天魔の英雄 ~十年後の未来に転生した剣聖は神をも断ち切る~
物草コウ
第一章 遅咲きの英雄
第1話 英雄の詩 その一
吟遊詩人は英雄の詩を歌う。それは面白くおかしく脚色する演者となったり、真摯に真実を告げる語り部となる事もある。だがそれには元となる話が必要だ。何もない所から作ってもそれはただの創作になってしまう。
ある若き吟遊詩人は、そうしてのどかな田舎の村に訪れた。ここに伝説を残した人物がいると風の噂を耳にして。
「離れに住んでいるじいさん?おいおい。滅多な事を言う者じゃないよ。あそこに住んでいるお方はな………」
幸い、件の人物の情報はすぐに手に入る事になる。どうやらこの村では一番の有名人らしく、誰も彼もが知っていた。
(ふん………清廉潔白な人物らしいが、本当かね。まぁどちらにしても俺の飯のタネになればいいか)
教えてくれた村人にへこへこと頭を下げつつ、辟易した思いを男は抱えていた。英雄、という存在を男は信じちゃいなかった。
(曰く、万の軍勢を一人で追い返した剣の達人。曰く、戦場では誰一人として殺した事がない。曰く、曰く………)
そんな話をどうやって信じろと。まだ子供の与太話だと言われた方が信じる。何故なら例の人物の歳は今では六十を超えているらしい。
(戦争があったのは十年前。つまり現役時代の歳は五十代だって事だ。そんな年寄りが戦で活躍できるわけないだろうが)
戦った事がろくにない男にだってそれぐらいわかる。だから男は期待なんてしちゃいない。会ってみればただのよぼよぼの爺さんだろう。
だがそれでもいい。直接話を聞いたという箔がつくし、話を誇大させるのは得意中の得意だった。せいぜい皆が好きそうな美談にしてやろう。
そんな事を男は思っていた。その伝説の人物に会うまでは。
「レットリオ。あれを歌ってくれよ、あれを」
あれから時は過ぎ、今宵も酒場では客からのリクエストが届いた。吟遊詩人レットリオはその男とは顔馴染みであり、その言い方だけでなんなのかはすぐに察しがついた。
期待の目があちらこちらから届いているのを感じる。飽きもせず好きなのは、顔馴染みの男だけではないらしい。そしてそれはレットリオ自身も同じであった。
「では一曲。十年前、人魔大戦にて活躍したある英雄の詩を聞かせよう」
語る口調は詩にしてはあまりに厳かで、楽器の演奏も必要最低限。酒場の喧騒に掻き消えてしまいそうな語り口ながら、その瞬間には皆の口を閉ざされ、詩にだけ耳を傾けていた。
「これは稀代の英雄の、偽りなき真実の物語………」
天界と魔界を隔てる境界の迷宮と呼ばれるダンジョンがあった。そこは有史以来、誰一人として踏破が出来ておらず、最古のダンジョンにして唯一の未踏破のダンジョンとして知られていた。
天族と魔族は争い続けてきた歴史がある。憎みあってきた両者が垣間見えれば争いになるのは必至。しかし二つの種族が戦争にまで発展しないのは、境界の迷宮のおかげでもあったのだ。
魔王軍一万が突如として通る事が出来ないはずの境界の迷宮を乗り越えて、要塞都市レグラードに攻め入ってきたのは、まさに青天の霹靂だった。レグラードは武具の生産地として名が知れ、重要拠点として防衛に力を入れている都市であった。
それでも魔術に長けた一万もの魔族を迎え撃つには、とてもではないが戦力が足りなかった。せいぜい時間稼ぎをする程度ぐらいしかできない。援軍が来るかもわからない籠城戦を、だ。絶望的な状況下に都市の住民たちは皆、死を覚悟したという。
「終わりだ………もう私たちはおしまいだ。それでもただでは死なんぞ。一匹でも多くの魔族を地獄に送ってやる。皆!武器を持てーーー!!!」
「お、おい!ちょっと待て!あれを見ろっ」
いよいよ開戦の火蓋が落とされようとする時、一人の男が戦場に降り立った。要塞都市レグラードの巨大な門に対比して、その人物はあまりにちっぽけだった。外壁の上で迎え撃とうとしていたレグラードの人々はぎょっとした。門の外にいつのまにかその男がいたからだ。
レグラードの門は魔族の激しい侵攻を予想してありったけの都市中の素材を使って強固に固め、中からは誰も出られないようになっていた。一体どうやって。
今更、門を通って都市内に入ることは不可能だ。だが、人々は声を揃えて必死にその男に戻れ、戻れと声を張り上げた。
「何をやっている!?早く、早く戻ってくるんだ!!犬死にする気かっっ」
