第17話
町内にある一際大きな家、というよりもう屋敷と称した方が適切な豪邸がある。
和風の建築様式であるこの『朝倉家』は、周囲の家々の四倍以上ある敷地に建てられ、現在の都市部では少なくなりつつある瓦を用いた屋根と、家をぐるりと囲む高い壁、そこから見える幾本もの松の木が、ここが特異な場所であることを自ずと物語っている。
ここは、駅一つ向こうに巨大な敷地と最新の設備・人員を有する日本屈指の大病院『朝倉総合病院』院長である
言うなれば、エリート一家なのだった。
そして、その一家の住む家が、ライトアップされていた。
内側から、朱とオレンジに。
燃え盛る炎という形をとって。
邸宅を囲むやじ馬は、すでに数十という数を超えようとしている。土曜の夕方という時間帯から、老若男女問わずに、初めは塀に張りつくように、今は二車線道路を挟んだ位置に、文字通り対岸の火事として、町内でも有数の豪邸、その果てる様を呆然と、しかし内心に興奮を抱きながら眺めていた。
「うそ……、なんで……?」
その中に、数少ない興奮を内包していない、驚愕と焦燥、そして何よりもそこに住んでいるはずの人物を心配する人がいた。
佐倉香奈美である。
駅から出て歩いていると、夕焼けとは別方向に黒煙を発見した。その瞬間、最悪の想像が頭を過ぎっていった。友達の高嶺藤丸の死に続き、また誰かが犠牲になるのではないか。そして、煙の見える方向には、親友の景子の家がある。ネガティブ過ぎる発想が、最悪のシナリオを書き綴っていき、妄想の域を超え、現実へと置き換えられようとしていた。
和人に荷物を預け、先に帰っててと伝えてから、香奈美は駆けだした。
思考は悪い方へ悪い方へと展開し、焼け爛れた親友の姿を想像し、何も確認していないにも関わらず、胸を締め付けられるような苦しみを抱えて走り続けた。
およそ五分間、ペースも考えずに走り続けた結果、息は上がり、額には汗が滲んでいた。それを拭おうともせず、ただ視線を上げると、そこには業火に包まれる親友の豪邸だけが、唯一の視覚情報として知覚された。
呆然と見上げることしかできないその様は、香奈美にとって皮肉なほど滑稽に思えた。そこへ、遅ればせながら消防車が到着した。出火から二十分は経ってからの到着に、やじ馬の中から到着の遅さを詰る声も上がったが、これはやじ馬の中に車で乗り付けた人がいたせいで通過に時間がかかったり、夕方になって混み始めた国道を越えるのに苦労したりと、現在消火活動にあたっている隊員たちとしても心苦しい限りであった。
家屋はすでに全焼といっていいほどの燃え方であった。周囲への飛び火を警戒すると共に、ガスへの引火が懸念され、周囲に集まるやじ馬を誘導する声も上がっていた。初めは渋々だった人たちも、ガラスがパリン、と割れて中から炎が噴き出す様を見せられて、ようやく非難に応じた。
「香奈美っ」
人がぞろぞろと一方向に流れる最中、背中越しに、よく知った声が掛けられた。
「景子っ!」
振り返った瞬間、見慣れた三つ編みとノンフレームの眼鏡をかけた少女を認め、香奈美の体は自ずと速く、飛び掛かるように少女へと抱きついた。
「無事だったんだ…、よかった……」
安心で力が抜けそうになるのを堪えながら、安堵の溜息をつく。最悪の事態ばかりが頭を満たしていたせいで、景子の安否を確認出来たことが異様に喜ばしく感じられた。
過剰なまでに反応する香奈美に面食らいながらも、落ち着きなよ、と言いながら景子は説明した。
「実は、今日久々に家族みんなで出かけてて。それで、上原さんから家が火事って連絡をもらって、急いで帰ってきたの」
「そう、上原さんも無事なんだ。よかった」
上原とは、朝倉家に家政婦として雇われている五十代の女性である。彼女が明日の朝食用の買い物で買い忘れがあることに気づき、家を空けたところ、戻ってきてみるとすでに家が大火に包まれていたという。
事情を聞いている内に、消火作業は着々と進み、いつの間にか鎮火されていた。今は消防や警察の人間がもはや見る影もない家に入り、出火原因を調べているところだった。
それらの話がちらりと聞こえてきたので耳を欹てていると、初めは火元の確認が不十分だったのではないかと、出火原因について上原が疑われていたらしいが、時間が経つにつれ、そうではないことが明らかとなった。現場の燃え方や、目撃者の話を聞くと、どうやら出火元は玄関付近であることが有力であるらしい。
香奈美は何度か朝倉家に入ったことがあるので知っているが、火元としてまず思い浮かぶキッチンは玄関から遠く離れた、ほぼ反対側に位置している。まず、ガスの元栓や料理中の不注意などによる出火は考えられなかった。しかも、燃え方が通常では考えられないほど激しかったことからも、灯油などが撒かれた可能性があるという。
