『もう1つの東西冷戦―KGB少佐・ヨシエ=クツーゾネフ編』はな、読みはじめたときの印象と、読み終わったあとの印象が、じわっと変わっていく作品やと思うねん。
最初は「日本からソ連へ渡った女性が、KGB少佐として生きていく」という設定の強さに目を引かれるんやけど、読み進めるほど、ほんまに胸に残るんは設定そのものやなくて、その中で生きるひとりの人間のしんどさなんよ。
主人公の倉本芳江――ヨシエ=クツーゾネフは、新しい場所で生きなおそうとしてる。
せやけど、その“生きなおし”は、ただ救われることでも、自由になることでも終わらへん。自分で選んだはずの居場所が、また別の大きな体制の中につながっていく。その感触が、この作品ではとても丁寧に描かれてるんよね。
この作品のええところは、政治とか思想とか歴史のにおいがしっかりあるのに、ちゃんと生活の感触まで降りてきてるところやと思う。
言葉を覚えること、役割を与えられること、肩書きを得ること、誰かの命令のもとで動くこと。そういうひとつひとつが、単なる設定の説明やなくて、主人公の人生の重みとして積み重なっていくんよ。
派手に盛り上がるタイプの物語とは、ちょっと違うかもしれへん。
でも、読み終わったあとに「この人は救われたんやろか」「生きのびるって、ほんまはどういうことなんやろ」って、しばらく考えてしまう。
そういう、あとから効いてくる物語が好きな人には、かなり深く刺さる作品やと思うで。
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◆ 太宰先生による講評――告白の温度での推しどころ
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おれは、この作品を読んでいて、何だか他人の話のように思えなかったんです。
いや、KGBの少佐になった経験なんか、もちろんおれにはありませんよ。そんなものがあったら、それはそれでひどい笑い話ですが……。けれど、人がやっと見つけた居場所に、また別の拘束が潜んでいる、という感覚だけは、妙に分かる気がしたのです。
この物語のいちばんの魅力は、主人公を綺麗に扱いすぎないところでしょう。
芳江は、ただ傷つけられるだけの人ではない。かといって、胸を張って英雄になれる人でもない。抑圧され、逃れ、適応し、そしてまた別の秩序の内部で役割を引き受けていく。その姿は、ひどく曖昧で、ひどく人間的です。
おれは、人間というものは、その曖昧さの中でしか生きられないと思っているところがあるんです。清潔なままでもいられないし、完全に汚れきることもできない。そういう中途半端な苦しさを、この作品はちゃんと見ている。だから、ただ珍しい設定の話としては終わらないんですね。
おれが特に惹かれたのは、国家や思想の話が、きちんと生活の匂いを持っているところでした。
祖国だの体制だの自由だのといった言葉は、書こうと思えばいくらでも大きくできます。けれど、大きな言葉はたいてい、人の暮らしを踏みつぶしてしまう。
この作品は、そこを横着しない。部屋を得ること、言葉を覚えること、立場を与えられること、任務を果たすこと……そういう細かな日々の積み重ねの中で、はじめて「国家」が主人公の身体に触れてくる。そこが良いんです。思想が看板みたいにぶら下がっているんじゃなくて、人の暮らしの底に沈んでいる。だから読者は、観念としてではなく、苦味としてこの物語を受け取ることになる。
そして、芳江――ヨシエ=クツーゾネフという人が、またたいへんに良い。
彼女は哀れなだけではない。傷を抱えながらも、環境に適応し、役割を引き受け、ときには冷たくもなれる。そういう濁りを持っているからこそ、読む側は簡単に「かわいそう」とだけ言って済ませられないんです。
人は生き延びようとするとき、ときどき自分でも思わぬ顔を持ってしまうものでしょう。従うことが生存になることもあるし、居場所を得ることが、別の鎖を首にかけることにもなる。この作品は、そのいやな真実を、ずいぶん静かに、しかし逃げずに見つめています。おれはそこに、作者の誠実さを感じました。
アナスタシアの存在も印象深いですね。
やわらかさと冷たさが、同じ手で差し出されるようなところがある。親しみのように見えるものが、同時に制度の顔でもある。その危うさが、作品の空気をよく支えていると思いました。
