運命ではございません〜同僚になった元カレからの執愛が止まりません〜

宇月朋花《2026年秋頃閉店予定》

第1話 

「なんだ・・・まだいたのか」


不機嫌を露わにした声が静かなフロアに響いたのは定時をとっくに過ぎた22時過ぎ。


データを打ち込んでいた液晶画面から顔を上げて、自席から振り返ってやって来た人物を見止めた花はわざと眼鏡をずらしてこちらに歩いてくる男を凝視した。


「あらー誰かと思えば高嶺の雪だぁーお疲れー」


「やめろ。わざとらしい。お前のそれ伊達メガネだろ」


吐き捨てるように言った彼が施設管理のフロアを我が物顔で横切って奥へと向かっていく。


西園寺メディカルセンターの各セクションに、最低二人はファンがいると言われている雪村青ゆきむらあおの絶対零度の突き刺さるような視線を向けられても、顔色一つ変えずにへらへらと笑って躱せるのは恐らくこの会社で赤松花あかまつはな一人だけ。


そしてそれを雪村もわかっているから遠慮なしの態度でぶつかってくる。


傷つけても良い相手だとこうもはっきり認識されているのは逆に清々しいくらいだ。


「他人を正しく見極めるために必要な武器でーす」


ブルーライトカットと申し訳程度に度の入った眼鏡は、あってもなくても視界自体は変わらない。


が、心持ちは全然違う。


花にとっては女性が化粧をすることと同じくらい、この眼鏡が大切だった。


「黄月が残して帰ったスナック菓子あるけど?」


「いらん・・・寝る」


「はいはい。お好きにどうぞー」


「・・・・・・お前何時までいるんだよ」


「やだーぁ。同期だからって目覚まし時計代わりに使うつもりー?」


「・・・もういい」


「ごめんごめん。一人ぼっちで寂しくてさー。エレベーターの点検終わったら帰るから後30分くらいかなぁ」


「・・・・・・」


「寂しいなら残ったげよっか?」


茶化すような軽口を叩けるのは、相手が彼だからだ。


「余計なお世話だ」


数秒で切って捨てられた提案にさも残念そうに大げさに肩を竦めた。


雪村がそんなことを望むはずもないことを誰より一番知っているのは花自身だ。


「んまーほんっと凍てついた雪みたいな冷たい男だねぇあんたは。思いやりと優しさを持ちなよー。人生開けるからさぁ」


雪村青を、素敵ですね、イケメンですね、と評する女性は星の数ほどいるだろうが、冷たい男だと切って捨てるのは花くらいのものだ。


というのも、彼と出会ってからずっと人好きのする柔らかい笑顔を向けられたことがないので、逆立ちしたって素敵ですね、は言えない。


綺麗な整った容姿をしているとは思うが、真のイケメンというのは内面も込みで評価されるべきだと思っているので、花の基準では雪村青はイケメンには該当しない。


そして、雪村自身も、それを望んでいない。


「言っとくが俺はお前以外の人間には平等に親切だ」


ごもっとも!と拍手を送りたくなるような完璧な返事が返って来た。


まったくもってその通りである。


そして、雪村が花に優しくする理由は一つたりとて存在しないし、して欲しくもない。


だから花も彼に対してはどこまでも自由でいられる。


「あーはいはい。わかったよ。寝不足なのに引き留めてごめんねー。心地よい仮眠を~」


おやすみなさーい、と手を振って見送った背中が、倉庫のドアの前で止まった。


「ん?まだなんか?」


問いかけると同時に、こちらを振り向いた雪村がさも嫌そうに口を開いた。


「・・・・・・週明けから、カウンセラー来るだろ」


「ああ。メンタルケアの先生ね、来るねぇ」


西園寺グループでは、これまでも定期的な産業医面談やリフレッシュルームの増設など、福利厚生に力を入れて来たが、この度更なる就業環境充実のため、心理カウンセラーによる定期カウンセリングを実施することになった。


他社に比べると、休職率は決して高くないが、研究職や技術職が多いメディカルセンターは、ストレスを抱えるものも多い。


地域貢献、社員還元がモットーの企業らしく、社員全員へのカウンセリングと定期訪問による継続的なフォローが決定していた。


カウンセラー着任のための、専用カウンセリングルームの設置準備で施設課は結構前から動いていたし、当然主体となって動いていたのは花である。


彼の視線は恐らく、どうして先のこっちにリークしなかったのか、と訴えているのだろう。


そんなの決まっている。


事前に伝えれば何かしら理由を付けてカウンセリングから逃げると思ったからだ。


不眠症の雪村が抱える心因的ストレスの一端を担っていると自負している花としては、同僚への最低限の気遣いというやつである。


まあ、本人からしたら余計なお世話だろうけれど。


「本気で余計なことするなよ」


「余計なことって何かしらねぇ。目の下のクマオくん」


相当お疲れなのでは?と首を傾げれば。


「・・・さっさと帰れ。俺は寝る」


本気で不機嫌になった雪村が、いつもよりずっと低い声で言い放った。

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