第15話 胸騒ぎ
丸半日、ほぼ休憩無しで走った。疲労もそうだったが、グラスの切羽詰まった表情からも、無駄口を叩く余裕はなかった。
もちろんちびとて余計なことをして時間を取るわけにはいかないと、走ることだけに集中した。
グラスが先導してくれているため、道に迷う心配はなかった。
脚の筋肉がひくついてきた頃、まるで空が落ちたかのような——青い海が見えた。
「わぁ……!」
海は光を反射して輝いていた。初めて見る美しい光景に思わず息を呑む。
「星みたいだ」
「海を見るのは初めて?」
足を止めたグラスにぶつかりそうになりながらも、ちびは「うん」と返事をした。
「こんなに綺麗なんだ……!」
しかし、異様なものが目に入った。
澄み渡った空が水平線の奥まで続いていたが、そこだけは違った。
ポツンと孤立した島。その上空にのみ黒々とした雲が浮かんでおり、時折雷のようなものが落ちていた。雲は動くことなく、その場に留まり続けている。明らかに不自然だった。
「あれは?」
指で示したわけではないが、ちびが何を指しているのか、グラスは直ぐに理解した。
「古の龍が封印されてるとかなんとか。詳しいことは知らないわ」
「りゅう……?」
「普通のドラゴンより遥かに超越した存在のことよ。神龍様とかいうでしょ?」
聞いたことはなかったが、これ以上話を続けるのは得策ではない。今も毒で苦しんでいるドラゴンがいるのだ。
黒雲よりも遥かに手前側、浅瀬で水飛沫が上がったのが見え、グラスは声を上げた。
「あそこね。行くわよ」
波打ち際に辿り着いたが、ちびとグラス以外にドラゴンの姿は無い。
「確かこの辺りのはずなんだけど……」
再び水飛沫が上がり、今度はその中からドラゴンが飛び出した。
ちびとグラスの前に華麗に着地し、そのドラゴンは長い体でとぐろを巻く。
蛇のようなしなやかな体は鮮やかな水色で、半透明のヒレは七色に輝いていた。
美しい。
見惚れていると、ドラゴンが口を開いた。麗しい容姿とは裏腹に、鋭い歯が沢山生えている。
「草原の方のドラゴンさんですよね?」
声からして女性のようだ。グラスは頷く。
「ウォーター、頼みがあって来たの」
「頼みですか?」
ウォーターと呼ばれた女性のドラゴンは首を傾げた。
「私たちが普段飲み水にしてる池に毒が混入して、飲むに飲めない状態なの。知らずに水を飲んで重症の子もいる。池の浄化をして欲しくて」
「なるほど、それは大変ですね……。浄化ですか……」
反応からして乗り気ではないようだ。グラスもそれを感じ取ったのか、焦ったようにちびを見る。
「ぼ、ぼく、水の力を使えるよっ」
力を込めると、水球が空気中に現れた。
無理やりな流れな上、何を伝えたいのかちびにすら分からなかったが、彼女は目を輝かせてちびに食いついた。
「ど、どうしてですか!? 水の世界に住むドラゴンさんには見えませんが! 凄いです!」
「えっへへ」
褒められ、調子良く胸を張るちび。
「水を創り出すなんて高等技術をヒレも付いてないドラゴンさんが成し遂げるなんて、感動です!」
「え? ……そうなの?」
ちびはグラスに視線を投げかける。彼女は「本当よ」と、何故か自分も誇らしげにドヤ顔をした。
「ちびはすごいのよ。炎も吐けるんだから」
「ええ!? 二属性も扱えるんですか!? それも対極の!」
「あ、いや……」
ちびは両手の間に少し隙間が開くようにして、手のひらを合わせた。再び力を入れると、隙間に白い光が迸る。
「これ……電気ですよ」
「え……!?」
グラスも見るのが初めてだったようで、ウォーターの言葉に目を丸くした。当のウォーターも信じられないといった顔で小さな稲妻に見入っている。
「三属性! 凄いでしょ!」
ちびの村にも水、火、雷の三つの属性を扱えるドラゴンは居なかった。彼女らの反応を見る限り、外の世界でも貴重な存在らしい。
「戦うってなると、水と電気は使えないけどね……」
水は生成するだけで、維持が難しい。電気は静電気程度の痛みしか発生しない。戦闘には不向きだ。
「それでも凄いわよ。私だって初めて見たもの」
「ご両親も三属性を扱えたんですか?」
「あ…………えと……」
その時、生暖かい風がちびたちの間を吹き抜けた。
『…………い』
ちびはグラスとウォーターを交互に見た。二匹とも怪訝な顔でちびの言葉の続きを待っているだけで、口は閉じている。
『…………ない』
「何か聞こえない?」
「……?」
「何って、波の音ですか?」
やはり二匹には聞こえていない。ちびにだけ語りかけている何か。胸騒ぎがする。
『…………あぶない』
ごうっと風が鳴り、空を舞っていた大きな葉がちびの顔全体に張り付いた。
「うぁぶっ」
葉を引っ剥がし、飛んできた方を見ると、そこには大きな木があった。
「この木、初めて見た」
「ヤシの木のことですか? 海岸にしか生えてないんですよ」
丸々とした実をつけたヤシの木が風に揺れる。大きな葉を握っていた右手が仄かに熱を帯びているような気がして、視線を移す。
何となく、リーフのことを思い出した。
彼の最期。ちびに想いを託すかのように、彼の葉が足元に落ち、ちびはそれを拾い上げた。
『戻って!』
思考が弾かれるように、その"声"はちびの脳内に直接響いた。
"声" は焦りとなって、ちびの感情をそのまま揺らした。
「戻らないと!」
グラスとウォーターは顔を見合わせ、怪訝に首を傾げる。
「何だか、嫌な予感がするんだ! はやく!」
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