魔王軍はすでに目と鼻の先に陣取り、その数は一万。ただ一人の人間など塵芥同然である。いや、ただ殺されるだけならまだマシかもしれない。こちらの戦意を挫く為、見せしめとしてたった一人の愚かな人間を残虐に殺すかもしれないのだ。
人々はその男の悲惨な未来を誰しもが思い浮かべた。
「大丈夫。僕が時間を稼ぎます」
後ろを振り返った男のあまりに平然とした表情。穏やかとさえいえるその顔と、距離があるというのに不思議と聞こえてくるその落ち着いた声に、呆気にとられる民衆。男はただ一振りの剣を手に人々の制止する声を振り切り、疾走した。
その速さたるや、疾風の如き。忽然と姿が消えた瞬間には魔族軍との彼我の距離をみるみる内に縮めていく。目を見張る民衆とは別に、魔族たちは笑う。ずいぶんとちょこまか動く蠅が飛んでいるな、と嘲笑したのだ。
「たった一人に何ができるというのか。愚かな人間にはそんな事も理解できないらしい。よろしい。ならばその愚かな行為の代償を命で償うがいい」
魔王軍の指揮官は精鋭たる魔術砲撃隊にあの人間を狙撃するように命じた。その命に従うは一個中隊。一人に対してはあまりに過剰な火力だが、意味ならある。それは他の人間どもの恐怖を駆り立てる為。圧倒的な力を見せつけ、恐れ戦くのだ人間ども。
いくつもの魔術陣が宙に浮かぶ。その数、百はくだらない。それだけの数の魔術が男を狙っていた。一つ一つの魔術だけをとっても人間一人殺すだけなら余りある。
「やれ」
指揮官の令によって殺意に彩られた雨が天から降り注ぐ。隙間一つ逃げ場のない絨毯爆撃が男に襲い掛かり、攻撃の激しさでもうもうと土煙が上がった。魔族の指揮官はその結果に満足そうに頷く。しかし。
「そんな馬鹿な」
土煙を切り払い、男が姿を現した。五体満足、怪我一つすらしていない。その姿に民衆は沸き立ち、魔族たちは得体のしれない敵に僅かに動揺した。それでも彼岸の戦力差は圧倒的である。
いち早く我を取り戻した魔族の指揮官は今度こそあの人間を亡き者とするべく、更なる火力を投入した。先ほどは下級の魔術でも十分だと判断したが、それでも足りないらしい。ならば、たんとくれてやろうではないか。
「上級魔術の使用を許可する。煩わしい人間どもの口を永久に閉ざしてやれ」
上級魔術は消費する魔力が多く連発は効かない。その分、威力は下級・中級魔術とは隔絶としたものがあり、主に大型の対魔獣用の対抗手段として使用されていた。それだけの攻撃魔術をただの一人の人間に使用するなど、前代未聞であった。
プライドをいたく傷つけられたのか、勢いづいた人間どもを再び恐怖で染めようと思ったのか。あるいは、すでに半分の距離まで詰められたあの男に対する恐怖を本能的に察知したからだろうか。
「魔術構築を開始。魔力注ぎ、集い、詠唱せよ」
砲撃隊の隊長が指揮を執り、兵たちは魔術を詠唱する。魔力の高鳴りに呼応するように巨大な魔術陣がいくつも宙に浮かんだ。数こそ先ほどと比べて少ないが、魔術陣は複雑な紋様を描いている。込められた魔力は比較にすらならず、大気をびりびりと震わせる程であった。
互いの干渉を嫌い、強大な威力を持つ魔術が時間差で放たれる。先陣を切るのは大きな、それこそ家を一つ飲み込むほどの火球であった。赤々とした灼熱は触れてすらいないのに、通り過ぎるだけで周囲の草花を瞬時に灰と化す。
男へと真っすぐに突き進むその速度は、男が見せた風の如き速さと遜色ない程であり、その巨大な図体も相まって回避は困難。避けたとしても熱波が吸い込んだ空気から伝わり、臓物を焼き尽くす事だろう。追撃する魔術も続々と放たれており、確実に男の命を刈り取ろうと死神の鎌は振り下ろされる。
「………は?」
呆気にとられた声を出したのは誰だったか。魔族の指揮官か、砲撃隊の隊長だったか、それともただの一兵士か。いや、その誰しもか。
血走った目を限界まで広げた指揮官は目の前の光景を疑った。何故なら必殺の一撃であった業火を男は避けるでもなく、防ぐでもなく、その剣で斬ったのだ。
それは思わず美しいと見とれてしまう程の剣の軌跡だった。一切ぶれることなく、男の左の腰元から斜めに切り上げられた一撃は、敵であるはずの魔族さえ立場すら忘れ、魅了した。
二つに綺麗に別たれた火球は男の後方で大爆発を起こし、ようやく魔族たちは我に返る。火球の爆風を利用して更に男は加速していた。男を狙っていた直線的な魔術はそれだけで回避され、上空から飛来する数々の魔術はあまりの速さに捉えきれず、地面に大穴を掘るばかりで役に立たない。
