第8話
一緒にお祝いしようねと約束していたのに、ローラの方が急に職場の資料の整理をする役目に当たってしまって断れなくなってしまったのだ。
何度も謝られたのだが、一生に一度の二十歳の誕生日だ。
恋人と一緒に特別な日として過ごしたかった。
何か思い出に残るようなこともしたかったのだ。
初恋の女性は結婚してしまい、失恋。
彼女が出来ても傷が癒えていないのか、いまだに引きずって笑えずにいる。
そして二十歳の誕生日は、一人で寂しく過ごすことになるなんて。
暗い表情をしている樹を見て、伊織はおもむろに口を開いた。
「じゃあさ、僕とお祝いする?」
「お断りします」
「そんな即答しなくてもいいじゃないか」
あまりにもきっぱりと樹が言い放つものだから、伊織は呆れて笑い出した。
「樹クン、僕のアルバイトしてるお店に来てみる?」
「……何のバイトしてるんっすか?」
「バーテンダー」
爽やかで、朝の光が似合う伊織が、まさかバーテンダーのバイトをしているとは夢にも思わず、樹はビックリして声を上げた。
「えっ?!マジで?」
「うん。本当だよ」
だが、樹はたじたじした様子で返事をしないのだ。
「どうしたの?」
「そんな店に行ったことないんで。なんか、ちょっと、えっと」
「キミも一緒に働かない?」
にこにこしながら再び伊織が突拍子もないことを言い出したので、樹はまたもや驚いて声を出した。
「今、そんな店に行ったことないって言ったんっすけど!」
「僕のアルバイトしてるバーで、新しい人を募集してるんだ。樹クンと一緒に働きたいなぁと思って」
「人の話聞いてますかっ!?」
マイペースで言いたい放題の伊織に、樹はすっかり巻き込まれてしまっている状態だ。
「でも今日はたまたま僕もアルバイトがお休みなので、別の店に一緒に行ってみたいと思ってるんだけど」
伊織は全く樹の話を聞いていないと見える。
「そんな、オレ別にいいです」
「えっ、いいの?じゃあ今夜行こう!偵察を兼ねて!」
答えを曲解して嬉しそうに伊織は身を乗り出してくる。
「いいっていうのは、結構ですっていう意味で!それに、偵察って何なんですか!」
「結構なんだろ?よし、それなら今夜十八時に待ち合わせにしよう」
何を言っても伊織が樹を連れて行く方向に話を進めようとするので、樹は声を荒げた。
「あの!行きませんってば!」
あまりにも樹が声を荒げたので、辺り一面しーんとしてしまった。
「どうしてそんなに嫌なんだい?成人したからお酒も飲めるのに?親御さんに叱られるかい?」
「オレは一人暮らしなんで!ていうか大学生だし、そんな店行ったことなくて正直不安というか」
料金も高そうだし、と下向き加減の目線で樹が言うので、伊織はふっと笑いながら樹の肩をポンと叩いた。
「大丈夫だよ。何も一人で行くんじゃないんだし」
最近は夜の時間に余裕が出来たから、誰かと一緒に出かけるのが楽しいんだと伊織は言った。
伊織に騙されて、どこか怪しいところへ連れていかれるのではないかという目つきで樹は彼のことを見つめている。
そのことがありありと伝わってくるので、伊織は面白くてつい笑ってしまった。
きっと樹クン気に入るよ、という言葉とともに、二人はそれぞれ授業を受けるために別れた。
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