第18話

 時間を確認したら、もうそろそろ午後九時になろうとしている。美那郷であれば、町はすっかり寝静まっている頃だ。だが、この街はまだまだ明るい。道を歩いている人たちも、帰るつもりがなさそうだ。

 慶介はひとつの細長いビルを見つけて中に入った。エレベーターの横には、店名が書かれた案内板がある。だが、八階建てのビルにしては、いっぱい書かれている気がする。慶介はそれらに目もくれず、ボタンを押した。

 僕たちは三階まで上がって、薄汚れた小さなフロアに出た。いくつか扉が並んでいる。その中で、重さを感じさせる金属製の扉へ慶介は足を向けた。中の様子はわからない。そのたたずまいは、あたかも知らない人間が入って来るのを拒んでいるかのようだ。だが、慶介は気にする素振りもみせず扉を開ける。

 中に入るとすぐにカウンターだった。席は十席くらいあるが、まだ誰も座っていない。壁に掛かっている瓶が詰まったラックの方を向いて、ひとりの男性が何かの作業をしているようだ。

「はぁい、いらっしゃい」

 カウンターの中にいる男性がこちらを振り返った。メガネをかけたぽっちゃり体型で、ラグビー選手のようなシャツを着ている。

「あら、慶介くんじゃない。今日はかわいこちゃんとご一緒なのね」

「でしょ。メグミちゃんに見せびらかしたくて、連れて来ちゃった」

「まっ。憎らしいこと、言ってくれるじゃない。お飲み物はどうされます?」

「オレは瓶入りのカクテルで。シュウはまだ高校生だから、ソフトドリンクを頼んでいいかな」

「なんですって。あなた、高校生をたぶらかしているのね。うらやましい。で、ソフトドリンクはコーラでもいいかしら」

「はい」

 僕はメグミの迫力に圧されて、うなずく。それを聞いて、彼は飲み物の準備をはじめる。それを見計らったように、慶介は僕に耳打ちする。

「ちょっとびっくりさせちゃった?」

「うん」

「メグミちゃん、悪い奴じゃないから安心して」

「でも、ここが慶介の連れて行きたかったところなの?」

「ああ。オレ以外のコッチの人をシュウに見せたくて。まあ、本当はもう少し大人しいお店が良かったんだろうけど、他に当てがなくてね」

 もう少し選択肢はなかったのかと思わないでもない。

「お待たせ。って、二人で何をコソコソしてるの? いやらしい」

 メグミさんが話に割り込んでくる。

「ごめんごめん。良かったらメグミちゃんも何か飲んで」慶介が取りなす。

「慶介くん、ありがとう。じゃあ、おビールでも頂くわね」

 メグミさんは冷蔵庫から瓶とグラスを取り出す。グラスに程よく注いで、三人で乾杯をした。

「ご挨拶がまだでしたよね。この店のママをさせていただいている山野恵と申します」

 メグミさんは金属製のケースから名刺を差し出してきた。

「ありがとうございます」僕は名刺を受け取る。

「お名前はなんてお呼びしたらいいかしら」

「修一です」

「修一くんね。よろしくお願いします」

 話をしていると後ろでドアが開く音がした。

「ちわーっす」

 若い男の声だ。振り向くと、僕と同い年くらいの男性が入ってきた。ちょっと長めの緑色の髪に、白いぶかっとしたTシャツ姿だ。

「ロッキーったら、今日も元気ね。今日はどうする?」メグミさんが尋ねる。

「ボトル入ってましたよね。それで」

「割りものは?」

「ジャスミン茶」

「はぁい」

 答えながら、メグミさんは後ろの棚にある大量のボトルをチェックする。男性は僕の隣に座って、慶介に話し掛けてきた。

「慶介さん、今日はイケメン連れてるじゃないですか。ボクにも紹介してくださいよ」

「ロッキー、相変わらず遠慮がないね」

 慶介は苦笑する。話している様子から想像すると、慶介とはそれなりに仲が良い相手なのだろう。であれば、自分から自己紹介をしておいた方が良いかもしれない。

「修一です。よろしくお願いします」

「ボクはロッキー。っていうかちょっと堅くない。いくつなの?」

「十七です」

「なんだ、同年代じゃん。タメ語でいいよ」

「ロッキーさんはいくつなんですか」

「ボクは二十歳。っていうか『さん』付け禁止。ロッキーでいいよ。シュウはこの街、初めてなの?」

「はい。じゃなくて、うん。来年受験だから、学校見学でこっちに来たんだ」

「へぇ。ちなみに、どこを受ける予定?」

 僕はロッキーに志望校を教える。

「奇遇じゃん。ボク、そこに通ってるよ」

「えっ、どこ?」

 正直な話、ロッキーが僕の挙げた大学の学生には見えなかった。なので、僕は思わず口がすべる。彼の答えは、一番偏差値が高い学校だった。

「ロッキー、見えないよね」

 慶介の言葉など意にも介さないのか、ロッキーはしれっとした顔で出されたお酒を飲む。

「そうだ。見学するなら、ボクが案内しようか。学生しか入れないところも見せられるよ」

「いいの?」

「もちろん」

 元々、全ての学校を慶介に案内してもらうのは、仕事もある中で難しいと思っていた。とはいえ、都会での移動には困っていたから、ロッキーの提案は助かる。

「じゃあ、お願いします」

「了解。連絡先を交換しておこうぜ」

 ロッキーはポケットからスマートフォンを取り出したので、僕も手元のカバンから自分の端末を取り出す。

 その後、ロッキーの友だちも何人か来た。同年代と何も気にしないで話ができるのが、こんなに楽だったとは。話し込んでいたら、慶介に肩を叩かれる。

「そろそろ帰ろうか」

 時計を確認したら、もういい時間だ。僕がうなずくと、慶介はメグミさんを呼んで会計を済ませる。

「出る前にちょっとトイレ行ってくる。シュウは大丈夫?」

「僕は大丈夫だよ。いってらっしゃい」

 僕は慶介を送り出す。彼は店内にある個室に入っていった。帰って来たらすぐ帰れるように準備をしていたら、店の入口が開く。

 入ってきたのはまるでモデルのような整った顔立ちの男性だった。こんな人もいるんだな。僕は思わず見とれてしまう。隣にいるロッキーがつぶやいた。

「珍しい、ミツアキさんじゃん」

 ミツアキ? どこかで聞いたことがある名前だ。えっと、誰だったっけ。僕は自分の記憶をたどる。そうだ、慶介の前の恋人と同じ名前だ。

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