目撃者の情報によると、出火直後にドンッ、と大きな爆発が起きたという。また、現場から灯油等の痕跡が確認できなかったことから、一部からは助燃性のガスが投与された可能性も示唆された。しかし、それを携行するための容器が発見されることはなく、現場は余計に混乱する形となった。
「これから、大変だね」
「うん……」
話を聞く限り、経済的な問題はあまりないらしい。父も仕事は家に持ち込まない主義らしく、業務上も問題ない。「お金持ちで助かったよ」などと景子は苦笑いしていたが、精神的に大きなダメージを受けているであろうことは想像に難くない。家に思い入れがあるだろうし、親しい友人が死んだ後のことでもある。追い打ちをかける形となったことで、景子の心労も計り知れない。
「教科書も揃え直さなきゃ。ノート、コピらせてね」
しかし、景子はそんなことを感じさせることなく、明るい笑顔を見せた。
「しばらくはホテル暮らしかなー。ま、たまにはいいかもね」
それが空元気であるとわかってしまう香奈美にとって、無理に嘲るようなニュアンスに聞こえて堪らない。実際に辛いのは景子のはずなのに、暗い顔をしているのは香奈美という、逆転現象が起こっていた。
景子が父親に呼ばれたので、「じゃあね」と去ろうとする。
「あ、あの……」
ふと、香奈美が呼び止めた。
しかし、呼び止めた香奈美自身、何を言うかを迷ってしまった。
「わたしで役に立てることがあったら、何でも言ってね」
「うん、ありがと」
振り返って笑顔を見せてくれた親友を見送りながら、香奈美は家路へと着いた。
さっきは「家に来ない?」と誘うつもりだった。一軒家に住んでいて、父はほとんど家に帰ってこない状況では、むしろ歓迎するほどだ。それを、瞬間的に躊躇った。
理由はわからない。しかし、冷静になって考えてみると、結果的にそれが正しいのではないかと思えてきた。
夜の帳が降りる。
夜空に広がる雲が、先ほどまで見ていた火事の煙と重なり、自然と溜息が洩れた。
「馬鹿野郎っ!」
固く握り締められた拳が、少年の頬にめり込み、吹き飛ばした。少年はバウンドし、滑り、殴られた頬を押さえながら、苦痛に歪んだ顔を上げた。
サングラスを掛けているものの、明らかに怒りを見せている岡崎が、その拳を握ったまま見下ろしていた。
「どういうつもりだ、VB-08。関係ない家を燃やしやがって」
「関係、ない?」
さも意外そうに、岡崎の顔を仰ぐ。
少年は研究所に帰還後、すぐに所長室に呼び出された。てっきり労いの言葉でも貰えるものだとばかり思っていた少年にとって、いきなり殴られ、怒鳴られたことに呆然とし、しかしすぐに怒りが湧いてきた。
「ちゃんとやった」
「でも、できてないわ」
所長室のデスクには、丸顔で体も丸い、白衣を着た所長である堂本が腕を組み、その横に佇む秘書を思わせる、紺のスーツを着こなしている黒い長髪の若い女性が静かに立っていた。堂本は呆れ顔で、秘書風の女性――堂本の秘書であるトリシャ・メルソフィナ――は「ちゃんとやった」と言う少年に、溜息を吐きながら言う。
「指令は『佐倉家を襲撃し、中にいる可能性がある能力者の連行、もしくは抹殺』だったはず。なのに、あなたは失敗以前の問題として、関係ない家屋を燃やして無駄な騒ぎを起こしただけ」
呆れ果てるトリシャは、隣に座っている所長の堂本に目線をやる。それを受け、同じような感情を顔に表し、堂本が言う。
「君が燃やしたのは『佐倉』じゃなくて『朝倉』だ。これはどういう了見だ、VB-08。まさか、『さくら』と『あさくら』を間違えた、なんて、馬鹿なことを言うんじゃないだろうな」
少年は思い出す。
住所から佐倉家のおおよその位置は掴んだが、詳しい場所まではわからない。だから、近所を散策し、ひと際目立つ一軒の邸宅に目が行き、『朝倉』の表札を見つけた。その表札の下には『ASAKURA』と併記がされていた。
『SAKURA』だったと思ったが、『ASAKURA』だったと言われればそうかもしれない。Aの音が入っていたかどうかを思い出そうとするが、研究所で聞いた言葉はもう記憶に薄い。
まぁここで合っているだろう。
間違っていればまた別のところを襲えばいい。
とりあえず、勢いよく燃やせばいいだろう。
そんな短絡的な考え故の行動だった。
「やり直しだ、出来損ないが」
少年――VB-08は岡崎に連れられて、再び町へと放たれた。
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