第63話

 男は祐平のささやかな抵抗を涼し気に受け流し、魔導書を起動する。

 彼は魔導書とは別に異能を持っており、それは特定空間内の全ての動きを把握する事だ。

 それは魔力の流れも同様で、話しながら祐平が魔術を放つ隙を伺っている事は最初から知っており、水堂が同期して殴りかかって来る事も分かっていた。


 男は視覚ではなく異能によってこの空間の全てを見ていたのだ。

 魔力の流れ、空気の流れ、人の細かな挙動。 その全てを完璧に把握していたからこそ彼は余裕を持ってペラペラと得意げに話をしていたのだ。


 これから殺す相手にわざわざあんな話をしたのは彼なりの感謝の表れだった。

 祐平達のお陰で魔導書を使用する為のエネルギーの回収が完了し、彼を最強の存在へと押し上げてくれた。

 『01/72バエル』は使用者に様々な知識を齎す。 それにより彼はこの大迷宮を生み出し、祐平達を呼び込む事も成功した。 初めて召喚した日の事は今でも昨日の事のように覚えている。


 勝手が分からず第四位階を使ってしまったが、それが結果的にはいい方向へと働いた。

 『01/72バエル』は彼の欲しい情報の全てを与えてくれたのだ。

 その後も使い続けたかったが、寿命を削る事になるので第二、第三位階に留める事にしていた。


 最初に得た知識で計画に必要な知識はある程度集まっていたので後は手持ちの手段と能力でどうにかすればいい。 こうして彼は最高の悪魔と一つになる事で最強の存在へと至る計画は始まった。

 『01/72バエル』は知識を齎す。 それによって得られる快感は性交の比ではなかった。


 確かに彼は力を求めたが、第四位階を使ってあれなのだ。 

 第五位階を使えばどれほどの情報を、どれだけの知識を、そしてどれだけの快楽と万能感を得られるのか? 彼には全く想像できなかった。


 だが、素晴らしい事になる。 それだけははっきりと確信できた。

 まずは祐平達に魔導書の力を試す為の実験台になって貰い、次に行うのは組織の本部へと向かう事だ。

 長年に渡り、彼の自由を不当に奪って来た事へのツケを支払わせてやる。


 流石に末端の彼には本部の場所は知らされていないが支部を片端から潰していけばやがて辿り着く事になるだろう。 彼は組織を滅ぼして頂点に成り代わろうなんて事は考えていなかった。

 力は独占してこそ価値がある。 下手に放置すれば彼と同じように魔術という結論に辿り着き、彼と同じ領域まで上がってくるかもしれない。 王はたった一人存在すればいいのだ。


 彼の度量では従えようといった考えは抱けず、殺して自らの玉座を脅かす全てを排除する。

 その為、彼は全てのサイキッカーを殺し、世界で唯一の存在となろうと考えていた。

 後は他に魔術を扱える、または研究している機関、個人を特定して全て始末する。


 男に逆らうものが居なくなって初めて彼は真の安寧を得ることができるだろう。

 魔導書による力の奔流を感じながら彼は自らの人生を振り返る。

 超能力に目覚め、この力で楽に稼いで楽しい人生を送りたい。 最初はそんなささやかな願いだったのに気が付けば世界の頂点へと手をかけていたのは驚きだ。


 組織に囚われいいように扱われた屈辱の日々。 それももはや過去の感情だ。

 全てを過去に変えた男は第五位階へと至り、完全な形での悪魔の召喚を成し遂げた。

 人間の少ない寿命ではその力の全てを引き出す事はできない。 悪魔を従えるには人の器は小さすぎるのだ。 


 その問題も解決した今、完全な悪魔召喚を成功させた史上初の人間となる。

 悪魔を完全な形で召喚する事は自分自身が悪魔になる事と同義だ。

 

 ――あぁ、あぁ、素晴らしい。 分かる、全てが分かるぞ。


 『01/72バエル』はいつだって必要な事を教えてくれた。

 そしてそれは今後も変わる事はないだろう。 情報が、知識が――いや、叡智が流れ込んで来る。

 今まで自分が悩んでいたこと全てが馬鹿らしく感じ、脳裏にかかっていた靄が消えていく感覚。


 凄まじい爽快感だ。 世界の成り立ち、世界の外、この異界と呼ばれる空間。

 そして無数に存在する異世界。 魔術の真髄、素晴らしい。 なんて素晴らしいんだ。

 永遠に知識を貪り、永遠にこの快楽を味わい続けたい。 そんな大きな誘惑に襲われたがそうもいっていられない。 目の前で恐怖に顔を引き攣らせた祐平達の姿が見える。


 どのような手段で殺してやろう? 殺すと考えただけで数万、数億、数兆の選択肢が一気に脳裏を駆け巡る。 今の彼なら殺し方を選べるのだ。 相手の運命を支配する事もまた快感だった。 

 どれにしようかな? なんて贅沢な悩みだ。 男は全知全能になったと思い込んでおり実際、膨大な知識を手に入れはしたが人間性まで変化する訳ではないのでその思考は低俗と言える。


 彼は刹那の時間、迷いに迷った挙句、全員別々の殺し方をしようと決め――


 ――ゾクリと悪寒が走った。


 それは明確な恐怖。 出所は祐平達ではない。 一体なんだ?

 その正体を探るべく、『01/72バエル』の能力で知識を参照する。

 彼の得た知識はその答えを即座に齎す。 魔導書は悪魔の力を利用する技術だ。


 能力の限定利用、限定的な権限による使役、低位階よりも広い範囲での能力使用。

 そして悪魔との一体化による融合。 最終的に使役者を悪魔へと変貌させる事こそが魔導書の真髄なのだ。 そんな事は男には分かっていた。 


 だが、それがどうしたと言うのだ。 悪魔になって人を超越する事に何の問題がある?

 

 ――問題はあった。


 悪魔は本質的に架空の存在・・・・・だ。 それを世界の外から呼び出して利用する。

 つまり悪魔とはあやふやな存在なのだ。 そんなものと完全に一体化すればどうなるのか?

 悪魔の一部――つまり概念的な存在へと変貌してしまう。 悪魔に自我は存在しない。


 ただそうあれと願った人々の想いの結晶だ。 悪魔は人間よりも遥かにスケールの大きな存在である以上、そんな存在の根幹に根差せるほど彼の精神は強くなかった。

 いや、普通の人類ではそもそも悪魔になる事は不可能だったのだ。 調べれば防ぐ方法、予防する方法は存在したが、今更知った所でもう遅かった。 


 自我が拡散する。 

 気が付けば知識を得た事による快感は消え失せ、知らなくていい事を知った恐怖に支配されていた。 

 このまま行けば自分はどうなるのか? その答えも瞬時に脳裏に浮かび上がる。

 

 魔導書を止めて悪魔との繋がりを断とうと試みたが、解除するには彼は深く繋がり過ぎた。

 自分自身が悪魔となる事で彼は幻想へと自らを落としたのだ。

 

 ――あぁ、あぁ、そんな……。 冗談じゃない折角、せっかくここまで来たと言うのに……。


 男の絶望は誰にも顧みられる事はなかった。

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