するファンの心情は理解できた。


「姉がツムグの追っかけだったんです」と彼女が口にしたのは、御成門駅のホームで電車を待っていたときだった。

「姉にとって、ツムグの歌と存在は生きるよすがでした」

 シノダさんの姉は中学生の頃から精神科に通っていた。そもそも処方薬なしでは通常の生活すらままならなかった。シノダさんは今でも出来うる限り姉の手助けをしたいと思っている。

「なるほどね。シノダさんにとっては、お姉さんがなわけだ」

 そう言うと、彼女は目を白黒させた。

「意外にするどいですね」

「これでも作詞家だからね」

 決め台詞のつもりだったが、「ゴミついてますよ」と蠅でも払うように肩を払われた。

「ていうか、好きなんですか? ベンズ。結構詳しいですよね?」

「実はスエツグさんと知り合いなんだよね」

「うそ!」

 ほらきた。スエツグシンヤはグレートベンズのボーカルだ。驚くのも無理はない。

「どこで知り合ったんですか?」

「前にバイトしていた古着屋の常連だったんだ」

「へえっ!」

 こんなに感情をあらわにする彼女は初めてだった。

「週末、ライブに呼ばれてるんだけど、よかったら一緒にどう」

 チケットを差し出すと、

「招待客用…。なんですね」

 ニセ札を見分ける捜査官のように、目を細めた。

「行こうよ。もしかしたら、楽屋でコウイチさんと話せるかもよ」

「わかりました。お願いします」

 とキリッとした顔で頭を下げた。



 渋谷のハチ公前に現れた彼女は、葬儀屋のバイト中とさして代わり映えのしない格好だった。違いは就業中は後ろで結んでいる髪がふわりと肩にかかっていること。憧れの人に会う気負いを悟られたくないのか。警戒心が強いのだ。


 近場の喫茶店でコーヒーを待っている間、ついあくびがでた。

「ごめん」

「葬儀屋のほかに、コンビニの深夜バイトもしてるんでしたっけ」

「あとチラシ配りも。この三日間は特に忙しかったから、昨日は三時間くらいしか寝てない」

「やばいクスリをやってるとかじゃないですよね…」

 眉をひそめた。

「まさか。つねに寝不足ハイだけどね」

 ははははは、と笑ったが、彼女は表情ひとつ変えなかった。

「ていうか、なんだってそんなに働いているんですか。借金でもあるの?」

「大きな会場を押さえるには、それなりに資金が必要だからね」

「そんなことより、早く初ライブをした方がいいんじゃないんですか」

「意味ないと思うよ」

「ライブをすることに?」

 怪訝な顔つきをした。

「そりゃ最初の頃は身内をかき集めればどうにか体裁は整うだろうけど、勝ち組になるには差別化を図らないと」

「デビューを勝ち取る実力はあるということですね」

「それなりに。それに、発表会の場数を増やしたところで、ど素人にとやかく言われるだけでしょ。そういうの、ウザいじゃん」

「スエツグさんと付き合っているのも、成功するための手段のひとつですか」

「まあ、それもある」

 今日は余計なことを話しすぎている。それもこれも睡眠不足で頭がぼーっとしているせいだ。早く目覚ましのコーヒーがこないかなと思っているうちに、寝落ちした。


 自分の怒鳴り声で目が覚めた。

「あれ、もしかして寝言とか言ってた?」

「怒鳴ってましたね」とシノダさんは言った。

 コーヒーがまだ湯気立っている。ほんの数分ほどだったようだ。

「どんな夢を見たんですか」

 彼女はコーヒーを飲んだ。

「覚えてないな」とすっとぼけたが、覚えていた。

 変なことを口走ったりしてないだろうな…。

 成功したあとで、そこに至る経緯をメンバーに告白する夢だった。意気揚々とまくしたてると、彼らは恥じたようにうつむいた。

 そこでぼくはぶち切れた。

「じゃあ、おまえらは何を犠牲にしたっていうんだ! こんなことをするはめになったのは、おまえらに向上心がたりなかったせいじゃないか!」

 これほどの怒りを溜め込んでいたのかと自分でも驚くほどの剣幕で怒鳴り散らしたが、実際に人前でキレたことは一度もない。抑圧大王。時折、頭のなかで自分に対して自嘲的に使うワードだ。


「それは何?」

 彼女はルーズリーフを広げていた。

「コウイチさんへの質問です」

「へえ、どんな質問をするの?」

「どんな人生を歩んできたかを一言で答えてください」

「ふむふむ」

「なるべく考えないで答えてくださいね」

 おいおい、相手によっては失礼に値する質問だとわかっているのかい?

 寝不足の人生。それが答えだが、ふざけているわけじゃない。実際、中学生のころからずっと不眠症に悩まされてきた。先々への不安、ちっぽけな心配、ちっぽけな怒り、ちっぽけな自分、チリも積もればどうなる? ゴミ屋敷になる。

?」

「なんのこと?」

「いま、言いましたよね?」

、って言ったんじゃなかったかな」

「ふうん。不眠症ですか。辛そうですね。じゃあ、次の質問。理由がわかっていてもどうにもならない人生を、どう改善していきますか」

 ちゃんと睡眠をとる。それがベストの答えだ。

「反省しない」

 ベターで答えた。

「反省したところで過去は覆せない。だったら、このまま突き進んじゃえってこと?」

「まあ、そうだね」

「へえ。では、次の質問。だまされたらムカつきますか」 

「だまされるって、お金をだまし取られるってこと?」

「客観的に考えて、自分がだまされたと判断したときです」

「単にイヤな目にあっただけなら、忘れようとするかな」

「忘れられるものですか?」

「くよくよ悩んだり傷ついたり不安になるのは、お前自身が暇だからじゃ」

「それ、今週のお寺の掲示板の言葉じゃないですか」

 彼女は呆れ顔をした。

「あれ、読んだ? でも、言い得て妙だよね」

「じゃあ、次の質問。暴言を吐いたり、人を殴ったりしたことはありますか?」

「そんなことを聞くの?」

「相手の返答次第で質問を変更するのは、インタビューの鉄則です」

「ないね。根っからの平和主義者なので。シノダさんは? 誰かを殴ったことあるの?」

「わたしはインタビュアーです。質問は受けつけません」

 ぴしゃりと言ったが、彼女が暴漢をぼこぼこにするシーンがある映画なら、それだけでも観る価値はありそうだ。

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