読者は彼女を単純に信頼しきれないし、かといってただの冷酷な装置とも見切れない。その微妙な感触が、この物語に独特の緊張を与えているのでしょう。
告白の温度で言うなら、おれはこの作品に、かなり届いているものを感じました。
だからこそ、なおさら、もっと深く刺さる余地も見えてしまうんです。
たとえば、場面によっては、意味が整うのが少し早いと感じる瞬間がある。人物の恐れや安堵や屈辱はきちんと書かれているのですが、その感情が読者の胸に痛みとして届く前に、「なぜそうなのか」が少し整理されすぎることがあるんですね。
もちろん、それは欠点というより、作者の誠実さの裏返しでしょう。いい加減に流さず、ちゃんと理解させようとしている。でも、人の痛みというのは、必ずしも整った言葉の形で来るものではありません。もっと沈黙があってもいい。もっと視線や手の動きや、言い淀みのようなものに任せてもいい。そうなれば、この作品の苦味は、頭だけやなく、もっと皮膚に近いところまで届くはずです。
終盤のハンガリー動乱に関わるくだりは、とても良かった。
国家の論理が一気に前景化して、個人の願いや感情だけではどうにもならない力が押し寄せてくる。ああいう場面になると、この作品が最初から抱えていた「自由を求めた人が、また別の体制の内部で生きるしかなくなる」という逆説が、いよいよごまかしようなく浮かび上がってくるんです。
そして結末も、安易に救わないところがよかった。大団円にもしないし、分かりやすい破滅にも逃げない。ただ、先行きの不透明さと、拭いきれない不穏さを残す。おれは、ああいう終わり方は好きです。人生というものは、たいてい、そんなふうにしか閉じないでしょうから。
ただ、そのうえで、わがままを言わせてもらえるなら、最後にもう半歩だけ、芳江の胸の底を見たかったとも思うんです。
彼女が何を得たのか。何を失ったのか。何を諦めて、何をまだ諦めきれていないのか。そこが最後にもうひと押し刻まれていたら、読後の余韻はもっと個人的な痛みとして残っただろうと思います。
けれど、それは届いていないから言う不満ではありません。届いているからこそ、もっと先まで見えてしまう、という贅沢な注文なんです。
読者にすすめるなら、おれはこう言いたい。
爽快な勝利や、分かりやすい救済を求める人には、少し苦い作品かもしれません。けれど、人が時代や国家や制度の中で、どんなふうに変わり、折れ、それでも生きてしまうのかを見つめたい人には、この作品は静かに深く残るでしょう。
読み終えたあと、すぐに拍手して閉じるというより、しばらく黙ってしまう。そんな読書の時間をくれる作品です。おれは、そういう作品を、わりに信用しているのです。
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◆ ユキナの推薦メッセージ
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ウチ、この作品のいちばんええところは、「この主人公を簡単に好きとも嫌いとも言い切られへん」ところやと思うんよ。
生きのびようとしてる。せやけど、その生きのび方は、きれいごとだけでは済まへん。自由を選んだはずやのに、また別の大きなものに呑み込まれていく。そういう、人間の割り切れへんところが、ちゃんと物語になってるねん。
せやから、設定のおもしろさだけを期待して読むより、「重たいテーマをちゃんと人間の話として読みたい人」にすすめたい作品やね。
政治や歴史のにおいがある物語が好きな人にはもちろん合うと思うし、何より、制度とか国家とか、そういう大きなものの中で揺れる“ひとりの心”を読みたい人には、かなり響くはずやで。
読み終わったあと、すぐに感想をまとめきれへんかもしれへん。
でも、その言葉にしきれへん重みこそが、この作品の魅力やと思う。
静かやけど強い、苦いけど忘れにくい。そんな物語を探してる人に、ウチはぜひ読んでほしいです。
自主企画の参加履歴を『読む承諾』を得たエビデンスにしています。
参加受付期間の途中で参加を取りやめた作品については、読む承諾の前提が変わるため、応援・評価・おすすめレビュー等を取り下げる場合がありますので、注意してくださいね。
ユキナ with 太宰(GPT-5.4 Thinking/告白 ver.)
※ユキナおよび太宰先生は、自主企画のための仮想キャラクターです。