18

 週末はLemaireルメールでのバイトだ。

 午前中は客室清掃きゃくしつせいそうに馬の世話。早めにおいしいお昼を食べて、食事処の接客と配膳はいぜん。かたづけをして、宿泊客の案内をしていると、あっというまに5時になる。

 はたらくのは楽しい。

 生活に張りが出るし、お客さんの笑顔はやる気に直結する。


 ソルの曜日、ロイは学院前で乗合馬車を待っていた。

 休日の私服は、姉が入学祝にくれたものだ。

 白シャツに黒ベスト、黒いズボンは清潔感があり、接客業にぴったりだ。


 時刻は8時を過ぎたところ。休日の朝は、なぜか空気がのんびりしている。

 たかい空は青く、風はおだやかであたたかい。


 明日も晴れそうだ、という希望と、ついに魔術大会まじゅつたいかいだという不安が混ざる。

 ほんとうに優勝にとどくのか。優勝以外、S評価の保証はない。S評価をとれなければ退学――。

 

 くらい思考に、ロイはあわてて首をふる。

 未来の心配など、するだけムダだ。どうせなら、楽しいことを考えよう。

 今日は貸し出していたシブレットが帰ってくる。いつもよりたくさんブラシをかけてやろう。きっと目を細めて喜ぶはずだ。


「こんなところで、何をしているの」


 ふりむくと、黒髪の少女がこちらに歩いてくるところだった。

 けわしい表情に、いやな予感しかしない。

 大会の前日に、どういうつもりだ。


「……何の用だ、オニール」

ソルはミサでしょ。さぼって遊びに行くなんて、ありえない」


 教会を指差し、オニールは肩をいからせる。

 三角屋根のりっぱな建物は、この世界をつくったテュール神をまつるものだ。

 創世神話そうせいしんわは知っているが、ロイは神にいのる意味がわからない。

 そんなことより、労働のほうがはるかにになるというのに。


「ミサにはいかない。放っておいてくれ」

「見過ごせるはずないじゃない」


 ロイはオニールを見やる。

 手入れされたうつくしい黒髪に、ほつれのない制服。

 お金に余裕よゆうがあります、と全身が物語ものがたる。


 金がある人間にはわからない。

 わかってほしいとも思わない。

 だから必要以上にかかわってくるな。


 オニールのうしろから、アンジェリカがてとてとと歩いてくる。

 いくぶん困り顔の彼女に、ロイは片頬をあげる。


「おともだちが待っているぞ。さっさと行けよ」

ソルのミサは、教徒きょうとの義務よ」


 引かないオニールに、ロイは背筋せすじがふるえた。

 怒りだ。

 相手を傷つけてやるという強い意志で、ゆっくりと口をひらく。


「嫌がる人間に無理強むりじいするのが、テュール神の教えなのか?」


 オニールの顔色が変わった。

 目をみひらき、唇をふるわせる。


「唯一の絶対神ぜったいしんを、侮辱する気?」

「俺は疑問を口にしただけだ。まさかそれだけで、神の名誉感情めいよかんじょうを害したことになるのか? 創世神の脆弱ぜいじゃくさを俺に説いてどうなる。神を信じきれていないのはおまえの方だ。さっさと教会へ行き懺悔ざんげしてこい」


 オニールは顔をふせる。

 ロイは仄暗い愉悦ゆえつを感じる。

 上位に居座る人間を、屈服させた優越感――。


 オニールは、キッと顔をあげる。

 紺碧こんぺきの瞳にもりあがる涙に、ロイは心臓が跳ねた。


「あなたって……ほんとうに最低ね」


 制服をひるがえし、オニールは走り去る。

 その背中を、アンジェリカがあわてて追う。


 たちつくすロイは、馬のいななきに、乗合馬車の到着を知る。

 いつもどおり100Ðコインを支払い、客車に乗りこみ、両手で顔をおおった。


「……泣くのはずるい」



 

 


「それはロイがわるい」

「女の子を泣かすなんて、サイテー」 

「男の風上にもおけんなぁ」


 テーブルに大盛カラアゲを運んだロイは、不服そうに口をとがらせる。


「皆、たのしんでるでしょ」


 Lemaireルメールに集まるいつもの面々は、ビール片手にケラケラわらう。

 ソルの曜日は、マルシェが閉まるのが早い。

 昼過ぎからLemaireルメールに集まって飲み会をするのが、彼らの習慣だ。


 ジェラートは胸の谷間を強調する服で、ミニトマトをつまんでほほえむ。


「ロイの恋バナが、聞けると思わなかったな~」

「恋じゃない!」

「かわいいんでしょ?」

「はあ!?」


 目をひんむくロイに、ラぺはキュウリをかじりながら笑う。


「どないな子なん」

「うーん……なんか強情で、思い込みが激しい。俺の話をはなから聞く気がない。話し合いとか、無理だよ」

「話し合おうとはしたんか」

「……チームメイトに言われて、しぶしぶ」


 コークスは、カラアゲにレモンをしぼりながらう。


「ロイ。チームメイトに迷惑をかけている自覚はあるのか?」

「俺!? だって、あっちがぜんぜん譲歩しないんだぜ!」


 ロイの言葉に、三人はいっせいにためいきをつく。


「なに? やっぱり俺が悪いっていうの?」

「せやなくて」

「ねぇ」

「がっかりだ」


 いぶかしげなロイに、ラぺはびしりとキュウリを向ける。


「『国民に有益な役人になる』ゆうのは、そないな軽い決意やったんか」


 意味がわからず、ロイはまたたく。

 焼うどんを運んできたローズマリーは、いたトレーでロイの頭をこづいた。


「さぼらない」

「す、すみません」


 ちょうど客が入店し、ロイは案内にむかう。

 ラぺに真意しんいを問いたかったが、ソルの店はいそがしく、あっというまに帰る時間になった。






 風呂あがり、ロイはりょうのベッドで、横になる。

 明日にそなえて寝ようするが、ラぺの言葉が頭から離れない。


「軽い決意って……俺は人生をけているんだぞ」


 でもたぶん、そういうことじゃない。

 

「なんだっけ……コークスが、迷惑をかけている自覚があるか、って聞いてきて」


 自覚じかくはある。

 でもそれはオニールが必要以上につっかかってくるからだ。


「俺はケンカ売ってねぇし」


 むこうが売るから買うわけで。


「……あれぐらいで、泣くなよ」


 紺碧の瞳を思い出し、ロイはじたばたと転がる。

 いっこうにおとずれない眠気に、あきらめてからだを起こす。

 羊毛ようもうでも吸うか、と顔をあげたとき、つくえのシンドラが目にはいった。


 勝敗をけっするのは運――にみせかけた、戦略せんりゃくゲーム。

 ロイは袋をあけ、うつくしいタイルをボードにならべていく。


「攻めと守り。効率と効果」


 めの姿勢も、さまざまだ。

 相手の邪魔をしにいくのか、相手の戦力を減らすために行動するのか、自分の戦力を高めることに集中するのか。

 戦略のかずだけ選択肢せんたくしがあり、ボード状では時間は止まるが、現実では待ってくれない。


 シュミレーションをくりかえすしかない。

 ありとあらゆる状況を想像し、最適な戦略をみちびきだす。

 そのうえで、柔軟じゅうなんに対応する。


 シンドラを、四対四の魔術合戦まじゅつがっせんに見立て、あらゆる戦術をたてていく。

 しずかな夜、ロイは脳みそを限界まで酷使こくしする。

 そうして、どろのように眠った。

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