「人間風情がっ!!曲芸如きでいい気になるなよ!!!」
魔族の指揮官の判断は迅速だった。距離は未だ十分に離れている。まだ魔術の優位性は覆ることがない。点の攻撃が効かないなら面の攻撃を。威力は多少落ちるものの、範囲攻撃に長けた他の上級魔術ならば効果範囲は広大であり、ひ弱な人間なら直撃すれば一撃で片がつく。
始めに命令を下した魔術はタイダルウェイブ。優に五メートルは超える津波が押し寄せ水圧によって圧死させる水の魔術である。
次なる魔術はサンダーストーム。暗雲の中から絶えず降り注ぐ雷撃は一瞬のうちに対象を感電死させる雷の魔術である。例え最初のタイダルウェイブが避けられようとも、地上にいるならば水が残り、雷撃がそれを伝う。逃れぬ事などできない二重の罠であった。
「放てっ!!!」
指揮官の命令によって行使された魔術は、詠唱が完了した瞬間に即座に発動された。男の姿さえ見えなくなるほどの大津波が突如として発生し、怒涛の勢いで押し寄せていく。
男は真正面に突っ走るだけで対抗策をとることなく、タイダルウェイブはあっという間に男の姿を飲み込んだ。束の間、魔族たちはあまりの呆気なさに拍子抜けしてしまったが、それは早計過ぎた。
ぎょっとした顔をした魔族が宙を指を差す。指の先を他の魔族たちが次々に追うと、その先には大津波の上を渡っている男がいたのだ。波の上を走っている………?どうやったらそんな芸当が出来るのか、あまりに現実味のない光景だった。
だが事実、目の前でそれは起こっている。眼前の光景を否定しようとするかの如く、狂ったように魔族の指揮官は叫んだ。
「奴を、奴を早く殺せ!!」
空が黒い雲で覆われ、稲光が舞う。暗雲の中から音よりも速い天の雷が男に降り注ぐ。雷の魔術は何よりも他の魔術より速度が圧倒的であった。見てから防ぐのは不可能に近く、魔族同士の戦いであれば魔術障壁を事前に展開する等の防御手段が一般的に用いられる。いかにあの常識外れの男であろうと、今度こそは確実に仕留められる、はずだ。そのはずなのだ。
サンダーストームは確かに発動した。波の上を疾走する男の周囲一帯を粉砕せんとばかりに激しい光と轟音が鳴り響き、雷は雨の如く襲い掛かった。
この魔術の性質上、単体の敵に対する命中率は高くないが、直撃せずとも関係はない。降り注いだ雷は地上に到達すると、魔術で発生した水の中を生き物のようにうねり狂う。水に少しでも触れていれば全身を黒焦げにする程の電流が暴れまわる事だろう。
だがまたしても魔族の思惑は外れる事となった。
「なんだ、なんなのだ。これは現実か。あれは本当に人間か………?」
雷撃は絶えず男を攻撃しているが、何故かダメージを負っている素振りもない。すぐ傍に雷が落ちても、感電している様子もない。直撃しそうな雷撃は刹那の見切りで避けられるか、造作でもない事かのように切り払っている。
「音を置き去りにする程の速さの雷撃を?どうなっている。起きていながら悪夢でも見ているかのようだ」
動揺がもはや抑えきれない程に魔王軍の中で広がる中、誰一人としてそれに気づかなった。男がほんの少しだけ、波の上の空中を走っている事を。そして男の全身がほんのりとした光に纏われている事を。
それは気と呼ばれるものが起こした現象だった。魔族の魔力に対して、人族の奥底にあるといわれる気。生命の力を根源とされているもので、人族であれば誰しもがもっているといわれている力だった。
だが、例え気の力と言えど、荒唐無稽な現実を実現可能とするようなものではない。普通の人間であれば少し力持ちになるとか、少し足が速くなるとか程度である。けして巨大な火球を二つに切り裂き、雷を感電する事無く切り払い、水の上を走るなんておかしな芸当が出来るものではなかった。
そうして男が辿り着いた場所は、魔王軍と目の鼻の先。到達する前に殺されると誰しもが思っていたその距離を零とし、無傷のままに踏破した。
ありえない事を成し遂げた男の姿は凡庸であった。どこにでもいるような中年の男は、一般兵に支給されている軽装のレザーアーマーを着込み、万の軍勢を前に泰然としていた。すでに戦士としてもピークを過ぎているような男が、先ほどの光景を生み出したなど信じられない。
だが、ただ一振り、その手に持っていた剣がぱちぱちと帯電しており、それが嘘ではないと証明していた。
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